オリジナルの中世ファンタジー小説
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何故!これほどにも!苦しいのだ!
炎が、揺らめいている。恐ろしい。
恐ろしいだって?
この、私が!たかだかボヤごときを!
クソッ!クソォ!クソオオオ!
あの、死にぞこないの老いぼれめ!
私に、教えなかった切り札を…こんなところで…しかも、あいつの飼い犬に使わせやがったァ!!
私を、見下して!私を……
燃えていく。
燃えていく。
まるで怨霊の群のように、どす黒い色彩を有した炎がゆらゆらゆらゆら辺り一体を包み込み、彼の肉体を溶解しようとしている。
逃げ場はない!
どっちを向いても炎。どっちを向いても灼熱。どこまでいっても炎。どっちを向いても灼熱。
否、そは煉獄なり!
恐るべきは、この秘められたる魔術、レッドナイトメア。
悪夢を孕みながら、ハコザ教授の四肢を焼け付かせ、墨屑へと変えさせていく。
ハコザは暑さと精神に訴えてくるダメージから逃れようと、必死に思考を賭け巡らせた。
辿り着いたのは、彼の少年期。
そうだ。
私はこの炎を知っているんだ。
一度、この炎を見ていた。
私の家…。燃えて、無くなってしまった、私の家。
ハコザは幼い頃に生家で起こった火事のことを思い出していた。
夜中に突然目が覚めると、家の中が煙で満たされていた。真っ暗の筈なのに、廊下が明るい。ベッドから這い出て父と母の名を呼んだ。応えは無く、外からは悲鳴や怒声が聞こえて来ていた。真夜中だった。真夜中には許されていない筈の明るさがあった。初めて自分の家が燃えているのだということを知った。父親が自分の名を叫びながら飛び込んで来た。いつも頭を殴ってくる大嫌いな父親が。何をボサっとしている!早く、逃げるんだ!どうして?幼いハコザには分からなかった。火事で、もうすぐこの家は消滅してしまう、事態の予測にすぐには辿り着かなかった。父親は自分の手を強く引っ張った。痛い!腕が千切れる!何してるんだ、さあ逃げるんだ。やだよ、僕の本や玩具はどうなるの?馬鹿なことを言うな!そんなものどうだっていいだろ!命が一番大切なんだ……!
私は、忘れてはいない。
あの苦しみの日々を。
決して豊かであったとはいえない田舎の私の家庭は、突然の火事によって完全に破滅してしまった。
父親は失業し、母は貧しさに耐え切れなくなってどこへともなく出奔してしまった。
死人が出なくて本当に良かったなどと村人は人事のようにほざいたが、私としては、いっそ火事で一家全滅になっていた方が良かった。
なまじ生き残ってしまったが為に、その後の人生がどれほど辛く苦しいものになってしまったことか。
父親はますます暴力を振るうようになり、知人の情けで貸してもらった小さな一室で、私は来る日も来る日も苦しみに耐えていた。
貧しさにではない。
私が何より耐えがたかったのは、学校や村人達の私達親子に対する態度だ!
あの哀れむような視線。この子は家が焼けちゃって大変なのよね。お気の毒に。がんばりなさいよ。
あの態度!全く我慢出来なかった。
ある日口を聞いたことも無いクラスのませた女が「良かったら」といって贈り物をしてきた。私はそれを黙って受け取ると、中身を調べずに帰り道のドブ川に投げ捨てた。
あいつらの!「めぐんでやるよ」という、まるで自分よりも遥かに劣る弱者を見下すような目つきが、私に与えた苦痛は決して忘れられるものではない。
私は誰よりも上に立つ男になることを欲した。
貴様らに、知らしめてやる。
貴様らが見下している私は、やがてお前たちの遥か頭上に君臨する者なのだということを!
そして、私はいつしか超人の力を手にしていた。
その日、私はあらゆる精霊に感謝の祈りを捧げた。
だが、何故、今そんなことを思い出しているんだ?
「タイジ!」
マナが駆け寄ってくる。
「タイジ、タイジ!ゴメンね、ボク、なんだか急に眠くなっちゃって…でも今度は、タイジが起こしてくれたんだよね?」
「マナ、そんなことより、ハコザの奴だ。あいつ、頭を押さえたまま苦しんでるみたいだけど」
「あいつはしばらくは動けないよ」マナは自信を込めて言う。「学長のおかげだよ。それより、今がチャンスなんだ。タイジ、矢であいつを仕留めるんだ」
確かに、今のハコザは隙だらけだ。
だけど、ハコザの必殺剣で受けた腕の傷の回復は、矢を放てる段階まで進行していなかった。兄さん、あんたの魔術は役に立っていないよ!
「マナ……駄目なんだ、腕が……僕の腕で、この弓を握れない」
タイジは千載一遇のチャンスを前にして、額から止めどなく流れてくる汗を拭うことすら出来なかった。
もちろん、彼が開発し、ようやく製品化の段階へとこぎつけた医療薬も、傷口への使用を試みてはいた。だが、その結果は彼の十八番の回復系呪文ホワイトライトと同様であった。
傷は癒えても、完治までは至らない。
ハコザが鋭い懸声と共に放った剣の奥儀『月光衝』によって粉砕された肩のせいか、それとも、もっと付加的な効果のせいか、片腕は運動をすることを激しく拒絶し、彼に再び武具を構えさせることを断じて許さなかった。
破壊力…肉体へのダメージ度はもちろん、今までに味わったことないほどそれはそれは甚大だった。
だが、それに加え、まるで武道に於ける『小手打ち』のような、相手の戦力を削ぐ相乗効果。
タイジは焦燥する。
せっかく、マナの極秘の魔術で動きを止められているのに、僕の腕は、動くことを否定している。また、戦うことから逃れようとしている!
今、ここで!
弓を構えて、あいつを殺さなければいけないのに!
どうして、お前は…ッ!
「ボクが手伝うよ」
「…マ、マナ?」
少女の、優しい匂いと強い言葉が傍らにあった。
「いっしょに……あいつを、殺そう」
タイジは唇を噛んで、顔を背けたまま、何かをひとしきりこらえた後「うん。ありがとう」
マナはタイジを抱いて起こしてやると、弓を右手で掴み、矢をタイジの背から抜き取って彼のまだ使える方の手に握らせた。
「さぁ、ボクが弓を持ってるから、矢を放つんだ。とびっきり痺れるやつをね!」
マナが肌をぴったりと合わせてくれている。
迷うことは何もなかった。
仮初にもマナと一つになれている気がした。
理性を失った異生物の中でではない。
お互い赤い血を流しながら、それでも人間としての歴然とした明確な意志をもって、心と体がぎこちなくも一つになっている。
マナの構える弓にはマナの魔術の力が。
タイジの指に挟まれた矢には雷の力が。
そして二つが一つになって、仇敵に向って、放たれる。
ェッェエエエエエエクススプェエエリエエエエエンンンススゥゥゥウウウ
激しい閃光がハコザ目掛けて突き抜けていった。
やがて、それは男の喉仏に深々と命中した。
ハコザは声も上げずに、うつ伏せに倒れ伏した。
炎が、揺らめいている。恐ろしい。
恐ろしいだって?
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あの、死にぞこないの老いぼれめ!
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悪夢を孕みながら、ハコザ教授の四肢を焼け付かせ、墨屑へと変えさせていく。
ハコザは暑さと精神に訴えてくるダメージから逃れようと、必死に思考を賭け巡らせた。
辿り着いたのは、彼の少年期。
そうだ。
私はこの炎を知っているんだ。
一度、この炎を見ていた。
私の家…。燃えて、無くなってしまった、私の家。
ハコザは幼い頃に生家で起こった火事のことを思い出していた。
夜中に突然目が覚めると、家の中が煙で満たされていた。真っ暗の筈なのに、廊下が明るい。ベッドから這い出て父と母の名を呼んだ。応えは無く、外からは悲鳴や怒声が聞こえて来ていた。真夜中だった。真夜中には許されていない筈の明るさがあった。初めて自分の家が燃えているのだということを知った。父親が自分の名を叫びながら飛び込んで来た。いつも頭を殴ってくる大嫌いな父親が。何をボサっとしている!早く、逃げるんだ!どうして?幼いハコザには分からなかった。火事で、もうすぐこの家は消滅してしまう、事態の予測にすぐには辿り着かなかった。父親は自分の手を強く引っ張った。痛い!腕が千切れる!何してるんだ、さあ逃げるんだ。やだよ、僕の本や玩具はどうなるの?馬鹿なことを言うな!そんなものどうだっていいだろ!命が一番大切なんだ……!
私は、忘れてはいない。
あの苦しみの日々を。
決して豊かであったとはいえない田舎の私の家庭は、突然の火事によって完全に破滅してしまった。
父親は失業し、母は貧しさに耐え切れなくなってどこへともなく出奔してしまった。
死人が出なくて本当に良かったなどと村人は人事のようにほざいたが、私としては、いっそ火事で一家全滅になっていた方が良かった。
なまじ生き残ってしまったが為に、その後の人生がどれほど辛く苦しいものになってしまったことか。
父親はますます暴力を振るうようになり、知人の情けで貸してもらった小さな一室で、私は来る日も来る日も苦しみに耐えていた。
貧しさにではない。
私が何より耐えがたかったのは、学校や村人達の私達親子に対する態度だ!
あの哀れむような視線。この子は家が焼けちゃって大変なのよね。お気の毒に。がんばりなさいよ。
あの態度!全く我慢出来なかった。
ある日口を聞いたことも無いクラスのませた女が「良かったら」といって贈り物をしてきた。私はそれを黙って受け取ると、中身を調べずに帰り道のドブ川に投げ捨てた。
あいつらの!「めぐんでやるよ」という、まるで自分よりも遥かに劣る弱者を見下すような目つきが、私に与えた苦痛は決して忘れられるものではない。
私は誰よりも上に立つ男になることを欲した。
貴様らに、知らしめてやる。
貴様らが見下している私は、やがてお前たちの遥か頭上に君臨する者なのだということを!
そして、私はいつしか超人の力を手にしていた。
その日、私はあらゆる精霊に感謝の祈りを捧げた。
だが、何故、今そんなことを思い出しているんだ?
「タイジ!」
マナが駆け寄ってくる。
「タイジ、タイジ!ゴメンね、ボク、なんだか急に眠くなっちゃって…でも今度は、タイジが起こしてくれたんだよね?」
「マナ、そんなことより、ハコザの奴だ。あいつ、頭を押さえたまま苦しんでるみたいだけど」
「あいつはしばらくは動けないよ」マナは自信を込めて言う。「学長のおかげだよ。それより、今がチャンスなんだ。タイジ、矢であいつを仕留めるんだ」
確かに、今のハコザは隙だらけだ。
だけど、ハコザの必殺剣で受けた腕の傷の回復は、矢を放てる段階まで進行していなかった。兄さん、あんたの魔術は役に立っていないよ!
「マナ……駄目なんだ、腕が……僕の腕で、この弓を握れない」
タイジは千載一遇のチャンスを前にして、額から止めどなく流れてくる汗を拭うことすら出来なかった。
もちろん、彼が開発し、ようやく製品化の段階へとこぎつけた医療薬も、傷口への使用を試みてはいた。だが、その結果は彼の十八番の回復系呪文ホワイトライトと同様であった。
傷は癒えても、完治までは至らない。
ハコザが鋭い懸声と共に放った剣の奥儀『月光衝』によって粉砕された肩のせいか、それとも、もっと付加的な効果のせいか、片腕は運動をすることを激しく拒絶し、彼に再び武具を構えさせることを断じて許さなかった。
破壊力…肉体へのダメージ度はもちろん、今までに味わったことないほどそれはそれは甚大だった。
だが、それに加え、まるで武道に於ける『小手打ち』のような、相手の戦力を削ぐ相乗効果。
タイジは焦燥する。
せっかく、マナの極秘の魔術で動きを止められているのに、僕の腕は、動くことを否定している。また、戦うことから逃れようとしている!
今、ここで!
弓を構えて、あいつを殺さなければいけないのに!
どうして、お前は…ッ!
「ボクが手伝うよ」
「…マ、マナ?」
少女の、優しい匂いと強い言葉が傍らにあった。
「いっしょに……あいつを、殺そう」
タイジは唇を噛んで、顔を背けたまま、何かをひとしきりこらえた後「うん。ありがとう」
マナはタイジを抱いて起こしてやると、弓を右手で掴み、矢をタイジの背から抜き取って彼のまだ使える方の手に握らせた。
「さぁ、ボクが弓を持ってるから、矢を放つんだ。とびっきり痺れるやつをね!」
マナが肌をぴったりと合わせてくれている。
迷うことは何もなかった。
仮初にもマナと一つになれている気がした。
理性を失った異生物の中でではない。
お互い赤い血を流しながら、それでも人間としての歴然とした明確な意志をもって、心と体がぎこちなくも一つになっている。
マナの構える弓にはマナの魔術の力が。
タイジの指に挟まれた矢には雷の力が。
そして二つが一つになって、仇敵に向って、放たれる。
ェッェエエエエエエクススプェエエリエエエエエンンンススゥゥゥウウウ
激しい閃光がハコザ目掛けて突き抜けていった。
やがて、それは男の喉仏に深々と命中した。
ハコザは声も上げずに、うつ伏せに倒れ伏した。
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キィチの言葉に嘘は無かった。
少年のような顔立ちからは想像出来ぬほど豪快なマコトの戦斧、長身を生かしたサキィ風を切るような長剣、そして忘れた頃に後方より射出される大男ゲンの大弓。
三重攻撃!
だが、何度攻め入ってもキィチ・ブライ・アンストンズの頑強な剣法の鉄壁は破れなかった。鎧に幾らかの傷をつけることは出来たが、いずれも決定打には達しなかった。サキィの必殺剣『流星閃』を以ってしても、結果は同じであった。
「もう、諦めなさい。所詮、ルーツの修得をしていない君たちでは、私の剣に勝ち得ない」
サキィもマコトも共に息を切らしながら、老剣士の強かさにたじろいでいた。
攻撃を防がれたほんの一瞬の硬直を狙って、大剣による一撃が繰り出される。
前衛の獣人戦士二人は盾や柔軟な関節を用い、致命傷こそなんとか回避していたが、その四肢には幾つもの刀傷が施されていた。
「君達の動きは手に取るように分かるんだよ。私の兵法書に書かれている通りにね」
「こんな相手、初めてだ」マコトは反撃にあって血の滴る額の汗を拭いながら「オレと頭領の二人掛かりでも崩せないなんて…」
単純な破壊力では、マコトの斧も決して引けを取らなかっただろう。
だが、周知の通り、斧という武器は剣よりも扱いが難しい。それをマスターしていたとしても、より戦い慣れた相手では、刀剣よりも容易くかわされてしまう。
「さて、終わりが来たようだな、メインストリートのならずものたち。ならずものは所詮ならずもの。しっかりとした理論の後ろ盾無しに、未熟な武芸を晒すだけ生き恥なのだ」
マコトはその言葉を聞いてハッとなった。
つぶらな、丸い眼を見開く。
頭領はオレとの連携を考えた上で動いている。どこかでオレのことを気遣ってしまっている。そんなんじゃない!彼の剣はもっと、自由奔放で、亜人さながらに野性に満ち満ちていた筈だ。
「あんたの戦い方をするんだ!サキィ・マチルヤ!」赤髪の少女マコトは、隣に立つ紺の髪の男に呼びかける。
「?」
「頭領!あんたの戦い方は、もっと、型なんてない、無形のものであったはずだ。いいか、オレのことなんか忘れるんだ。オレがこれからどんな手段を取ろうと、心を無にして、飢えた野獣のように、あいつを切り伏せることだけ考えるんだ!ゲン!」マコトは同じ年上でも格下扱いをしている弓使いに「お前もだ!分ってるな、最高の一発を、敵に向って撃つんだ」
ゲンは少し離れた位置から、仲間の眼を見つめた。
その少女の瞳には炎が宿っていた。
ゲンは無骨な鉱物のような己が目にそれを映した。
その炎を映した。
獣の血の混じった、まだ若い少年風の少女。彼女の中に秘められたものを…「わかった」低い声でそう呟くと、射出の準備に取り掛かる。
「何か、策でも思いついたかね?」老騎士は寧ろ、楽しみにするように、それを待ちうけようとする。彼には自信があるのだ。
サキィは二人の共謀の片鱗を悟り「マコト…まさか!」
「そうだ。心配はいらないよ、頭領、あんたは余計なことなんか考えないで、ただ、切り伏せればいいんだ」
「マコト!」
マコトは再びキィチに挑んでいく!
だが、今までとは違う。
前方から斧を振り下ろしにかかるかと思いきや、手にしたその戦斧を飛ばし、自身は跳躍した。
キィチは一瞬我が眼を疑ったが「武器を捨てるとは、愚かさにも程がある!」飛んできた斧を横様にかわし「ん?なんだ?」私の背後に!?
「さぁ!早く!」オレもこんな真似をするなんてね。
「こら!放さんか」
キィチはもがいた。
自身の背後から、身を封じてきている少女を振りほどこうとした。
狐人の剣士は武器を捨て、今やその少ない背丈を目一杯使い、老剣士の四肢を押さえている。彼女の平たい胸が、ごつごつした鎧に押しあたっている。
「マコト!」
迷いは生じた。躊躇いは訪れた。サキィの腕に、戸惑いという呪いが附着した。
この中央国で出会った、彼女との記憶がフラッシュバックする。
性と精神の入れ違った、無邪気で笑顔のよく似合う斧使いの獣人、マコト。いつしかルロイの元にふらりと現れ、剣士として俺の試験を受け、合格をした、逞しい少女。
「ええぃ、こざかしい奴だ!こんな野蛮な真似を……ぐあぁぁぁ!」
キィチは背後の少女を振り放そうとした。
だが、それは敵わなくなった。
いつの間にか、一本の矢が、鎧の継ぎ目に突き刺さり、つまり彼の腹部から貫通してしまっている。
「んがぁあ!」
敵を両腕で押さえ込んだまま、マコトは吐血する。
ゲンの放った矢は、キィチの腹を越え、背から突き出、自分の肉体にも突き刺さっている。
矢はキィチの鎧を打ち破り、その矢尻はマコトの背から少しだけ顔を覗かしている。
だが、これでいい。二人が串刺しになることで、よりこのジジィを留めておくことが出来る。
「さぁ…頭領……早く!」
マコトは己が腹部に食い込んだ焼け付く矢の痛みを耐えながら、視線を送った。ゲンのやつ、マジで容赦がない。本気で打ち込みやがった…
「こんな型破りな!」さすがのキィチも、焦慮を見せ始める。
依然、身の自由は利かない。口もとから鮮血が零れ出す。
サキィは迷ってはいけないと悟った。
今、キィチの体を後方から羽交い絞めにして押さえているマコトを、切り伏せてしまったとしても!
そうだ、そもそも俺の戦い方に型なんて無かった。
俺は、まず疑う。
その既に作られて人々に信仰されているものが、果たして本当に尊いものであるかどうか。
ただ単に、体制に逆らおうとする態度は、崇高であっても危険だ。相手を疑い、大切なのは、自分がどうするか、ということ。
自分ならどうするかということ。
キィチ、お前は自信満々に己が剣を疑っていない。そこに、弱さがある。そこに真実が隠されてしまっている。
サキィは飛び込む!
だが、その剣の構えはかつて無い奇妙さだった!
腕をブンブンと振り回し、刃を旋回させる。
流星閃を繰り出す要領で、回転する刃先に超人の思念を送り込んでいく。
もはや、彼は何も考えなかった。
無我の境地!
マコトの犠牲も、自分の腕のことも。
ただ、目の前の敵を葬ることだけを考えていた!
「そうだ…それでいいんです」
マコトはキィチを掴む腕に力をこめる。腹から血が流れるのを感じる。
「なんだと!?仲間を?」
キィチは身動きを封じている背後の少女を咄嗟に振り返った。
狐の剣士は少年のようにあどけなく、穏やかに、笑っていた。こんな展開は私の辞書に無い!
眼前から迫ってくる、迫ってくる、迫ってくる、長い髪の、長身の、亜人の剣士が!
無茶苦茶に腕を振り回し、剣を振り回し、野蛮と未開と無智の権化となって、迫ってくる!
「風車斬!」
否。
それはただの蛮行ではなかった。
愚かさを纏いながらも、同時に築き上げられたマンネリを破壊する為にどうしたらいいか、その点を自覚している、賢き反逆であった!
サキィは体に流れる獣の血を目一杯たぎらせ、渾身の一撃をぶちかます。
そこに迷いは無い。
もし、俺がお前と同じ行動を取ったら、俺はお前と同じことを望むだろう。
己の身を挺してでも、勝利の為に、そいつもろとも斬られることを望むだろう。
躊躇なんてして欲しくないと!
仲間を守って死ねるなら、本望だと!
マママママママママィイジェジェジェジェネレイショォォオオオン
誰も予想しなかった。
獣人の剣士サキィは、伝説の老騎士をたった一撃で破ってしまった!
風車のように旋回させた彼の剣から巻き起こった突風が、竜巻となって辺りに荒れ狂い、激しい衝撃音と共に、キィチの鎧は粉々に飛び散り、館の二階部分を陥没させるほどの凄まじい破壊力でもって、宿敵を仕留めた。
振り回したサキィの剣から生じた暴風が、辺りを掻き乱し、遠巻きに死闘の行方を見守っていた人々をも薙ぎ倒していった。
サキィの剣…生家の鍛冶屋を捨て去る時、託された特注の剣は、その時、初めて誕生したのである。
柄に施された風車は、産声を上げるように、旋回していた。
荒れ狂う嵐が、剣から生まれ、戦場を混沌の坩堝と変えた。
「どぅおおおおおおおおおおおおおでぃあどくたあああああ」
キィチ・ブライ・アンストンズの体は弾き飛ばされ、転がる石のように四方にその欠片が舞った。
そして消滅する。
戦いは終わった。
後は巻き起こった風の精霊が、まるで鎮魂歌を奏でるように、しばしの間、大広間に吹き荒れていたが、それも徐々に弱まっていく。
風は弱まり、そしてまき散らした大小のものを再び地面に降ろし、辺りを静けさの妖精に明け渡す。
しかし、マコトの姿は無い。
「マコトーーーーーーーーーーーーーー!!!」
塵と埃が細かく舞う中、サキィは涙を流していた。
床に膝を着いて、鋭い獣の牙を覗かせる口を大きく開けて、むせび泣いていた。
お前を斬ってしまった!
殺してしまった!
まだ俺よりも全然若い、お前を……俺は…
「残念だが……」地の底から響いてくるかのような声で「こいつは生き残っちまったぜ」大男のゲンが近づいてきた。
マコトは生きていた!
ゲンの大きな肩に担がれ、意識を失っているが、その身は消滅してはいない。
尻から伸びた狐の尻尾がしなだれている。
「さすがだよ。あそこで躊躇いなく斬れるなんて…あんたはホントに立派な騎士だ」
サキィはぐしゃぐしゃの顔を拭いながら「マコトだから…出来たん…だ」
「それで良い。こいつの行動が無駄にならなくて済んだ」ゲンは仏頂面のまま、男泣きを見せた上司に向って「それが正しい。戦いとは非情なものということをちゃんとわきまえてる。だから俺も、この仕事を続けていられる。ここにいたいと思う」
「ゲン…」
サキィは感無量だった。
共に腕を磨き、共に目的を同じくし、共に助け合い、成長しあう。
仲間ッ!そう、かけがえの無い、信頼の絆で結ばれた仲間。
あそこで少しでもマコトの身を案じて剣を緩めたら、それは信頼ではなかっただろう。お互いが、お互いの技量を信じていたから、ああした行動が取れた。
俺にはもう、立派な仲間がいる。
「すまなかった……お前たちに黙って、俺一人がこんな勝手な戦を……無責任だった……」
サキィの懺悔の言葉を、獣人の少女を肩にしょったまま、ゲンは黙って聞き入れた。沈黙こそ、彼の赦しであった。ふと、彼が館の壁に開けた大穴から夜風が吹き込み、彼の剛毛を揺らした。
「なぁ、ゲン、俺、この戦いが終わったら、ルロイの言ってた通り、ちゃんと名前を決めようと思うんだ。俺らのカンパニーのさ」
狐族の少女を担いだままの大男は、僅かな笑みを作って返した。
「そういうのは、ちゃんと戦いが済んでから、言うもんだ」
少年のような顔立ちからは想像出来ぬほど豪快なマコトの戦斧、長身を生かしたサキィ風を切るような長剣、そして忘れた頃に後方より射出される大男ゲンの大弓。
三重攻撃!
だが、何度攻め入ってもキィチ・ブライ・アンストンズの頑強な剣法の鉄壁は破れなかった。鎧に幾らかの傷をつけることは出来たが、いずれも決定打には達しなかった。サキィの必殺剣『流星閃』を以ってしても、結果は同じであった。
「もう、諦めなさい。所詮、ルーツの修得をしていない君たちでは、私の剣に勝ち得ない」
サキィもマコトも共に息を切らしながら、老剣士の強かさにたじろいでいた。
攻撃を防がれたほんの一瞬の硬直を狙って、大剣による一撃が繰り出される。
前衛の獣人戦士二人は盾や柔軟な関節を用い、致命傷こそなんとか回避していたが、その四肢には幾つもの刀傷が施されていた。
「君達の動きは手に取るように分かるんだよ。私の兵法書に書かれている通りにね」
「こんな相手、初めてだ」マコトは反撃にあって血の滴る額の汗を拭いながら「オレと頭領の二人掛かりでも崩せないなんて…」
単純な破壊力では、マコトの斧も決して引けを取らなかっただろう。
だが、周知の通り、斧という武器は剣よりも扱いが難しい。それをマスターしていたとしても、より戦い慣れた相手では、刀剣よりも容易くかわされてしまう。
「さて、終わりが来たようだな、メインストリートのならずものたち。ならずものは所詮ならずもの。しっかりとした理論の後ろ盾無しに、未熟な武芸を晒すだけ生き恥なのだ」
マコトはその言葉を聞いてハッとなった。
つぶらな、丸い眼を見開く。
頭領はオレとの連携を考えた上で動いている。どこかでオレのことを気遣ってしまっている。そんなんじゃない!彼の剣はもっと、自由奔放で、亜人さながらに野性に満ち満ちていた筈だ。
「あんたの戦い方をするんだ!サキィ・マチルヤ!」赤髪の少女マコトは、隣に立つ紺の髪の男に呼びかける。
「?」
「頭領!あんたの戦い方は、もっと、型なんてない、無形のものであったはずだ。いいか、オレのことなんか忘れるんだ。オレがこれからどんな手段を取ろうと、心を無にして、飢えた野獣のように、あいつを切り伏せることだけ考えるんだ!ゲン!」マコトは同じ年上でも格下扱いをしている弓使いに「お前もだ!分ってるな、最高の一発を、敵に向って撃つんだ」
ゲンは少し離れた位置から、仲間の眼を見つめた。
その少女の瞳には炎が宿っていた。
ゲンは無骨な鉱物のような己が目にそれを映した。
その炎を映した。
獣の血の混じった、まだ若い少年風の少女。彼女の中に秘められたものを…「わかった」低い声でそう呟くと、射出の準備に取り掛かる。
「何か、策でも思いついたかね?」老騎士は寧ろ、楽しみにするように、それを待ちうけようとする。彼には自信があるのだ。
サキィは二人の共謀の片鱗を悟り「マコト…まさか!」
「そうだ。心配はいらないよ、頭領、あんたは余計なことなんか考えないで、ただ、切り伏せればいいんだ」
「マコト!」
マコトは再びキィチに挑んでいく!
だが、今までとは違う。
前方から斧を振り下ろしにかかるかと思いきや、手にしたその戦斧を飛ばし、自身は跳躍した。
キィチは一瞬我が眼を疑ったが「武器を捨てるとは、愚かさにも程がある!」飛んできた斧を横様にかわし「ん?なんだ?」私の背後に!?
「さぁ!早く!」オレもこんな真似をするなんてね。
「こら!放さんか」
キィチはもがいた。
自身の背後から、身を封じてきている少女を振りほどこうとした。
狐人の剣士は武器を捨て、今やその少ない背丈を目一杯使い、老剣士の四肢を押さえている。彼女の平たい胸が、ごつごつした鎧に押しあたっている。
「マコト!」
迷いは生じた。躊躇いは訪れた。サキィの腕に、戸惑いという呪いが附着した。
この中央国で出会った、彼女との記憶がフラッシュバックする。
性と精神の入れ違った、無邪気で笑顔のよく似合う斧使いの獣人、マコト。いつしかルロイの元にふらりと現れ、剣士として俺の試験を受け、合格をした、逞しい少女。
「ええぃ、こざかしい奴だ!こんな野蛮な真似を……ぐあぁぁぁ!」
キィチは背後の少女を振り放そうとした。
だが、それは敵わなくなった。
いつの間にか、一本の矢が、鎧の継ぎ目に突き刺さり、つまり彼の腹部から貫通してしまっている。
「んがぁあ!」
敵を両腕で押さえ込んだまま、マコトは吐血する。
ゲンの放った矢は、キィチの腹を越え、背から突き出、自分の肉体にも突き刺さっている。
矢はキィチの鎧を打ち破り、その矢尻はマコトの背から少しだけ顔を覗かしている。
だが、これでいい。二人が串刺しになることで、よりこのジジィを留めておくことが出来る。
「さぁ…頭領……早く!」
マコトは己が腹部に食い込んだ焼け付く矢の痛みを耐えながら、視線を送った。ゲンのやつ、マジで容赦がない。本気で打ち込みやがった…
「こんな型破りな!」さすがのキィチも、焦慮を見せ始める。
依然、身の自由は利かない。口もとから鮮血が零れ出す。
サキィは迷ってはいけないと悟った。
今、キィチの体を後方から羽交い絞めにして押さえているマコトを、切り伏せてしまったとしても!
そうだ、そもそも俺の戦い方に型なんて無かった。
俺は、まず疑う。
その既に作られて人々に信仰されているものが、果たして本当に尊いものであるかどうか。
ただ単に、体制に逆らおうとする態度は、崇高であっても危険だ。相手を疑い、大切なのは、自分がどうするか、ということ。
自分ならどうするかということ。
キィチ、お前は自信満々に己が剣を疑っていない。そこに、弱さがある。そこに真実が隠されてしまっている。
サキィは飛び込む!
だが、その剣の構えはかつて無い奇妙さだった!
腕をブンブンと振り回し、刃を旋回させる。
流星閃を繰り出す要領で、回転する刃先に超人の思念を送り込んでいく。
もはや、彼は何も考えなかった。
無我の境地!
マコトの犠牲も、自分の腕のことも。
ただ、目の前の敵を葬ることだけを考えていた!
「そうだ…それでいいんです」
マコトはキィチを掴む腕に力をこめる。腹から血が流れるのを感じる。
「なんだと!?仲間を?」
キィチは身動きを封じている背後の少女を咄嗟に振り返った。
狐の剣士は少年のようにあどけなく、穏やかに、笑っていた。こんな展開は私の辞書に無い!
眼前から迫ってくる、迫ってくる、迫ってくる、長い髪の、長身の、亜人の剣士が!
無茶苦茶に腕を振り回し、剣を振り回し、野蛮と未開と無智の権化となって、迫ってくる!
「風車斬!」
否。
それはただの蛮行ではなかった。
愚かさを纏いながらも、同時に築き上げられたマンネリを破壊する為にどうしたらいいか、その点を自覚している、賢き反逆であった!
サキィは体に流れる獣の血を目一杯たぎらせ、渾身の一撃をぶちかます。
そこに迷いは無い。
もし、俺がお前と同じ行動を取ったら、俺はお前と同じことを望むだろう。
己の身を挺してでも、勝利の為に、そいつもろとも斬られることを望むだろう。
躊躇なんてして欲しくないと!
仲間を守って死ねるなら、本望だと!
マママママママママィイジェジェジェジェネレイショォォオオオン
誰も予想しなかった。
獣人の剣士サキィは、伝説の老騎士をたった一撃で破ってしまった!
風車のように旋回させた彼の剣から巻き起こった突風が、竜巻となって辺りに荒れ狂い、激しい衝撃音と共に、キィチの鎧は粉々に飛び散り、館の二階部分を陥没させるほどの凄まじい破壊力でもって、宿敵を仕留めた。
振り回したサキィの剣から生じた暴風が、辺りを掻き乱し、遠巻きに死闘の行方を見守っていた人々をも薙ぎ倒していった。
サキィの剣…生家の鍛冶屋を捨て去る時、託された特注の剣は、その時、初めて誕生したのである。
柄に施された風車は、産声を上げるように、旋回していた。
荒れ狂う嵐が、剣から生まれ、戦場を混沌の坩堝と変えた。
「どぅおおおおおおおおおおおおおでぃあどくたあああああ」
キィチ・ブライ・アンストンズの体は弾き飛ばされ、転がる石のように四方にその欠片が舞った。
そして消滅する。
戦いは終わった。
後は巻き起こった風の精霊が、まるで鎮魂歌を奏でるように、しばしの間、大広間に吹き荒れていたが、それも徐々に弱まっていく。
風は弱まり、そしてまき散らした大小のものを再び地面に降ろし、辺りを静けさの妖精に明け渡す。
しかし、マコトの姿は無い。
「マコトーーーーーーーーーーーーーー!!!」
塵と埃が細かく舞う中、サキィは涙を流していた。
床に膝を着いて、鋭い獣の牙を覗かせる口を大きく開けて、むせび泣いていた。
お前を斬ってしまった!
殺してしまった!
まだ俺よりも全然若い、お前を……俺は…
「残念だが……」地の底から響いてくるかのような声で「こいつは生き残っちまったぜ」大男のゲンが近づいてきた。
マコトは生きていた!
ゲンの大きな肩に担がれ、意識を失っているが、その身は消滅してはいない。
尻から伸びた狐の尻尾がしなだれている。
「さすがだよ。あそこで躊躇いなく斬れるなんて…あんたはホントに立派な騎士だ」
サキィはぐしゃぐしゃの顔を拭いながら「マコトだから…出来たん…だ」
「それで良い。こいつの行動が無駄にならなくて済んだ」ゲンは仏頂面のまま、男泣きを見せた上司に向って「それが正しい。戦いとは非情なものということをちゃんとわきまえてる。だから俺も、この仕事を続けていられる。ここにいたいと思う」
「ゲン…」
サキィは感無量だった。
共に腕を磨き、共に目的を同じくし、共に助け合い、成長しあう。
仲間ッ!そう、かけがえの無い、信頼の絆で結ばれた仲間。
あそこで少しでもマコトの身を案じて剣を緩めたら、それは信頼ではなかっただろう。お互いが、お互いの技量を信じていたから、ああした行動が取れた。
俺にはもう、立派な仲間がいる。
「すまなかった……お前たちに黙って、俺一人がこんな勝手な戦を……無責任だった……」
サキィの懺悔の言葉を、獣人の少女を肩にしょったまま、ゲンは黙って聞き入れた。沈黙こそ、彼の赦しであった。ふと、彼が館の壁に開けた大穴から夜風が吹き込み、彼の剛毛を揺らした。
「なぁ、ゲン、俺、この戦いが終わったら、ルロイの言ってた通り、ちゃんと名前を決めようと思うんだ。俺らのカンパニーのさ」
狐族の少女を担いだままの大男は、僅かな笑みを作って返した。
「そういうのは、ちゃんと戦いが済んでから、言うもんだ」
「やったよ、勝ったんだよ!」
マナの喜ぶ顔がすぐ近くにあって、それを本当にかわいいなって思った瞬間に抱きつかれて「やった!やった!やったー!」ずっとこのままが良いなって思ったんだけど「タイジ!倒した!ひゃっほーい!皆の仇もうてたんだね!」
なんでだろう。
僕にはもう分かっていた。
「グォオオミィがああああ!」
喉を潰されていよいよ怪物みたいな声であいつが叫んでる。
「舐めんなよ!この、私を、よぉおおおおお」ハコザが血走った目でこっちを睨んでいる。喉からドボドボと血を流しながら、片膝をついて起き上がろうとする。「今から、てめぇら二人仲良く、私の魔術でぶっ殺して、やるぅ、からなあ」
「ならもう一回!」
僕の目の前であいつの髪の毛が緑色に変わっていく。
one more red nightmare!!!!!
マナは再び赤い悪夢を放った。
ダメだ。
チャカのサークレットを装備している以上、ハコザに同じ魔術は二度通じない。
さっきと同じように部屋全体が燃え上がる紅蓮の火炎に包まれたけど「通じないよ!通じないよぉ!もう怖くないよ!フヘヘヘヘ!」血まみれになりながら、へっちゃらだって、言ってるみたい。「さぁ、今度はこっちの番だぜぁ」
「ヤバイよ!タイジぃ」
マナは僕に抱きついた。そうだ、それがずっと続けば良いと思っていたんだ。
「そこまでです!」
部屋の入り口から声があった。
そこに立っていたのは、幾分動きやすくなってるとはいえ、それでも派手な衣服に身を包んだアオイ・トーゲンであった。
「お姉さま!一人でいっちゃうなんて反則です。アオイ、お手伝いしたくって参上しました!」
ハコザは血を滴らせながらゆっくりと後ろを振り返る。ギラリと目が光る。
「ハコザ先生は、すっごいエライエライ人だって有名だし、アオイも尊敬してたんですけど、でもお姉さまの敵となってしまったら仕方ないですよね。お姉さまの敵はアオイの敵ですもん。 だから…『呪っちゃいます』」
「ゴミがゴミを呼び寄せたか!お前から先に、消してやろうぅうう」
「アオイちゃん、逃げて!そいつには魔術は効かないの!」ハコザは一度受けた魔術に無敵。「そいつは、一度くらったことのある魔術には無敵になっちゃうんだよー!」
「え、そうなんですか?」アオイは案外キョトンとしていた。「じゃあ、これだったら良いんですね」
僕には、この勝負に間もなく決着がつくことが分かっていた。
アオイの登場は決してデウス・エクス・マキナなどでは無い。
機械仕掛けの神ならもうとっくに存在していたからだ。
そして、ハコザの死は既に決定していたんだ。アオイはその死に念を押す為に現れた。
the blue nile!!!!!
水!水!大水流!
マナが使ったレッドナイトメアの炎の記憶を沈下させるかのように、今度は大河を思わせる大洪水が室内に巻き起こった。
「お姉さまとアオイだけが知っている、大切な、大切な魔術です」
アオイは迸る水流を両腕から放ちながら、夢見がちの表情で歌うように言葉を紡いだ。
そうだ。マナは思い出した。
アオイのでん部にあったアザ…タイジの腹部にあったものと色違い。あれを引き出したのは自分。アオイは他の先輩魔術師が誰も知らない水の魔術を会得していたんだ。それをボク以外の誰にも打ち明けなかったのは、この日の為?
ゴボゴボゴボゴボ。
火責めの次は水責め。
ハコザに救いは無かった。「こんな、馬鹿なことが…あるなんて、認めないぞ!私は…私は!」
「うぎゃ、まだ動けるの…」
ハコザは体中に幻影術による致命的損傷を幾つも作りながらも、再び細見の剣を握り、三人の少年少女たちに大鷲のような鋭い眼光を投げ掛けた。
「もう……新魔術の御披露目会は……お、わ、り、だああああああ!」やつれた頬で、窪んだ眼窩で、乱れた衣服で、ハコザは叫んだ。狂気の雄叫びを「覚悟しろよお、クソガキぃどもがぁぁぁあ!殺すからな、お前らを、殺すからなァァァ」
「どどどど、どうしよう、タイジ!ボクのレッドナイトメアも、アオイちゃんの大水流も、きっとあいつには……もう!」
「心配ありません」
雪原に舞う氷の結晶のような、冷酷な声が聞こえた。タイジは、その時だけ、意外そうな顔をして傍らを見やった。そう、ハコザはもう死んでいるはずだった……この時間。だが、何かを終わらせまいとする力か、決して終わらなかった続きを終わらせる為にか、雷と癒しの力を得た少年は、見慣れない光景を、ただぼんやりと俯瞰していた。
アオイがまたしても聞きなれない何かを口走った。いつもの魔術詠唱ではない。素人にも、それはわかった。もっと違う、それは呪いの言葉だった。
「がぁ……ぁ…あ……」
ハコザが動きを止めた。
今、再び剣を携えて殺戮の悪鬼と化すかと思われた宿敵は、何も出来ずに、四肢を引き攣らせ、細かく震えている。まるで、先ほどのレッドナイトメアで味わった悪夢の続きを見ているかのように……
続き……そう、それは続きだった。
そして、続きは、終わるものであった。
「お姉さま、今こそ、終焉を!」
我々は学んだ。たとえ歴然とした力量差のある難敵相手でも、その動きを止めることが出来れば、勝利は見えてくる。
作戦次第で、一見無理と思われる勝負も、容易にひっくり返すことが出来る。
アオイの口から放たれたのは、そうした類の秘術であった。
魔術ではない。彼女が幼少の頃より嗜んでいて、しばしばマナと近しいと感じられたタイジに対しても行われた、それは呪詛のスキルであった。
ドブシュ!
最後の一撃はマナが決めた。
アオイの呪詛の効果によって身動きが取れなくなったハコザの剣を奪い、持ち主の心臓目掛けて背後から返してやったのだ。
「あんた、もう類型なんだよ。いかにも悪役って感じの末路、もう終わりだよ」
「アァァアアアアアアアアアアアァ…か、か…」
ハコザの体が薄れていく。やっと、終わるんだ。でも、ここからなんだ。
ヴォっとハコザの体が一瞬燃え上がった。
だが、すぐに炎は消えて、燃えカスの衣服だけになった。
ハコザは消滅した。
身に纏っていたものだけを残して。超人の死は肉体の消滅。衣服はボロボロになって殆ど布切れ状態だったが、チャカのサークレットはカランカランと音を立てて床に転がった。
「終わったよ、カタキ、皆の、取ったんだからね」
マナは剣を握ったまま瞳を潤ませていった。
そこへアオイも抱きつく。
「きゃー!お姉さま、悪を成敗するその姿!アオイをお嫁にしてくらさ~い!」先ほど、凍てつく相貌で呪いの言葉を発した際の面影は微塵も残っていなかった。
二人の少女が喜びに打ちひしがれながら抱き合って涙している。
タイジはそれを少し離れた位置からまるで遠い過去の思い出を見つめるように傍観していた。
「行かなきゃ」
タイジは改めてホワイトライトを詠唱した。
左肩の傷は先程とは打って変わって迅速な回復力を見せた。
すまんな、マナ。お前の傷も塞いでやることが出来なくて。アオイが一緒ならお前はもう大丈夫だよな。僕は行かなきゃならないんだ。マナ、元気でいろよ。
「ちょ、ちょっと、どこ行くんですか?」
呼び止めたのはアオイだった。
それはこのシーンから早々に暇を告げようとしていたタイジにとっては甚だ意外な展開だった。
「あれ?タイジっち、別に遠慮しないで、今はボクとハグハグしても良いんだよ?感動補正でちょっとやそっとのタッチなら許してあげるのに…」
「いや……」タイジは戦場であった部屋の戸口に立ちながら、少し離れた位置にいる二人の少女を眺める。
「アオイも……今だったら、その感動補正で、あなたのこと、少しだけ許しても良いんです」水色の瞳の少女が、こちらを向きながら語る「もちろん!お姉さまを渡すつもりはさらさらありません!いつだって、アオイはお姉さまと一緒なんだから!でも……」小柄な貴族の少女は、初めて見せる表情で「すいません、アオイ、今までかなりヒドイことをしていたと思うんです……お姉さまの、大切って程じゃないけど、そこそこは大事にしてないことも無い、召使いのあなたを、少し、勘違いしていまして……」
「召使いって…」僕はマナの下僕になったつもりはないぞ。
「だから、お許し下さい!」アオイは改造された博士を突き落として敵もろとも殺害する時のような言い方で、タイジに詫びの言葉を述べた。「アオイ、たくさんの呪詛の言葉を、タイジさんに掛けていました!あの日、初めてアカデミーでお会いした時から……本当の黒幕は、さっき倒したハコザ先生だったのに…アオイ、勘違いをしてしまい……」
「いいんだよ……それで」
タイジは翳りのある顔を傾け、別れを告げるように言った。
「僕は呪われてもいい……すでに、そうなんだから」
「待って!タイジ!どこへ行くの?」
マナが駆け出す前に、僕に追いつく前に、ここを去らなければいけない。
「マナ……その子を、大事にしてやれよ」
我ながら、馬鹿みたいだった。
生涯をかけて好きだった女の子に言う、最後の言葉がこんな台詞だったことが。
マナの喜ぶ顔がすぐ近くにあって、それを本当にかわいいなって思った瞬間に抱きつかれて「やった!やった!やったー!」ずっとこのままが良いなって思ったんだけど「タイジ!倒した!ひゃっほーい!皆の仇もうてたんだね!」
なんでだろう。
僕にはもう分かっていた。
「グォオオミィがああああ!」
喉を潰されていよいよ怪物みたいな声であいつが叫んでる。
「舐めんなよ!この、私を、よぉおおおおお」ハコザが血走った目でこっちを睨んでいる。喉からドボドボと血を流しながら、片膝をついて起き上がろうとする。「今から、てめぇら二人仲良く、私の魔術でぶっ殺して、やるぅ、からなあ」
「ならもう一回!」
僕の目の前であいつの髪の毛が緑色に変わっていく。
one more red nightmare!!!!!
マナは再び赤い悪夢を放った。
ダメだ。
チャカのサークレットを装備している以上、ハコザに同じ魔術は二度通じない。
さっきと同じように部屋全体が燃え上がる紅蓮の火炎に包まれたけど「通じないよ!通じないよぉ!もう怖くないよ!フヘヘヘヘ!」血まみれになりながら、へっちゃらだって、言ってるみたい。「さぁ、今度はこっちの番だぜぁ」
「ヤバイよ!タイジぃ」
マナは僕に抱きついた。そうだ、それがずっと続けば良いと思っていたんだ。
「そこまでです!」
部屋の入り口から声があった。
そこに立っていたのは、幾分動きやすくなってるとはいえ、それでも派手な衣服に身を包んだアオイ・トーゲンであった。
「お姉さま!一人でいっちゃうなんて反則です。アオイ、お手伝いしたくって参上しました!」
ハコザは血を滴らせながらゆっくりと後ろを振り返る。ギラリと目が光る。
「ハコザ先生は、すっごいエライエライ人だって有名だし、アオイも尊敬してたんですけど、でもお姉さまの敵となってしまったら仕方ないですよね。お姉さまの敵はアオイの敵ですもん。 だから…『呪っちゃいます』」
「ゴミがゴミを呼び寄せたか!お前から先に、消してやろうぅうう」
「アオイちゃん、逃げて!そいつには魔術は効かないの!」ハコザは一度受けた魔術に無敵。「そいつは、一度くらったことのある魔術には無敵になっちゃうんだよー!」
「え、そうなんですか?」アオイは案外キョトンとしていた。「じゃあ、これだったら良いんですね」
僕には、この勝負に間もなく決着がつくことが分かっていた。
アオイの登場は決してデウス・エクス・マキナなどでは無い。
機械仕掛けの神ならもうとっくに存在していたからだ。
そして、ハコザの死は既に決定していたんだ。アオイはその死に念を押す為に現れた。
the blue nile!!!!!
水!水!大水流!
マナが使ったレッドナイトメアの炎の記憶を沈下させるかのように、今度は大河を思わせる大洪水が室内に巻き起こった。
「お姉さまとアオイだけが知っている、大切な、大切な魔術です」
アオイは迸る水流を両腕から放ちながら、夢見がちの表情で歌うように言葉を紡いだ。
そうだ。マナは思い出した。
アオイのでん部にあったアザ…タイジの腹部にあったものと色違い。あれを引き出したのは自分。アオイは他の先輩魔術師が誰も知らない水の魔術を会得していたんだ。それをボク以外の誰にも打ち明けなかったのは、この日の為?
ゴボゴボゴボゴボ。
火責めの次は水責め。
ハコザに救いは無かった。「こんな、馬鹿なことが…あるなんて、認めないぞ!私は…私は!」
「うぎゃ、まだ動けるの…」
ハコザは体中に幻影術による致命的損傷を幾つも作りながらも、再び細見の剣を握り、三人の少年少女たちに大鷲のような鋭い眼光を投げ掛けた。
「もう……新魔術の御披露目会は……お、わ、り、だああああああ!」やつれた頬で、窪んだ眼窩で、乱れた衣服で、ハコザは叫んだ。狂気の雄叫びを「覚悟しろよお、クソガキぃどもがぁぁぁあ!殺すからな、お前らを、殺すからなァァァ」
「どどどど、どうしよう、タイジ!ボクのレッドナイトメアも、アオイちゃんの大水流も、きっとあいつには……もう!」
「心配ありません」
雪原に舞う氷の結晶のような、冷酷な声が聞こえた。タイジは、その時だけ、意外そうな顔をして傍らを見やった。そう、ハコザはもう死んでいるはずだった……この時間。だが、何かを終わらせまいとする力か、決して終わらなかった続きを終わらせる為にか、雷と癒しの力を得た少年は、見慣れない光景を、ただぼんやりと俯瞰していた。
アオイがまたしても聞きなれない何かを口走った。いつもの魔術詠唱ではない。素人にも、それはわかった。もっと違う、それは呪いの言葉だった。
「がぁ……ぁ…あ……」
ハコザが動きを止めた。
今、再び剣を携えて殺戮の悪鬼と化すかと思われた宿敵は、何も出来ずに、四肢を引き攣らせ、細かく震えている。まるで、先ほどのレッドナイトメアで味わった悪夢の続きを見ているかのように……
続き……そう、それは続きだった。
そして、続きは、終わるものであった。
「お姉さま、今こそ、終焉を!」
我々は学んだ。たとえ歴然とした力量差のある難敵相手でも、その動きを止めることが出来れば、勝利は見えてくる。
作戦次第で、一見無理と思われる勝負も、容易にひっくり返すことが出来る。
アオイの口から放たれたのは、そうした類の秘術であった。
魔術ではない。彼女が幼少の頃より嗜んでいて、しばしばマナと近しいと感じられたタイジに対しても行われた、それは呪詛のスキルであった。
ドブシュ!
最後の一撃はマナが決めた。
アオイの呪詛の効果によって身動きが取れなくなったハコザの剣を奪い、持ち主の心臓目掛けて背後から返してやったのだ。
「あんた、もう類型なんだよ。いかにも悪役って感じの末路、もう終わりだよ」
「アァァアアアアアアアアアアアァ…か、か…」
ハコザの体が薄れていく。やっと、終わるんだ。でも、ここからなんだ。
ヴォっとハコザの体が一瞬燃え上がった。
だが、すぐに炎は消えて、燃えカスの衣服だけになった。
ハコザは消滅した。
身に纏っていたものだけを残して。超人の死は肉体の消滅。衣服はボロボロになって殆ど布切れ状態だったが、チャカのサークレットはカランカランと音を立てて床に転がった。
「終わったよ、カタキ、皆の、取ったんだからね」
マナは剣を握ったまま瞳を潤ませていった。
そこへアオイも抱きつく。
「きゃー!お姉さま、悪を成敗するその姿!アオイをお嫁にしてくらさ~い!」先ほど、凍てつく相貌で呪いの言葉を発した際の面影は微塵も残っていなかった。
二人の少女が喜びに打ちひしがれながら抱き合って涙している。
タイジはそれを少し離れた位置からまるで遠い過去の思い出を見つめるように傍観していた。
「行かなきゃ」
タイジは改めてホワイトライトを詠唱した。
左肩の傷は先程とは打って変わって迅速な回復力を見せた。
すまんな、マナ。お前の傷も塞いでやることが出来なくて。アオイが一緒ならお前はもう大丈夫だよな。僕は行かなきゃならないんだ。マナ、元気でいろよ。
「ちょ、ちょっと、どこ行くんですか?」
呼び止めたのはアオイだった。
それはこのシーンから早々に暇を告げようとしていたタイジにとっては甚だ意外な展開だった。
「あれ?タイジっち、別に遠慮しないで、今はボクとハグハグしても良いんだよ?感動補正でちょっとやそっとのタッチなら許してあげるのに…」
「いや……」タイジは戦場であった部屋の戸口に立ちながら、少し離れた位置にいる二人の少女を眺める。
「アオイも……今だったら、その感動補正で、あなたのこと、少しだけ許しても良いんです」水色の瞳の少女が、こちらを向きながら語る「もちろん!お姉さまを渡すつもりはさらさらありません!いつだって、アオイはお姉さまと一緒なんだから!でも……」小柄な貴族の少女は、初めて見せる表情で「すいません、アオイ、今までかなりヒドイことをしていたと思うんです……お姉さまの、大切って程じゃないけど、そこそこは大事にしてないことも無い、召使いのあなたを、少し、勘違いしていまして……」
「召使いって…」僕はマナの下僕になったつもりはないぞ。
「だから、お許し下さい!」アオイは改造された博士を突き落として敵もろとも殺害する時のような言い方で、タイジに詫びの言葉を述べた。「アオイ、たくさんの呪詛の言葉を、タイジさんに掛けていました!あの日、初めてアカデミーでお会いした時から……本当の黒幕は、さっき倒したハコザ先生だったのに…アオイ、勘違いをしてしまい……」
「いいんだよ……それで」
タイジは翳りのある顔を傾け、別れを告げるように言った。
「僕は呪われてもいい……すでに、そうなんだから」
「待って!タイジ!どこへ行くの?」
マナが駆け出す前に、僕に追いつく前に、ここを去らなければいけない。
「マナ……その子を、大事にしてやれよ」
我ながら、馬鹿みたいだった。
生涯をかけて好きだった女の子に言う、最後の言葉がこんな台詞だったことが。
「どうした?」
大岩のような声で、大岩のような体躯の男ゲンが、怪訝な顔をして獣人族の耳をそばだてているサキィに尋ねた。
「シッ……静かに」
サキィは聴覚を研ぎ澄ます。彼の体に流れる獣の血、それを用いて、聞き取ろうとする。
タイジとマナが、仇敵ハコザを打ち倒したのかも知れない。最初はその音だと思った。ハコザの断末魔が、聞こえただけかもしれないと、思った。
だが、音は止んでいない。とても小さく、連続的に続いている。
これは、何の音だ?あちこちで、まるで火種から火を起こすように……
「ゲン、マコトを起こしてやってくれ」
サキィは判断を下した。きっと、マコトならわかるはず。何が、起こっているのか。この不穏な音の連続は何なのか。
「起きるのか、こいつ…」
ゲンは自分の肩に乗っけたままの狐人戦士を揺すった。
「そんなんじゃダメだろ!」サキィは思いっきり平手で、ゲンに背負われた少女の尻を叩いてやった。「おら!マコト、起きろ!起きろって」
ペシペシペシペシ。
「ん……ふぁ、ふぁぁい」
狐の尻尾が弱々しく動き始めた。まだ、女っぽさの見受けられない少年風少女は、どうやらサキィのおしりぺんぺんで目を覚ましたようだ。
「マコト!起きたか!おい!この音はなんだ?火の匂いがするような気がするが、小さすぎてよくわからん!お前ならわかるだろ!」
タイジはハコザとの死闘を繰り広げた部屋を出て、同じ階の来る途中にあった扉の破れた部屋に入っていった。
ここで間違いないんだ。サキィのことも気になったが、きっと大丈夫だろう。僕は決着を付けなければならない。
部屋の中は無人で、テーブルに飲みかけの酒と前菜が残されていた。
天井に窪みがあって、床にガラスが散っていたが、最早気にも留めなかった。
タイジは奥の机に向った。
きっと、ここにハコザが座っていたんだろう。右から二つ目の引き出しを開ける。その中に手を差し入れて引金を引いた。
カチっというカラクリの作動する音がした。
タイジは壁を押した。
隠し扉が開いて階段が現れた!
知っていたんだ。
マナにもサキィにも話してはいない。だって、これは僕の問題だもの。ごめんな、二人とも。
タイジは隠されていた扉をくぐった。
二度と帰ってくることは出来ない地の底へと続いているような、暗黒の階段へと、一歩を踏み出す。
二度とは帰って来れない場所へと、彼は歩を進めた。
「頭領!こりゃマズイよ、あっちこっちで…急がなきゃ、ああ、でも多すぎる!オレたちだけじゃ止められない」
尻を叩かれて意識を取り戻したつぶらな瞳の狐少女は、サキィと同じように獣の耳をすますと、事態を把握して、慌てて言い放った。
「ま、待て、マコト。要領得てない……一体、何が起こってやがるんだ?」
「えぇ?何って……ゲン、お前も聞こえるだろ?」
促がされて大男は「悪いが、俺には二人がさっきから何の話をしてるのか、さっぱりわからないんだが」無愛想な顔で述べた。
「かーーーーーー!」
「マコト、いいか!」サキィは慌てふためく部下の肩に手を置き、真摯な瞳で「俺の知る限り、お前は誰よりも炎に通じている。火に詳しく、その揺らめきに誰よりも敏感だ。俺はかすかに、何かが燃えているような気がした。だが、それが何なのか全くわからん。今のところ煙も見当たらない。気のせいかもしれないって考える方が妥当な気さえする。でも、お前ならわかるんじゃないか?この、さっきから続いている変な音も…」
「頭領、オレだって、こんなのは初めてで、よくわかんないけど……でも、急いだ方が良い!」
タイジは隠し階段をひたすらに下っていく。狭い細い螺旋階段がようやく終わると、あの独特のかびた匂いが漂ってきた。
壁の蝋燭がわずかに灯りを提供している。
そこは書庫だった。
そしてタイジを呼んだ人物が本を読みながら、彼がやって来るのを待っていた。
「遅かったね」
「でも、ちょっとは、あなたにここにいて欲しくないと思っていました」タイジは息を切らせながら返した。「教えてください。答えを」
「超人と異生物の存在は表裏一体。どちらも作られた存在だ」本を閉じてタイジを見据えながら言葉を繋げる。「このことをずーっと考えていくとね、ある概念が浮かび上がってくるんだ。君も、もしかしたらどこかで聞いたことがあるかもしれないな。そう…」そこに間を置いて「超越的存在…『神』の存在、をね」
「カミ…」
あの、どんな精霊よりも気高く、そして絶対的であるとされる、しかし決して存在はしないし、信じてはいけないと堅く禁じられている、人間が陥ってしまう心の病気の一つと石版に記されていた、神の存在。
「あなたは神になろうとしたのですか?」タイジは詰め寄った。「人の命を操って!」
「もしかしたらそうかも知れない。あるいは違うかも知れない」俯いて「私はハコザのように、自分の存在をどうにかしたいとかいう野心は持っていない。手を貸したのは、お互いの利益が一致したからに過ぎない。別に、出世や功名心などに興味はない。そんなことはくだらないよ。立場や地位など一時的なものに過ぎない。そんなつまらないことよりも、もっと必死にならなくてはならないことがあるんだ。我々を支配している存在の想起。そう、神は神を禁じたんだ」
大岩のような声で、大岩のような体躯の男ゲンが、怪訝な顔をして獣人族の耳をそばだてているサキィに尋ねた。
「シッ……静かに」
サキィは聴覚を研ぎ澄ます。彼の体に流れる獣の血、それを用いて、聞き取ろうとする。
タイジとマナが、仇敵ハコザを打ち倒したのかも知れない。最初はその音だと思った。ハコザの断末魔が、聞こえただけかもしれないと、思った。
だが、音は止んでいない。とても小さく、連続的に続いている。
これは、何の音だ?あちこちで、まるで火種から火を起こすように……
「ゲン、マコトを起こしてやってくれ」
サキィは判断を下した。きっと、マコトならわかるはず。何が、起こっているのか。この不穏な音の連続は何なのか。
「起きるのか、こいつ…」
ゲンは自分の肩に乗っけたままの狐人戦士を揺すった。
「そんなんじゃダメだろ!」サキィは思いっきり平手で、ゲンに背負われた少女の尻を叩いてやった。「おら!マコト、起きろ!起きろって」
ペシペシペシペシ。
「ん……ふぁ、ふぁぁい」
狐の尻尾が弱々しく動き始めた。まだ、女っぽさの見受けられない少年風少女は、どうやらサキィのおしりぺんぺんで目を覚ましたようだ。
「マコト!起きたか!おい!この音はなんだ?火の匂いがするような気がするが、小さすぎてよくわからん!お前ならわかるだろ!」
タイジはハコザとの死闘を繰り広げた部屋を出て、同じ階の来る途中にあった扉の破れた部屋に入っていった。
ここで間違いないんだ。サキィのことも気になったが、きっと大丈夫だろう。僕は決着を付けなければならない。
部屋の中は無人で、テーブルに飲みかけの酒と前菜が残されていた。
天井に窪みがあって、床にガラスが散っていたが、最早気にも留めなかった。
タイジは奥の机に向った。
きっと、ここにハコザが座っていたんだろう。右から二つ目の引き出しを開ける。その中に手を差し入れて引金を引いた。
カチっというカラクリの作動する音がした。
タイジは壁を押した。
隠し扉が開いて階段が現れた!
知っていたんだ。
マナにもサキィにも話してはいない。だって、これは僕の問題だもの。ごめんな、二人とも。
タイジは隠されていた扉をくぐった。
二度と帰ってくることは出来ない地の底へと続いているような、暗黒の階段へと、一歩を踏み出す。
二度とは帰って来れない場所へと、彼は歩を進めた。
「頭領!こりゃマズイよ、あっちこっちで…急がなきゃ、ああ、でも多すぎる!オレたちだけじゃ止められない」
尻を叩かれて意識を取り戻したつぶらな瞳の狐少女は、サキィと同じように獣の耳をすますと、事態を把握して、慌てて言い放った。
「ま、待て、マコト。要領得てない……一体、何が起こってやがるんだ?」
「えぇ?何って……ゲン、お前も聞こえるだろ?」
促がされて大男は「悪いが、俺には二人がさっきから何の話をしてるのか、さっぱりわからないんだが」無愛想な顔で述べた。
「かーーーーーー!」
「マコト、いいか!」サキィは慌てふためく部下の肩に手を置き、真摯な瞳で「俺の知る限り、お前は誰よりも炎に通じている。火に詳しく、その揺らめきに誰よりも敏感だ。俺はかすかに、何かが燃えているような気がした。だが、それが何なのか全くわからん。今のところ煙も見当たらない。気のせいかもしれないって考える方が妥当な気さえする。でも、お前ならわかるんじゃないか?この、さっきから続いている変な音も…」
「頭領、オレだって、こんなのは初めてで、よくわかんないけど……でも、急いだ方が良い!」
タイジは隠し階段をひたすらに下っていく。狭い細い螺旋階段がようやく終わると、あの独特のかびた匂いが漂ってきた。
壁の蝋燭がわずかに灯りを提供している。
そこは書庫だった。
そしてタイジを呼んだ人物が本を読みながら、彼がやって来るのを待っていた。
「遅かったね」
「でも、ちょっとは、あなたにここにいて欲しくないと思っていました」タイジは息を切らせながら返した。「教えてください。答えを」
「超人と異生物の存在は表裏一体。どちらも作られた存在だ」本を閉じてタイジを見据えながら言葉を繋げる。「このことをずーっと考えていくとね、ある概念が浮かび上がってくるんだ。君も、もしかしたらどこかで聞いたことがあるかもしれないな。そう…」そこに間を置いて「超越的存在…『神』の存在、をね」
「カミ…」
あの、どんな精霊よりも気高く、そして絶対的であるとされる、しかし決して存在はしないし、信じてはいけないと堅く禁じられている、人間が陥ってしまう心の病気の一つと石版に記されていた、神の存在。
「あなたは神になろうとしたのですか?」タイジは詰め寄った。「人の命を操って!」
「もしかしたらそうかも知れない。あるいは違うかも知れない」俯いて「私はハコザのように、自分の存在をどうにかしたいとかいう野心は持っていない。手を貸したのは、お互いの利益が一致したからに過ぎない。別に、出世や功名心などに興味はない。そんなことはくだらないよ。立場や地位など一時的なものに過ぎない。そんなつまらないことよりも、もっと必死にならなくてはならないことがあるんだ。我々を支配している存在の想起。そう、神は神を禁じたんだ」
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