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オリジナルの中世ファンタジー小説
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中央皇国の首都。
東南国との国境沿い、はじめの旅籠からどんどんと北上し、長い旅路の果て、遂に三人は辿り着いた。
景色は山国然とした針葉樹林と岩肌のハーモニー。
幾つかの領地を跨ぎ、途上の町や村で宿を取ったり、時には星空の下で眠りにつくこともあった。
異生物はこの先に行くなと警鐘を鳴らすかのように、三人の若い旅人の前に容赦なく立ちはだかった。
無論、家を捨ててますますその剣の閃きに磨きをかけたサキィ・マチルヤが、悲哀を胸に抱きながらも決死の精神を絶やすことなく魔術を詠唱するマナ・アンデン、そして未だ柔らかな意識を包含しながらも、タイジは適確に『自分にできること』をこなしていった。即ち、二つの強力な新魔術の惜しみがちな活用。
そうして到達した皇都ボンディは、
山脈の盆地とはいえ標高はかなりのもので、冬前の寒さは冷たく肌を突き刺したが、済んだ空気はとても清々しかった。
マナの自宅があるのは、王宮からは少し離れた居住区。
背の高いレンガ造りの建物が所狭しと肩を並べていて、街路はたくさんの人々で賑わい、雲一つ無い空に太陽はさんさんと輝いていた。
マナは帰ってきたのである。
「多分ね、今は誰もいないと思うんだ」
アパルトマンの階段を登る。402号室。
「こういうの、集合住宅っての?」
国土の豊かな東南国では殆どお目にかかれない。
あったとしても長屋程度で、階層が五階以上もある建物といったら王宮か、 貴族の館か、何かの役所と決まっていた。それがこの国では、一般市民が生活する場として当たり前の風景となっている。
山間の大都市とはいえ、人口はかなり密集しているらしく、人々は立ち並ぶ細長い建物に詰め込まれるようにして暮らしていた。
「あれ、鍵が…あれ?あれ?」マナは長旅で自分の家の鍵をどこかに紛失してしまったらしい。「ちょっと、え!?どこー??パンパースまだぁ!ほわああああああ」
「ちょっと、どうすんだよ」と、タイジ。
「なに、こんなドア一つ開けるの、わけないじゃんか」
サキィは鍵が見つからなかったらドアを破壊するつもりでいるようだ。
「こ、壊さないでよ!」マナは大きな荷物をひっくり返し、大騒ぎしながら廊下でお店を広げていた。「えー?マジ、鍵どこいっちゃったの??」
ガチャ
402号室のドアが開いた。
「何やってるの?」
「んあ、お姉ちゃん!」
タイジはお姉ちゃんと呼ばれたその人を見て驚いた。
マナとは似ても似つかない、真っ直ぐにスラリと立つ、背筋をピンと伸ばした姿。いかにも仕事が出来る要領の良い二十代女性といった感じ。
サキィと同じくらいの年齢だろうか。二人が姉妹とは、とても思えない!
「相変わらず騒々しいね、マナ、帰ってくるなら、ちゃんと伝書なりなんなりで、事前に教えておいてよね」かく言うマナの姉は影時計の時針のように、落ち着いた雰囲気の女性である。
「えへ、ごめん」マナは舌を出して愛嬌を振舞うと、すぐに「あ、タイジ、サキィ君、紹介するね!ボクのお姉ちゃんのリナだよ!リナ・アンデン」
「マナの友人のサキィ・マチルヤです」とサキィ。
少し遅れて「タイジです」
「サキィ君とタイジ君ね。ま、事情はよくわかんないけど、とにかく上がって、どうぞ。それとマナ、私は結婚したんだから、リナ・マージュ・アンデンよ
「あ、そうだった」とマナはうっかりちゃんな顔をして「でも、リナ姉ちゃん、なんでうちにいたの?ひょっとして家出したとか?夫婦仲、うまくいってないの?」
マナは廊下に散らかした荷物を、乱雑に持ち抱えて玄関に雪崩れ込んだ。
「何言ってるの。あんたじゃないんだから」
リナという人は既婚者で、本来はこの家に住んでいるわけではないらしい。
室内は集合住宅の一室とはいえ、散らかっていつつもそこそこの広さがあり、リビングからは三つのドア、奥には食卓と台所が拝見できたことから所謂一つの3LDKであった。
「あんたがいない間、母さんの世話しなくっちゃならなかったんだから…」リナはさばさばとした風情で、マナの荷物を運ぶのを手伝った。
「おふくろさん、具合でも悪いのか?」サキィは心配して聞いた。
「違いますよ」とリナ。
「ママね、ちょっとお酒が好きでさ」
ああ、そういうことか。と、タイジは総てを悟ったような呆れた顔をした。
母親には会ったことがある気がする。
明るくて、ひょうきんで、それでいて若々しい人だった。恋する内気な男の子は、好きな女の子の親のことも忘れない。
「特に最近は荒れ気味でね。家はウチの人に任せて、私はここしばらくこっちに泊まって、夜遅くまで相手してたのよ」ウチの人というのはリナの夫のこと「母さん、わんわん泣いちゃってね。『あいつに先立たれ、今度は娘まで!』って、もうボロボロ泣きながら…だからあんたも、ちゃんと謝っておきなよ。放蕩は昔からでも、今度ばっかは本当に心配してたんだから」
「ご、ごめん」
姉はそこまで本気で叱りつけたという感じではなかったが、マナはそれに反して妙に静まり返って反省の色を見せた。
「あ!」
と、次の拍子には手に持った革の鞄を床に放り投げ、唐突に奥の部屋に走っていった。
「どうしたんですか?」
マナが奥の部屋に閉じこもってしまうと、タイジはリナに尋ねた。
「父さんに、ただいまを言ってるんだね」
リナは床に散乱しているマナの荷物を片付け始めた。さすが、マナの姉だ。面倒見が良い。
「お父さん?」でも、確かマナの父は亡くなられたんじゃ…
サキィは我関せずといった風に、部屋のあちこちを建物探訪よろしく興味を以って眺め回している。
「へぇ~、あ、ここがキッチン。おお、良い尺の取り方だな。うんうん、あ、ココに繋がってるんだ。は~、これは素晴しい」長い獣のヒゲをピクピクさせて、すっかり建築士を褒め称える人化している。
リナはマナの荷物を適当にまとめている。

タイジは気になって、今しがたマナが飛び込んだ部屋に近づいていった。
「パパ、ただいま!ボク、こうして帰ってきたよ。うん、元気だよ。うん、うん、結構いろんなことあったんだ!でもね、ボク、がんばって戦って、それで、うん、魔術の力もだいぶ強くなったと思うよ。今ならパパにも負けないかもね!そりゃないか、あはは」部屋からはマナの声が聞こえてくる。まるで会話をしているようだが…
タイジは気付かれないように、こっそりと部屋の戸を開けて盗み見た。
そこには大きな魂棚があった。
家具と肩を並べるようにして置かれた祭壇の中央にはマナの父親と思しき人の肖像画が飾られ、今灯したばかりの蜀台の火が両側で揺らめいている。仏教圏では「仏壇」とでも呼ぶべきか、まるで精霊信仰のように小さな祠が設えてあり、故人の魂を偲ぶ為の区画が建立されていた。
マナは膝立ちになって瞳を閉じ、熱心に現世にはいない父親に、帰郷の報告を行っていた。
「あの子は本当に父さん子でね」と小さな声で背後から姉のリナが言う。「小さい時から、もうべったり、パパが大好きでね。パパの手を離そうとしないマナを 無理矢理引き剥がそうとしたら、嫌だ嫌だって泣き出すことなんかしょっちゅうだった。父さんも忙しくて、家にはあまりいなかったから、マナは父が帰ってくると、自分の部屋から飛び出してきて、いつもしがみついてお帰りのキスをしてたの」マナが常に男の優しさを欲しがるのはそれが所以か?タイジは密かに邪推する。「『ねぇ、パパ、魔術を使ってよ』って、ヒマさえあれば甘えてばかりいたわ。魔術がどんなものかも知りもしなかったくせに、自分の父親は世界で一番の英雄か何かだと思っていたんだね」
タイジは邪魔してはならぬと、扉をゆっくりと閉じた。マナの髪の緑色はこれまでにないくらいの度合いで、それは最早輝きに近かった。
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しばし後、一段落して「じゃあ、私はもう帰るから」リナはあっさり別れを告げた。
「ちょ、ちょ、ちょちょちょ、お姉ちゃん!せっかくなんだから」とマナは慌てて引き止める。
「部屋は、私が使ってたのを、ちょっと狭くて申し訳ないけど、使ってもらいなさいね」と、淡白に言う。「タイジ君、サキィ君、一応、私が嫁いでこの家出て行った時に、キレイにしてあるつもりだから。多分、片付いてると思うわ」と二人にも述べた。
ちゃっかりした話だが、タイジとサキィがマナに着いて来たはいいものの、特にこれといって行き先も無かったので、しばらくアンデン家にお世話になることは漫然と決まっていた。
「そじゃなくってさ、リナ姉ちゃんもしばらくうちにいなよ!」
「ダメだよ。私は仕事もあるし、うちの人にいつまでも負担をかけるわけにはいかないわ。学校にも無理を言ってお休みもらってきたんだから」リナさんは教職員で、小等部の先生をやっているらしい。「ま、母さんはあんたに任せるから、後はしっかりやりなさい」
「あの、ホントに帰っちゃうんですか?」と少なからず、押し掛けてしまっていることを気に掛けているタイジ。
「ええ。私の住まいは隣の領なの。だから、今から王宮に行って、護衛をつける算段をしなくちゃいけなくてね」
先にも述べた通り、一歩でも街の外を出たら、そこは異生物達がてぐすね引いて非力な人間らを待っている、極めて危険なエンカウント地帯である。
都市と都市の間は街道こそ走っているものの、超人ではない通常の人間が、とても往来できるような生易しい世界ではない。
どうしても旅をする場合は、王宮に申請を出すか、街で口利きを探して、頼れる超人の護衛を雇わなければならない。
東南国では、地域によっては定期で馬車便が出ていたが、そのサーヴィスはまだ中央国には無かった。
「じゃあ、王宮行ったらまた戻ってくれば良いよ!そだよ!そだよ!」
「駄目よ。いつ決まるか分らないし、決まったらすぐに出発しなきゃならないし…」
「王宮…申請……護衛…」サキィは二人の会話から単語を拾って、何やらぶつぶつ呟いている。
「わかったわね、マナ。
いつまでも学校の子供たちをほったらかしに出来ないでしょ。だから、私は行くから。母さんを頼んだよ」とリナ。性格の歪んだ妹への慣れたたしなみ方も、一種の職業病のうちなのだろう。
「あーん!やだやだ!リナも一緒にゴハンぐらい食べてこうよ!もっともっとタイジやサキィ君と絡もうよ~!」
マナのわがままが始まった。
「私は脇役で充分なの」意味深な自己表示。「じゃあ、狭いとこだけど、タイジくん、サキィくん、ゆっくりしてってね!それでは…」と、奇妙な挨拶をしてマナの姉、リナ・マージュ・アンデンは去ろうとする。
「やだやだやだやだ~!」年甲斐も無くマナは姉の服を引っ張って留めようとする。
「マナ、しょうがないよ、お姉さんには仕事も家庭もあるんだし」この時ばかりはタイジも大人大人した発言をした。
「そんなの関係ないって言ってるでしょ!」三角形の建物を脚で踏みつける駄々っ子のように。
「ほら、マナったら」タイジもマナを引っ張ろうとする。「お姉さんだって、子供の駄々に付き合ってるヒマはないんだよ?あんまり困らせると圧縮濃度を限界まで上げちゃうよ?」
その実、タイジの内心は新たな期待にドキドキしていた。
マナの家にお世話になる。
これからマナと一つ屋根の下で暮らす生活が始まる。
タイジはあの血の気が引いていく、喜びと期待への密やかな興奮を味わっていた。彼は微塵も宿を探そうとか、アパルトマンを借りてサキィと住もうとか、そういった考えを持ってはいなかった。
つまり『邪魔者は一人でも少ない方がいい』という邪まな願望が、彼の中に少しも生まれていなかったとは言い切れない。それが故に、姉を引き止めるマナを殊更制しようとしていたのかもしれない。
「ちょっと、放しなさいって……マナったら、いい加減聞き分けなよ。っていうか、あんた、学校には行ったの?早くした方が良いんじゃないの?」

「あ!そうだ」マナは突然スイッチが入ったように、姉の服を引っ張る手を放し「学校に行かなきゃ!忘れるとこだったぜぃ!」
「でしょ」リナ姉はようやく解放されたと、ほとほとやれやれといった顔で乱れた衣服を整える。
「サキィくん!タイジ!早く支度をして!これから学校へ行くよ!魔術アカデミーに!」
「え……あ、うん」タイジは急な展開に今一歩着いていけてない様子。
「わー、急がなくっちゃ!早くしないと、わ、わ、わ」マナはまた慌て出す。「ほら、サキィ君も、一緒に…」
「いや、俺は行かん」今度はサキィが拒否権を発動した。「俺は学校ってところは好かん」
「サキィ…」この獣人の親友と同じ学び舎に通っていたことのあるタイジは、彼がどれほどその場所を嫌っているか、よくよく心得ていた。
「サキィくん!」この期に及んでサキィまで自分の意に従わないと知ると、マナは髪を眩く緑に輝かして「何言ってんの!見知らぬ異国ではぐれると困るでしょ!ホラホラ、行くよ!」
「待て待て、引っ張るな」またマナの袖伸ばしが始まった「いいよ、俺は。留守番してるから」
「留守番なんて良いよ!無駄なことだもん!ホラホラ、早くぅ」
「ちょっと待てって!」
サキィは少し強めに、袖を引っ張るマナのややむちっとした腕を振り払い、服をピシッと伸ばし、咳払いを一つしてから、次にマナの姉、リナの方を見て言った。
「リナ殿、その王宮での護衛というのはすぐに見つかるものなのかい?また、費用は幾らぐらい掛かるんだい?」
「ん?そうだねぇ…」リナは美男子の獣人に直視されてもなんら表情を変えずに淡々と「早ければ半日で決まることもあるけど…場合によっては何日かかかることもあるわ。ただ、最近物騒だから……その内乱があってね…ヴェルトワール襲撃で、兵がずいぶん動いたみたいで。今だとちょっと厳しいかもしれない。料金は…」リナは金額を述べた。それはちょっと信じられないような高額だった。
「そうか」サキィは一段と身なりを整え、キリッとした凛々しい顔を作ってこう告げた。「このサキィ・マチルヤを雇わないか?今言った額の四分の一で、安全な旅を約束するぜ」
「え?」
タイジはこの時、親友が言った言葉、その思いつきに、何か自分が一人置いていかれるような、一歩先を越されたような気がした。
それはもちろん「あー!サキィくん、人妻に手を出そうなんて!いーけないんだ!」というマナの的外れなとんちんかんとは一致せず、もっと社会的な問題である。
「俺の剣の腕は、ここいらのバケモンどもを退け、道中降りかかる一切の危険からあんたを警護することを誓えるぜ。ここにいるマナやタイジが、それを証明してくれるはずだ。な?」
このボンディ領を出て、街道に従ってリナの住むミドゥーの街まで、サキィは単身の護衛を買って出た。
サキィがこうした半ば唐突な申し出を始めたのは、マナが穿ったように、リナという女性への関心からではまるでなく、どちらかといえば、マナに『学校機関』に連れて行かれるのを避ける為、という反駁も少なからず含まれてはいたが、一番の理由はもっと別なところにあった。
「いいか、タイジ。俺たちはこれからこのアンデン家に少々厄介になることになった。けど、男二人がタダ飯を食わしてもらうわけにはいかねぇ。いや、お前がどうするかは、お前の勝手だが、俺は居候をするつもりはない。ちゃんと金銭を稼ぎ、列記とした下宿人として、このアパルトマンに住まわせてもらうつもりなんだ。つまりこれは、俺のニュービジネスの第一歩ってわけなんだよ」
言われたタイジもマナも、サキィの宣言に呆気に取られている。
「な!二人とも、俺の剣なら、容易いことだろ?」
サキィの今一度の念押しに「うんうんうんうん」二人は揃って首を縦に振った。
「どうだ?リナ殿?王宮の護衛兵の四分の一……いや、初仕事だから六分の一の報酬でいい。俺と契約しないか?もちろん、支払いは後払いで結構だ」
すると、リナは相変わらずの淡白さで「ええ、お願いするわ。サキィ・マチルヤさん」
この瞬間、サキィ・マチルヤとしての、最初の活動が始まったのである。




サキィとリナを見送ったタイジとマナの二人は、街から馬車に乗り、ゆら~り揺られて幾ばく、ボンディ領の市街地からは少し離れた区域、辺りを険しい山々に囲まれた緑豊かな敷地に、王宮と見まがうばかりの巨大な建造物、古めかしいという程ではなかったが、城砦の如き佇まいは巨大な門前に立った人に畏怖を与えるに充分、中央皇国が今、最も力を注いでいるといわれる魔術研究の中心機関、魔術大学にやって来ていた。
いかにも魔術師然としたフード付きの、だが所々にオリジナルの飾り物をベタベタくっ付けた制服でもあるローブに着替えたマナが、門衛のところで挨拶と手続きを済ますと、それこそ城門が開かれるような重々しさで、魔術大学は二人の超人を迎えた。
無数の教室や研究室、巨大図書館、事務室、特殊訓練場、食堂から宿舎まで備えたモンスター大学。
石造りの壁はとても硬質そうに見え、かがり火の台は、皇都でも腕よりの職人達によって、一つ一つ丹念に作り込まれた上物であった。
「魔術学部、第一魔術学科のマナ・アンデンです。学生証、これ」
タイジは前を歩くマナの後姿が自分よりも何倍も大きく、逞しく、また遠くに感じられてきた。
マナはこの国でこんなヴィップな存在になっていたのか……
廊下ですれ違う学生や大人達、扉が開きっぱなしの部屋から窺える人々は皆、立派ななりをしていて、とても賢しげに見える。マナはそんな連中の一員なのか。やっぱり、凄いんだな、お前は。一体この大学にどれだけのエリートや貴族、身分の高い奴らが集まっているんだ?良い男だっていっぱいいるんだろ。
「疲れない?ゴメンね、結構ムダに広くって」
マナはタイジを気遣った。
「僕は大丈夫」
タイジは自分の知らないマナを知ることが、それでも少し楽しかった。複雑な気持ちでもあったが。
「ボクも初めてきたときは迷いまくってさー。まるで王宮みたいだよね…」
「うん、そうd」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ」
タイジは突然の悲鳴がはじめ、どの方角から轟いてきたのか分からなかった。
それは今自分達が立ち話をしている廊下の先の曲がり角。よく見ると、何やら派手な格好をした小さな人物が一人、幽霊でも見たような顔をして動転しているのが伺えた。
なんだ、また、騒々しい、まったく…
タイジはこういう突然の展開が大嫌いだった。
物事は順序立てて、一つ一つ論理的に、秩序を以って運ばられるべきなのだ。例えば夜中に無理矢理叩き起こされて引っ張り出される非常事態なんて、どこかの誰かが望んだとしても、自分は真っ平御免なんだ。
「なんだぁ」
怪訝そうに、タイジは廊下の先を見つめた。
よくよく目を凝らすと、派手な姿のその人物は、女の子であるようだ。
と、思った瞬間、その派手な女の子は手にした書物や筆記具を床にバラバラと落として、一目散にこちらへ向って駆け出してきた!
「オー!ネー!!エー!!!サー!!!!マー!!!!!ンー!」
白、水色、黄に橙、その他鮮やかに、きらびやかに、華やかに、まるでこれから舞踏会にでも出席するかのような豪勢なドレスに身を包んだ、マナよりまた少し背の低い小柄な少女は、目に涙をたぷたぷと湛えながら、弓で射た矢の如き勢いで、マナに飛びついてきた。
ガヴァっとマナの胸にダイヴし「うええええぇええん!お姉さま!お姉さま!生きててよかったあああ!ふえええぇぇええんん」大泣きである。
それにしても派手な装いだ。
貴族の娘さんかな?
完全に状況が分からないまま、タイジは何事かと事態を傍観していた。
「アオイちゃん、アオイちゃん、よしよし、そんなに泣かないの」
マナもなんだか手馴れた風にその子をあやす。
よく見ると、そこまで歳は離れていないようだ。
「ふぇええぇえん、ええええん、えぐ、えぐ、お姉さまぁ、ホントに、えぐぐ、ほほほホントに、お姉さま?生きた、うぐ、生きてる、お姉さま?」
「おー、よしよし、この通り、ボクは生きて帰ってきたよ、アオイちゃん、そんなに泣かないの」
マナは優しく右手で、女の子の青紫色の髪を撫でてやる。
「ほんとに?」
「ほんとだよ」
「ホントに、ホントに、お姉さま?」
「ホントに、ホントに、アオイちゃんのボクだよ。アオイちゃんのマナちゃんだよ」マナも変な声色で言う。
「うわああああぁああん」
また、けたたましい泣き声が湧き起こる。
「よおおっぉおおかああったよおおおぉおお」頭を揺すぶりながら泣く。リボンが揺れ動く。
「おーおー、よしよし、だから泣かないの」
タイジは要領を得ないまま、この見知らぬ光景を眺めていた。
泣きじゃくる少女はまるでマナの娘のようだ。それはあたかも親と子の感動の再会のようだ。マナの子供…そういえばこいつはとっくに妊娠しててもおかしくない筈が、一体いつもどうやって、と考えたくもない余計な連想をしてしまい気分が少し暗くなった。
「えぐ、えぐ、あぁあん、お姉さまの、おむね、あったかい」
見ると、少女はマナのふくよかな谷間に顔をうずくまらせていた。その様子を目撃したタイジは、傍らで得も言われぬ感情に狂わされていた。見てはいけない。そして想像してもいけない。目の前にいるマナに対して、さっきから不謹慎な妄想ばかり働いてしまう。違うだろ!この子は、きっと、マナが無事に帰ってきたことに心底感激し、それで赤子のように我を忘れて天真爛漫にその喜びに身を没しているだけだ。清らかな愛情表現なんだ。マナの男癖の話がそれになんの関係がある?邪まな思考をするな、自分。だが、どうしても考えてしまう。こいつのことを。思うにそれは、今まで自分が知らなかったマナの側面に、立て続けに出会ったことに起因していた。自分の実の兄、セイジ兄さんとの悲恋から、一体何人の男とこの尻軽は関わったのだろう。考えたくもなかった。マナは僕の一番近いところにいて、そこからどこにも行かない。ましてや他の男になんて!だけど、願望と現実は丸っきりの正反対。マナはひょいひょいとあちらこちらに気移りをして、僕の元を離れていく。定着しようとしない。今だって、僕の知らない女の子を、ほら、抱きしめてキスでもしちゃいそうな親密さじゃないか。誰だよ、その女は?こんな学校の廊下でいきなり泣き叫んで、頭でもおかしいんじゃないの?おい、マナから離れろよ!
タイジが決して口には出来ない憤りに侵されていると、マナがさすがにタイジの存在を思い出したのか、野次馬よろしくこちらを見ている魔術大学の学生たちの視線を恥じてか「ほらほら、アオイちゃん。ボクはこの通り健康優良不良少女!さぁ、涙をふいて、ね。もう、泣かないの、めぇっ☆
「あぅ」
アオイと呼ばれたファンシーな少女は、真っ赤に充血した目をごしごしこすりながら、タイジがいつかはうずくまりたいと思っている渓谷から顔を放した。見ると、マナの服にぐっしょり水溜りが出来てしまっている。
「マナ……妹がいたの?」
心底暗い声でタイジは問うた。
「え?あ、い、妹じゃないんだけどね。オホン!」マナは濡れた胸元を困った顔でゴシゴシ拭った。「この子はアオイちゃんて言って、ボクの後輩の子なのよ。えと…」
 マナはそのアオイという女の子の方を見やる。
占いや夢物語が好きそうな女の子の部屋に飾ってある人形のような格好をした、それこそ占いや夢物語が好きそうなマナの後輩アオイは、潤んだ瞳をしながら、だがその目線をタイジには合わそうとしなかった。
伏目がちに、斜め下を向いている。
「ア、アオイちゃん。この子は…えと、ボクの……友、…仲間の…」
タイジはさりげなく、マナが自分を他人にどういう風に紹介するか、内心ドキドキして、黙ってその言葉の先を待ち受けていた。
「お姉さま、この人がお姉さまや先輩さんたちを、ヒドイ目に合わせたんですか?」
敵意のこもった発言。
「え?」
「アオイには分ります。このひしゃげたカエルみたいな人間の体からは、拭いようの無い邪気が…汚らわしい魔のオーラが溢れんばかりに溢れかえっています。人の世の闇に蔓延り、人心を惑わし悪業を行う精霊たちの中でも、特に人々に災いを投げ掛ける、忌むべき大悪霊の気配を、ビシバシ、アオイは感じています!お姉さま!危険です!早く、こんな蛙みたいな顔をした犯罪者から離れてください!」
初対面なのに、一方的かつ徹底的にディスられてしまったタイジは、ただただ唖然とするばかり。
「ちょちょちょちょ、違うって!このタイジは、そこまで悪い奴じゃないって!」そこまでって…
「タイジがボクを助けてくれたこともあるんだって!だから、命の恩人!お・ん・じ・ん!大切な冒険の仲間なの!」マナも大慌て。
「そうなんですか?」
アオイは尚も懐疑的だ
マナは素早くアオイの元を離れ、タイジの袖を引っ張って、内緒話をするようにこそこそと「ゴメンよ、アオイちゃんて、ちょっと男性不審ていうか、男の子に慣れてなくってさ。ずっと女社会で育ってきて、家もちょーう厳しい御家庭さんで…中流貴族なんだけど。でも、悪い子じゃないからね。ちょっと付き合い方が分かってないだけで、さっきのディスリだって、悪気があって言ったわけじゃないんでさ」早口に弁解をする。
「お姉さま」語気強く「アオイの占術は万能です!この見識眼は有能です!この眼は突き抜けるようになんでも見通します!」アオイは自身のサファイアの如き蒼天の瞳を強調し「その方は、とんでもない凶星にまみれています。凶星の嵐です!バッドスターストリーーーーム!さぁ、早くお離れを!お姉さま!」
どちらかといえば、言ってる本人の方が、悪いものにでも憑かれてしまったように錯乱気味であるが、マナはともかくも、この後輩を落ち着けるべきと「はいはい、アオイちゃん。ありがとうね、いつもボクの身の安全を心配してくれて…ここまでボクのことを気遣ってくれるのは、世界中にアオイちゃんぐらいのもんだよ、色んな意味で…とりあえず、ボクはタイジを学長のとこに連れて行かなきゃいけないから」
「ダメです!そんなの危険です!早く避難を!そしてそいつには非難訓練をガ・ム・シャン!ガ・ム・シャン!」
アオイは正義の粘着質のように、マナをタイジから引き離そうと訴える。
「う~~ん…」
マナはほとほと困った顔をした。
アオイは自分に心酔し、同性とはいえ、自分を深く愛していてくれているからこその、この発言なのである。それ故に邪険に扱えない。そもそもアオイの登場は、とある物語よりもずっと前から決まっていた、無知だったゆえに事故的類似という結果になったとかはどうでもよく、アオイの方が既出であり何らの影響も無かった故、後の人から類型的となじられようと、彼女は誕生の瞬間においてまったきオリジナルな存在であり、その出現は何度も繰り返すがこの時刻よりも数年前から決められていたものであり、然るに無視できない。そこで、事態を打開する為、マナはいつもの適当な話を、タイジには聞こえないように、こっそりと、アオイの小さく可愛らしい耳に吹き込んだ「いい、アオイちゃん。タイジはね、確かにアオイちゃんの言うとおり、とっても危険な人物なの。そりゃもう、世界の理がちんぷんかんぷんになっちゃうくらい…けど、あんまりに危険だから、これはもう学長じゃないと手に負えないの!だから、今はあいつを騙して、ボクがうまいこと、タイジを学長のとこに連れて行く途中だったんだよ。だからね、あいつの前で、ボクの作戦がバレそうになるようなことは言っちゃ駄目!まだ、多分気付かれてないはずだから…本人もね、自分がそんな悪い精霊にとりつかれているって自覚はまだないの。アオイちゃんの目は確かに鋭いよね、でも、まだ言っちゃ駄目!本人に気付かれないように連れて行くんだから!だから、アオイちゃんは、とりあえずこの場は退いて、ボクの秘密ミッションがうまく行くことをお祈りしていて!良い?誰にもこのことは言っちゃ駄目よ!こっそりと、あくまで秘密裏にことを運ばなくっちゃ駄目なのよ!」
マナは一気に口から出た至極適当な作り話を、刷り込むようにアオイの頭に浸透させていった。
もちろん、マナはなんの根拠もなしに、今述べた嘘を並べたのだ。そこに何が含まれていようと、彼女にとっては一時凌ぎの狂言以下の何物でもなかった。
「わ、わかりました」華やかなドレスに身を包んだ小柄な魔術師学生は「お姉さまの仰るとおりにします。アオイはこれから祈祷の部屋に赴き、お姉さまの作戦の無事を一心に祈らせていただきます!」
「む、無理しない程度にね」アオイが本気でそれを行ってしまうことを知っていたマナは、冷や汗を垂らしながら「ほどほどでいいからね」
「いえ、アオイはいつだって、お姉さまの身の無事を祈り続けているんです。また、お姉さまに災厄を降りかけようとする者には、強い呪いの言葉を、全身全霊もって行使するつもりです。思えば、この数ヶ月、お姉さまの卒業試練にアオイが参加できなかったこと、その過酷な旅に同行できなかったことを、どれだけ歯痒く、苦しく、心を切り刻まれるような想いで按じていたか…」アオイはまた涙ぐんで「アオイは呪いました。お姉さまにそんな無茶な試練を言い渡したこの魔術アカデミーを、そして無力な自分を…ですが、こうして、再びお会いし、変わらぬ元気な姿を拝見し、今はとても安らかな気分でいます。もっと、もっと、お姉さまと一緒の時間を過ごしていたい!これから毎日、お茶をしようぜ、なんてふざけて言ってみたい!お姉さまが卒業するまで、側にくっついて離れないから!」
白薔薇の姉妹の如き宣言をしたアオイを、マナは悪気のないようにほどよく「分った、わかったよ、アオイちゃんありがとう。ささ、あんまり目を離していると、危険な目標が何しだすかわかんないよ、ネネ、いいだろう?早くアオイちゃんは後方支援を!」
「はい、お姉さま!どうかご無事で!」すたたたたた。
アオイという、かなり病的な雰囲気のする、きらびやかなドレスの少女は、こうしてようやくマナとタイジの元を去っていった。
「はぁ……」
アオイが廊下を走り去っていくのを見送り、マナはようよう安堵の溜め息をついた。
別に鬱陶しいわけじゃない。
自分を愛してくれるものは、誰であれ歓迎し、その愛には相応の応えをする。けど、アオイちゃんはちょっと特殊だ。そこが彼女の魅力でもあるが…
「何の話をしてたんだ?」
「うゎ!」タイジに声を掛けられ、マナはヒヤッとなり「ななななんでもないよ。アオイちゃんを巻くのに、ちょっとタイジの悪口を言っただけだって!あ、そんな嫌そうな顔しないでよ。仕方なかったんだからさ。さぁさ、早く学長のとこに行こ!」

マナはタイジの手を引っ張って、アオイが消えた方とは反対の廊下をズンズン、歩き出した。
「ま、待て、わわ、マナったら……」タイジは引っ張られるのが嫌で、思わず手をふり解いてしまったが、そうした後でちょっと後悔をしながら「アオイ…て言ったっけ?あの子…」
「アオイちゃん?」マナはすたすたと先を急ぎながら「気になる?アオイ…えと、なんだっけな、フルネーム?確かアオイ・トーゲンだった気が……ホラ、前にタイジとアザのある子の話、したの覚えてるでしょ?」
「覚えてないし、気にもならない」
「あの子ね、領主では無いけど、そこそこ名門の貴族のうちの子で。けど、ご両親がこれまたスパルタンXな方らしくって、小さい頃から英才教育の温室育ち。お家の使用人はほとんどが女性。なんと執事も女執事!イエスユアハイネス!だから殿方にはほとんどお目にかかることなく生きてきて、学校教育は受けずに、ずっと家庭教師。もちろん教師は女性ね。そこからこの魔術アカデミーに来たんだけど、もう男の子ってものがホントに分からなくってさ」
「ふーん」いるんですね、そういう箱入り娘っていうの。
「考えられないよねー?周り見回しても女、女、女だらけの社会なんて!ボクもこっちの国に来てママに入れられた高等部の学校は女子校だったから、毎日窒息しそうだった!」
「そりゃ、お前はな」
「でもさ、アオイちゃんて、大切に育てられただけあって、なかなかかわゆいじゃん?」
「そうか?」
あんな針に糸を通すような繊細さは、気が滅入ってしまうだけだが。
ロリですよ、お兄さん!ロリータですよ!何が非実在青少年だよ!文化を狩る愚か者はいなくなればいい!だから寄ってたかってくる男子は結構いたわけ。特に入学当初は。でもね、アオイちゃんは、ホントに男の子に対して抵抗があるから、困っちゃったわけ。そこで何でも屋のボクが登場!あの子にまとわりつく、ちょっと質の良い美男子から順々にピックアップしていって、アオイちゃんを守ってあげたのよ」
「ん?なんだって?」
「おかげで、すんごい感謝されちゃってさ。『アオイの貞節を汚そうとする邪悪な悪霊の魔の手から、アオイを守ってくれてありがとうございます!マナ先輩はアオイにとっての聖なるお姉さまです。お姉さまって呼ばせていただきます』って、いつの間にかそうなっちゃったのよねー」
「あ、そう」
タイジは呆れて物が言えなかった。
こいつは、他人に近寄る男までをも吸収してしまうのか。確かに何でも屋だな。ってかお前こそ邪悪な悪霊だ!
「僕は興味湧かないな、ああいう子」
「でも、一応あの子も魔術師…つまり超人であるわけだから、あんまり怒らすと恐いかもよ。さっきもアオイちゃんを言いくるめる為に、タイジがホントは悪い奴で、ボクが今こっそり騙して学長のとこに連れてっているだって、ホラ吹き込んじゃったし…あ、この階段登るから」
そんなこと言ってたのか、お前……別にいいけど、僕には関係ないことだし。ってか、あんなか弱そうな女の子が戦ったりできんの?」とタイジは物々しい上り階段に息を切らしながら。
「さて、ここだわ」
階段を登ったところで、タイジの問いには答えず、マナは立ち止まった。
そこには一段と格調高い木目のドアが構えていた。
マナが扉を開けるより先に、扉の方が先に開いた。
「驚いたぞ、マナ君」仙人さながらの老人が魔除けのお面のような仏頂面で出迎えた。
「お」マナ、たじろいで「おどろいたのは、こっちですよ、学長~」
「ふわっはははは!!」
突然、学長は笑い出す。
部族の伝統衣装のようなヒラヒラした服に枯れ木のような身を包み、髪はとうに禿げ上がって、高らかに笑うその様は百年か二百年ぐらいは齢を重ねていそうなお歳に見えたが「おかえり!マナ!」と思うと、次の拍子には若々しい男の声でマナを労わった。
「がっくちょーう!」
マナは学長に抱きついた。
なんてこった、こいつは男とあらば爺さんでも構わないのか、とまたタイジは歪んだ目で物事を見てしまう。
「おーよしよし。お前の元気な顔がまた見れて、私ゃ嬉しいわい。おまけに新しいボーイフレンドまで連れてきての」
「あ、いや、僕は、あの、その」
「しかし、マナ君。せっかくだが、私はお前さんが無事に帰ってきたことをこうして知りはしたが、まだちゃんと試験をパスしてきたのかどうか、その点を教えてもらってはいないのだぞ?」
「あ、それなら」マナはすぐに小物入れを漁って「じゃーん」あの暗黒の地下道で模様をつけた羊皮紙を取り出した。「学長。マナ・アンデンはここに試験を無事果たしてきたことを証明します」
「ふむふむ」学長は皺くちゃの手でマナから紙を受け取る。「ふぉー、こりゃ間違いないね。でかした、娘!こりゃ確かに、あの洞窟の謎の水晶でしか採取できない彩、そは疑いなきかな」老人は妙にハイテンション。「ヤッタネ!マナ君!わーいわーい」両手を上げて我が事のように狂喜する学長。
「だけど、学長…非常に言い辛いんですが」
マナは表情を硬くした。
学長は幼児のようなポーズのまま停止して「ん?どうしたんだ?」
「ボク以外の皆は…その…果たせずに、死んじゃったんです」
「な!なにぃぃぃぃぃぃぃぃィィィィ!!」
学長の驚きの声は危うくタイジの鼓膜を破壊するところだった。
「ホントに!ごめんなさい!学長!ボクがダメダメなばっかりに!皆は…命を…」
「そんな…ま、まさか」
無理もない。
魔術大学の学長は驚愕の事実に身を震わせている。
「これが…」マナは革袋から指輪やペンダントを取り出し「遺留品です。七人分はないけど…これで全部です」マナは唇を噛み締めながらそれらを差し出す。超人の死は肉体の消滅。故に遺骨は残らない
「これは…キクチョーのしとった婚約指輪。こっちはキュウゾの家紋…」
「はい…皆、消えてなくなってしまいました…」
「ヴォオオオオォォォォォォォォ」タイジは最初、何が起こったのか分からなかった。「ああああぁんんまりぃぃだぁあぁぁあ」見ると、先程まで万歳をしていた学長が声を大にしてむせび泣いていた!
「がくちょーーーーーぅええええええん」呼応するようにマナも泣き声を上げる。
「びゃああぁぁぁぁあああああ」学長は滝のような涙を流して泣き叫ぶ。
「わわわぁぁぁぁああんんん」マナも髪の色を真緑にして泣き叫ぶ。
悲しいのは分かる。
人が、仲間が、学生が七人も亡くなったんだ。
だが、この異様な光景はなんだ?老年の爺さんが若い少女と共に号泣している。タイジはただそれを呆然と眺めていた。
しかも、それはかなり長かった。
ようやく悲しみの怒涛が収まると「マナくん、辛くとも、仲間の為にも君は立派な魔術師になるんだぞ。それがせめてもの…」
「うん、ボクがんばる」マナは充血した目元をごしごしやりながら答えた。
「そうだな、君なら大丈夫だ。誰よりも若く誰よりも早く卒業試験の資格を得、誰よりも強大な力を持つ君なら…実際、私から君に教えることなんてもう残ってないんだよ。あとは、私しか知らない秘密の魔術を伝授するという隠れ講義のスペシャルコースもあるが、それはちと骨が折れるしの」
その時「あ」久しく蚊帳の外だったタイジは唐突に思いついて二人の会話に割って入った。「学長。僕はこのマナと一緒に暗黒の地下道で異生物と戦ったのです。それで、僕はもともと戦闘の経験があったわけじゃないんですが、どうも洞窟内にはケタ違いの怪物がいて…そいつは本当に手強かったんです。だけど、マナが、もしかしたらその怪物は殺された仲間たちの変わり果てた姿かも知れない、って言ったんです。僕はその時は理解できなかったんですが、そんなこと、有り得るんですか?」
「君、名前は?」呼びかけられた学長はタイジの質問を質問で返した。
「あ、タイジです。東南国城下町出身の…」
「タイジ君。君の言っていることはいまいち私には理解できない。まず、一つずつ整理していこう。卒業試験の現場となった暗黒の地下道に、それまでとはケタ違いの異生物がいた、と。そしてもしかしてそいつがマナ君以外の七人を殺したのかも知れない、と?」
「い、いえ、そうは言っていません。七人を葬ったのは分かりません。ただ、その化け物には七つの顔があって、その顔はもしかしたら、やられた学生七人だったんじゃないかって…」
「では、君は出くわした異生物が、自分の失った仲間の数と同じ数の顔を持っていたら、それはきっと死んだ戦友の生まれ変わりか怨霊か何かだと決め付けるのかね?」
「いえ」やけに刺々しい教師らしい物言いにタイジは少し臆した。「そんなつもりはないです」
「そうだろ?マナ君も気が昂ぶっていた。この子は感情的になり過ぎるきらいがある。もしかしたら、つらい戦況の最中に幻影を見てしまったのかもしれない」
「だけど、学長。ボクも確かに確信は持てないけど、今考えてもあれはやっぱりみんなだった気がするんです」マナも負けじと訴えた。
「仮に、もしそうだとしたら、超人が異生物に生まれ変わったということになる。そんな話は聞いたことがない」学長は断定的に言葉を告げる。「私はこれでも長いこと生きて、色んな奇々怪々な現象にも出くわしてきたが、いまだかつて人間が野蛮な異生物に転生したなんて事例には出会っていない。超人も異生物も、命果てるときには跡形もなく消え去ってしまうからの。自然現象として、そんなことは決して起こり得ない」
「じゃ、じゃあ、誰かがそれをやったとか?誰かが無理矢理マナの仲間をあの異生物にしてしまったとか?」
タイジは胸の中で長い間しまいこんでいた言葉を発した。
「君、バカなこと言っちゃいけないよ。誰が楽しくって、魔術大学の学生を気色悪い異生物になんか変身させちゃうんだね。まさか、東南国の特殊機関とか秘密部隊がそんなことをしたと?それは有り得んね。あの国は豊かでも、軍事や魔術のレヴェルでは我が国には遠く及ばない。平和ボケしてるからな」実際はそうではないのだが「ましてや超人や異生物に関しての知識、理解度には国家資格を有した博士と小等科のガキんちょぐらいの大きな差がある。そんなハイレヴェルなことは、かの国には出来っこないのだよ」
「じゃ、じゃあ…」
タイジは次にこう言おうとしていた。東南国国家による陰謀などではないのだとしたら、それをやったのは他でもない魔術大学の人間ではないのか、と。
だがマナが「そ、そういえば!」話題を変えようと「学長、さっきの話にもちょっと出てきたけど、このボクの幼馴染君のタイジはぁ、全く見たことも聞いたこともない新魔術を編み出しちゃったんですよ!しかも二つも!」
「何?それは本当かね?」学長もその新しい話題に興味を抱く。
「そうそう。このタイジっちは、なんと、雷を落とす魔術を使えるんだよね!人呼んでパープルヘイズ!そして続けざまに編み出したのは、白い光で傷ついた心を…じゃなくて、傷ついた体を癒すホワイトライト!この二大新魔術に何度救われたことか。ね、タイジ!」
実際タイジは旅の道中で、そこまで進んでそれらを使おうとはしなかったのだが。
「え、ええ、まあ。名付けたのはマナですけど」
パープルヘイズという名称はマナがタイジの詠唱から聞き取って名付けた。
リュートを歯で噛み千切って火を放って燃やしてしまうようなドスの利いたネーミングだ。
一方ホワイトライトは、なんだか幻惑の草でもやってしまったかのような白い恍惚感。
「雷を…落とす?傷を癒す?」魔術大学学長は途端に真剣な顔をして「雷とは、あのヒドイ雨の日に空でゴロゴロ言い出す、あやつのことか?落雷には火災がつきもの…それはレッドホットの亜種か…或いは、そう、天候を操る…風…いや、気象技術の上位種と考えるべきか…イエローマジック、つまり風の系統との関連性は見られえるか、否か?」
「んんん、違うの!きっと多分、新しい魔術だと思う。確かに、パープルヘイズくらった相手は、焦げてブスブスなるけど、閃光の光具合とか、火炎ってよりは紫色だし、なんかビリビリ、ピリピリ、弾ける独特の感じ」
「ふむふむ。そは正しくイカズチなり。田畑に豊作をもたらす恵みの暗示とも、太陽の怒りの鉄槌とも諷されるあの恐るべき光であるわけか。そして、白い回復呪文…実はそちらの方は以前からそれとなく存在が噂されていたのだが、なんとも実体が掴めずにいたのだ。こうなると、やはり四大元素論の崩御となるかもしれんな」学長はしばし右手を顎にあてて考え込む仕草をし「なるほど。だが、実際この目で見てみぬ限りはなんともかんともだ。タイジ君、時間はあるかね?今日、陽が暮れてから、マナ君と一緒に第一訓練場に来てくれないか?」
「第一訓練場?」
「ってことは、試射するってことですね?」
「そうだ。私はこれから片付けねばならない仕事があるから、君の書類もそうだし、少々時間を頂きたい。その代わり、手続きのほうは万時整えておくから」と、学長は二人に部屋を退室するように促がした。「楽しみにしているよ」
「はい。じゃあ失礼します」
「あ、失礼します」
タイジもマナに袖を掴まれて学長室を出た。

「どういうことになったわけ?マナ」周囲の人間が次々に段取りを決めてしまうことに戸惑うタイジ。
「まあ、端的に言えば、夕方から、タイジの新魔術のお披露目をするってこと」
タイジはマナの後について廊下を歩きながら「お披露目?」
「そう!」マナは眩しい笑顔を向けた。「魔術のことならなぁんでも知っているあの学長ですら、タイジのパープルヘイズにはビックリしてたみたい。だから、実際にあれを唱えてくれっ!て、ことなの!やったじゃん、タイジ。もしかしたら魔術研究の新しい道が開けるかもしれないよ?」
タイジは転じて暗い顔をした。
自分だって、自覚もなしに使ってしまった魔術だ。そんなあやふやなものに、何の価値があるんだろう。魔術の新しい道だなんて、知ったことか。
「どうしたの、タイジ?」マナはそのあどけない落ち込み顔を覗き込み「まさか、緊張して使えないとか、ないよね?パープルヘイズホワイトライトはタイジにしか使えない専売特許だもんね。魔術機関の人たちに教えちゃうの、もったいないかも、とか?」
「そんなんじゃないよ」タイジは苛々して言った。「たださ、僕だってあの魔術を使いこなしている自信なんて、無いし。そんなんで良いのかって、いつも納得いかないし」
「タイジ…」そうだ、子猫の愛らしさを思わせる極上の笑顔に、僕は逆らえない。「このことはね、きっと未来に繋がることだと思うんだ。確信なんて無いけど、でもきっと、タイジの魔術が未来になると思うんだよ。だから、もっと自信を持ってよね。きっと、タイジは未来になると思うんだからね!」

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