オリジナルの中世ファンタジー小説
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魔術大学内のミルクホールで時間を潰していた二人は、陽が暮れると、城塞のような国立魔術大学校舎の地下深く、第一訓練場へと向った。
タイジは俄かに学長のことをも疑っていた。
だが、自分の直属の教え子を騙し討ちにする必要などあるだろうか…そんなことを考えていたタイジは「うわ、騙された。なんだよ、この先生方は…」重大な公開講座でも始まるかのように、勢ぞろいして集まっていた教授達の姿を見て、一気に緊張し始める。
「まぁまぁ、それだけ関心が高いんだよ。あんまり気にしないでね」
タイジは正装した係の男に何某かの紙を渡され、そこにサインをするように命じられた。「なんのサイン?」とマナに聞く。
「ただの手続きのサインだよ。まー保険みたいなもんだね」
魔術の実技訓練は大変危険なので、おいそれとは行えない。
どんな種類の魔術であれ学内でそれを一発でも放つには、所属の各教授の拇印から、最高責任者の学長の認可までが必要とされる。
もし訓練中に思わぬ事故があった場合は一大事だからだ。特にブラウンシューで生徒の一人が石化してしまった事件が起こってからは、規則はより厳しくなっていた。
「ふーん」
タイジは使い込まれて繊維の先端がボサボサになっている羽ペンを受け取って、用紙の下の方にフルネームでサインをした。その上には既に学長のサインと副学部長のサインがなされていた。
係りの者はタイジの署名が済むとすぐに羊皮紙を持っていってしまった。
タイジは気がつくと、人々の注目が集まる訓練場の中央に立たされていた。
足元は乾いた砂と土。
天井は低く、四方は灰色のレンガで閉ざされている。窓は無い。処刑場や拷問場とも呼べなくもないひどく閉塞的な空間であった。そして目の前には檻が置かれていて、その中には肥えた鼠が三匹入っていた。
「タイジ君。準備はいいかね?さて、君の言う新魔術。まずは雷のそれであるパープルヘイズとやらを目の前にいる三匹のネズミに向って、一つ、放ってみてくれ」
学長が述べた。
「この、ネズミにですか?」タイジは実験の為に殺されるネズミのことを考えた。確かにモルモットを想うと、少なからず哀れな気持ちになるものである。だが、タイジとしては、こんな大勢の見知らぬお偉いさんにジロジロと見つめ続けられるよりは、さっさと役目を終えてこの場から立ち去りたかった。ネズミの小さな命を引き換えにしてでも「じゃ、じゃあいきます」
俄かに教授達の屏風がざわめき、そして静まった。
基本的に一般の生徒は立ち入り禁止らしく、アオイや、『はじめの旅籠』で出会った奇抜な魔術学生たちの姿は見受けられなかった。
「がんばれ、タイジっ」
マナの励ます声が、小さく聞こえたような気がした。
いつものように。いつものように。
タイジの手は汗でびっしょり濡れていた。
呼吸が荒くなる。
目の前には自由を奪われた三匹の実験体。お前たちも本当はもっと生きていたいんだろ。なんで、傲慢な人間の為に殺されなくちゃならないんだと、怒っている筈だ。井戸の底や家屋の床下で掴まっちまったのか?それとも生まれた時からその檻の中だったのか?残念だけど、僕はお前たちに死を与えることでしか救ってやることは出来ない。僕を恨まないでくれ。僕だって、こんなことしたくないんだ。でも、僕だっていつまでもこうしていたくないんだ。だから僕の都合の為に死んでくれ、ネズミよ。そう、お前たちが悪いんだから。人間の玩具にされてしまうような弱い存在に生れ落ちてしまったお前たちが悪いんだから。
purple haze all in my brain!!!!!
閉ざされた部屋に雷光が煌いた。
天井は塞がれているにも関わらず、まるでいと高き天から降り注いだように、稲妻は落ちた!
そして轟音と共に、檻の中の三匹のネズミは業火に焼かれたように全身くまなく焦がされ、絶命した。
集まった教授達は皆感嘆の溜め息を漏らした。そして、拍手が起こった。
黒焦げになって死んだ三匹のネズミ。拍手。息を切らすタイジ。額からは汗の雫。拍手。檻は壊れていない。中のネズミだけが死んだ。焦げた死骸が三つ。拍手。
「お見事!お見事!」
一際盛大な喝采を浴びせたのは、しかし学長ではなかった。
魔術を放ったばかりのタイジに両の手を打ち鳴らしながら近づいてきたのは、壮年の男。
角ばった顔立、やや長めの髪を後ろにすいた、年の割には洒落た身なりだが、その歩みに得体の知れぬ物々しさがあった。
なんだろう?この人は…
「タイジ君と言ったね?私は魔術学部の副学部長でもあるハコザというものだが」
この人が、ハコザ?
確か…あの奇怪なカッコウをしたいけすかない魔術師学生たちの先生とか…マナの話だと熱心なシンパも多数いると云われるカリスマッ!
確かに堂々とした立居振る舞いには他の教授たちには無い何かを感じる。
しかし、それは決して心が落ち着ける類のものではない。
あのヤーマ氏とは大違いだ。
自分の存在が危うくなっていくような、何か、そんな…「君の新魔術、こりゃビックリしたね。いやはやこれはお美事だよ。だが、君もそうだと思うが、せっかく我々のような魔術のスペシャリストに、取って置きのオリジナルを披露するというのに、相手がちっぽけなネズミなんかじゃ正直、物足りないとは思わないかね?」と、獲物を見つけた禿鷹のような視線で高圧的に告げた。
「いえ、そんなことは…」
タイジは色々反論したいことがあったが、ハコザの鋭い眼光がその身を金縛りにさせていた。
なんて、威丈高で冷たい目をしているんだ、この人は。
天災によって燃え上がる村落を、冷めた眼で見下ろすような、冷徹な眼差し。
「おや、そうか。自慢の魔術をたかだかネズミごときで試されるなど不服、そう感じているんじゃないかと思ったよ」威圧感。
「そんなことはないです」
「ふむ、そうか。だが、私としては、もっと多くの検証を行いたいと思っているのだよ。君のスペシャル魔術さ。なんせネズミを仕留めるぐらいなら覚えたてのレッドホットでも出来るからな。そこでだ。次は是非もうワンランクアップして頂きたい。充分出来るはずだと、私は踏んでいる」
「何を、すればいいんですか?」
タイジはハコザの言に逆らおうとはしなかった。押しかかる見えない圧力がそれを許さなかった。
「虎だよ」
「トラ?」
ハコザがパチンッと指鳴らしをすると、ガチャンガチャンという鉄のぶつかり合う音を響かせながら、先程とは比べ物にならない大きな檻が運ばれてきた。
そして、中には正しく虎がいた。
黄色に黒の混じった体毛。ピンと伸びた髭の下には牙をむいた野蛮な口。太い四肢には鋭い爪。虎であった。「どうかね?今度はこの虎を、君の新魔術でしとめて欲しいのだよ。ネズミ三匹じゃ、我々にとっても不十分なんでね。出来るかな?」
「この、虎をですか?」
「そうだ。君なら出来るだろう?」
タイジは虎を見た。その眼を見た。檻の中で、拘束され、人間の玩具にされている虎。肉食獣としての威厳は既に無く、彼を恐れて逃げ惑うことで彼に箔を着させる小さな獣達もここにはいない。牙を抜かれた虎とはこのことだ。その目には、怯えこそ無いものの、生態系ピラミッドの上層部に君臨し得る者にしてはあまりに薄弱すぎる凋落の光が宿っていた。
鼠の次は虎か…
「出してやってください」
「ん?なんだって?」
ハコザ教授はタイジの意外な発言を聞き返した。
「虎を、仕留めますので、檻から出してやってください」
タイジは念を押すように告げた。
「ふははははは!これはいい!君はトンチ坊主だったか。なるほど、檻に入れられていては虎にとって不利ということだね。よしよし、わかった」とハコザはタイジの肩に手を置いて「おい、檻を開けろ、虎を出してやれ」
辺りがどよめいた。
ハコザに命じられて、普段から彼の言いなりになっているのだろう助教授達が虎の入っている鉄の檻の錠を開け、叱咤しながら猛獣を中から招き出した。
「さぁトンチ坊主。見せてもらおうか。それと、一応断っておくが、この虎は高度な魔術の実験用に育てていたやつで、間違っても異生物などではないから安心するように。ただの虎だ。危険はない。もっとも、危険がないのは、君が鉄格子の開錠を言い出す前までの話だったが」
そんなことじゃない。
タイジは再び意識を集中し始める。檻から這い出た虎と向かい合う。
虎よ、お前は今や自由の身になった筈だ。
お前を縛り付けていた鎖は外された。
さぁ、どこへなりとも向うがいい。虎よ、もはやお前は自由の身なんだ。
どうした?何故、逃げようとしない?
お前は狭い暗い鉄の檻から出れたんだ。何故、無限の大地に帰っていかない?さぁ、どうする。そうだ、顔を歪め、怒りを表す。そうだ、僕と同じだ。やがて、お前は抑えきれなくなる。堪え切れなくなる。憤りに、身をねじらす。何もかもを破壊してやりたい衝動に駆られだす。カオスの願望が始まる。そうだ、僕と一緒だ。お前は。狭い暗い檻の外、やっと出られたそこは、決して待ち望んだ世界では無かった事を、知る。嘆き、悲しみ、やがて狂いたくなる。吠えろ、さぁ、吠えろ。怒りで、総てを粉砕してやりたい、高貴なあの感情。それを湧き起こらせろ。僕に向って来い!戦え!そうだ、それでいい!戦うんだ!
purple haze all in my brain!!!!!
低い唸り声を徐々に高まらせながらタイジに飛び掛ろうとしていた一匹の虎は、しかしまたも天井から落下した幻の雷撃によって地に叩きつけられた。
ドサっという音がした。
再び、拍手の渦。
「すごーい、タイジぃ」
マナの声も聞こえた気がした。
「すばらしい、まったくすばらしい」
ハコザは殊更に愉快な笑みを見せびらかした。
彼の派閥に属さない教授たちにとっては、それは気味の悪い不吉の象徴であった。
ハコザの権力はもはや学内の勢力均衡を保ってはいなかった。
この野心家は明日にでも学長の座を蹴り飛ばして頂点に達してしまいそうな勢いを誇っていた。
ハコザを一躍要人へと伸し上げた『ハコザ理論』は国家方針の中心に据えられていて、「魔術と超人の力による進化と発展」は王宮のスローガンと化しつつあった。
対して彼に抗する穏健派の唯一の希望は魔術大学のシンボルでもある学長であった。
学長だけは彼の暴走を野放しにしようとはしない、正に最後の砦であった。
だが、学長は元来強硬な策を取ったり、手早い決断を下したりはしない人。ゆっくりと相手に問い詰めて自戒させていくタイプの人。
だから、今回もハコザ教授が、通常の鼠による実験だけで充分だとされていたところを、それが成功したら次は猛獣でも試してみたいと言い出した時、難色こそ示しはすれ、それを止めるには至らなかった。
こうした一つ一つの寛容がこの男をつけ上がらせていっている。
今回の新魔術の登場をもって、ハコザがより自分の地位と権力を高めていかなければいいのだが…。
「いやはや!今日は実に大きな収穫があったよ!タイジくん、君に礼を言うよ!このハコザが、君に」
「まだです」
タイジは呟くように言った。
静かに、地に倒れ伏した虎へと近づいていく。
傷ついた虎。
幻だというのに、強烈な雷撃をくらってすっかり伸びきっている。
だが、流石の生命力。まだ絶命はしていない。
タイジは虎の体に手を置いた。
視界の端でハコザが一歩だけ足を踏み出したのが見えたのを潮に目を閉じた。虎の、荒い息遣いが手を伝わってくる。
お前は、本当はこんなことを望んではいけないんだ。
誰かが、やって来て、ボロボロの自分を救ってくれるだなんて、そんな期待は。タイジの体が白く光り出す。
白い光…。
あの、七つの融合を撃破した後に見た夢の中で、何年も会っていない次兄のセイジ兄さんも、多分同じ力を使ったのだろうか…。
一体、なんなんだ、僕たちは!
生物の命を奪ったり、救ったり。命を、操る、それは、人ではない、超越的な存在?なんだろう、それって…精霊じゃない、もっと大きな、漠然とした、途方も無くでっかい存在。
この世の総てを見渡せて、何でもこなしてしまうような…超越的存在。
分からない。けど、僕には縁の無いことだ。
ホラ、見せてやるよ、賢者ども。どうせ、これが見たくって集まってるんだろ。
white light white heat!!!
タイジの詠唱と共に、純白の閃光が溢れ、虎の体に出来た傷口が塞がっていく。ただれた表皮が蘇っていく。
「おおぉ」
「はぁ」
またも観客席からは、感嘆とも納得ともいえる溜め息が湧き上がる。
「以上です」とタイジは立ち上がって、一同に告げた。
ねぎらいの拍手が聞こえてきた。
マナが連続で二発の魔術を放って脱力していたタイジに近づいた。
「お疲れ、タイジ。カッコよかったよ!」
タイジの背に手をあてて彼を激励してやる。
「マナ、僕は謎を解いてみせる」
タイジはマナの耳元でそう呟いた。
「え?」
「戦いは、まだ終わってなんかいない」
タイジは俄かに学長のことをも疑っていた。
だが、自分の直属の教え子を騙し討ちにする必要などあるだろうか…そんなことを考えていたタイジは「うわ、騙された。なんだよ、この先生方は…」重大な公開講座でも始まるかのように、勢ぞろいして集まっていた教授達の姿を見て、一気に緊張し始める。
「まぁまぁ、それだけ関心が高いんだよ。あんまり気にしないでね」
タイジは正装した係の男に何某かの紙を渡され、そこにサインをするように命じられた。「なんのサイン?」とマナに聞く。
「ただの手続きのサインだよ。まー保険みたいなもんだね」
魔術の実技訓練は大変危険なので、おいそれとは行えない。
どんな種類の魔術であれ学内でそれを一発でも放つには、所属の各教授の拇印から、最高責任者の学長の認可までが必要とされる。
もし訓練中に思わぬ事故があった場合は一大事だからだ。特にブラウンシューで生徒の一人が石化してしまった事件が起こってからは、規則はより厳しくなっていた。
「ふーん」
タイジは使い込まれて繊維の先端がボサボサになっている羽ペンを受け取って、用紙の下の方にフルネームでサインをした。その上には既に学長のサインと副学部長のサインがなされていた。
係りの者はタイジの署名が済むとすぐに羊皮紙を持っていってしまった。
タイジは気がつくと、人々の注目が集まる訓練場の中央に立たされていた。
足元は乾いた砂と土。
天井は低く、四方は灰色のレンガで閉ざされている。窓は無い。処刑場や拷問場とも呼べなくもないひどく閉塞的な空間であった。そして目の前には檻が置かれていて、その中には肥えた鼠が三匹入っていた。
「タイジ君。準備はいいかね?さて、君の言う新魔術。まずは雷のそれであるパープルヘイズとやらを目の前にいる三匹のネズミに向って、一つ、放ってみてくれ」
学長が述べた。
「この、ネズミにですか?」タイジは実験の為に殺されるネズミのことを考えた。確かにモルモットを想うと、少なからず哀れな気持ちになるものである。だが、タイジとしては、こんな大勢の見知らぬお偉いさんにジロジロと見つめ続けられるよりは、さっさと役目を終えてこの場から立ち去りたかった。ネズミの小さな命を引き換えにしてでも「じゃ、じゃあいきます」
俄かに教授達の屏風がざわめき、そして静まった。
基本的に一般の生徒は立ち入り禁止らしく、アオイや、『はじめの旅籠』で出会った奇抜な魔術学生たちの姿は見受けられなかった。
「がんばれ、タイジっ」
マナの励ます声が、小さく聞こえたような気がした。
いつものように。いつものように。
タイジの手は汗でびっしょり濡れていた。
呼吸が荒くなる。
目の前には自由を奪われた三匹の実験体。お前たちも本当はもっと生きていたいんだろ。なんで、傲慢な人間の為に殺されなくちゃならないんだと、怒っている筈だ。井戸の底や家屋の床下で掴まっちまったのか?それとも生まれた時からその檻の中だったのか?残念だけど、僕はお前たちに死を与えることでしか救ってやることは出来ない。僕を恨まないでくれ。僕だって、こんなことしたくないんだ。でも、僕だっていつまでもこうしていたくないんだ。だから僕の都合の為に死んでくれ、ネズミよ。そう、お前たちが悪いんだから。人間の玩具にされてしまうような弱い存在に生れ落ちてしまったお前たちが悪いんだから。
purple haze all in my brain!!!!!
閉ざされた部屋に雷光が煌いた。
天井は塞がれているにも関わらず、まるでいと高き天から降り注いだように、稲妻は落ちた!
そして轟音と共に、檻の中の三匹のネズミは業火に焼かれたように全身くまなく焦がされ、絶命した。
集まった教授達は皆感嘆の溜め息を漏らした。そして、拍手が起こった。
黒焦げになって死んだ三匹のネズミ。拍手。息を切らすタイジ。額からは汗の雫。拍手。檻は壊れていない。中のネズミだけが死んだ。焦げた死骸が三つ。拍手。
「お見事!お見事!」
一際盛大な喝采を浴びせたのは、しかし学長ではなかった。
魔術を放ったばかりのタイジに両の手を打ち鳴らしながら近づいてきたのは、壮年の男。
角ばった顔立、やや長めの髪を後ろにすいた、年の割には洒落た身なりだが、その歩みに得体の知れぬ物々しさがあった。
なんだろう?この人は…
「タイジ君と言ったね?私は魔術学部の副学部長でもあるハコザというものだが」
この人が、ハコザ?
確か…あの奇怪なカッコウをしたいけすかない魔術師学生たちの先生とか…マナの話だと熱心なシンパも多数いると云われるカリスマッ!
確かに堂々とした立居振る舞いには他の教授たちには無い何かを感じる。
しかし、それは決して心が落ち着ける類のものではない。
あのヤーマ氏とは大違いだ。
自分の存在が危うくなっていくような、何か、そんな…「君の新魔術、こりゃビックリしたね。いやはやこれはお美事だよ。だが、君もそうだと思うが、せっかく我々のような魔術のスペシャリストに、取って置きのオリジナルを披露するというのに、相手がちっぽけなネズミなんかじゃ正直、物足りないとは思わないかね?」と、獲物を見つけた禿鷹のような視線で高圧的に告げた。
「いえ、そんなことは…」
タイジは色々反論したいことがあったが、ハコザの鋭い眼光がその身を金縛りにさせていた。
なんて、威丈高で冷たい目をしているんだ、この人は。
天災によって燃え上がる村落を、冷めた眼で見下ろすような、冷徹な眼差し。
「おや、そうか。自慢の魔術をたかだかネズミごときで試されるなど不服、そう感じているんじゃないかと思ったよ」威圧感。
「そんなことはないです」
「ふむ、そうか。だが、私としては、もっと多くの検証を行いたいと思っているのだよ。君のスペシャル魔術さ。なんせネズミを仕留めるぐらいなら覚えたてのレッドホットでも出来るからな。そこでだ。次は是非もうワンランクアップして頂きたい。充分出来るはずだと、私は踏んでいる」
「何を、すればいいんですか?」
タイジはハコザの言に逆らおうとはしなかった。押しかかる見えない圧力がそれを許さなかった。
「虎だよ」
「トラ?」
ハコザがパチンッと指鳴らしをすると、ガチャンガチャンという鉄のぶつかり合う音を響かせながら、先程とは比べ物にならない大きな檻が運ばれてきた。
そして、中には正しく虎がいた。
黄色に黒の混じった体毛。ピンと伸びた髭の下には牙をむいた野蛮な口。太い四肢には鋭い爪。虎であった。「どうかね?今度はこの虎を、君の新魔術でしとめて欲しいのだよ。ネズミ三匹じゃ、我々にとっても不十分なんでね。出来るかな?」
「この、虎をですか?」
「そうだ。君なら出来るだろう?」
タイジは虎を見た。その眼を見た。檻の中で、拘束され、人間の玩具にされている虎。肉食獣としての威厳は既に無く、彼を恐れて逃げ惑うことで彼に箔を着させる小さな獣達もここにはいない。牙を抜かれた虎とはこのことだ。その目には、怯えこそ無いものの、生態系ピラミッドの上層部に君臨し得る者にしてはあまりに薄弱すぎる凋落の光が宿っていた。
鼠の次は虎か…
「出してやってください」
「ん?なんだって?」
ハコザ教授はタイジの意外な発言を聞き返した。
「虎を、仕留めますので、檻から出してやってください」
タイジは念を押すように告げた。
「ふははははは!これはいい!君はトンチ坊主だったか。なるほど、檻に入れられていては虎にとって不利ということだね。よしよし、わかった」とハコザはタイジの肩に手を置いて「おい、檻を開けろ、虎を出してやれ」
辺りがどよめいた。
ハコザに命じられて、普段から彼の言いなりになっているのだろう助教授達が虎の入っている鉄の檻の錠を開け、叱咤しながら猛獣を中から招き出した。
「さぁトンチ坊主。見せてもらおうか。それと、一応断っておくが、この虎は高度な魔術の実験用に育てていたやつで、間違っても異生物などではないから安心するように。ただの虎だ。危険はない。もっとも、危険がないのは、君が鉄格子の開錠を言い出す前までの話だったが」
そんなことじゃない。
タイジは再び意識を集中し始める。檻から這い出た虎と向かい合う。
虎よ、お前は今や自由の身になった筈だ。
お前を縛り付けていた鎖は外された。
さぁ、どこへなりとも向うがいい。虎よ、もはやお前は自由の身なんだ。
どうした?何故、逃げようとしない?
お前は狭い暗い鉄の檻から出れたんだ。何故、無限の大地に帰っていかない?さぁ、どうする。そうだ、顔を歪め、怒りを表す。そうだ、僕と同じだ。やがて、お前は抑えきれなくなる。堪え切れなくなる。憤りに、身をねじらす。何もかもを破壊してやりたい衝動に駆られだす。カオスの願望が始まる。そうだ、僕と一緒だ。お前は。狭い暗い檻の外、やっと出られたそこは、決して待ち望んだ世界では無かった事を、知る。嘆き、悲しみ、やがて狂いたくなる。吠えろ、さぁ、吠えろ。怒りで、総てを粉砕してやりたい、高貴なあの感情。それを湧き起こらせろ。僕に向って来い!戦え!そうだ、それでいい!戦うんだ!
purple haze all in my brain!!!!!
低い唸り声を徐々に高まらせながらタイジに飛び掛ろうとしていた一匹の虎は、しかしまたも天井から落下した幻の雷撃によって地に叩きつけられた。
ドサっという音がした。
再び、拍手の渦。
「すごーい、タイジぃ」
マナの声も聞こえた気がした。
「すばらしい、まったくすばらしい」
ハコザは殊更に愉快な笑みを見せびらかした。
彼の派閥に属さない教授たちにとっては、それは気味の悪い不吉の象徴であった。
ハコザの権力はもはや学内の勢力均衡を保ってはいなかった。
この野心家は明日にでも学長の座を蹴り飛ばして頂点に達してしまいそうな勢いを誇っていた。
ハコザを一躍要人へと伸し上げた『ハコザ理論』は国家方針の中心に据えられていて、「魔術と超人の力による進化と発展」は王宮のスローガンと化しつつあった。
対して彼に抗する穏健派の唯一の希望は魔術大学のシンボルでもある学長であった。
学長だけは彼の暴走を野放しにしようとはしない、正に最後の砦であった。
だが、学長は元来強硬な策を取ったり、手早い決断を下したりはしない人。ゆっくりと相手に問い詰めて自戒させていくタイプの人。
だから、今回もハコザ教授が、通常の鼠による実験だけで充分だとされていたところを、それが成功したら次は猛獣でも試してみたいと言い出した時、難色こそ示しはすれ、それを止めるには至らなかった。
こうした一つ一つの寛容がこの男をつけ上がらせていっている。
今回の新魔術の登場をもって、ハコザがより自分の地位と権力を高めていかなければいいのだが…。
「いやはや!今日は実に大きな収穫があったよ!タイジくん、君に礼を言うよ!このハコザが、君に」
「まだです」
タイジは呟くように言った。
静かに、地に倒れ伏した虎へと近づいていく。
傷ついた虎。
幻だというのに、強烈な雷撃をくらってすっかり伸びきっている。
だが、流石の生命力。まだ絶命はしていない。
タイジは虎の体に手を置いた。
視界の端でハコザが一歩だけ足を踏み出したのが見えたのを潮に目を閉じた。虎の、荒い息遣いが手を伝わってくる。
お前は、本当はこんなことを望んではいけないんだ。
誰かが、やって来て、ボロボロの自分を救ってくれるだなんて、そんな期待は。タイジの体が白く光り出す。
白い光…。
あの、七つの融合を撃破した後に見た夢の中で、何年も会っていない次兄のセイジ兄さんも、多分同じ力を使ったのだろうか…。
一体、なんなんだ、僕たちは!
生物の命を奪ったり、救ったり。命を、操る、それは、人ではない、超越的な存在?なんだろう、それって…精霊じゃない、もっと大きな、漠然とした、途方も無くでっかい存在。
この世の総てを見渡せて、何でもこなしてしまうような…超越的存在。
分からない。けど、僕には縁の無いことだ。
ホラ、見せてやるよ、賢者ども。どうせ、これが見たくって集まってるんだろ。
white light white heat!!!
タイジの詠唱と共に、純白の閃光が溢れ、虎の体に出来た傷口が塞がっていく。ただれた表皮が蘇っていく。
「おおぉ」
「はぁ」
またも観客席からは、感嘆とも納得ともいえる溜め息が湧き上がる。
「以上です」とタイジは立ち上がって、一同に告げた。
ねぎらいの拍手が聞こえてきた。
マナが連続で二発の魔術を放って脱力していたタイジに近づいた。
「お疲れ、タイジ。カッコよかったよ!」
タイジの背に手をあてて彼を激励してやる。
「マナ、僕は謎を解いてみせる」
タイジはマナの耳元でそう呟いた。
「え?」
「戦いは、まだ終わってなんかいない」
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「なんだい、マナ。黙って帰ってきて。あんたなんか、どうせどっかの道端でくたばってると思ってたよ」四十を過ぎたばかりであろうか。マナの母親と思しき人物が、アパルトマンの自宅の玄関の扉を開けると、そこにいた。「ちっとも心配なんかしてなかったんだからね!」
「わ!なんだ、このツンデレママは…」
「タイジ、意味不明なこと言わないの!」
マナは玄関のドアを閉め、鍵をかけた。
サキィは姉のリナを送りに行ったきり、戻ってはいない。当然、一昼夜で戻ってこれる距離ではない。
「あら、タイジ君じゃない?」マナの母、ユナ・アンデンは娘の幼馴染の顔を覚えていた。「タイジ君よね?」
「そ、そうです」
タイジも俄かに驚く。親御さんとはそこまで親しくした記憶は無かったのだが…。
「マナがいつも話題にしてたからねぇ。今度、また東南国に行くんだ、なんて言ったときは、決まってタイジ君の話をしてたもんよ」
「ちょ、母ちゃん、変なこと言わないの!」マナは少し照れくさそうにして「そんなことより、ママ、うちら晩飯まだなんだけど、作ってくれてた?」
「え?なに、あんた、外で食べてきたんじゃないの?」母ユナはそんな話は聞いていないといった顔で「私、仕事終わって露店ですましちゃったから、なんにもないわよ!?」
「はぁ~??」マナは大きな非難の声を上げた。「なにそれ?ボクが帰ってきたってのに、なんも用意してくれてなかったの?」
「だって、あんた、帰ってくるなんて、ちーっとも聞いていなかったし」ユナママもケンカ腰だ。
「っていうか、この荷物を見れば、娘が帰ってきたんだなーってことぐらいわかるでしょ?」
「そんな言ったって、飯をうちで食べるかどうかなんてことまでわかりません!」
「ボロボロんなって、長旅から帰ってきた娘を労わろうって気持ちはないの?」
「ま、まあまあ」タイジは親子喧嘩の仲裁に入りだした。「マナ、わがまま言ったって、無いものはしょうがないよ。今からでもそこら辺の食物屋か、酒場にでも行こようよ」
「おやおや、タイジ君、その調子じゃ、道中だいぶこの子が迷惑をかけていたみたいだね」
母は申し訳無さそうに言う。
「かけてないもん」
マナは納得がいかない。
「ちょっと、待ってくれるんだったら、今からでも用意するから、それで良い?もうすっかり夜も夜だし、こんな寒い中出てったら風邪ひいちゃうわよ。今からじゃシチューもパイも作れないけど、卵と簡単な塩漬けとかでよかったら、パンを焼くわ」
「わ~い、やったぁ!」とマナ。
「え?いいんですか?」とタイジ。
「もちろんよ」母親は気前の良い笑顔を見せて「なんてったって“我が家の新しい同居人”の為ですもんね」
質素な夕食の後、タイジが遂に愛しい想い人と『一つ屋根の下』の状況になり、しかも邪魔者一名は遠出してしまっているという好条件も重なり、いよいよ有頂天になったかといえば、存外そんなこともなく、気弱な少年は「疲れもヒドイし、年かな~」などといって老婆の真似をふざけて演じ、早々におやすみを言って自室に下がってしまった当のマナの素っ気無さと、なんといっても彼女の母親も一つ屋根の下という緊張状態から、少しも浮ついた気分にはなれなかった。
タイジ達、新同居人に宛がわれたリナの部屋は、彼女が言った以上に遥かに整頓されていて、まるで宿屋の一室のように必要最低限の、無駄無く美しい静物画を思わせる佇まいであった。
サキィがいない空白が、余計に大きく感じてしまうくらいだ。
タイジは旅の荷物を簡単に解き、小さな半ば簡易式の寝台に横たわった。
サキィは居候ではなく、下宿人と発言した。
旅の途中、サキィは何度か、近くに借家を借りて二人で住むことにすると言っていた。
そこをマナの強い要望で、半ば強引にアンデン家に住まわせることとなった。
マナの弁では、うちにはお母さんしかいないから、二人がいてくれると賑やかで助かる、とのことである。本当は母親と二人きりだと小競り合いが絶えないという理由があった。
サキィは東南国にいた時は、実家の鍛冶屋の手伝いをたまにするか、知人の仕事の手伝いをしていた。
金属を溶接する仕事をしたり、税の取立てをしたり、タイジはそんなことを聞かされていたが、役所に就職した友人に頼まれてとはいえ、泣く子も黙る天下の元悪党サキィに徴集にこられては、どんな脱税貴族も適わなかっただろう。しかも超人だ。前科持ちを取立人に使うとは、東南国の考えることは全く理解に苦しむというか、穏便な政策を掲げておきながら、あの女王陛下は容赦がない。
しかし、そんなサキィでも働き口があったのに、タイジは全く労働をするという意志がなかった。
今も昔も。
「ここで暮らすのか」
タイジは何とはなしにしみじみとこぼした。
白い漆喰の壁、小さな窓が一つ。
その窓の側に小机があり、机の上には紙が数枚と羽ペンが置かれている。他に中身が空の洋服ダンスが一本、丸い鏡が一面あるだけで余計なものは何も無かった。
タイジは不意に、親友のサキィが早く帰ってきてくれないかと願った。
更に夜もふけ、真夜中の刻。
場所は魔術大学。
蝋燭の光が虎を照らしている。
タイジの好意で一命を取り留めた檻の中の虎は、役目を終えて今はしなだれてぐったりしている。
虎に施された新進気鋭の回復の魔術ホワイトライト。
通常、あらゆる生物は自然治癒力というものを有している。
肉体に損傷を受けた場合、自己再生機能が働き、体内から修復プログラムとも呼ぶべき分泌物が生成される。我々生きとし生けるものの肉体は、自動的に体を健康な状態に戻そうとするシステムを備えているのである。
例えば、人を超えた存在である超人は、その修復の目盛りが常人よりも遥かに高く、故に瀕死の状態からでも、ぐっすり休息を取り、栄養を摂取すれば、瞬く間に健常な状態へと肉体を修復することが出来る。
たとえ、体の一部分を欠損したとしても、だ。
自然治癒力の超越的数値故に。
そしてこの治癒のメカニズムは人間だけの特権ではなく、獣も同じであり、野生の本能は超人ほどではないにしろ、並の人間よりは高い治癒力を備えている。
ホワイトライトはその自己修復の働きを、一気に活性化させる術式である。
だから、タイジが普段、同じ超人戦士であるマナやサキィにそれを使用した際、瞬時に目覚ましい回復の効果が表れるが、昼間、自らの雷術パープルヘイズで痛めつけた虎に施した場合は、そこまでの画期的な効果ではなかった。
もちろん、秘術を目にした学者達の賞賛を浴びるには充分であったが…。
虎は既に、檻の中で雄々しき獣の肉体が、雪解けの土の下から春の芽吹きを感じるように、みるみる体調が回復していくのを感じていた。
あの人間は、恐ろしい幻術でもって己の肉体を焼いた。
鋼鉄の板で叩きつけられるような、激しい痺れと焼けるような衝撃の後、だが、すぐさまに優しい光り…まるで陽光のような…ああ、あの大平原を思い出す、自分はかつて王者だった…たくさんの小さき獣達、兎や鹿が、自分を恐れていた、王者だった、あの頃に、よく晴れた日、空の高いところからすべてを照らしていた、優しき太陽…懐かしき輝き……その光によって獣の肉体は照射され、そして癒しの効果が高められた。
自然治癒力の超促進が行われたのだ。
獣の頭脳では何が起こっているのか、すべてを悟ることは出来なかったが、小賢しい人の子に掴まって以来、屈辱に満ちた服従の日々を送っていたが、これほど満たされた気分を思い出したのは久しぶりだった。
痺れはまだ残っている。
疲弊もまだ感じている。
人間に食わされた変な物が、腹の中で引っ掛かってもどかしいのも続いている。
だが、それらが加速度的に消え去っていく、快感にも似た蘇生の感覚を、存分に味わっている。蘇る。蘇るぞ!
あの人間が自分に施した光の術は、なんだかとても、幸福な気分になるものだった。
そんな風に虎は、檻の中とはいえ、いつもより上機嫌で、血脈は活発に脈動し、ぽかぽかと、まるで仲の悪い親子を食事会でくっつけたくなるような愛の気分を味わっていた。
だが、起動実験中に必ず事故が起こるように、幸せな時間は長くは続かず、夜の闇に誘われるように靴音が遠くから近づいてきた。
虎は匂いで察した。
合成的な、自然界の掟を侮辱するようなこの薫香。
あの、いつもの嫌な奴だ!
「お前のようなものを見ると、ホントに生きてて良かったなと思えるよ」そこに現れたのはハコザ「その、無様な姿。とても、快感だ。私が、上昇するからな」ハコザは独り言にしてはあまりに大きい、もはや言語を解さぬ獣に向って語りかけているとしか思えない声量で「なるほど、傷の癒えはさすがだ。さすがの新魔術、こうかはばつぐんだ!」虎の入っている牢の扉を開いていく。
「グゥルァオ!?」
ハコザは腰にさした細見の剣を高速で抜き、それを虎の口の中に真っ直ぐにあてがい、もう一方の手を虎の口に突っ込んだ。
そして、一気に引き裂いた。
鮮血が舞う。
床にどす黒い血の水溜りが広がる。
剣と手刀の両方で、虎の肉を掻っ捌いていく!バビリヴァビリヴィリビリリ
恐るべし、超人ハコザ。
虎は叫び声を上げる間もなく、幸せの突然の中断と共に、暗い折の中で呆気なく息絶えた。
「ふふふ、くくく、しゃしゃしゃ」
ハコザは何かを虎の体内から取り出していた。
それは金に光る環のようであった。
「私の道具として人生を全う出来たことを、光栄に思わなくっちゃね」
「わ!なんだ、このツンデレママは…」
「タイジ、意味不明なこと言わないの!」
マナは玄関のドアを閉め、鍵をかけた。
サキィは姉のリナを送りに行ったきり、戻ってはいない。当然、一昼夜で戻ってこれる距離ではない。
「あら、タイジ君じゃない?」マナの母、ユナ・アンデンは娘の幼馴染の顔を覚えていた。「タイジ君よね?」
「そ、そうです」
タイジも俄かに驚く。親御さんとはそこまで親しくした記憶は無かったのだが…。
「マナがいつも話題にしてたからねぇ。今度、また東南国に行くんだ、なんて言ったときは、決まってタイジ君の話をしてたもんよ」
「ちょ、母ちゃん、変なこと言わないの!」マナは少し照れくさそうにして「そんなことより、ママ、うちら晩飯まだなんだけど、作ってくれてた?」
「え?なに、あんた、外で食べてきたんじゃないの?」母ユナはそんな話は聞いていないといった顔で「私、仕事終わって露店ですましちゃったから、なんにもないわよ!?」
「はぁ~??」マナは大きな非難の声を上げた。「なにそれ?ボクが帰ってきたってのに、なんも用意してくれてなかったの?」
「だって、あんた、帰ってくるなんて、ちーっとも聞いていなかったし」ユナママもケンカ腰だ。
「っていうか、この荷物を見れば、娘が帰ってきたんだなーってことぐらいわかるでしょ?」
「そんな言ったって、飯をうちで食べるかどうかなんてことまでわかりません!」
「ボロボロんなって、長旅から帰ってきた娘を労わろうって気持ちはないの?」
「ま、まあまあ」タイジは親子喧嘩の仲裁に入りだした。「マナ、わがまま言ったって、無いものはしょうがないよ。今からでもそこら辺の食物屋か、酒場にでも行こようよ」
「おやおや、タイジ君、その調子じゃ、道中だいぶこの子が迷惑をかけていたみたいだね」
母は申し訳無さそうに言う。
「かけてないもん」
マナは納得がいかない。
「ちょっと、待ってくれるんだったら、今からでも用意するから、それで良い?もうすっかり夜も夜だし、こんな寒い中出てったら風邪ひいちゃうわよ。今からじゃシチューもパイも作れないけど、卵と簡単な塩漬けとかでよかったら、パンを焼くわ」
「わ~い、やったぁ!」とマナ。
「え?いいんですか?」とタイジ。
「もちろんよ」母親は気前の良い笑顔を見せて「なんてったって“我が家の新しい同居人”の為ですもんね」
質素な夕食の後、タイジが遂に愛しい想い人と『一つ屋根の下』の状況になり、しかも邪魔者一名は遠出してしまっているという好条件も重なり、いよいよ有頂天になったかといえば、存外そんなこともなく、気弱な少年は「疲れもヒドイし、年かな~」などといって老婆の真似をふざけて演じ、早々におやすみを言って自室に下がってしまった当のマナの素っ気無さと、なんといっても彼女の母親も一つ屋根の下という緊張状態から、少しも浮ついた気分にはなれなかった。
タイジ達、新同居人に宛がわれたリナの部屋は、彼女が言った以上に遥かに整頓されていて、まるで宿屋の一室のように必要最低限の、無駄無く美しい静物画を思わせる佇まいであった。
サキィがいない空白が、余計に大きく感じてしまうくらいだ。
タイジは旅の荷物を簡単に解き、小さな半ば簡易式の寝台に横たわった。
サキィは居候ではなく、下宿人と発言した。
旅の途中、サキィは何度か、近くに借家を借りて二人で住むことにすると言っていた。
そこをマナの強い要望で、半ば強引にアンデン家に住まわせることとなった。
マナの弁では、うちにはお母さんしかいないから、二人がいてくれると賑やかで助かる、とのことである。本当は母親と二人きりだと小競り合いが絶えないという理由があった。
サキィは東南国にいた時は、実家の鍛冶屋の手伝いをたまにするか、知人の仕事の手伝いをしていた。
金属を溶接する仕事をしたり、税の取立てをしたり、タイジはそんなことを聞かされていたが、役所に就職した友人に頼まれてとはいえ、泣く子も黙る天下の元悪党サキィに徴集にこられては、どんな脱税貴族も適わなかっただろう。しかも超人だ。前科持ちを取立人に使うとは、東南国の考えることは全く理解に苦しむというか、穏便な政策を掲げておきながら、あの女王陛下は容赦がない。
しかし、そんなサキィでも働き口があったのに、タイジは全く労働をするという意志がなかった。
今も昔も。
「ここで暮らすのか」
タイジは何とはなしにしみじみとこぼした。
白い漆喰の壁、小さな窓が一つ。
その窓の側に小机があり、机の上には紙が数枚と羽ペンが置かれている。他に中身が空の洋服ダンスが一本、丸い鏡が一面あるだけで余計なものは何も無かった。
タイジは不意に、親友のサキィが早く帰ってきてくれないかと願った。
更に夜もふけ、真夜中の刻。
場所は魔術大学。
蝋燭の光が虎を照らしている。
タイジの好意で一命を取り留めた檻の中の虎は、役目を終えて今はしなだれてぐったりしている。
虎に施された新進気鋭の回復の魔術ホワイトライト。
通常、あらゆる生物は自然治癒力というものを有している。
肉体に損傷を受けた場合、自己再生機能が働き、体内から修復プログラムとも呼ぶべき分泌物が生成される。我々生きとし生けるものの肉体は、自動的に体を健康な状態に戻そうとするシステムを備えているのである。
例えば、人を超えた存在である超人は、その修復の目盛りが常人よりも遥かに高く、故に瀕死の状態からでも、ぐっすり休息を取り、栄養を摂取すれば、瞬く間に健常な状態へと肉体を修復することが出来る。
たとえ、体の一部分を欠損したとしても、だ。
自然治癒力の超越的数値故に。
そしてこの治癒のメカニズムは人間だけの特権ではなく、獣も同じであり、野生の本能は超人ほどではないにしろ、並の人間よりは高い治癒力を備えている。
ホワイトライトはその自己修復の働きを、一気に活性化させる術式である。
だから、タイジが普段、同じ超人戦士であるマナやサキィにそれを使用した際、瞬時に目覚ましい回復の効果が表れるが、昼間、自らの雷術パープルヘイズで痛めつけた虎に施した場合は、そこまでの画期的な効果ではなかった。
もちろん、秘術を目にした学者達の賞賛を浴びるには充分であったが…。
虎は既に、檻の中で雄々しき獣の肉体が、雪解けの土の下から春の芽吹きを感じるように、みるみる体調が回復していくのを感じていた。
あの人間は、恐ろしい幻術でもって己の肉体を焼いた。
鋼鉄の板で叩きつけられるような、激しい痺れと焼けるような衝撃の後、だが、すぐさまに優しい光り…まるで陽光のような…ああ、あの大平原を思い出す、自分はかつて王者だった…たくさんの小さき獣達、兎や鹿が、自分を恐れていた、王者だった、あの頃に、よく晴れた日、空の高いところからすべてを照らしていた、優しき太陽…懐かしき輝き……その光によって獣の肉体は照射され、そして癒しの効果が高められた。
自然治癒力の超促進が行われたのだ。
獣の頭脳では何が起こっているのか、すべてを悟ることは出来なかったが、小賢しい人の子に掴まって以来、屈辱に満ちた服従の日々を送っていたが、これほど満たされた気分を思い出したのは久しぶりだった。
痺れはまだ残っている。
疲弊もまだ感じている。
人間に食わされた変な物が、腹の中で引っ掛かってもどかしいのも続いている。
だが、それらが加速度的に消え去っていく、快感にも似た蘇生の感覚を、存分に味わっている。蘇る。蘇るぞ!
あの人間が自分に施した光の術は、なんだかとても、幸福な気分になるものだった。
そんな風に虎は、檻の中とはいえ、いつもより上機嫌で、血脈は活発に脈動し、ぽかぽかと、まるで仲の悪い親子を食事会でくっつけたくなるような愛の気分を味わっていた。
だが、起動実験中に必ず事故が起こるように、幸せな時間は長くは続かず、夜の闇に誘われるように靴音が遠くから近づいてきた。
虎は匂いで察した。
合成的な、自然界の掟を侮辱するようなこの薫香。
あの、いつもの嫌な奴だ!
「お前のようなものを見ると、ホントに生きてて良かったなと思えるよ」そこに現れたのはハコザ「その、無様な姿。とても、快感だ。私が、上昇するからな」ハコザは独り言にしてはあまりに大きい、もはや言語を解さぬ獣に向って語りかけているとしか思えない声量で「なるほど、傷の癒えはさすがだ。さすがの新魔術、こうかはばつぐんだ!」虎の入っている牢の扉を開いていく。
「グゥルァオ!?」
ハコザは腰にさした細見の剣を高速で抜き、それを虎の口の中に真っ直ぐにあてがい、もう一方の手を虎の口に突っ込んだ。
そして、一気に引き裂いた。
鮮血が舞う。
床にどす黒い血の水溜りが広がる。
剣と手刀の両方で、虎の肉を掻っ捌いていく!バビリヴァビリヴィリビリリ
恐るべし、超人ハコザ。
虎は叫び声を上げる間もなく、幸せの突然の中断と共に、暗い折の中で呆気なく息絶えた。
「ふふふ、くくく、しゃしゃしゃ」
ハコザは何かを虎の体内から取り出していた。
それは金に光る環のようであった。
「私の道具として人生を全う出来たことを、光栄に思わなくっちゃね」
翌日から、タイジはマナと共に魔術大学に通学することになった。
彼が現存の魔術学理論を大きく揺るがす逸材となってしまったからだ。
「どうして、あなたがいるんですかぁ?」
小柄なメルヘンメンヘルガール、さる貴族の令嬢にしてマナに心酔する紫髪の少女アオイは、タイジに対しては徹底的に冷ややかな態度を取った。
「別にね、ここに僕は入学したわけじゃないんだ。ただ、新しい魔術だからってんで、大学側も僕に用があるらしい」
タイジが魔術大学の教授たちを前に披露した二つの全く新しい術式は、この古めかしく堅固な城塞の如き知恵の巨塔を震撼するに充分すぎる衝撃であった。
彼の存在は、各専門分野の研究者達に引く手数多であった。
先の大戦での不名誉からなんとか巻き返しをはかろうと躍起になっている、魔術の戦術的運用を模索している一派からは、雷を呼ぶその絶大な破壊力の分析を迫られ、魔術体系を主として扱っている専門家からは、既存の魔術の類似性を問われ、はたまたタイジが施した癒しの秘術には、特に医療関係の者たちの目を釘付けにする魅惑に溢れていた。
「ふ~ん」アオイは疑わしそうな目で、今や注目の的となったタイジを見やる。「じゃ、こんなところで何やってるんですかぁ?こんなところへお前を潜り込ませたのは、どう考えても無駄な気がするんですけど!」
こんなところとは、妖しげな精神病院ではなく、そこは魔術大学の大図書館だった。
「調べ物だよ。でも、それは主に僕個人の問題だ」
タイジは多忙な一日の中、僅かな時間を見つけて、大学の膨大な書物を漁ることに費やしていた。
目的があったのだ。
タイジは知りたかった。
一体、超人とは何物なのか。異生物とは何物なのか。人はどうしたら超人へと生まれ変わるのか。また、最大の謎は、超人が異生物に生まれ変わることがあるのだろうか。
それらは総て一本の筋となってあの場所に通ずる。
己が手で葬ったあの「七つの融合」に。
この謎を、なんとしても解き明かさねばならない。
歩き回るだけで陽が暮れてしまいそうなこの図書室に、手がかりは少しでもある筈だ。
時間はまだある、僕は、それを突き止めねばならない。突き止めなければ、なんだか気が済まない。
「ふ~ん」
尋ねておいてやけに無関心のアオイ。
なんなんだ、一体。
この少女から蜜蜂の針のような敵意を、僕は感じている。
「なんでもいいですけど、お姉さまの邪魔だけはしないでください。あなたは危険人物なんですよ?いくら偉い学者さんたちがあなたを褒めちぎったって、このアオイの目はごまかせませんよ!」と言い残すとアオイはさっさと走り去っていった。
数日後。
リナの姉を送り届けに行っていたサキィが戻ってきた。予定より一日早い帰宅であった。
サキィは初対面のマナの母親、ユナ・アンデンに丁重に挨拶をし、一部屋を間借りすることの礼を述べた。ユナも快く美貌の獣人を受け入れた。
その日の晩餐は、今までで一番の豪勢なものであった。
ユナおばさんは、マナの母親でありながら料理の腕はなかなかのものであったことから、旅の道中でマナが食事当番になった際に味わわされた、野生の素材を使っているとはいえ、とても食えたもんじゃない珍品を毎回作り出していた、致命的な料理の腕前の原因を、二人は他に探さなければならなかった。
ふんだんに高原野菜を用いたトマトのスープからは温かい湯気が上がり、精製した小麦粉で焼いた平たいパンの味は、高価なスパイスを使った豆の煮込み料理にとてもよく合い、芋と豚肉の炒め物は食欲を大いに湧きたてた。
特にサヴァイヴァル然とした平原の旅から戻ったばかりのサキィの胃袋には、ユナの手料理は王宮の御馳走にも匹敵する程の絶品で、我を忘れて貪り食った。
「この町で、馬車を借りようと思ったんだ」サキィはご機嫌にヒゲをピクつかせながら「王宮に頼んで護衛を雇うのに比べたら、馬車一台のレンタルなんて安いものよ。けどな、馬屋に行って事情を話したら、そこにいた若い奴に止められてよ。額に一本の角を生やした…鬼人っていうのか、でも痩せぎすの、その亜人の野郎が『やめときな。おとなしく護衛を雇った方が身のためだ。君らが異生物にやられてくたばって、商売道具をそのまま野っぱらに捨て置きされたんじゃ、たまったもんじゃない』って、そいつは喧嘩を売ってきたんだ」サキィは身振り手振り、演技も交えながら饒舌に「名乗らせればルロイとかいう超人の男でよ。この俺と同じ、亜人かつ超人てわけだ…野郎、俺が街の外に出てこっからミドゥーまで行くなんて不可能だなんて、言いやがる。くそったれ!俺は頭にきて『表へ出ろ!』って言ってやったんよ」
「うわぁ」タイジは嫌そうな顔をする。
「馬屋に置いてあった木棒で剣を交えることになった。身のこなしは達者だったが、それ以外は全然大したことはない。俺が少し痛い目にあってもらおうかと、伊達にするべく二の太刀を閃こうとした矢先、角男は『待った』と言ってな」サキィは掌をパーに開いて「どうやら俺の太刀筋に恐れ入ったようで…賢明な奴だ、今度は、俺たちに着いていくと言い出したんだ」
「え、それじゃあ…」
「そう。結局、リナ嬢は俺とその角野郎ルロイとで送っていったのさ。馬車にクライアントを乗せ、俺とルロイが馬を引いた。怪物どもは馬車の中にいて外からは隠れて見えないリナには目もくれなかったな。ほんとに…異生物とはよく言ったもんよ。お陰で俺ら二人は、か弱き依頼主に不意打ちがくる心配をすることなく、存分に敵襲を退けていったわけだ。ま、相棒は少々足手まといだったがな」食卓の中央に置いたランタンの灯が揺らめいた「けど、道中の異生物はそんなに問題なかったが、あいつの土地勘というか、旅慣れてやがったな。戦い以外のところじゃ、正直ルロイを連れて来てよかったぜ」
「へぇ~。それじゃリナ姉ちゃんはサキィくんと奥様劇場禁断の関係失楽園愛の逃避行魅惑の二人旅じゃなかったんだね」マナが葡萄酒をグラスに注ぎながら感想を漏らした。
「なんだそりゃ?俺は仕事はキッチリやる方だし、誰かさんみたいな色情狂じゃないぞ。それはタイジがよく知っている。依頼主はちゃんと五体満足に家まで届けてやったぞ」
タイジは黙って頷く。
サキィは女を狩る側ではない。彼は決してそんな浮ついた感情を見せない。彼に群がってくる女は数あれど、それをすべてかわして跳ね除けてしまうほどだ。
「まぁまぁ、なんにしても、あの子を無事送り届けてくれて、ありがとうね」リナの母親でもあるユナ・アンデンが礼を述べた「今、王宮はますます慌ただしくなってるからね。滅多なことは言えないけど…情勢が不安定らしく、護衛の兵を雇うのだって一苦労なんだから」
「ええ、そんなことを届け先でも言われて…ホラ、リナさんは学校で教えているだろ?だから、もし保護者の中で、領を跨ぐ必要のある人がいたら、またあなたに護衛を依頼するわって、俺の宣伝までしてくれたんだ。どうやら俺の初仕事は好評だった」
「わぉ、サキィくんたら商売上手!」
「へ、別にそんなんじゃないよ。ただ、食い扶持は稼がなならんからな。俺はもう実家の鍛冶屋とは縁が切れてる。角男のルロイも爽やかに、俺とだったらまた一緒に仕事をしようって言ったし…護衛でもお使いでも、これからは自分の腕でバリバリ稼がなきゃ!」ところが、サキィの放った逞しい言葉に、タイジが下を向いて暗い顔を見せたのを察知し「そ、それにホラ!野の怪物を退治しながらの旅は、俺の剣の腕の向上にも繋がるし!困っている人を助けるのは……悪くない」
「う~ん、やっぱり収入のある男は良いよね~」マナが呑気に無神経なことを言う。
サキィは正面に座ったタイジが俯いたまま黙っているのを気遣い「良いんだよ、タイジは。学生だろ?さっきも言ってたじゃないか。大学で、何か研究しなくっちゃいけないことがあるんだろ?学生は働かなくても、その時間を勉強に費やせば、さ」
「そうよ、タイジくん。ウチは別に困らないんだから」家主も稼ぎのない寄る辺ない少年を元気付ける「きちんとお勉強して、立派な功績を残してちょうだい」
「お…おばさん」タイジは僅かに救われたような表情を、己が肩に手をかけてくれたマナの母に向ける。
「あー、ボクも稼ぎのある頼れる旦那さんでももらって、養ってもらおっかな~」
マナだけは空気の読めない発言を自粛しようとはしなかった。
タイジは言われたとおり、どちらかといえば積極的な風情で魔術大学にマナと通い、マナとは別の学問の研究に没頭するようになった。
生家にいた時は怠惰の窮みであったが、もともと執着的な性格でもあったので、一度拘りだすと粘着質な集中力を維持する。
はじめの内は一日の半分以上を、客員としてあちらこちらの研究室に招かれ、その魔術の訓示を要求された。
タイジは緊張しながらも、自分に出来ることを一つ一つこなしていった。
決して乗り気ではない。けれど、あの中央国での死闘の最中に覚醒した己が力を、誰かが必要とするなら、分け与えてやらないこともない。
誰かの為に、出来ることをする。
少しずつ、自分の存在を愛せるような気がしていた。
「まぁだ、こんなところをウロウロしてたんですか?早くいなくなってくださいよ」
小柄な少女アオイは、いつでもタイジを邪険に扱った。
あの国境沿いのはじめの旅籠で卓を一緒にした奇抜な学生達とは、終ぞ再会し得なかったが、タイジはこのつむじを曲げた貴族の小娘には、図書館でよく遭遇した。
「そんなに本をいっぱい抱えて、勉強のフリしたって、駄目ですからね!」
「勉強のフリって…」タイジは書棚からかき集めてきた書物の山を机の上に築きながら「僕だって知りたいことがあるんだ」恐らく魔術大学の学生の手によるものだろう。膨大な文字量の紙面、ビッシリ写本されたそれらの知識の迷宮を、タイジは執念をもって読み解いていった。
超人のこと。異生物のこと。
少しでも時間があれば、彼は私的で閉鎖的な個人研究に専念した。精霊の礼拝堂を思わせる広大な図書館は、なんだかとても落ち着いた。邪魔者さえこなければ…
だが、タイジはやがて、図書館にすら足を運ぶ暇も失われていくことになる。
それは、彼が生家の宿屋で製造していた傷薬のことを、マナがある教授に漏らし、やがてその噂が瞬く間に広まり、そこから彼への、更なる関心が向けられてしまうからだ。
そんなことは、まだマナもアオイも想像すらしていなかった。
いずれタイジを筆頭とする医療研究チームが、大学内に設置されることになるなど、この時は、まだ……
彼が現存の魔術学理論を大きく揺るがす逸材となってしまったからだ。
「どうして、あなたがいるんですかぁ?」
小柄なメルヘンメンヘルガール、さる貴族の令嬢にしてマナに心酔する紫髪の少女アオイは、タイジに対しては徹底的に冷ややかな態度を取った。
「別にね、ここに僕は入学したわけじゃないんだ。ただ、新しい魔術だからってんで、大学側も僕に用があるらしい」
タイジが魔術大学の教授たちを前に披露した二つの全く新しい術式は、この古めかしく堅固な城塞の如き知恵の巨塔を震撼するに充分すぎる衝撃であった。
彼の存在は、各専門分野の研究者達に引く手数多であった。
先の大戦での不名誉からなんとか巻き返しをはかろうと躍起になっている、魔術の戦術的運用を模索している一派からは、雷を呼ぶその絶大な破壊力の分析を迫られ、魔術体系を主として扱っている専門家からは、既存の魔術の類似性を問われ、はたまたタイジが施した癒しの秘術には、特に医療関係の者たちの目を釘付けにする魅惑に溢れていた。
「ふ~ん」アオイは疑わしそうな目で、今や注目の的となったタイジを見やる。「じゃ、こんなところで何やってるんですかぁ?こんなところへお前を潜り込ませたのは、どう考えても無駄な気がするんですけど!」
こんなところとは、妖しげな精神病院ではなく、そこは魔術大学の大図書館だった。
「調べ物だよ。でも、それは主に僕個人の問題だ」
タイジは多忙な一日の中、僅かな時間を見つけて、大学の膨大な書物を漁ることに費やしていた。
目的があったのだ。
タイジは知りたかった。
一体、超人とは何物なのか。異生物とは何物なのか。人はどうしたら超人へと生まれ変わるのか。また、最大の謎は、超人が異生物に生まれ変わることがあるのだろうか。
それらは総て一本の筋となってあの場所に通ずる。
己が手で葬ったあの「七つの融合」に。
この謎を、なんとしても解き明かさねばならない。
歩き回るだけで陽が暮れてしまいそうなこの図書室に、手がかりは少しでもある筈だ。
時間はまだある、僕は、それを突き止めねばならない。突き止めなければ、なんだか気が済まない。
「ふ~ん」
尋ねておいてやけに無関心のアオイ。
なんなんだ、一体。
この少女から蜜蜂の針のような敵意を、僕は感じている。
「なんでもいいですけど、お姉さまの邪魔だけはしないでください。あなたは危険人物なんですよ?いくら偉い学者さんたちがあなたを褒めちぎったって、このアオイの目はごまかせませんよ!」と言い残すとアオイはさっさと走り去っていった。
数日後。
リナの姉を送り届けに行っていたサキィが戻ってきた。予定より一日早い帰宅であった。
サキィは初対面のマナの母親、ユナ・アンデンに丁重に挨拶をし、一部屋を間借りすることの礼を述べた。ユナも快く美貌の獣人を受け入れた。
その日の晩餐は、今までで一番の豪勢なものであった。
ユナおばさんは、マナの母親でありながら料理の腕はなかなかのものであったことから、旅の道中でマナが食事当番になった際に味わわされた、野生の素材を使っているとはいえ、とても食えたもんじゃない珍品を毎回作り出していた、致命的な料理の腕前の原因を、二人は他に探さなければならなかった。
ふんだんに高原野菜を用いたトマトのスープからは温かい湯気が上がり、精製した小麦粉で焼いた平たいパンの味は、高価なスパイスを使った豆の煮込み料理にとてもよく合い、芋と豚肉の炒め物は食欲を大いに湧きたてた。
特にサヴァイヴァル然とした平原の旅から戻ったばかりのサキィの胃袋には、ユナの手料理は王宮の御馳走にも匹敵する程の絶品で、我を忘れて貪り食った。
「この町で、馬車を借りようと思ったんだ」サキィはご機嫌にヒゲをピクつかせながら「王宮に頼んで護衛を雇うのに比べたら、馬車一台のレンタルなんて安いものよ。けどな、馬屋に行って事情を話したら、そこにいた若い奴に止められてよ。額に一本の角を生やした…鬼人っていうのか、でも痩せぎすの、その亜人の野郎が『やめときな。おとなしく護衛を雇った方が身のためだ。君らが異生物にやられてくたばって、商売道具をそのまま野っぱらに捨て置きされたんじゃ、たまったもんじゃない』って、そいつは喧嘩を売ってきたんだ」サキィは身振り手振り、演技も交えながら饒舌に「名乗らせればルロイとかいう超人の男でよ。この俺と同じ、亜人かつ超人てわけだ…野郎、俺が街の外に出てこっからミドゥーまで行くなんて不可能だなんて、言いやがる。くそったれ!俺は頭にきて『表へ出ろ!』って言ってやったんよ」
「うわぁ」タイジは嫌そうな顔をする。
「馬屋に置いてあった木棒で剣を交えることになった。身のこなしは達者だったが、それ以外は全然大したことはない。俺が少し痛い目にあってもらおうかと、伊達にするべく二の太刀を閃こうとした矢先、角男は『待った』と言ってな」サキィは掌をパーに開いて「どうやら俺の太刀筋に恐れ入ったようで…賢明な奴だ、今度は、俺たちに着いていくと言い出したんだ」
「え、それじゃあ…」
「そう。結局、リナ嬢は俺とその角野郎ルロイとで送っていったのさ。馬車にクライアントを乗せ、俺とルロイが馬を引いた。怪物どもは馬車の中にいて外からは隠れて見えないリナには目もくれなかったな。ほんとに…異生物とはよく言ったもんよ。お陰で俺ら二人は、か弱き依頼主に不意打ちがくる心配をすることなく、存分に敵襲を退けていったわけだ。ま、相棒は少々足手まといだったがな」食卓の中央に置いたランタンの灯が揺らめいた「けど、道中の異生物はそんなに問題なかったが、あいつの土地勘というか、旅慣れてやがったな。戦い以外のところじゃ、正直ルロイを連れて来てよかったぜ」
「へぇ~。それじゃリナ姉ちゃんはサキィくんと奥様劇場禁断の関係失楽園愛の逃避行魅惑の二人旅じゃなかったんだね」マナが葡萄酒をグラスに注ぎながら感想を漏らした。
「なんだそりゃ?俺は仕事はキッチリやる方だし、誰かさんみたいな色情狂じゃないぞ。それはタイジがよく知っている。依頼主はちゃんと五体満足に家まで届けてやったぞ」
タイジは黙って頷く。
サキィは女を狩る側ではない。彼は決してそんな浮ついた感情を見せない。彼に群がってくる女は数あれど、それをすべてかわして跳ね除けてしまうほどだ。
「まぁまぁ、なんにしても、あの子を無事送り届けてくれて、ありがとうね」リナの母親でもあるユナ・アンデンが礼を述べた「今、王宮はますます慌ただしくなってるからね。滅多なことは言えないけど…情勢が不安定らしく、護衛の兵を雇うのだって一苦労なんだから」
「ええ、そんなことを届け先でも言われて…ホラ、リナさんは学校で教えているだろ?だから、もし保護者の中で、領を跨ぐ必要のある人がいたら、またあなたに護衛を依頼するわって、俺の宣伝までしてくれたんだ。どうやら俺の初仕事は好評だった」
「わぉ、サキィくんたら商売上手!」
「へ、別にそんなんじゃないよ。ただ、食い扶持は稼がなならんからな。俺はもう実家の鍛冶屋とは縁が切れてる。角男のルロイも爽やかに、俺とだったらまた一緒に仕事をしようって言ったし…護衛でもお使いでも、これからは自分の腕でバリバリ稼がなきゃ!」ところが、サキィの放った逞しい言葉に、タイジが下を向いて暗い顔を見せたのを察知し「そ、それにホラ!野の怪物を退治しながらの旅は、俺の剣の腕の向上にも繋がるし!困っている人を助けるのは……悪くない」
「う~ん、やっぱり収入のある男は良いよね~」マナが呑気に無神経なことを言う。
サキィは正面に座ったタイジが俯いたまま黙っているのを気遣い「良いんだよ、タイジは。学生だろ?さっきも言ってたじゃないか。大学で、何か研究しなくっちゃいけないことがあるんだろ?学生は働かなくても、その時間を勉強に費やせば、さ」
「そうよ、タイジくん。ウチは別に困らないんだから」家主も稼ぎのない寄る辺ない少年を元気付ける「きちんとお勉強して、立派な功績を残してちょうだい」
「お…おばさん」タイジは僅かに救われたような表情を、己が肩に手をかけてくれたマナの母に向ける。
「あー、ボクも稼ぎのある頼れる旦那さんでももらって、養ってもらおっかな~」
マナだけは空気の読めない発言を自粛しようとはしなかった。
タイジは言われたとおり、どちらかといえば積極的な風情で魔術大学にマナと通い、マナとは別の学問の研究に没頭するようになった。
生家にいた時は怠惰の窮みであったが、もともと執着的な性格でもあったので、一度拘りだすと粘着質な集中力を維持する。
はじめの内は一日の半分以上を、客員としてあちらこちらの研究室に招かれ、その魔術の訓示を要求された。
タイジは緊張しながらも、自分に出来ることを一つ一つこなしていった。
決して乗り気ではない。けれど、あの中央国での死闘の最中に覚醒した己が力を、誰かが必要とするなら、分け与えてやらないこともない。
誰かの為に、出来ることをする。
少しずつ、自分の存在を愛せるような気がしていた。
「まぁだ、こんなところをウロウロしてたんですか?早くいなくなってくださいよ」
小柄な少女アオイは、いつでもタイジを邪険に扱った。
あの国境沿いのはじめの旅籠で卓を一緒にした奇抜な学生達とは、終ぞ再会し得なかったが、タイジはこのつむじを曲げた貴族の小娘には、図書館でよく遭遇した。
「そんなに本をいっぱい抱えて、勉強のフリしたって、駄目ですからね!」
「勉強のフリって…」タイジは書棚からかき集めてきた書物の山を机の上に築きながら「僕だって知りたいことがあるんだ」恐らく魔術大学の学生の手によるものだろう。膨大な文字量の紙面、ビッシリ写本されたそれらの知識の迷宮を、タイジは執念をもって読み解いていった。
超人のこと。異生物のこと。
少しでも時間があれば、彼は私的で閉鎖的な個人研究に専念した。精霊の礼拝堂を思わせる広大な図書館は、なんだかとても落ち着いた。邪魔者さえこなければ…
だが、タイジはやがて、図書館にすら足を運ぶ暇も失われていくことになる。
それは、彼が生家の宿屋で製造していた傷薬のことを、マナがある教授に漏らし、やがてその噂が瞬く間に広まり、そこから彼への、更なる関心が向けられてしまうからだ。
そんなことは、まだマナもアオイも想像すらしていなかった。
いずれタイジを筆頭とする医療研究チームが、大学内に設置されることになるなど、この時は、まだ……
「おはようございます、お嬢様」
シルクのカーテンが開かれ、眩しい太陽の光が、夢の国のような装いをした部屋に満ち溢れていく。
アオイ・トーゲン・ヴァルナパレは眼を開けた。豪奢な真鍮のベッドに横たえた小さき体を持ち上げる。
執事が、いつものように、モーニングティーを用意して、そこに立っていた。
「本日の朝食は、ホーチドサーモンとミントサラダをご用意いたしました。付け合せは、トースト、スコーンとカンパーニュが焼けておりますが、どれになさいますか?」
「ん……ふゎ、……スコーン」
その執事、女性。
アオイは今日も、学内の誰よりも贅沢な衣装に身を包み、男装の女執事が運転する馬車に乗って、魔術大学へと登校した。
今日の午前中の講義は『魔術体系概論』である。
たくさんの魔術師の卵、もしくは魔術学を修めんとする学生達が賢者である教授の話に耳を傾けている。
「……え~~。したがって、古くより定着していた四大属性の分類法において、今回の発見と開発は、既成の体型を大きく揺るがす、革命的事件となったのです。もちろん、四大属性とは…?」
「はいっ!それは火、水、天と地、であります」
「または風と土です!」
元気の良い生徒達が挙手をして発表するのを傍目に、アオイはブスっと不機嫌な顔を作っていた。
また、あいつの話…。
お姉さまにまとわりつく、忌まわしき蛙野郎…。
タイジが先日魔術大学の学者達の面前で披露した魔術、パープルヘイズは、今や一躍大事件となり、学内にその新魔術の噂を知らないものはいないほどまでになった。どこへ行ってもその話題で持ちきりだ。
「そう。もちろん、少数派ながら、万物を五つに分ける一派もいる。こちらは火、水、土、金…さぁ、後の一つはなんだろうか?」
「風だ!」
「違うよ、緑だよ!大自然の…」
「いえ、風を含む、木です」
朝から元気な学生達は、次々に発表をする。
「そうですな。火、水、土、ここまでは一緒だが、金と木を入れ、風の魔術を木に入れるという考え方だ。とはいえ、金は金属で、それは土から産まれいづるもの…土と金は一緒くたではないかという見方が、今では優勢になってしまっているがな」壮年の教授は教壇を行ったりきたりしつつ「問題は、どちらの分類にも、今回の新しい要素は含まれていなかった。すなわち!雷ッ!……雨雲と共にやってきて、大地に鉄槌を下す、あの輝ける紫の火花だよ。これを、どこに含ませるべきか…あるいは、これは新たなエレメンツ足りえるか?どう思います?」
教授はおもむろに生徒に振り、熱心な学生達は各々の意見を言い合う。
「う~ん、稲妻は炎に似てる気がするな」
「いやいや、雨雲と共にやって来るんだ。水の仲間といえよう」
「だがよ、俺っちの田舎で雷が落っこちた時は、木の小屋なんかボーボーに燃えちまったべ。こりゃ、やっぱり火の分類でよくないこれ?よくなくない?よくなくなくなくなくなくない?」
「黙れ、この田舎モノ!ろくに歌を歌おうとせず異人の猿真似ばかり!いいか、雷は風と火のあいのこだ。精霊学ではそのように見做しているッ!」
「何を~?そんなふうになんでも既成のものに納めようとするのが、そもそも間違ってるんだ!やはり新しい概念だろう!」
「そうだ!今までに無いものだ。四大属性にとっては新たな五つ目の属性!もちろん五分類には六つ目の…」
アオイは喧騒が耳をくすぐる度に、苛立ちを募らせていた。あんな厄病男の為に、魔術アカデミーの偉大な学術体系が左右されるなんて、一番それが間違っている!
まったく……なんでみんな、あんな取るに足らない子供だましに、そんなに躍起になっているんだろう?
「ふ~む、やはり、新しい体系の編みなおしが必要かの…今、我々学者達の中でも、かの新魔術についての意見が交錯している。誰しもが初めて眼にするものだったからな。それに…もう一つの件もある…即ち、彼が披露した二番目の魔術…これも新魔術となってしまった。いや、噂にはあったのだ。ただ、あの光は、他者を攻撃するものではなかった。そう、回復の術。ほんとに、驚くべきことの連続だ、ここにきて、我々が長い間培ってきた学問の体系が、きしんできている。これは、一体どうすべきか、是非、君たち学生の意見も取り入れてみたいと、私たちは思っているんだよ」
「はい」アオイは静かに手を挙げた。熱く煮え立つ鍋に、冷水を垂らすかのように。
「おお、数多の水の寵愛を受けたる者、アオイよ。是非、君の意見を聞かせてくれ。件の少年が披露せし、新魔術、こはいかなる分類法によって扱うべきか?さきほど、雷を生む雨雲は、水から生まれるものという意見があった。水の属性に、そは近いのか、否か?」
アオイ・トーゲン・ヴァルナパレは席から立ち上がり、険しい顔で、厳しい声で、教室の皆に届くような冷徹な声で、述べた。
「新しい枠など必要ありません。いずれ、それは廃れて消えていくものです。皆さん、たった一つや二つの例外に、惑わされてはいけません。ましてや、あんな下賤で型破りで汚らわしい代物が、大いなる水の国に属すなどと、天地がひっくり返っても有り得ません」アオイはサファイアの瞳を見開き、念を押すように告げる「取るに足らない、不必要なものです」
「お、ね、え、さまァァァあ♪」
アオイにとって、一日で一番の幸せ時間。
それがお昼休み。もちろん、マナ・アンデンと共に昼食をとることが出来るからである。
何度でも云うが、アオイの挙動がとある世界の風紀委員と類似していたとしても、彼女が誰かの受け売りや影響を受けて、それを行っているということは断じてない。偶然の一致という悲劇はいつも残酷なものだ。先に考えついていたとしても、先に構想を練りそれを描いていたとしても、大いなる財力の隔たりだけで、迫害され、糾弾され、踏みにじられる。僅かな差で、今は負けるしかない時がある。それは耐え忍ばねばならない、苦渋と忍耐の期間ということ。つまり、彼女は本心と本能から、マナを慕い、崖っぷちのオリジナリティで愛のアプローチをしているだけなのである。
「アオイはアオイは、お姉さまと会える時間をこんなに楽しみにしてた日はなかったですよ!って言ってみたり」
「もうアオイちゃん、なんだかよくわかんない前フリと共に出てきて、自虐的なネタとかしないの」マナはポテトをほおばりながらアオイの髪をなでた。
「だって、今日はまた一つ、呪詛のネタが増えたんですのよ!聞いてください、お姉さま!また、あいつの話を、先生が講義のネタにしたんです。もう、アオイ、耐えられません!毎日毎日、どこにいても、あのカエル野郎の話ばっか!アオイとお姉さまの永遠の愛を引き裂こうとする、あの忌まわしきゲコタ…じゃなかった、なんでしたっけ?タイ…タイ…」
「あーはいはい、タイジっちね」マナはやれやれといった顔をした。
当の本人タイジは、すっかりご多忙らしく、アオイが言っているほど共にいる時間もなく、朝の登校時以外では魔術大学内で捕まえることはできないほどだ。
午前も午後も、幾つもの教室を梯子で渡り歩き、僅かな時間を見つけて図書館でマイレボリューションするタイジさん。
彼の偉大性をもっと多くの人に知ってもらおうと、マナが東南国の彼の宿で作られていた治療薬の件をリークしたら、今度は医学部からも求愛されてしまった。マナのせいでますますタイジの時間は切迫してしまったのだ。
試験も終わり、あとは卒業を控えるのみのマナの方が、よっぽどゆとりがある。
「ねぇねぇお姉さま。午後の予定はいかがです?もし良かったら、アオイといっしょに占術のレクチャーに行きません?今、公開授業をやっていて、あの有名な太陽の天女のお弟子さんらしい占い師が来てて、話題なんですよ!」
アオイは朝の授業態度とは打って変わって、楽しそうに弾む笑顔でマナに語りかける。
「太陽の般若?う~ん、ボクよくわかんないなー」マナは適当に興味無さそうな返答をする。
「だったら是非、占ってもらいましょうよ!開運してもらいましょ!そうです!お姉さまの最近の運気は、あの厄病蛙のせいで、一気に落ち込んでいるはずですから!このままじゃ厳冬を乗り切るのもままなりませんよ?ここらで新しい精霊石の一つでもゲットしておきませんと、破滅を迎えるだけですよ!」
「そうだね~、誰かボクを四六時中守ってくれる超イケメンの騎士でもゲットしておかないと……はっ!」
マナは話半分に返した言葉で、アオイの顔色が変わったのに気付いた「そんなの必要ありません…お姉さまは、このアオイが守ります」彼女の瞳が、深い海の、闇を宿した青を湛えている「汚らわしい、野蛮で愚昧なるケダモノたち…おぞましい邪気を放ち、冥界より来たりし死と破滅の悪霊どもを携え、清純なるものへの妬みゆえに、陵辱と姦通の欲望にまみれた闇の奴隷ども。それら負の領海に住む眷族たちから、その身を守ってさしあげられるのは、このアオイ一人だけ!他には何者も、必要ないのです!去れ!そして呪われよ、堕天した獣の慟哭!」
「うわ、ちゅうに……」マナは椅子から立ち上がってこちらを見下ろしている紫髪の少女を、たじたじになって見つめたが「あ、いや、ちゅうにくちゅうぜでも、別にいっか……じゃなくって、アオイちゃん、ありがとね、ボクもとっても嬉しいアルよ。アオイちゃんがいてくれると、ボクもとっても安心ですタイ」
「お姉さまぁ!」
アオイはまたも顔色を豹変させ、お昼時で周囲に学生の群がいるにも関わらず、マナの大きな胸元へと身を沈めるのであった。
だが結局、いっしょに占い師の講義を受けることはなかった。
例によってマナが適当な作り話を並べ上げ、アオイを煙に巻いたからである。
アオイはつまらなそうな顔をして、魔術大学正門で待つ、見慣れたトーゲン家の馬車前までやってきた。
「いかがなさいました、お嬢様。お加減が優れませんか?」
「なんでもない、ヤムー。今日は寄り道しないで、まっすぐ帰って頂戴」
「御意」
ヤムーと呼ばれた男装の女執事は、手際よく主の搭乗を介錯し、馬車のドアを閉め、御車台に移るとしなやかに鞭を振り上げ、馬を歩ませた。
アオイの家は中流貴族。一つの領を持つ大貴族ほどの力はない。
といっても、中流とはいえ、その総資産はアンデン家のような、市街地の集合住宅に住む小市民の比ではない。諸侯ではないにしろ、平凡な市民とはまるで住む世界が違うのである。
狭苦しい町から離れた位置に、巨大な敷地を有す。大きな庭園と大きな屋敷を構え、時にサロンを開いたり、時に王宮の要人を招いたりする。
そして貴族が何人もの使用人を抱えるという莫大な財力がその特徴の一つであるとすれば、その雇い人の中に必ず超人の存在があるのも、特徴であった。
短髪の麗人、肌理細やかにしなやかな作法、主人のために命を賭ける女、ヤムーもまた超人であり、アオイ自身がそうでありながら、大学の送迎中になんら異生物や野盗の心配をしなくていいのは、つまり彼女への信頼ゆえにであった。
年に数回は、その立派な馬車の佇まいを見て、或はヒトの血に飢えて、邪まな賊や怪物が襲来することもあったが、いずれも即座に執事のヤムーが対処した。鮮やかに、適確に、身の程をわきまえない野蛮で無知な相手を屠った。
アオイは馬車の中で、日進月歩の成長を続けているその魔術の腕を披露することもなく、悠々と行き帰りの退屈と戯れていればよかったのである。
安心はあった。しかし、アオイの心は晴れなかった。
あまり、家へは帰りたくなかった。
「お疲れ様でした」
ヤムーが馬車の扉を開けた。
「お帰りなさいませ、アオイお嬢様」
「お帰りなさいませ、アオイお嬢様」「お帰りなさいませ、アオイお嬢様」
屋敷に入れば、たくさんの使用人たちが彼女を迎える。
掃除は行き届き、炎を点じた燭台はいずれも金の輝きを放つ。高い天井と上質な獣の皮をふんだんに使用した絨毯。壁には著名な芸術家の作品を飾り、階段の前には彫像が立つ。
だけど、今日もアオイの両親はいない。
仕事とか、付き合いとか、旅行中とか、色んな理由をつけて、彼女の両親は娘の帰宅を出迎えようとはしなかった。
アオイは泥の川に足をはめたような重たい歩みで、自分の部屋へと下がっていった。
「アオイが、ウチの家の財産を自由に出来るようになったら、すぐにでもお姉さまの為に、大邸宅を作るんだ…」扉の鍵を閉め、上着を脱ぎ、ふかふかのベッドに倒れこむ。「こんな家なんか潰して、もっとアオイプロデュース、お姉さまとの愛の館を、誰も入ってこれない、永遠の離宮を、作り上げるんだ。アンデン家にはトーゲン家の資産の半分を分け与え、アオイはお姉さまといっしょに、ずーっと、ずーっと、お屋敷の中で暮らすんだ。誰にも会わせない、誰にも見つからない、お屋敷にいていいのは、お姉さまのお母様と使用人だけ。ヤムーには外の見張りをやらせ、イムーには毎日、ご馳走を作ってもらう。アオイは毎日、お姉さまとの閉ざされた時間を過ごす。そうして、二人がお婆ちゃんになるまでずーっと、ずーっと、アオイとお姉さまの幸せな生活を続けるんだ。だから…」
アオイはベッドに身を沈め、荒んだ心のままに、呼び寄せた。
小さな光が、部屋を漂い、やがて虚ろな瞳をした小柄な少女のもとへと、吸い寄せられていった。
シルクのカーテンが開かれ、眩しい太陽の光が、夢の国のような装いをした部屋に満ち溢れていく。
アオイ・トーゲン・ヴァルナパレは眼を開けた。豪奢な真鍮のベッドに横たえた小さき体を持ち上げる。
執事が、いつものように、モーニングティーを用意して、そこに立っていた。
「本日の朝食は、ホーチドサーモンとミントサラダをご用意いたしました。付け合せは、トースト、スコーンとカンパーニュが焼けておりますが、どれになさいますか?」
「ん……ふゎ、……スコーン」
その執事、女性。
アオイは今日も、学内の誰よりも贅沢な衣装に身を包み、男装の女執事が運転する馬車に乗って、魔術大学へと登校した。
今日の午前中の講義は『魔術体系概論』である。
たくさんの魔術師の卵、もしくは魔術学を修めんとする学生達が賢者である教授の話に耳を傾けている。
「……え~~。したがって、古くより定着していた四大属性の分類法において、今回の発見と開発は、既成の体型を大きく揺るがす、革命的事件となったのです。もちろん、四大属性とは…?」
「はいっ!それは火、水、天と地、であります」
「または風と土です!」
元気の良い生徒達が挙手をして発表するのを傍目に、アオイはブスっと不機嫌な顔を作っていた。
また、あいつの話…。
お姉さまにまとわりつく、忌まわしき蛙野郎…。
タイジが先日魔術大学の学者達の面前で披露した魔術、パープルヘイズは、今や一躍大事件となり、学内にその新魔術の噂を知らないものはいないほどまでになった。どこへ行ってもその話題で持ちきりだ。
「そう。もちろん、少数派ながら、万物を五つに分ける一派もいる。こちらは火、水、土、金…さぁ、後の一つはなんだろうか?」
「風だ!」
「違うよ、緑だよ!大自然の…」
「いえ、風を含む、木です」
朝から元気な学生達は、次々に発表をする。
「そうですな。火、水、土、ここまでは一緒だが、金と木を入れ、風の魔術を木に入れるという考え方だ。とはいえ、金は金属で、それは土から産まれいづるもの…土と金は一緒くたではないかという見方が、今では優勢になってしまっているがな」壮年の教授は教壇を行ったりきたりしつつ「問題は、どちらの分類にも、今回の新しい要素は含まれていなかった。すなわち!雷ッ!……雨雲と共にやってきて、大地に鉄槌を下す、あの輝ける紫の火花だよ。これを、どこに含ませるべきか…あるいは、これは新たなエレメンツ足りえるか?どう思います?」
教授はおもむろに生徒に振り、熱心な学生達は各々の意見を言い合う。
「う~ん、稲妻は炎に似てる気がするな」
「いやいや、雨雲と共にやって来るんだ。水の仲間といえよう」
「だがよ、俺っちの田舎で雷が落っこちた時は、木の小屋なんかボーボーに燃えちまったべ。こりゃ、やっぱり火の分類でよくないこれ?よくなくない?よくなくなくなくなくなくない?」
「黙れ、この田舎モノ!ろくに歌を歌おうとせず異人の猿真似ばかり!いいか、雷は風と火のあいのこだ。精霊学ではそのように見做しているッ!」
「何を~?そんなふうになんでも既成のものに納めようとするのが、そもそも間違ってるんだ!やはり新しい概念だろう!」
「そうだ!今までに無いものだ。四大属性にとっては新たな五つ目の属性!もちろん五分類には六つ目の…」
アオイは喧騒が耳をくすぐる度に、苛立ちを募らせていた。あんな厄病男の為に、魔術アカデミーの偉大な学術体系が左右されるなんて、一番それが間違っている!
まったく……なんでみんな、あんな取るに足らない子供だましに、そんなに躍起になっているんだろう?
「ふ~む、やはり、新しい体系の編みなおしが必要かの…今、我々学者達の中でも、かの新魔術についての意見が交錯している。誰しもが初めて眼にするものだったからな。それに…もう一つの件もある…即ち、彼が披露した二番目の魔術…これも新魔術となってしまった。いや、噂にはあったのだ。ただ、あの光は、他者を攻撃するものではなかった。そう、回復の術。ほんとに、驚くべきことの連続だ、ここにきて、我々が長い間培ってきた学問の体系が、きしんできている。これは、一体どうすべきか、是非、君たち学生の意見も取り入れてみたいと、私たちは思っているんだよ」
「はい」アオイは静かに手を挙げた。熱く煮え立つ鍋に、冷水を垂らすかのように。
「おお、数多の水の寵愛を受けたる者、アオイよ。是非、君の意見を聞かせてくれ。件の少年が披露せし、新魔術、こはいかなる分類法によって扱うべきか?さきほど、雷を生む雨雲は、水から生まれるものという意見があった。水の属性に、そは近いのか、否か?」
アオイ・トーゲン・ヴァルナパレは席から立ち上がり、険しい顔で、厳しい声で、教室の皆に届くような冷徹な声で、述べた。
「新しい枠など必要ありません。いずれ、それは廃れて消えていくものです。皆さん、たった一つや二つの例外に、惑わされてはいけません。ましてや、あんな下賤で型破りで汚らわしい代物が、大いなる水の国に属すなどと、天地がひっくり返っても有り得ません」アオイはサファイアの瞳を見開き、念を押すように告げる「取るに足らない、不必要なものです」
「お、ね、え、さまァァァあ♪」
アオイにとって、一日で一番の幸せ時間。
それがお昼休み。もちろん、マナ・アンデンと共に昼食をとることが出来るからである。
何度でも云うが、アオイの挙動がとある世界の風紀委員と類似していたとしても、彼女が誰かの受け売りや影響を受けて、それを行っているということは断じてない。偶然の一致という悲劇はいつも残酷なものだ。先に考えついていたとしても、先に構想を練りそれを描いていたとしても、大いなる財力の隔たりだけで、迫害され、糾弾され、踏みにじられる。僅かな差で、今は負けるしかない時がある。それは耐え忍ばねばならない、苦渋と忍耐の期間ということ。つまり、彼女は本心と本能から、マナを慕い、崖っぷちのオリジナリティで愛のアプローチをしているだけなのである。
「アオイはアオイは、お姉さまと会える時間をこんなに楽しみにしてた日はなかったですよ!って言ってみたり」
「もうアオイちゃん、なんだかよくわかんない前フリと共に出てきて、自虐的なネタとかしないの」マナはポテトをほおばりながらアオイの髪をなでた。
「だって、今日はまた一つ、呪詛のネタが増えたんですのよ!聞いてください、お姉さま!また、あいつの話を、先生が講義のネタにしたんです。もう、アオイ、耐えられません!毎日毎日、どこにいても、あのカエル野郎の話ばっか!アオイとお姉さまの永遠の愛を引き裂こうとする、あの忌まわしきゲコタ…じゃなかった、なんでしたっけ?タイ…タイ…」
「あーはいはい、タイジっちね」マナはやれやれといった顔をした。
当の本人タイジは、すっかりご多忙らしく、アオイが言っているほど共にいる時間もなく、朝の登校時以外では魔術大学内で捕まえることはできないほどだ。
午前も午後も、幾つもの教室を梯子で渡り歩き、僅かな時間を見つけて図書館でマイレボリューションするタイジさん。
彼の偉大性をもっと多くの人に知ってもらおうと、マナが東南国の彼の宿で作られていた治療薬の件をリークしたら、今度は医学部からも求愛されてしまった。マナのせいでますますタイジの時間は切迫してしまったのだ。
試験も終わり、あとは卒業を控えるのみのマナの方が、よっぽどゆとりがある。
「ねぇねぇお姉さま。午後の予定はいかがです?もし良かったら、アオイといっしょに占術のレクチャーに行きません?今、公開授業をやっていて、あの有名な太陽の天女のお弟子さんらしい占い師が来てて、話題なんですよ!」
アオイは朝の授業態度とは打って変わって、楽しそうに弾む笑顔でマナに語りかける。
「太陽の般若?う~ん、ボクよくわかんないなー」マナは適当に興味無さそうな返答をする。
「だったら是非、占ってもらいましょうよ!開運してもらいましょ!そうです!お姉さまの最近の運気は、あの厄病蛙のせいで、一気に落ち込んでいるはずですから!このままじゃ厳冬を乗り切るのもままなりませんよ?ここらで新しい精霊石の一つでもゲットしておきませんと、破滅を迎えるだけですよ!」
「そうだね~、誰かボクを四六時中守ってくれる超イケメンの騎士でもゲットしておかないと……はっ!」
マナは話半分に返した言葉で、アオイの顔色が変わったのに気付いた「そんなの必要ありません…お姉さまは、このアオイが守ります」彼女の瞳が、深い海の、闇を宿した青を湛えている「汚らわしい、野蛮で愚昧なるケダモノたち…おぞましい邪気を放ち、冥界より来たりし死と破滅の悪霊どもを携え、清純なるものへの妬みゆえに、陵辱と姦通の欲望にまみれた闇の奴隷ども。それら負の領海に住む眷族たちから、その身を守ってさしあげられるのは、このアオイ一人だけ!他には何者も、必要ないのです!去れ!そして呪われよ、堕天した獣の慟哭!」
「うわ、ちゅうに……」マナは椅子から立ち上がってこちらを見下ろしている紫髪の少女を、たじたじになって見つめたが「あ、いや、ちゅうにくちゅうぜでも、別にいっか……じゃなくって、アオイちゃん、ありがとね、ボクもとっても嬉しいアルよ。アオイちゃんがいてくれると、ボクもとっても安心ですタイ」
「お姉さまぁ!」
アオイはまたも顔色を豹変させ、お昼時で周囲に学生の群がいるにも関わらず、マナの大きな胸元へと身を沈めるのであった。
だが結局、いっしょに占い師の講義を受けることはなかった。
例によってマナが適当な作り話を並べ上げ、アオイを煙に巻いたからである。
アオイはつまらなそうな顔をして、魔術大学正門で待つ、見慣れたトーゲン家の馬車前までやってきた。
「いかがなさいました、お嬢様。お加減が優れませんか?」
「なんでもない、ヤムー。今日は寄り道しないで、まっすぐ帰って頂戴」
「御意」
ヤムーと呼ばれた男装の女執事は、手際よく主の搭乗を介錯し、馬車のドアを閉め、御車台に移るとしなやかに鞭を振り上げ、馬を歩ませた。
アオイの家は中流貴族。一つの領を持つ大貴族ほどの力はない。
といっても、中流とはいえ、その総資産はアンデン家のような、市街地の集合住宅に住む小市民の比ではない。諸侯ではないにしろ、平凡な市民とはまるで住む世界が違うのである。
狭苦しい町から離れた位置に、巨大な敷地を有す。大きな庭園と大きな屋敷を構え、時にサロンを開いたり、時に王宮の要人を招いたりする。
そして貴族が何人もの使用人を抱えるという莫大な財力がその特徴の一つであるとすれば、その雇い人の中に必ず超人の存在があるのも、特徴であった。
短髪の麗人、肌理細やかにしなやかな作法、主人のために命を賭ける女、ヤムーもまた超人であり、アオイ自身がそうでありながら、大学の送迎中になんら異生物や野盗の心配をしなくていいのは、つまり彼女への信頼ゆえにであった。
年に数回は、その立派な馬車の佇まいを見て、或はヒトの血に飢えて、邪まな賊や怪物が襲来することもあったが、いずれも即座に執事のヤムーが対処した。鮮やかに、適確に、身の程をわきまえない野蛮で無知な相手を屠った。
アオイは馬車の中で、日進月歩の成長を続けているその魔術の腕を披露することもなく、悠々と行き帰りの退屈と戯れていればよかったのである。
安心はあった。しかし、アオイの心は晴れなかった。
あまり、家へは帰りたくなかった。
「お疲れ様でした」
ヤムーが馬車の扉を開けた。
「お帰りなさいませ、アオイお嬢様」
「お帰りなさいませ、アオイお嬢様」「お帰りなさいませ、アオイお嬢様」
屋敷に入れば、たくさんの使用人たちが彼女を迎える。
掃除は行き届き、炎を点じた燭台はいずれも金の輝きを放つ。高い天井と上質な獣の皮をふんだんに使用した絨毯。壁には著名な芸術家の作品を飾り、階段の前には彫像が立つ。
だけど、今日もアオイの両親はいない。
仕事とか、付き合いとか、旅行中とか、色んな理由をつけて、彼女の両親は娘の帰宅を出迎えようとはしなかった。
アオイは泥の川に足をはめたような重たい歩みで、自分の部屋へと下がっていった。
「アオイが、ウチの家の財産を自由に出来るようになったら、すぐにでもお姉さまの為に、大邸宅を作るんだ…」扉の鍵を閉め、上着を脱ぎ、ふかふかのベッドに倒れこむ。「こんな家なんか潰して、もっとアオイプロデュース、お姉さまとの愛の館を、誰も入ってこれない、永遠の離宮を、作り上げるんだ。アンデン家にはトーゲン家の資産の半分を分け与え、アオイはお姉さまといっしょに、ずーっと、ずーっと、お屋敷の中で暮らすんだ。誰にも会わせない、誰にも見つからない、お屋敷にいていいのは、お姉さまのお母様と使用人だけ。ヤムーには外の見張りをやらせ、イムーには毎日、ご馳走を作ってもらう。アオイは毎日、お姉さまとの閉ざされた時間を過ごす。そうして、二人がお婆ちゃんになるまでずーっと、ずーっと、アオイとお姉さまの幸せな生活を続けるんだ。だから…」
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