忍者ブログ
オリジナルの中世ファンタジー小説
[6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ここに、とある少年が書き残した日記がある。
日付はまちまちで、三日連続で続いている時もあれば、二週間も途絶えていることもある。
以下、その手記より抜粋。



こっちの国に来てどれぐらいが経っただろう。この国の秋は短い。日に日に寒くなっていく。僕は忙しい。



魔術アカデミー(これは内輪の人間によるちょっと洒落た呼び方で、本来は魔術大学)は本当にスケールがデカイ。あっちこっちの研究室を渡り歩いたお陰で、だいぶ回ったとは思うけど、それでもまだ、未踏の領域が残っている。未だに大学内の全貌を把握できていない。すれ違う学生の数や、施設の数、うちの国のどこにいっても、あんなにたくさん人はいないんじゃなイカ?
施設といえば、体育館ぐらいの大部屋に、大きなトランポリンが六つ置かれただけの部屋を先日発見したけど、あの部屋はいったい何に使うんだ?
学生の顔ぶれも様々だ。肌の黒い異国風の人もいれば、ヒゲや耳のある獣人もいる。獣人の割合はうちの国より遥かに多いようだ。とにかく坩堝だ。坩堝。



僕は確信している。あの卒業試験の時、マナの仲間達はハコザ教授の陰謀によって異生物に転身させられ、そしてマナ自身の手で葬られたんじゃないかと。
マナはこの説を信じようとはしない。頑固に、おエライ先生を信じてしまっている。
目を覚ませ!



もう雪が降り始めている。高地の冬は厳しいと聞くが、超人になった僕は寒さで凍え死ぬということはないのだろうか?
超人や異生物のことを色々調べている。図書館にはたくさんの蔵書があり、それらは活版印刷されたものもあるが、驚きなのは魔術大の学生によって丹念に書き写された本だ。まるで活版印刷機で刷ったみたいに、正確な文字で書かれている。授業の一環でこうしたことをしているんだろうか。俗に写経というらしいが、僕は面倒臭くてこんな真似は出来ない。
こうして本に囲まれていると、ふと細かいことを考えていってしまう。いったい本というものを一冊印刷するのに、どれぐらいの手間と時間がかかるのだろうか。
活版印刷機はとても高価で、王宮とか、一部の大金持ちサイドにしかないらしい。
僕は、たくさんの本に囲まれてつい居眠りをしてしまった。眠りながら考えたのは、紙を入れればあっという間に文字が印刷される仕掛けの箱があったらいいなア、という馬鹿馬鹿しい空想だった。



超級医薬品開発研究室
そこが今の僕のメインルーム。
確かに、僕の実家で作られていたあの薬は、日夜異生物との死闘を繰り広げている超人たちにとって、これからは必需品となる製品になるかもしれない。
サンプルを使用したサキィの感想は参考になったが、まだまだ実用化には程遠い。揮発性があまりにも高すぎる。だが、それを抑えようとして化合物を加えると、今度は治癒の効果が下がってしまう。どうしたらいいか。
ホワイトライトの継承者、未だ現れず。
僕はいつしか、新しい攻撃呪文の使い手から、回復分野のスペシャリストに、大して欲しいとも思わない『肩書き』が変わってしまったようだ。



マナと喧嘩した。
あいつは何も分かっていない。
何を根拠に「正しい」とか「絶対」とか言ってるんだ!
目上の連中なら間違ったことを言うわけ無いとでも思っているんだろうか。全く腹立たしい。
しばらく口を利かないことにした。何度でも言うが、お前の仲間はあいつらに殺されたんだ!



とりあえず、しばらくあの話をしないことで仲直り。
マナとまた話が出来て嬉しいのは僕。



ヤーマ教授は、相変わらずマイペースで、話を聞いているのか聞いていないのか、つかみ所無い感じで、でも僕の研究ノートを見ると、何やら満足した様子で、良い本があるからと、何冊か選んで教えてくれた。
生物学者のあの人は、正に僕が調査しているあたりが専門分野だったのだ!



最近、夢をよく見る。
窓の外では雪がしんしん。



アカデミーが休みの日、都合がつけば僕はサキィの『ビジネス』に参加させてもらってる。
元々兄貴分の男だったけど、サキィ・マチルヤは今やすっかり社長。依頼も単なる旅の護衛だけではなく、荷物を運んだり、私怨の為に特定の異生物を狩りまくったり、山の奥地のある特定の場所にしか群生しない高山植物の採集をしに行ったり、いろいろな内容が舞い込んでくるらしい。
サキィの仲間もどんどん増えていっている。例の小切手は再度発行してもらったらしく、今ではルロイさんのいた馬屋じゃなくて、街の外れにちゃんとした事務所を構えている。
でも、サキィ自身は決して怠慢になることなく、毎日剣の修行に熱心だ。聞けば『必殺剣』なるものの開発中なのだと。彼の奥義開発の犠牲になって死んでいく異生物たちに、合掌!



中央国と東南国の国交は回復しない。おかげで、冬だというのに物価が上がって仕方が無いと、ユナおばさんは嘆いていた。
中央国を取り仕切る皇子はまだ若いということだけど、信憑性のない噂を聞いて一方的に閉ざしてしまうなんて、一体どんな奴なんだろう。多分、僕はその皇子と顔を会わす機会はないのだろうけど……
寒い。



開発室では僕より何倍も頭の良い人たちが、僕の言葉を聞いて薬品の開発に励んでいる。なんだかこそばゆい気分だなァ。
メンバーの半分ぐらいは、マナのお姉さんが住んでるミドゥー領の出身らしい…というか、その領内にある『超人医院』とかいうところから出張で来てるとか。
どんなところか知らないけど、オズノール先生みたいな人がいるんだから、さぞかし『こんなところ』に違いない。
オズノール先生というのは……まあ僕もこんな変な人には今まで出会ったことないかもしれない。学者はとにかく変わった人が多いけど…
薬の完成にはあと一つ、素材が足りない。それは草だ。なかなか手に入らない、希少なもの。



雪国の雪かきは地獄だ。



家の中に、何故かいろんな人がいて、お袋やヤーマ先生や学長やうちの姉やマナの姉のリナさんや、大学でよくすれ違う名前知らないやつとか、高等部の時のもうずっと会ってない同級生とか、よく見かける物乞いとか、なんかたくさん居間にいるんだけど、窓の外を見ると、雲がもの凄い速さで流れていて、空の色が明るくなったり暗くなったり、そしてどこからか不安な鍵盤の音色がガンガン響いてくる。僕は怖くなって、うちの人を呼ぼうとして、ユナおばさん、ユナおばさんと叫んだ。すると、ユナさんは皺くちゃのお婆ちゃんになってしまっていた。僕は大声を上げて飛びのくと、今度は居間にいた連中が皆、一気に年老いていって…立ったまま年月が経過してって、しまいにはお墓が出来ていなくなっていく。鍵盤の音はどんどん大きく気持ち悪くなっていく。
その時、マナの声がした。マナは一人だけ、歳を取らずに、若いままポツンとしていた。周りの人間が次々に年老いてお墓に変わっていっちゃうのに、こいつだけは平然としていた。
僕はマナに呼びかけようとしたけど、声が出なかった。言葉が、出なかった。
マナは何も知らない顔で、きょとんとしている。なんかとてももどかしかった。お前も何か言え!いつもみたいに大騒ぎして、事態をややこしくさせてみろ!
でもマナは歳を取らなかった。家はもうボロボロの廃墟になっていた。
その時僕は気付いた。あのアオイがよく言っていたように、僕は一匹の小さな蛙になってしまっていたんだ。声なんか出せないの、当たり前だ。
ヒドイ悪夢だった。



アオイは僕に対しては相変わらず素っ気無い。相手によって態度をころころ変えるやつ。
マナ曰く、アオイちゃんはタイジに嫉妬してるんだよ、と。
それなら僕も同じだ。マナが他の男と口を聞いているのを、ただの一秒も見ていたくない。
お前にオズノール先生の話をした時、ずっと不機嫌な顔して、冷たい態度取ってたな。それは僕だって同じなんだよ。
でも、勘違いするなよ。
先生は人妻だ。



三つ目の少年が夢に出てきた。そいつは僕を見ると爽やかな笑顔で挨拶をし、丁寧な言葉で何かの話を始めたが、しばらくすると顔色を変えて僕を嘲った。すると僕の足元に大きな穴ぼこができて、僕はストーンと落ちてしまった。
魔術学は僕のせいで、長らく定説としてた四大属性論を改定しなくてはならなくなったらしい。どうやら来年から大きく魔術体系が変更されるみたいで、もう今年も残り僅かとなってきたのに、教授たちはてんやわんや忙しそうにしている。



また夢の話。
会議室の手前にいた。世界中の偉い人たちが集まって、何か重大な協議をしているらしい。僕はヴィップ扱いで、係りの人に、どうしますか、ここで出ていかれますか?それともお止めになられますか?と返答を迫られていた。どうやら僕が会議の場に出て行くことになると、世界情勢が大きく変わるらしい。よく分からないけど、でも僕は黙って帰ることにした。きっとマナやサキィに叱られるんだろうなと思いながら、それでも僕は重荷に耐えられなかったんだと思う。
一体なんの話じゃ!



今日もサキィの仕事の手伝いをした。アカデミーがあるから、僕は日雇い。その日のうちに終わるこまい仕事だ。
今日、一緒に行動した亜人の超人剣士マコトは不思議なやつだった。まるで狐みたいな外見だけど、瞳は真ん丸で、ハキハキしてるのに、実は女の子みたい。
でも、マコトの斧捌きは凄まじかった。僕の弓で何発も打ち込まなければ動きを止めれない相手を、豪快なたった一振りで、真っ二つにしてしまう。サキィもその腕前には一目置いているようだ。本人ははにかんで、キュートでやんちゃな笑顔を見せた。狐族の尻尾がふわふわ動いてかわいかった。また一緒にやろうぜ!って、僕に言ってくれた。
本人は自分のことを男だと思ってるらしいけど、経験則から、僕はマコトのことをマナの前では話さないようにしようと思った。
それにしても、サキィの元にはどんどんツワモノが集まっていくなァ。昔はガラの悪い連中ばっか取り巻きだったけど、やっぱりあいつにはカリスマがあるのかな?



書き忘れていたが、大学はもう冬期休暇に入っている。
ただ、授業が無いだけで、研究者は年の暮れでも忙しそうに歩き回っているし、マナはマナで後は卒業式を迎えるだけらしいのだが、何やら学長と打ち合わせることがあるらしく、相変わらず毎日馬車であの要塞へと通う(僕もだけどね~)
いくらか人の減った校内は、より一層広大に感じられる。結構なことだ。
春が近づいてきているせいか、たまにちょっと気温の上がる日がある。そんな日はユナおばさんがご機嫌な笑顔で、洗濯物をベランダに干す。



夢にセイジ兄さんが出てきた。俯瞰視線。壁には描きかけの少年の絵があって、目と、耳と、口の部分が無かった。でも、その少年は前にどこかで見た気がする。誰 だっけ。
すると、どこからかセイジ兄さんがやってきて、壁の絵を見てニヤっと笑った。セイジ兄さんはどこからか取り出した大きな筆に絵の具をつけると、描きかけの少年の目、口、耳をつけたした。すると、あたりに光が溢れて、少年は壁から動き出して兄さんを丸ごと食べてしまった。



明日はマナの高等部時代の親友といっしょに、演奏会へ行くつもりだ。
本当は先週の予定だったんだけど、演目がパイプオルガンと打楽器による即興のデュオセッションということをサキィに話したら、何としても予定を空けるから、俺も連れて行け!ということになり、演奏者との伝手があるらしいそのマナの友人とも調整したところ、結局明日になったというわけだ。
僕は一体そのコンサートがどんなものか、全く想像がつかないけど、皆は楽しみにしているみたいだ。
マナの友人の名はアカネ。学校を出てからは骨董屋に勤めているらしい。親友というからにはどんな人かと思ったが、マナ曰く、とっても真面目で頭の良い出来た子、ということらしい。きっとあいつは彼女から散々勉強を助けてもらったのだろう。
『まだ未通女だからおいたしちゃ駄目だぞ!』なんて言われたが、お前みたいに尻軽じゃないって怒ってやった。
何にしろ、ぼちぼち明日が楽しみではある。サキィは仕事を切り上げてから向うと言っていたが、果たして間に合うだろうか………

PR
コンサートホールの外で待っていたマナとタイジの元へ、堂々とした毛並みの馬に跨った女性が近づいてきた。
「アカネちゃん!やっほ」
「こんばんは、マナ。よいしょっと」アカネと呼ばれた少女は、鞍から颯爽と飛び降りると「待たせちゃって、すまないね」優しく鼻息を鳴らす馬の鼻頭を撫でた。
「そんなことないよん」マナは親友に会えて楽しそうだ。「そうそう、アカネっちに紹介するね、こいつが前から言ってたボクの召使い、タイジだよ」
「誰が召使いだ!」とタイジ。
「まったくよ、マナ。こんばんは、タイジくん」
タイジは相手の顔、アカネ・ソンカ・トーハの瞳を見た。
マナが評していた通り、全体的に身なりの良い、優等生然とした落ち着いた佇まい。あどけないようでも大人びたようにも見える相貌と、飾りっけのない装いに短めの髪。そこまでなら、一見どこにでもいそうな二十歳前後の地味な女性といえるだろう。
だが、瞳の色だけは不釣合いに、煮えたぎるマグマのような、真紅であった。
閉ざされた炎……
「もう一人の方はまだ着てないのかな?」
「あ、すいません、サキィは、もう少しで…」
「そう。うん、まだ時間あるし、この辺で待っている?」
「ひやぁ、ずいぶん立派な一頭ですなぁ、旦那様ぁ」マナがふざけてアカネの馬をしげしげと「さぞお高かったろうに」
「そっか、マナに見せるのは初めてか」アカネは愛しそうに愛馬のたてがみをいじり「なんだかんだ、久しぶりだったもんね」
「そうそう!アカネちゃんたら、手紙の一つもくれないんだもん」
そもそも今回の邂逅は、マナがたまたま大学の帰り道に皇都の大通りで買い食いをしていたところ、骨董品の買い付けの為に街を歩いていたアカネに、偶然鉢合わせ、二人は久方ぶりの再会を喜び合い、アカネはマナが最近まで東南国に行っていたことなど知らず、マナに至ってはアカネが骨董屋に勤めていることなど、露と知らなかったのである。
二人ともかつては切っても切れぬほどの仲であったが、高等部を卒業してからは、自然と疎遠になってしまっていた。
「うちら、学園中の百合や忍者が嫉妬するくらい、ベストフレンドだったんだべ!」
「そうかなぁ…」アカネは苦笑いをしている。確かに、破天荒なマナに比べたら、彼女の存在は見劣りするくらい、平凡で目立たない印象を受ける。瞳の赤を除いて。
「学校を卒業して、最初は私も大学に入ろうかなって、勉強をしていたんだけど…気がついたら、今の骨董屋が気に入ってしまってね。自分で働いてね、それでそのお金でこの子を買ったのよ。ちょっと高かったけど…ディスィプリンって名前なの、よろしくね」アカネはまるで恋人を紹介するように、大きな馬を二人に示した。
「ディスィプリンたん!そっかー、これがアカネっちのイマカレかぁ~ぐふふ」マナもにやにやしながら馬の鼻に手を伸ばすが、呆気なく拒絶の鼻息を吹きかけられる。「ろっとぉ、浄化されてしまうとこだった。ディスィたんは言っている。すまない、私にはボクに興味がないんでね、と。う~~、でも、この子見てると、先代を思い出すね」
「先代?」
「あ~」アカネは馬の首をさすりながら、眉をくもらせて「悲しい事件だったわ、あれは…」
「でも、あの一件があったから、オラとアカネはベストフレンドになったんだべ!」
「そりゃそうだけど…」黒髪の少女は憂鬱そうな顔をして遠くを見ている。
「よし!サキィくんが来る前に、ボクとアカネちゃんの出会いをタイジに話してやろう!わーい、パチパチ」
夜の外灯の炎が揺れる劇場前で、マナは語り始める。



「アンデンさん…」
アカネちゃんは最初、とっても真面目で面白みのない優等生の典型みたいに見えた。
ボクはその頃、結構くさっていたと思う。精神的にも、一番酷かった時期で、新しい環境にも馴染めず、友達を作る気力すら無かった。
もうちょっと、自分が何のために生きてるか分らなくって、かなり塞いでた。
「あんまり皆と離れないで。遠くに行ったら…」
ママの言い付けで入学させられた高等部の学園は、東南国にいた頃よりもハイソで、澄ましたお金持ちの子たちばっかりで、ちっとも楽しくなかった。
だから嫌味を言ってやった。
「だってボク、お花摘みなんて退屈なこと、したくないもーん」
「ちょっと…そんな…」
アカネちゃんは学級のリーダーで、まだ転入したての移民者のボクを、なんとかクラスに溶け込まそうとしているような節があった。
だから、最初は、すごく嫌だった。あんなお人形みたいな澄ましたクラスの子たちと、仲良くなんかなりたくなかったし、そいつらのボスみたいに見えたし、何より、学校が女の子だらけってどういうこと?信じられんなーい!って感じだった。
その日、ボク達は学校から離れ、引率の護衛兵と共に、学級で社会科見学に来ていた。都から少し離れた、高原の遺跡。なんでもありがたーい石板だかお墓だか卒塔婆を見るために、わざわざ護衛の超人兵を雇っての、大遠足だ。
小規模な貴族の娘さんも通ってるだけあって、お金に糸目をつけないっていうか、なんとも仰々しくて嫌~なイヴェントだった。
ボクはよっぽど仮病使ってふけようかと思ったけど、家にいたらいたでママとケンカになるだろうから、渋々来てやったのさ。この遠足に。ママからもらった小遣いの半分を、お昼の食費じゃなくて街の小物屋で見つけたお気に入りのブローチを買うために使って。
「もうお目当ての遺跡見学は終わったんだから、後はボクの好きにさせてよ。何も帰るまでキッチリ皆と調子合わせる必要なんてないもん」
ところが、意外にもアカネちゃんは「そうね、私も同感だわ」と、乾いた声で言った。
ボクはその時、初めてマジマジとアカネちゃんを見た。
その不自然に赤い瞳を見て、ボクは悟った。
あ、この子も同じなんだ……
ボクと同じ、ちぐはぐで、はまらないパーツ。パズルの、噛み合わない、はみ出してしまう、ぎこちないパーツ
でも、ボクは態度を緩めずに言ってやった。
「そうだもん、ボクはママの言いつけでこの学校に放り込まれただけで、好きでこんな監獄みたいなところにいたくないんだもん。大体さ、皆、世間知らずだよ。気取っちゃって…そんなにお約束事とか決まり事とか礼儀作法躾が大事?馬っ鹿みたいだよ!なんでも狭い世界に閉じ込めようとしちゃって!世の中にはもっとおっかないことがいっぱいあるんだから、早いうちにそういうのに慣れとく必要があるのに」
「例えば?」アカネちゃんは表情の読めない声で言った。
「例えば…う~ん……」ボクは辺りをきょろきょろ見渡した。天気が良くて、風が気持ちよかった。アカネちゃんの側には女の子には似つかわしくない、渋い馬がいて、そのお馬ちゃんもボクの答えを待ってるように、クリっとした眼でこっちを見つめていた「そうだな…、あ、あそこあそこ」
ボクは少し遠くの林になってるとこを指差した。そこに見えたのだ。
「ちょっと来てみてって!」
「あ、アンデンさん、勝手に…」
ボクは学校の馬に跨り、木々の方へ向った。
アカネちゃんも立派な自分の馬に乗って着いてきた。
「あ!これって!」
アカネちゃんは驚いていた。そりゃそうだろう。だってボクが彼女に見せたのは、草むらをノロノロ歩いていた、巨大トカゲだったから。
その時は『異生物』っていう言葉とか、意味とか、よく知らなかったけど、学校でも、とてつもなく危険だから絶対に近寄ったり、刺激したりしないように、どんなに小さい怪物でも、すぐに超人の人を呼んで、避難をすること、ってきっつく言われてた。
「ど、どうしよう。こんな近くに、こんなのがいたなんて…」アカネちゃんは普通の子がそうするように、普通に恐がっていた。「早く、衛士の人を呼んでこなくっちゃ!」
「必要ないよ」ボクは慌てるアカネちゃんを尻目に、腰の革袋から小型のナイフを取り出した。もちろん、刃物の帯刀なんて、学園の規則じゃ厳禁だったけど、いつ何時、野盗や強姦魔に襲われるかわからないんだから、むしろ武器を所持していない方がおかしいわけで、っていうボク理論から、常にナイフは持ち歩くようにしていたのだ。「とりゃー!」そして、そのナイフで、不意打ちをついてやったのさ。「どや!そりゃ!うりゃ!」何度か暴れて奇声を発するトカゲのバケモンを、ボクはフルボッコにしてやった。「これでトドメ!」
「あ!」アカネちゃんは目を丸くして、驚きの声を上げた。
そりゃそうだろう。
だって、ボクのナイフの猛撃で、大きなトカゲの異生物は粉々に消えちゃったんだもん。
「どんなもんだい」えっへんと、ボクは自慢げなポーズを取った。
ところが…「クリムゾン!」
ヒヒーーーンという馬のいななきと共に、アカネちゃんの馬が暴れだし、そして駆け出した。
「え?…わ!しまった!」
トカゲ化物は仲間を呼んでいたんだ。だから、ボクが夢中になって気付かないうちに、もう一匹が近づいてきて、それを目の当たりにしたアカネちゃんの馬が、ビビって逃げ出しちゃったんだ。
図体は堂々としてるけど、意外と繊細で臆病な子だったらしい。
「クッソー、まだいるのかぁ!」
「あ、ああ、アンデンさん!追いかけなきゃ!」
そうだった。
今は現れたもう一匹より、全速前進で走り去っていったアカネちゃんの馬を捕まえなきゃ。
「ちょっと、この子借りるわよ!」アカネちゃんはやや遠くに置いていたボクの方の馬に飛び乗った。こいつは何食わぬ顔で、呑気に草を食っていた。馬は乗り手に似る、っていうのはどうやら間違いみたいだね。
「待って!ボクも」
ボクはアカネちゃんの後ろに飛び乗った。ブヒヒーン。まるで重いよコラ!とでも言うかのように、不平声を上げる馬。なんというじゃじゃ馬!
構うもんかと、アカネちゃんは馬の腹を蹴り、駆け出していった自分の馬を追いかけた。
ボクは馬上で、必死にアカネちゃんの背にしがみついていた。
もちろん、東南国にいた頃から、乗馬の訓練は受けてたし、馬を走らせることだって、なんなく出来た。イカした男の子の後ろに乗せてもらったことも何度もある。
だけど、そんなボクでも、振り落とされないように必死になっているしかなかったんだ。
アカネちゃんの手綱さばきはとても十代の、お嬢様学校に通う淑女のそれではなかった。まるで、草原の狩人みたいに、猛スピードで、起伏も激しかった。
あんまりに高低差のあるアップダウンで、鞍に何度も打ち付けられるボクの股座が刺激されたのか、スピード狂みたいに脳内快感物質が分泌されてたのか、なんだかよくわかんないけど、目の前にあるアカネちゃんの黒髪が、炎のように燃え上がるような幻を、ボクは見ていた。

「それでね、こっからがスゴい話なんだけど!アカネちゃんのクリムゾンが…」
「もう、マナったら、良いよ…」アカネはマナの饒舌を嗜めようとした。
その時。
「おーい、遅れてすまーん!」
彼方より声があった。
タイジは聞きなれた友の声のした方を振り返った。夕闇の中、今の話の続きよろしく、正に馬に跨った、二人の姿が浮かび上がってくる。
「悪いな、マコト、送ってもらっちゃって。よっと」サキィが鞍から飛び降りた。猫族との亜人である長身長髪の美青年は、似たような姿をした亜人の騎手に礼を言った。
似たような、という印象はとりわけアカネ・ソンカ・トーハにとっては強く、一瞬、二人は兄弟のように見えた。
二人とも、獣の血が混じっていて、戦士のような勇ましさと、獣人らしき美しさを備えている。だが、よく見ると、長い髪の男の方はヒョウの特徴を持ち、馬上の人物は、丸い眼をしているが、筆の先のような尻尾があり、狐族であるように窺われた。
「サキィ、遅いよ」タイジは既知の仲であるはずのマコトの方には首を向けず、演奏会を鑑賞しにきた友を迎えた。
「悪ぃ、悪ぃ、ああ、お前も、重かったろう」サキィは爽やかに笑いながら、さっきまで二人分の重量を支えていた馬を労わった
「三十五号は全然、平気だぜ」狐の獣人は言った。
「三十五号…」とアカネ。「馬の名前も、人それぞれね…」
「わぁお、サキィくん!彼は誰?」マナは馬よりも、その上の人物に注目「なかなかかわいらしいイケメンくんじゃん!ちょっと『ちいさい』気はするけど、非実在青少年じゃないから全然平気だお!ねぇねぇ、是非ボクにも紹介してよ!」
美少年と思しき人物を目の当たりにし、焼きたての菓子を前にしているかのようにヨダレを垂らしているマナ。
するとサキィは「だってさ、マコト。どうする?」
それを受けてつぶらな瞳の獣人剣士は「悪いけど、趣味じゃないな……」
「あ~~ん!サキィくんのせいでまたフラれたあああああ!」
「マナ、あんたって、ホントに変わんないのね」アカネはゲンナリ顔で、親友を見つめる。
マコトはそんなアカネ・ソンカ・トーハの横顔を、その紅の瞳を、馬の上から見つめている。吸い込まれるかのように。共鳴するかのように。
タイジは、最初は気を配って黙っていたが、マナの挙動を見て、その静かな憤りから、言ってやった。「マナ、その人は女の子だぞ」と。
人気のない、智恵の迷宮を、タイジは一人歩いていた。
学生たちはもう長期休暇に入った為、あるいは帰省をしたり、あるいは寮棟で静かに時を過ごしたりで、だだっ広い古ぼけた宮殿のような魔術大学は、より一層その広大さを感じるほどに、静けさに包まれている。
気がつけば、マナよりも熱心に足繁く、この魔術大学に通っている。
タイジを中心とした研究チームが結成されて数ヶ月、確実に成果は上がってきている。来春からは、いよいよ超人の傷を癒す特効薬を、製品として売り出すことが出来るかも知れない。
「そうすればオズノール先生の食費も、少しは回収できるかな?」
両生類のようなあどけない顔をにやにやさせ、タイジは肌寒い廊下を、多少の満足感を以って、歩んでいた。
東南国城下町の、寄生虫のように閉じ篭っていたあの家を出た、あの夜に、まさかこんな今になるとは、全く想像もしていなかった。
僕は超人になり、そして、今度は同じ超人の為に、力を貸している。
今までは考えられなかったことだ。今までの自分には……そう、きっと何度か世界が巡ってこないと、こんな能動的な状況にはならなかっただろう。
僕に出来ることなんて、ほとんど何もないと思っていた。自分は、誰の役に立つこともなく、一人、ぬるま湯の子宮の中で、生まれることなく消えていく存在に過ぎないと思っていた。
人の為に、何かをしている。
いつからだろう…それが、楽しいことと思えるようになったのは…
超人になった僕は、超人の為に、薬の開発と技術、そして、隠された謎の解明に、夢中になっている。
といっても、医療研究は、本来僕の関心のあるところではなかった。
それ以前に、僕には知りたい事実があった。
超人とは何か。異生物とは何か。それはどこから来て、どこへ向い、そして、何故変わるのか!
あるいはそれは、たった一人の狂人の頭の中にしかない、妄想に過ぎないのか。
いや、そうではない。そうあってはならない。それは世界のすべての人の関心事。
今やっと、そのこと…つまり僕の本来の関心事に向える時間が出来た。
「超人……か」
今でも時々信じられないと思うことがある。自分がそれに生まれ変わってしまったということ。

超人は人間の向うべき次なる段階なのだ、というのがハコザ博士の言い分だが、果たしてそうだろうか。
超人ではない普通の人間との比重を考えてみると、明らかに少数派だし、こんな力を得てしまった僕達は迷惑な存在なのではないだろうか。
そんな考え事をしていたタイジが、寂しげな廊下ですれ違ったのは、正しくそのハコザ教授だった。
「あっ」
「おお、タイジ君じゃないか」
「こ…こんばんは」
相変わらず射るような鋭い目つきに、タイジは冷や汗をかく。
こんな時期に学内にいるとは…君はずいぶん勉強熱心だと聞いているよ。うん、素晴しいことだ」
「えぇ……そんなことは…」
「それに、例の研究チームの開発品。是非、未完成でもいいから私にも公表してくれないかねぇ。知り合いに蒐集家の男がいるんだが、彼もきっとそれを見たがってるだろうし…」
「そ、そうですね」マズイ、気圧される「でも、それは時期が来たら…」
「そうか?ちょっと残念だな」なんとか抜け出せないか…
いや、違う。
逃げるんじゃない!
そうだ…こいつは……敵だ!

「!」
タイジは腰に下げた革袋の中身を思った。
今、辺りには誰もいない。
取り出し、ハコザの前に晒す。
副学部長のサインと同じ物が刻まれたそれを!「あの…これ…」
「そ!それを…!」
ハコザは見た。
異国の少年が、紛れもなく自分の署名が掘られている金の筒を手にしているのを。
この動揺!間違いない。
タイジは、あの暗黒の地下道で、マナの級友だったかもしれない異生物を倒した際に手に入れた筒を目にして驚いているハコザを見て、疑惑が確信へと変わるあの高揚感に満たされていた。
こいつだ!こいつがマナの仲間を…!
「ふふふ、くくく、しゃしゃしゃ」だが、ハコザは笑い出した。焦りも驚愕も消えていた。「違うんだな、タイジ君。それは、今、ここで私に見せるべきではない
「え?」
ハコザは指輪のはめられた指で髪をすいて「そうそう、卒業式のある週末に、私の館で宴が開かれる。予定は空いているかな?君と君の仲間達を是非、その宴に招待したい」
証拠を突きつけられて追い詰められた反応をするかと思っていたタイジは、ハコザ教授のこの意外な申し出を聞いて「そ、それは…」
「パーティだよ。学内の掲示板にも告知はしてあるから、是非来てくれたまえ」ハコザは唇を持ち上げながら「その時、忘れずにそいつを持ってきてくれよ」
タイジは動けなかった。
ハコザの突然の不可解な誘いに対する驚きもあったが、それ以上に抗えない命令を下されて、全身が硬直してしまっていた。

その日の夜更け。
タイジは灯りも灯さず、マナの部屋の戸をあけ、暗闇の奥へと呼びかけた。
「マナ…起きてるか?」真っ暗な部屋から返事は返ってこない「今日…ハコザ先生と廊下ですれ違ったんだ」今夜はサキィは戻らない。ユナおばさんはとっくに就寝している。「もう、この話はしないって、約束したけど…」
「聞いてない振りしてるから、黙って続けて」くぐもった少女の声が返ってきた。
タイジは声をひそめ、話を続けた。
学生を罠にはめたのはハコザの仕業。金の筒のことも、そこにあった同じサインも、そして実際本人に会って、確かめた。今、奴は自身が主催する宴に僕達を招待し、更なる罠に陥れようとしていること。
「マナ、僕は医療棟でやるべきことは大体済ませた。薬品はほぼ完成し、新年になれば、それは発表できると思う。図書館での調べ物も、目処がついた。まだ完全じゃないけど…切り上げてもいいぐらいには出来た。僕は、自分の命を失っても、あいつを倒したいと思う」
タイジの、初めての勇ましき宣言を受けた少女は、ただ長い長い沈黙の間を置き、暗闇の寝台から、小さな言葉を紡いだ「こんなにチャンスがあったのに…ようやく来たかと思ったら、そんなつまんないことを言うだなんて…」
「マナ!僕は本気なんだ。お前だって、もうわかってるはずだ。お前の仲間たちを殺したのは、あいつ、ハコザだって!チャンスは今度の宴。その時に…」
「いいよ、もう!なんも分ってないんだから!」怒りを含んだマナの声「ボクはね、タイジがシコシコ学者さんごっこしてる間に、チョーかっこよくて男前紳士の学長から、秘伝のスペシャル魔術の特訓を受けてきたんだ。それさえあれば、どんな奴だってあの世へ送れる、禁断の魔術」
「え…」マナも…既に?
「わかったら、早く部屋を出てって!でないと、もうちょいで完成のその魔術、実験者第一号をタイジにしてやるから!」
タイジはマナが俄かに怒り出した理由も分らず、要領を得ないまま扉を閉めた。そう、扉は閉められた。少年は少女の部屋の扉を閉めた。そして立ち去る。
僕も、こうしてはいられない。



「お、おはよう、タイジ」
「おはよう…えと、マコト……くん?さん?ちゃん?たん?」
「なんだよそれ、マコトって呼び捨てでいいよ!あとたんだけはない。マジで」
狐族の剣士、溌剌とした少年風の少女は、花火のように明るい笑みを、やって来たタイジに返した。
「なぁ、タイジ。今日は特訓なんだって?覚悟しとけよ、ゲンのやつ、ぶっきらぼうでいけ好かないから」
「ゲン…ていうの?サキィが教えてくれた弓の使い手」
「ああ、まだオレたちの仲間になってから日は浅いんだけど、あいつはやべぇよ。確かに稽古じゃオレやサキィさんの相手じゃないにしろ、あの弓の一撃は、ウチらの刃よりも強力かもしれない」
サキィやマコトの打撃をも上回る弓矢?
「一応、自分は狩人だなんて言い張ってるけど、とんでもない図体してるんだぜ。だからいつも皆で言ってるんだ、狩人っていうのは森の中にいて、木から木へ飛び移ったり、獣の声を聞いたり、もっと身軽で俊敏な奴らのことだろ?お前はなんでそんなに鈍重なんだって!するとあいつはぶちゃむくれた顔で言い返すんだ。『どんなに射出に時間がかかっても、相手を弓矢で倒せれば、狩人だ。しかも俺は一撃で沈められる』ってね。変わった奴だよ。こっちこいるからさ!」
マコトはサキィの事務所裏から出て、路地を歩いていった。
サキィはその日、別件で留守にしていた。
先日、弓矢の修行を受けたいと申し出たタイジに対し、若くして頭領となった親友は「うってつけの奴がいるぜ!」と快活に言い、マコトに頼んで紹介してもらうことにした。
「おーい、ゲン、いるか?」マコトはサキィは『さん付け』でも、他の連中は呼び捨てらしい。彼女の年齢からすれば、皆先輩みたいなもんだが…「なんだあいつ、あんなのっぱらにいるぞ」
それは中央国皇都、ボンディ領の枠の外、異生物徘徊する恐怖の平原ゾーンに突き出たエリア、大きな木の下に、座っていた。まるで巌のように。
マコトが評した通り、ガッシリと大きな肉体。浅黒い肌にゆったりとした衣装を身につけ、縮れた剛毛が草原から吹いてくる風になびいている。
胡坐をかいている男の手の中にある武具を見る。巨大な体躯に一致するように、これまた巨大な射出武器。
「ゲン、連れてきたぜ。彼がタイジだ。頭領の古い友人で、なかなかの弓使いらしい」
タイジは狐の尻尾を揺らす少女の後ろに立って、黙って見下ろしていた。
確かに、腕力は相当ありそうだが、こんな馬鹿でかい図体の彼に、緻密な操作を要する弓具など扱えるのだろうか。マコトみたいに、斧で戦ったほうが性に合っていそうに見えるが。
「なかなかの弓使い」その身に見合った、低い、太い声で、ゲンと呼ばれた大男は呟いた。
「いや、そんなことは…」
タイジが謙遜しようとしたところ、ゲンは木立の下に座ったまま、その巨大な弓具を持ち上げ、何もない平原の遠くを見据え、そして、撃った。
どひゅうううううぅぅぅ
岩をも粉砕する弓矢は真っ直ぐに野原を突き進んでいき、失速することなく、どんどん遠くへ、小さくなり、やがてタイジの眼からは見えなくなった。
なんだろう…自分の弓の飛距離を見せようとしたのだろうか。
確かに、彼が今撃ち放った矢は、まったく衰退することなく、平野の見えなくなる遠くまで飛んでいったが…
すると「うっわー、驚いたな!」マコトが矢の飛んでった先に眼をこらし、感嘆の声を上げた。
「え?マコト…」
「ああ、そうか、タイジの眼には見えなかったか。オレは獣の血が入ってるから、見えたんだ。今、ゲンがなんもない方向へ撃ったと思った矢が、ずーっと遠くにいた異生物に命中したよ、しかも、たった一発でぶっ殺した!この距離から、矢は少しも失速しなかった。ちょっとオレも信じられないよ」
「あんたには、俺の教えを請うだけのスキルがあるのか?」
地の底から響いてくるような声で、座ったままのゲンはタイジを見上げもせずに言った。

その日、マナは太陽が昇るより早く起きだし、彼女の母親とともに、盛大な準備を行った。
マナの卒業式だ。
異生物との実戦を踏まえ、本格的に戦力となる魔術師を育成する為に設けられた魔術学部第一魔術学科魔術師学専攻生の、初めてにして、唯一の卒業生。
それがマナ・アンデン。
志半ばで散っていった七人の仲間の無念を乗り越え、彼女は遂に全教育課程を修了した。
対外的に見れば、これはちょっとしたニュースでもあり、式には中央皇国の王宮からも数人、列席し、またこの報せは諸外国へ、抑止力めいて発表もされた。
未だ国交回復の兆しのない東南国へも、皮肉めいたこの報告書が、皇族専用の伝書鳩の足首にくくられた。
もちろん、当の本人にとっては、そんな政治的、社会的、歴史的な意味合いなどどうでもよく、もっぱらお化粧のテクニックに全身全霊を使い、答辞の発表に緊張をし、式典用の豪華な一張羅に袖を通すのにわくわくしている、そんな小市民めいた気分しか持ち得なかった。
魔術大学で開かれた式典には、タイジももちろん出席した。
実をいうと彼は、マナや在校生のアオイらと同じ学生という扱いではなく、客員教授兼超級医薬品開発研究室スタッフという肩書きのもと、賢者の如き教授らと共に式に参列したのだった。
タイジは開発研究室の既婚の研究者オズノール女史らと共に、冗長な式典を、何度も欠伸をこらえながらジッと耐えた。
お偉いさんの退屈な長話を凌ぐために、普段よりも数倍美しく魅惑的な姿となったマナを、遠くから、何度も見つめてしまっていた。
他の学科、学部の生徒の群に交じっても、そこだけは一点、輝かしく崇高な、愛しい領域であった。

その夜。
仕事がどうのとか言い訳をつけて式には姿を現さなかったサキィと共に、アンデン家では遅くまで晩餐が催された。生憎、彼女の第一の心酔者アオイは、お家の都合でマナ宅に来ることは出来なかった。
「おめでとう、マナ」式にも顔を出した親友のアカネ・ソンカ・トーハは「あんた、どんどん立派になってくね」
「そんなことないょ~~ん」マナは酒に酔って真っ赤な顔と真っ緑な髪で「アカニェっちだってさ、むぅっぷ、ボクよりじぇんぜんべんきょーでけるひ」
「はいはい、もうお酒はやめなさいね」アカネはやれやれといった顔をして「それじゃ、夜も遅いし、私は帰るね。タイジくん、サキィさん、マナのこと、頼んだよ」
三人の若者は、親友の母親に慇懃な挨拶をして帰路についた紅の瞳を持つ少女を見送った。
ほどなく、マナは「少し休む」といって自室に引き下がったまま、次の日の出まで決して目を開けないだろう深い眠りに陥った。
「やれやれ、ホントに、どんどん立派になってくな」タイジは蝋燭の灯りを片手に、マナの部屋のドアを閉めながら「どんどん…追い抜かれてる気がするよ」感慨深げに言った。
「まったくだな」とサキィ。
「何言ってんだ、サキィだって、今や立派な実業家じゃないか」
「そういうタイジだって、薬の開発、進んでんだろ?」
「何にせよ、あの子が無事に卒業を迎えて良かったよ」食べ散らかった食卓から、母親ユナの声が届いた。
「ユナ・アンデン殿。今更ながら、此度はおめでとうございます」酔っ払い獣人のサキィは、シャキっと敬礼のような仕草をひょうきんにして言った。
「ええ、ありがとう」ユナはにこやかに笑って返した。ユナは四十代前半で、確かに目皺や肌の衰えは顕著にあるものの、黒い髪には艶があり、よく笑いよく食べるその様、まだまだ充分若々しい御婦人である。「ささ、こっちに来て、もう少し飲んだらどうだい?」
「いただきまっす」サキィは猫族の尻尾をくるくるさせながらテーブルに舞い戻った。
「なーにその明るいキャラ」とタイジ。
「ささ、若者はもっと飲まなくちゃ」杯を勧めるユナ。
「わ、僕はもう、いいです」やんわり拒否するタイジ。
「しっかし……あの子も大きくなったよ、ホント」
「やっぱり、苦労なさったんですかい?奥さん」サキィが酔った声で尋ねる。
「そりゃぁ苦労の連続だったわよ」ユナ母は横柄に「わがままだし、無鉄砲だし、ちっとも大人気ない。それに男癖の悪さもピカ一でしょ」
「ええ、そうですね」タイジは即座に同意をした。
「あの子はねぇ……死んだお父さんがね、いつも構ってやれなかったから。姉のリナも、妹にはあんまり干渉しなかったし、私は叱ってばっかだったから」
ユナおばさんは、マナの育ての親としての回想を語り始める。
「私と亡くなった夫はもともとこの国の出身でね。マナが生まれてすぐ、東南国に一家で移民したのよ。マナはね、しっかり者の姉リナといつも比べられて、ドジでやんちゃで、すぐに泣きわめいたり怒って癇癪起こしたり、そりゃ子供ん時は大変だったのよ。今もかもしれないけど」
タイジは黙って心の中で「今もです」と言った。
「でも、どんなに機嫌が悪かったり落ち込んでても、パパがうちに帰ってきたら途端に良い子になってね。ホントに父親が大好きだったんだよね。私はあの子とはずーっとケンカばっかりだったし。できれば、あの人がずっとマナの側にいてあげれたら良かったんだけど…けど、超人でもあった夫は仕事が忙しくてね…なかなか家にいられる時がなかったんだよ」
タイジはこのマナの母親、そして姉のリナには会ったことがあるが、彼女の父親には終ぞ顔を合わしたことはなかった。小さな肖像画でその髪の色が娘の興奮時と同じであることを確認したぐらいだ。そういえばあの絵は……
「マナが、そうね…小等部を卒業して、中等部へ入った頃ぐらいからかな。私も時には辛くあたったりしてたな。あの子、案の定悪い方へ走っちゃいそうだったから。家に帰ってくる時間も遅くなってきたし、リナにも叱りつけるように言ったんだけど、反抗期だったのかしらね、私らの話なんかまるで耳を貸さないで、年上の男が集まってるようなとこに遊びに行ったり、そりゃもう心配したわよ」
タイジは兄のことを思い出した。
セイジ兄さん。
マナと次兄がどんな経緯で知り合って、関係を持ち始めたのかははっきりとは分からないが、確実にその綱渡しとして自分はいた。マナのことが好きだったのに、何も出来ないでいた自分が。
そうか、あの時期マナはグレていたのか。不良っぽい感じではなかったけど、家が嫌いで夜遊びばっかりしてるみたいなことを話していた気もするな。
「パパが死んだ時は大変だったわ。ちょっと思い出したくないくらいね。私はなんとかかんとか、二人の娘を引っ張って、こっちの国に帰ってきたわけ。あの時のことを思い出すと……今でも冷や冷やするわ。マナなんか、お父さんが死んじゃったのと、住み慣れた土地を離れるのとで、すっかりダウンしちゃってね。んんん、ダウンて感じじゃなかった。もう…一日中死んだ魚みたいな目をして、まるで叔父から虐待を受ける少女みたいな……ウッディ!そりゃもう、人が変わったみたいに…」
そうか。
マナが高等部の途中で突然姿を消してしまった直接の原因は、親父さんの死だったのか。
家庭の事情。
「なんとかあの子をこっちの新しい学校に転入させて、真面目に勉強するように言って聞かせたの。敬虔な精霊信仰の、お嬢様学校にね……最初は新しい環境に慣れなかったみたいだけど、すぐに仲良しの友達を作ってね…それがあのアカネちゃんよ」
サキィもタイジも、先ほど丁寧な挨拶をして帰っていった、優等生然としていながらも、どこか垢抜けない少女のことを思い浮かべた。
「それで、友達も出来たし、私の見えてる範囲では真面目に勉強してたみたいなの。アカネちゃんと。勉強嫌いのあの子がね、やっぱりお父さんが死んだショックで、少しは心を入れ換えてくれてたのかな。それとも新しい親友が勉強熱心な子だったからか…ともかく、マナは気持ち悪いけど真面目に勉強してるみたいだし、リナは学校の先生になるって進路も決めて、私も昔住んでたこの国で、再就職して、なんとか生活も軌道に乗り出してきた頃だったわ。あの子がね、また、とんでもないことをやらかしてくれたの」
タイジは自分が知らない時代のマナの話が聞けて嬉しかった。
卓上に置けれたランタンの炎が、時の螺子を巻き戻すように、揺らめいていた。
<< 前のページ 次のページ >>
最新コメント
バーコード