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オリジナルの中世ファンタジー小説
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「おはようございます、お嬢様」
シルクのカーテンが開かれ、眩しい太陽の光が、夢の国のような装いをした部屋に満ち溢れていく。
アオイ・トーゲン・ヴァルナパレは眼を開けた。豪奢な真鍮のベッドに横たえた小さき体を持ち上げる。
執事が、いつものように、モーニングティーを用意して、そこに立っていた。
「本日の朝食は、ホーチドサーモンとミントサラダをご用意いたしました。付け合せは、トースト、スコーンとカンパーニュが焼けておりますが、どれになさいますか?」
「ん……ふゎ、……スコーン」
その執事、女性。

アオイは今日も、学内の誰よりも贅沢な衣装に身を包み、男装の女執事が運転する馬車に乗って、魔術大学へと登校した。
今日の午前中の講義は『魔術体系概論』である。
たくさんの魔術師の卵、もしくは魔術学を修めんとする学生達が賢者である教授の話に耳を傾けている。
「……え~~。したがって、古くより定着していた四大属性の分類法において、今回の発見と開発は、既成の体型を大きく揺るがす、革命的事件となったのです。もちろん、四大属性とは…?」
「はいっ!それは火、水、天と地、であります」
「または風と土です!」
元気の良い生徒達が挙手をして発表するのを傍目に、アオイはブスっと不機嫌な顔を作っていた。
また、あいつの話…。
お姉さまにまとわりつく、忌まわしき蛙野郎…。
タイジが先日魔術大学の学者達の面前で披露した魔術、パープルヘイズは、今や一躍大事件となり、学内にその新魔術の噂を知らないものはいないほどまでになった。どこへ行ってもその話題で持ちきりだ。
「そう。もちろん、少数派ながら、万物を五つに分ける一派もいる。こちらは火、水、土、金…さぁ、後の一つはなんだろうか?」
「風だ!」
「違うよ、緑だよ!大自然の…」
「いえ、風を含む、木です」
朝から元気な学生達は、次々に発表をする。
「そうですな。火、水、土、ここまでは一緒だが、金と木を入れ、風の魔術を木に入れるという考え方だ。とはいえ、金は金属で、それは土から産まれいづるもの…土と金は一緒くたではないかという見方が、今では優勢になってしまっているがな」壮年の教授は教壇を行ったりきたりしつつ「問題は、どちらの分類にも、今回の新しい要素は含まれていなかった。すなわち!雷ッ!……雨雲と共にやってきて、大地に鉄槌を下す、あの輝ける紫の火花だよ。これを、どこに含ませるべきか…あるいは、これは新たなエレメンツ足りえるか?どう思います?」
教授はおもむろに生徒に振り、熱心な学生達は各々の意見を言い合う。
「う~ん、稲妻は炎に似てる気がするな」
「いやいや、雨雲と共にやって来るんだ。水の仲間といえよう」
「だがよ、俺っちの田舎で雷が落っこちた時は、木の小屋なんかボーボーに燃えちまったべ。こりゃ、やっぱり火の分類でよくないこれ?よくなくない?よくなくなくなくなくなくない?」
「黙れ、この田舎モノ!ろくに歌を歌おうとせず異人の猿真似ばかり!いいか、雷は風と火のあいのこだ。精霊学ではそのように見做しているッ!」
「何を~?そんなふうになんでも既成のものに納めようとするのが、そもそも間違ってるんだ!やはり新しい概念だろう!」
「そうだ!今までに無いものだ。四大属性にとっては新たな五つ目の属性!もちろん五分類には六つ目の…」
アオイは喧騒が耳をくすぐる度に、苛立ちを募らせていた。あんな厄病男の為に、魔術アカデミーの偉大な学術体系が左右されるなんて、一番それが間違っている!
まったく……なんでみんな、あんな取るに足らない子供だましに、そんなに躍起になっているんだろう?
「ふ~む、やはり、新しい体系の編みなおしが必要かの…今、我々学者達の中でも、かの新魔術についての意見が交錯している。誰しもが初めて眼にするものだったからな。それに…もう一つの件もある…即ち、彼が披露した二番目の魔術…これも新魔術となってしまった。いや、噂にはあったのだ。ただ、あの光は、他者を攻撃するものではなかった。そう、回復の術。ほんとに、驚くべきことの連続だ、ここにきて、我々が長い間培ってきた学問の体系が、きしんできている。これは、一体どうすべきか、是非、君たち学生の意見も取り入れてみたいと、私たちは思っているんだよ」
「はい」アオイは静かに手を挙げた。熱く煮え立つ鍋に、冷水を垂らすかのように。
「おお、数多の水の寵愛を受けたる者、アオイよ。是非、君の意見を聞かせてくれ。件の少年が披露せし、新魔術、こはいかなる分類法によって扱うべきか?さきほど、雷を生む雨雲は、水から生まれるものという意見があった。水の属性に、そは近いのか、否か?」
アオイ・トーゲン・ヴァルナパレは席から立ち上がり、険しい顔で、厳しい声で、教室の皆に届くような冷徹な声で、述べた。
「新しい枠など必要ありません。いずれ、それは廃れて消えていくものです。皆さん、たった一つや二つの例外に、惑わされてはいけません。ましてや、あんな下賤で型破りで汚らわしい代物が、大いなる水の国に属すなどと、天地がひっくり返っても有り得ません」アオイはサファイアの瞳を見開き、念を押すように告げる「取るに足らない、不必要なものです」

「お、ね、え、さまァァァあ♪」
アオイにとって、一日で一番の幸せ時間。
それがお昼休み。もちろん、マナ・アンデンと共に昼食をとることが出来るからである。
何度でも云うが、アオイの挙動がとある世界の風紀委員と類似していたとしても、彼女が誰かの受け売りや影響を受けて、それを行っているということは断じてない。偶然の一致という悲劇はいつも残酷なものだ。先に考えついていたとしても、先に構想を練りそれを描いていたとしても、大いなる財力の隔たりだけで、迫害され、糾弾され、踏みにじられる。僅かな差で、今は負けるしかない時がある。それは耐え忍ばねばならない、苦渋と忍耐の期間ということ。つまり、彼女は本心と本能から、マナを慕い、崖っぷちのオリジナリティで愛のアプローチをしているだけなのである。
「アオイはアオイは、お姉さまと会える時間をこんなに楽しみにしてた日はなかったですよ!って言ってみたり」
「もうアオイちゃん、なんだかよくわかんない前フリと共に出てきて、自虐的なネタとかしないの」マナはポテトをほおばりながらアオイの髪をなでた。
「だって、今日はまた一つ、呪詛のネタが増えたんですのよ!聞いてください、お姉さま!また、あいつの話を、先生が講義のネタにしたんです。もう、アオイ、耐えられません!毎日毎日、どこにいても、あのカエル野郎の話ばっか!アオイとお姉さまの永遠の愛を引き裂こうとする、あの忌まわしきゲコタ…じゃなかった、なんでしたっけ?タイ…タイ…」
「あーはいはい、タイジっちね」マナはやれやれといった顔をした。
当の本人タイジは、すっかりご多忙らしく、アオイが言っているほど共にいる時間もなく、朝の登校時以外では魔術大学内で捕まえることはできないほどだ。
午前も午後も、幾つもの教室を梯子で渡り歩き、僅かな時間を見つけて図書館でマイレボリューションするタイジさん。
彼の偉大性をもっと多くの人に知ってもらおうと、マナが東南国の彼の宿で作られていた治療薬の件をリークしたら、今度は医学部からも求愛されてしまった。マナのせいでますますタイジの時間は切迫してしまったのだ。
試験も終わり、あとは卒業を控えるのみのマナの方が、よっぽどゆとりがある。
「ねぇねぇお姉さま。午後の予定はいかがです?もし良かったら、アオイといっしょに占術のレクチャーに行きません?今、公開授業をやっていて、あの有名な太陽の天女のお弟子さんらしい占い師が来てて、話題なんですよ!」
アオイは朝の授業態度とは打って変わって、楽しそうに弾む笑顔でマナに語りかける。
「太陽の般若?う~ん、ボクよくわかんないなー」マナは適当に興味無さそうな返答をする。
「だったら是非、占ってもらいましょうよ!開運してもらいましょ!そうです!お姉さまの最近の運気は、あの厄病蛙のせいで、一気に落ち込んでいるはずですから!このままじゃ厳冬を乗り切るのもままなりませんよ?ここらで新しい精霊石の一つでもゲットしておきませんと、破滅を迎えるだけですよ!」
「そうだね~、誰かボクを四六時中守ってくれる超イケメンの騎士でもゲットしておかないと……はっ!」
マナは話半分に返した言葉で、アオイの顔色が変わったのに気付いた「そんなの必要ありません…お姉さまは、このアオイが守ります」彼女の瞳が、深い海の、闇を宿した青を湛えている「汚らわしい、野蛮で愚昧なるケダモノたち…おぞましい邪気を放ち、冥界より来たりし死と破滅の悪霊どもを携え、清純なるものへの妬みゆえに、陵辱と姦通の欲望にまみれた闇の奴隷ども。それら負の領海に住む眷族たちから、その身を守ってさしあげられるのは、このアオイ一人だけ!他には何者も、必要ないのです!去れ!そして呪われよ、堕天した獣の慟哭!」
「うわ、ちゅうに……」マナは椅子から立ち上がってこちらを見下ろしている紫髪の少女を、たじたじになって見つめたが「あ、いや、ちゅうにくちゅうぜでも、別にいっか……じゃなくって、アオイちゃん、ありがとね、ボクもとっても嬉しいアルよ。アオイちゃんがいてくれると、ボクもとっても安心ですタイ」
「お姉さまぁ!」
アオイはまたも顔色を豹変させ、お昼時で周囲に学生の群がいるにも関わらず、マナの大きな胸元へと身を沈めるのであった。

だが結局、いっしょに占い師の講義を受けることはなかった。
例によってマナが適当な作り話を並べ上げ、アオイを煙に巻いたからである。
アオイはつまらなそうな顔をして、魔術大学正門で待つ、見慣れたトーゲン家の馬車前までやってきた。
「いかがなさいました、お嬢様。お加減が優れませんか?」
「なんでもない、ヤムー。今日は寄り道しないで、まっすぐ帰って頂戴」
「御意」
ヤムーと呼ばれた男装の女執事は、手際よく主の搭乗を介錯し、馬車のドアを閉め、御車台に移るとしなやかに鞭を振り上げ、馬を歩ませた。
アオイの家は中流貴族。一つの領を持つ大貴族ほどの力はない。
といっても、中流とはいえ、その総資産はアンデン家のような、市街地の集合住宅に住む小市民の比ではない。諸侯ではないにしろ、平凡な市民とはまるで住む世界が違うのである。
狭苦しい町から離れた位置に、巨大な敷地を有す。大きな庭園と大きな屋敷を構え、時にサロンを開いたり、時に王宮の要人を招いたりする。
そして貴族が何人もの使用人を抱えるという莫大な財力がその特徴の一つであるとすれば、その雇い人の中に必ず超人の存在があるのも、特徴であった。
短髪の麗人、肌理細やかにしなやかな作法、主人のために命を賭ける女、ヤムーもまた超人であり、アオイ自身がそうでありながら、大学の送迎中になんら異生物や野盗の心配をしなくていいのは、つまり彼女への信頼ゆえにであった。
年に数回は、その立派な馬車の佇まいを見て、或はヒトの血に飢えて、邪まな賊や怪物が襲来することもあったが、いずれも即座に執事のヤムーが対処した。鮮やかに、適確に、身の程をわきまえない野蛮で無知な相手を屠った。
アオイは馬車の中で、日進月歩の成長を続けているその魔術の腕を披露することもなく、悠々と行き帰りの退屈と戯れていればよかったのである。
安心はあった。しかし、アオイの心は晴れなかった。
あまり、家へは帰りたくなかった。

「お疲れ様でした」
ヤムーが馬車の扉を開けた。
「お帰りなさいませ、アオイお嬢様」
「お帰りなさいませ、アオイお嬢様」「お帰りなさいませ、アオイお嬢様」
屋敷に入れば、たくさんの使用人たちが彼女を迎える。
掃除は行き届き、炎を点じた燭台はいずれも金の輝きを放つ。高い天井と上質な獣の皮をふんだんに使用した絨毯。壁には著名な芸術家の作品を飾り、階段の前には彫像が立つ。
だけど、今日もアオイの両親はいない。
仕事とか、付き合いとか、旅行中とか、色んな理由をつけて、彼女の両親は娘の帰宅を出迎えようとはしなかった。
アオイは泥の川に足をはめたような重たい歩みで、自分の部屋へと下がっていった。
「アオイが、ウチの家の財産を自由に出来るようになったら、すぐにでもお姉さまの為に、大邸宅を作るんだ…」扉の鍵を閉め、上着を脱ぎ、ふかふかのベッドに倒れこむ。「こんな家なんか潰して、もっとアオイプロデュース、お姉さまとの愛の館を、誰も入ってこれない、永遠の離宮を、作り上げるんだ。アンデン家にはトーゲン家の資産の半分を分け与え、アオイはお姉さまといっしょに、ずーっと、ずーっと、お屋敷の中で暮らすんだ。誰にも会わせない、誰にも見つからない、お屋敷にいていいのは、お姉さまのお母様と使用人だけ。ヤムーには外の見張りをやらせ、イムーには毎日、ご馳走を作ってもらう。アオイは毎日、お姉さまとの閉ざされた時間を過ごす。そうして、二人がお婆ちゃんになるまでずーっと、ずーっと、アオイとお姉さまの幸せな生活を続けるんだ。だから…」
アオイはベッドに身を沈め、荒んだ心のままに、呼び寄せた。
小さな光が、部屋を漂い、やがて虚ろな瞳をした小柄な少女のもとへと、吸い寄せられていった。
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タイジはマナの母が作ってくれたお弁当、ハムとレタスのサンドパンを片手に、図書室で文献を読み漁っていた。
ついさっきまで、魔術の実戦使用を研究する一団の前で、雷の秘儀を教示してきたばかり。もう、お昼の時間はとっくに過ぎてしまっている。
この後、夕方からは医学部の研究室へ行かなければならない。あの実家の宿屋の名産品が、どうやらとんでもない注目を集めてしまったらしい。僕のホワイトライトと合わせ、回復技術の研究をする人々から是非にと、お声がかかってしまった。
責任はマナにある。
あいつが勝手に、あの薬のことを話したから……またも、僕の自由な時間が減ってしまったじゃないか!
だから、せめて医学部の方へ行く前に、少しでも『自分の研究』を進めておきたい。

「おお、タイジくん」
ところが、食事をする暇すら惜しいタイジに、話しかけてきた人物がいた。
「あ…」
「どうだね?研究の程は…進んだかい?」
ヤーマ博士である。
あの、暗黒の地下道手前の見張り小屋に、ふらりと現れて即席の講義を披露し、またふらりと姿を消した、朴訥とした中年教授。
「私もね、あの時、君の魔術実験を見ていたんだよ。驚いたよ、君があんな魔術を使えたなんて…」
「いえ、あの技はヤーマ先生と会った後に、ダンジョン内でいきなし使えるようになったんです」
「ほほ。そうか」
本当にこの人は驚いたんだろうか。相変わらずの簡素な感想。
「あ!そうだ…あの、あの時の虎はどうなったか…知りませんか?」
雷撃呪文パープルヘイズを食らわせて瀕死の状態にし、更に治癒呪文ホワイトライトでその傷を塞いだ、何の罪もなかった一匹の虎。
「…」
しかし、ヤーマは上の空でタイジの問いに知らん振りをしていた。
「あ、あの、虎なんですけど、どうなったのか知りません?」
この手の人が、会話の中途で突然離脱してしまうことは良くあることだけど、敢えてタイジは再び尋ねた。
「へあ?ああ、あのトラね。死んでたよ」まるで、調理場の樽に貯蔵しておいた野菜が腐っていたよと言わんばかりに「腹を食いちぎられたみたいに、切り裂かれて」
「え!?どうして?」虎の傷は直したはず「誰かがやったんですか?」
「恐らく、ハコザ君じゃないかな」
「ハコザ…」
「虎の腹は人の手で破られたように、穴が空いていた。ハコザ君には気をつけたまえよ。彼は野生のハゲタカよりも獰猛だ。虎の腹を手刀で切り裂くぐらい彼には訳無い。せっかく一命を取り留めた実験体は、哀れにも口から血反吐を垂らして腐りかけていたよ。あの虎の飼育は私んとこの管轄でもあったしね。ハコザ君は君の魔術を目の当たりにして八つ当たりでもしたくなったのか、それとも虎の腹に何か用事でもあったのか、さっぱり分からんが、私は疲れた虎を優しく裏地の柔らかい土の下に移しておいたんだよ」
「腹の中に、用事?」ハコザは虎の腹を掻っ捌いて「中に誰もいませんよ」とか、一人でやっていたのだろうか?
「人間は随分と偉くなったもんだ。虎の命をまるで木彫りの玩具をそうするように、自由に、思う様扱っている。私はやはり、思うのだよ。人間ばかりが、他の生物の命を意のままに扱って良いのだろうか。それは善悪の問題を言っているのではない。私には善悪なんて、興味ないからね。そうではなく、こういう風に他の生物を征圧的に陵辱しているが、実は、その人間も何かもう一段階上の存在に支配されいるんじゃないか、とね」
「ま、まぁ」
「とかく、わからんことだらけだよ、この世界は」
ヤーマ博士は少し芝居がかってそう言うと、一人で幕を閉めて立ち去る。



月日は流れていく。
ある日、マナの母親が朝食の折に、中央国が東南国との国交を封鎖したよ、と号外を広げながら食卓に差し出した。
そこには『魔術大学の学生を騙し討ちにした卑劣な冷血女王』と掲げられていた。
暗黒の地下道での事件は、今やすっかり噂になり、曖昧な事実には感情的な脚色が施され、いつの間にか歪んだ風聞は王宮の中枢部にまで知れ渡り、宰相の口車に乗せられた若き中央国王子は、一方的に東南国との国交断絶を宣言した。
今や、中央国中が被害妄想に駆られていた。
一方、事件の渦中にあった本人達はというと、タイジはしばらく魔術大学からは離れられず、サキィは中央国での新ビジネスを軌道に乗せていたし、マナは間違った事実の伝播に憤然としてはいたが、これといって行動を起こそうとは思わなかった。
「魚が食えないのは、ちょっと辛いけどな」とは猫族亜人サキィの言。
東南国との国交封鎖のせいで、山国には海の幸が届かなくなっていた。中央国の食料自給率は高くない。国土の豊かな東南国とのケンカは、自国の首を締め上げる一方だ。
「あ~あ、本当に国際問題になっちゃった」マナはあの日、東南国の王宮で女王陛下と話した言葉を思い出した。
「でも、東南国がやったなんて、考えられないよ」タイジには未だに事件の黒幕を探ろうという意志がある。
一体誰が……
マナの仲間を殺し、そして、七人を変えたのか!



「魔術アカデミー…」タイジは誰にも聞こえない声で、開いた本の隙間に言い聞かせるように「ここにはまだ、僕たちが知らなければならない秘密が隠されている…」一人、今日も巨大な大学図書館の片隅で。
新魔術は既に正規のものとして登録が済まされた。
後はタイジの指南した通りに訓練し、修得者が生まれれば良いが、どちらも難航しているらしく、パープルヘイズホワイトライトも、未だ会得できた者は登場しなかった。
とまれ一息ついたかに思われたタイジに、今度は医療機関からの本格的なオファーがかかった。まだまだ、落ち着いて自分の勉強をする時間は持てないようである。
そこへ…

「あなたとお姉さまの相性は最悪です!」
机にしがみついて一心不乱に本を読み耽っていたタイジの横から、突然、アオイが現れて言った。
「え?なんか言った?」こいつ、いつの間に?
「アオイ、心配になって本で調べたんです。こないだ聞いた誕生日を占星術で占ってみると、あなたは世界中の人を不幸に陥れる運命を背負ってしまっています。仮に、もしそれが暗喩的な意味に過ぎないとしたら、少なくともあなたは、お姉様に災厄を与える宿命になっています。非常に危険です。今すぐ国に帰られて、生まれた家の自分の部屋に鍵をかけて、どこにも出ずに、じっとしていた方が良いんです」
タイジは怒りを通り越して、呆れ果てていた。
アオイは、今日は紫の髪に黒と白のカチューシャをし、お揃いのフリフリしたドレスを着込んでいる。
どうして、こういう妄想少女は占いとか、そういった信憑性のカケラもないようなものを、頭ごなしに信じ込んでしまうんだろうか。
彼女たちは、そのファニーな妄念に浸ることで幸せを感じているんだから、勝手にしろという話だが、こうして自分の幼稚な妄想癖を、他人にまで押し付けてこないでもらいたい。
タイジは各地で信仰されている各種精霊を、大して有り難いとは思っていなかった。
毎年決まった季節に、精霊を讃えたお祭があったり、祭壇に行って日常の幸せを祈る人達、何か悲しいことや嬉しいことがあると、すぐに何某の精霊様の思し召しと舞い上がる風潮、それをどこか斜に見ていた。
「あー、そうですか、ご忠告をどうもありがとうね、アオイ先生」誕生日なんて、教えるんじゃなかった。
「いーえいえ、これもお姉さまの為を思ってです」アオイはツンとして「それで、何か分かったんですか?」
「なんかって…そりゃ、色々分かったことはあるさ」
「ふーん」アオイは机に広げられたタイジの書物を眺め渡した。「何が分かったのか、アオイに言ってくださいよ。聞いてあげないこともないんです」
タイジはアオイを追っ払おうとも思ったが、折角だからと書き溜めていたノートを広げ「そもそも超人の定義。超人は普通の人間以上の身体能力を持つ。そして人体を傷つけられても、ある程度の睡眠、もしくは食事などをとることで、体を回復させることが出来る。睡眠の量や食事の量が、普通の人間より過度に多いということは無い。この原理は異生物も大体同じらしいが、異生物は捕食をしないっぽい。これは少々曖昧で、異生物が野鹿の死骸を貪り食っていたという報告はあるにはあるらしい。だが、異生物が同じ異生物を捕食するという事例はないらしい。超人も異生物も、肉体的にはかなりタフだが、決定的なダメージを受けて命が尽きると、体は蒸発してしまうように跡形もなく無くなってしまう。超人になるきっかけはまちまちで、特定の条件というものはないようだ。よくある例としては、その人の人生に大きく関わるような事件に出くわした際の、感情の昂ぶりによるものというのが代表的だが、他にも難病からの復活や、生まれついての超人という例もあるらしい。逆に、超人になりたいと願ったところで、なれるものでもないようだ。そういや」とタイジは話を切って、アオイの顔を見やり「アオイはどうやって、超人になったの?」
「はい?そんなの、決まってるじゃないですか」
「何さ」
するとアオイは目を閉じて、両手を頬っぺたに合わせ、うっとりした表情をしながら「お姉さまの愛です」
「あ、そ」聞くんじゃなかった。「もう、良いかな」もう面倒臭くなってきた。
アオイはタイジのノートを指差して「まだ残ってるじゃないですか」
タイジは溜め息を一つついてから「超人と異生物は共通して、普通の人間や生物には無いある物質を持っている。それを超級成分と呼んでいる。超級成分は、血液中に含まれていて、体内のあちこちにあるらしい。超人が並の人間では到底出来ないような能力を発揮する時に、どうも体中のその超級成分が分泌しているらしい」
「じゃ、その超級成分の成分はなんなんですか?」アオイが横槍を入れた。
「そんなの知らないよ!んで、超人は魔術剣を用いた剣術、弓を用いた弓術、 素手による体術などを使用できる。それらの使用には共通して精神力、俗にいうEPを消費する。EPの保有量は個人差があり、人によってまちまちだが、EPが無くなったからといって立っていられなくなるということはないらしい。そしてそれらは体力と同じく、睡眠などで回復する。その回復の作用にも超級成分が働くらしい」
「なぁんだ、たったそれだけですか?」アオイは見下すように言った。「そんなの、大学の入学試験に出てくるレヴェルですよぉ」それはアオイの意地悪である。
「うるさいなー、もう!」
タイジはアオイを振り払った。
例の如く忽然と姿を消すアオイ。
タイジはアオイが行ってからもう一度、自分のノートを見つめた。
残念なことに、超人が異生物に生まれ変わることの証拠はまだ突き止められていない。
僕の予想だと、超人と異生物の体内に共通して存在するその超級成分が、キーになってる気がする。なんらかの方法で?異生物の?体内に?送り込ませる??
窓の外には夜の帳が降りていた。最近陽の落ちる時間がどんどん早くなってきている。秋から冬に向っている。
おっと、遅れてしまった。
今日は僕を中心にして結成された、超級医薬品開発研究チームの初日じゃないか。
それもまた、迷惑な話だけど…

ある日の晩。
連日盛況の旅の護衛勤務を終え、四日ぶりに陽が沈んで間もない時刻に、マナの家へと帰還したサキィ。
ユナ・アンデンの温かいご馳走を三人の若人が囲んでの食卓で。
「そういやさ、こないだ」サキィはカリカリに揚げたパンを南瓜のポタージュに浸しながら「ちょっと意外なことがあった。タイジ、お前の勉強の足しになるかはわかんないけど」
サキィはヒゲをピクリと動かし、相手の興味を引こうとしている。
「なんだい、サキィ?」
「うん。実は、隣のガヴィアル領に行った時、ある貴族の嬢さんから依頼を受けたんだ……もぐもぐ」スープを垂らしたパンを頬張りながら「それがいつもとちょっと変わっていて……なんでも、その貴族のお嬢様は、ある殿方と恋仲にあったらしい」
「まぁ」マナが無意味に反応する。「いいわねぇ~~」
二人は取り合わず「よくある話だが、その相手は、まあ貴族のお嬢様が関わっちゃいけない類の野郎だったらしい。だったって、過去形なのは、つまりその男はもうこの世にいないわけ。いや、いないと決まったわけじゃなかったんだな、その時は…」サキィはまたパンをちぎり、それをポタージュに浸す「つまるところ、二人は禁じられた仲であり、平凡な貴族の嬢さんの相手ってのは、超人だったんだ」
貴族のお嬢様と聞いて、自然とアオイのことを思い浮かべていたタイジだったが「超人…」意外そうにサキィの話に集中しようとする。
「超人で、しかも宝探し…尋宝?とかいったかな?とにかく、俺らみたいな、バケモン相手に派手に合戦繰り広げるタマじゃなくて、コソコソと、あっちこっちにある遺跡とか洞窟とかに潜って、墓荒しみたいなことをしている奴だったみたいなんだ」
「遺跡か…」タイジは、自身が超人へと覚醒した因縁の地、暗黒の地下道を思い出した。あんな恐ろしい洞穴が、まだいっぱいあるっていうのか?
「で、そのケチな盗賊まがいの超人野郎は、ある洞窟…ダンジョンて云おうか…あるダンジョンの攻略に熱心になっていてな。その貴族の娘っ子に『昨日は地下三階まで踏破した。次はいよいよ地下四階に挑むんだ!』ってな具合に、ダンジョンから持ち帰った宝石や金銀細工なんかをプレゼントしながら、武勇伝を語っていたんだと」すると、サキィはお得意の芝居口調になって「『あなたが危険な目にあっているのは私には耐えられない。お願いだから、向う見ずな冒険なんかもうやめて』『何を言う!俺はこう見えても誇りある探検家だ。君にあの遺跡の一番の財宝をプレゼントするまで、冒険はやめないぞ』ってな具合で、とうとうその男は行っちまったんだ、ダンジョンの奥に……んで、戻らなかった」サキィは獣の指先ジェスチャーを巧みに、話し続ける「普通なら、あららら洞窟の奥で異生物にやられちまったんだな、合掌!ってなるところを、その恋人は『あの人の死体を見るまで、私はあの人が死んだなんて信じられない!』なんて、半狂乱になってクライアントの俺たちに訴えやがったんだ。『お願いです!あの人が足を踏み入れたという洞窟の四階まで行って、事実を確認してきてください!』って…困ったことに、二人の仲が禁断の恋だったかなんだかで、貴族様特有の社交界パワーを使ったり、王宮とかしかるべき列記とした機関には頼めないんだってさ。『もう、あなたたちしかいないんです!』って。貴族と墓荒らしじゃ身分に違いがありすぎる。娘さんの願いは公には出来ない類。だから俺たち新進気鋭の何でも屋に白羽の矢がたったわけだな」
「わお、ヤンデレだ」とマナ。
タイジは、きっとその貴族の娘は大粒の涙を流してサキィに頼んだんだろう、と予測がついた。
「でもよ、知っての通り、超人の死は肉体の消滅だろ?恋人が最後に洞窟に潜ったのは二日前だっていう。怪物にやられてのたれ死んだとしても、二日ならまだ遺体は残ってるはず…嬢さんはそう言うが、超人が死んだら体は消えちまうんだ、もう残ってないって、俺たち超人は説明したんだよ。だけど、だったら服だけでも良い、遺品だけでも持ち帰って欲しいってせがまれて…報酬も、目ん玉から心臓が飛び出すぐらいの大金をつきつけてきて」
「で、結局、行くことにしたんだ」
「そういうことだ。もはや俺たちはプロフェッショナルだ。そこまで頼まれて断ることも出来ない。遺体を持ち帰れたら報酬は土地一個買えるぐらい。遺品だけならその七割。で、もし生存してたら最初の倍の額だ。貴族様からここまでの言い値を出されたのは初めてだったからな、金に目がくらんだわけじゃないが、今、手の空いている超人の戦士たちを集め、俺はその遺跡…ダンジョンへと向ったんだ」
「それからそれから、どうなったの?」マナも葡萄酒をがぶ飲みしながら話の続きを聞きだそうとする。
「ルロイのことは話しただろ?頭に角のある、身のこなしの軽い奴だ。あいつは元々洞窟探検が趣味で…まぁつまり今回の依頼の目標人物と同類、ケチな遺跡荒らしだったわけで……それで、多少は知っていたようなんだ。その遺跡は、腕試しや財宝探しをしたがる超人たちの間じゃ、ちょっとは有名で、未だ謎に満ちた不落の迷宮で、つまりなかなかに用心の必要な場所だってこと。確かに洞窟には外よりいくらか手強い異生物がうようよしていた。東南国にあった試練の洞窟みたいにな」それは悪夢のファーストダンジョン、あの暗黒の地下道のこと「洞窟は凄かったな。何がって、もう、まず壁が尋常じゃねえ。ためしに俺の全力の剣でぶったたいてみたが、少しも綻びない。剣の方が刃こぼれしたんじゃないかってぐらいに、ガチガチに堅かった。一体、どういう鉱物で出来てんだろうな?何百年、何千年はそこにあっただろう、とんでもなく頑固で頑強な頑丈さで、天井や曲がり角なんかも、ありゃ絶対に自然に出来たもんなんかじゃない。明らかに人の知恵が混ざって作られた空間だった。故意に惑わすように入り組んでいたり、丁寧にしつらえた階段があったり……で、また異生物がちゃんちゃんと出てくるのよ、これが。まるであいつらの住処に御免下さい訪問したみたいな気分だったよ」
「へぇ~」洞窟の造りを調べる為に、わざわざ壁を剣でぶっ叩く奴もそうそういないだろうと、タイジは呆れながら「じゃあ、サキィも楽しかったろう」
「松明の火は暗かったけどな。気分は明るかったよ。死体探しなんてパッとしない仕事だったけど、スタンドバイミー気分でエキサイティングしてた。迷宮は広く、一つの階を踏破するのに、想像以上の時間がかかったな。あと、階段を一つ降りるごとに、異生物の種類がガラリとほとんど変わり、格段に強くなっていったんだ。あいつら縄張り意識ってのが強いからな……で、問題の四階に降り立った時、俺らは正直、焦ったね。天井に頭がつきそうなくらい、小山のように大きな牛みたいな怪物が出てきて…そいつの握った斧みたいな武具の一振りで、仲間の一人の腕が吹っ飛んじまったんだよ。スパァァァン!って」とサキィは、痛々しい話なのに、妙にひょうきんな仕草で言った。
「うげぇ…」タイジはその場に自分がいなくて心底良かったと思った。
「やられたのはルロイだ。あいつは、この国に来てからの俺の右腕的存在だったが、その右腕の右腕が吹っ飛んだわけだ。こりゃ本気でやらなきゃマズイ!って、俺は剣の柄を握る手に力を込め、一閃を放った。だが、その牛のバケモンときたら、俺の渾身の一撃を受けても、まだ平気な面して、今度は頭突きをくらわしてきた!」
「うわ!」
サキィはテーブルの上に片腕を伸ばし、それを勢いよく顔にぶつけるような仕草をして「ガーーーン!って、俺は吹っ飛ばされ、後方の壁に突き当たり、ほとんど意識を失いかけた。赤い血がダラダラと垂れてさ。だが、仲間の一人が機転を利かしてくれた。一人、魔術の心得があるやつがいて、例の戦争の時に魔術師団として活躍してたこともある退役軍人の男なんだが、そいつがマナが使うみたいななんとかっていう呪文を唱えたら、バケモンの攻撃が俄かに緩みだしてよ」
「あ、それはきっとレッドレインだ」マナは得意げに口を挟む。
「よく知らないが、俺が次に斬り掛かった時に受けた相手の反撃は、さっきほど強烈じゃなかった。それで一体の敵を全員でフルボッコ…とはいえないな。牛の異生物は怪力もそうだが、体力もかなりタフで、かなり苦戦して、やっと一体倒すことが出来たんだ。そりゃもう、全員ボロボロの傷だらけになって……で、これからどうしようか、進むべきか戻るべきか、ってなった時、松明の灯りを先の方に少し照らしたんだよ。そしたらさ、怪物をぶっ殺した少し先に、倒れている人の姿を見つけたのよ」
「お!」
「そう、その床に倒れていたのは、例の貴族の嬢さんの恋人、その人だった。身につけているものや格好の情報を聞いていたから間違いない。大方、さっきの巨大な異生物にでもやられたんだろう。俺はそいつに近づいた。超人である以上、死亡してるなら肉体は既に消えているはず。じゃあ、こいつは意識だけを失った状態で二日間もここで寝っ転がっていたのか…俺は倒れた男の腕を取り、脈を取った」サキィは己が左腕を掴み、脈をはかる風にして「だが、脈は無かった。心臓も止まっていた。死後硬直みたいなやつも…いや、体の硬さはそこまででも無かったかな?覚えとらん。つまり、一見すりゃ普通の人間なら死んでるも同然の状態だったわけだ。しかし、依頼主の言ったことが嘘じゃなければ、この男は超人のはず…しかも二日間経っているにも拘らず、ガイシャの体からは、致命傷をくらったとおぼしき外傷以外の、例えば腐食や獣による食い荒らしの後が見当たらない
タイジは考え込む風に「超人なのに、脈も無く、心臓も停止している。それなのに肉体が消えていない。あまつさえ、その遺体には腐敗もなくクリーン」
「うむ。とにかく、考えていてもしょうがないんで、とりあえず依頼どおり、この死体を運んじゃおうって、持ってきた布で、男の体を包んでいたんだ。そしたら……また!出やがった!さっきと同じ、牛のバケモンだ!しかもお供の、別のクソ化物もセットでついてきやがった!」
「ぬっふぇ!」マナは両手をほっぺにあてて驚愕の悲鳴を上げる。
「まだ傷の回復だって充分じゃない。だが、やっこさんは俺ら人間の姿を見て、闘志充分、殺気充分、残虐性充分!」
「異生物は人間の姿を見ると、ほとんど無条件で襲ってくるからな」日頃魔術アカデミーでの研究も顕著なタイジが、明白となっている彼らの生態を呟く。
「そう!そうだろ?『人間を見ると無条件で襲ってくる』一方的に!容赦なく!だが、そん時、おかしなことが起こった。そのバケモンは俺らには徹底的に猛攻を仕掛けてくるのに、布で包んで地面に倒れたままの男には目もくれなかったんだ」
「異生物は倒れたままの男を放置…」
サキィはここでパンを皿に戻し、背筋をピンと伸ばした姿勢を取り「タイジ、ここから先の話は、ちょっと恐ろしくなるぜ。お前は俺の話の続きを聞くことも出来るし、席を立って話を終わらせることも出来る」
迷宮に絡んだ話題の為か、往年の節回しで選択を迫られたタイジは「でも、そんなこと言われたら聞きたいに決まってるじゃないか」
「よし、じゃあ話そう。俺は不審に思ったんだ。牛のバケモンは床に倒れている野郎のことなんか、まるで気付いてない風だった。で、そのことに気を取られたのが災いしたか…油断しちまったんだな。腕を削ぎ飛ばされた鬼人のルロイが…鬼人のわりにはいまいち覇気に欠けるやつなんだが、俺への攻撃をかばおうとして、決定的な一撃をくらっちまった!クソ!やられた!」サキィはますます語気を鋭く「崩れゆく瞬間、ルロイは俺に言った。『逃げろサキィ、俺は仲間の為に死ねるなら本望なんだ』俺はすぐさま撤退を唱えた。非情だと言われても弁解はしない。だが、このまま戦い続ければ、間違いなく全滅する。お供の小さい敵は、攻撃の威力こそ牛野郎ほどじゃなかったが、ちょこまかと動き回り、剣が命中しないし、搦め手役なんだな、こっちの戦力を下げてくる……完全に劣勢とみて、俺らは意を決して逃走した。ルロイの意志を尊重しての決断だ。もう、その時にゃ拾い出した男の遺体のことなんか考えていられなかった。情けねぇ話だが、全員瀕死状態で、自分の命…いや、パーティそのものの存続、それを第一に考えての行動だったわけよ」
「あ~、わかるなぁ、その気持ち」同じようにダンジョン内で壊滅的状況に陥った経験のあるマナが共感の意を込めて言う。
「ルロイの亡骸を背に、俺たちは命からがら階段まで退避した。とにかく、今までのことから、異生物の頑固な縄張り意識ってやつを信頼するなら、あいつらはこの階段を昇ってくるようなことはない。よし、俺たちは再び三階に上がり、そこでやっと傷の手当てをし、持ってきた食料と酒を…ああ、あとタイジからもらっていた、あれは試供品で良いのか?」
「うん、まだ未完成だからね」
タイジは魔術大学で、医学部の人間と共に開発を進めている軟膏を、サキィに幾つか渡していた。
「あのビンの薬が一番の効果があった。俺たちは普段は、従来どおりの滋養食で道中の体力回復を推奨していたんだが、あの大きさなら荷物としてもかさばらないし、何より薬を傷口に塗ってすぐ効果が表れるのには感心した。まぁ、一気に使い切ってしまったがな」
「ああ、やっぱり回復の量は少なかったか」
「とにかく、持ち寄った荷物をひっくり返し、仲間の傷はおおかた回復出来た。だがどうする?油断があったとはいえ、ほぼ全快の状態からここまでの被害を受けたんだ。皆、それぞれ腕に自信があり、超人として生きてきた時間のプライドもある。だが、悔しいが今の俺たちじゃこの迷宮の四階を突き進むには超人水準が足りないようだ。だから、仕方がない。せめて置き去りにしてしまった二人…二人とも生きてるのかわからんが、そいつらを回収し、地上へ戻ろう。ってことになった」今やタイジもマナも、食事の手を休めてサキィの話に聞き入っている。「俺たちは再び、恐る恐る階段を降りた。無駄な戦闘は避けるべきだ。どんなにプライドが傷ついても、無謀に戦いを挑んでくたばっちまったら、ただの馬鹿だ。そんなのは、とんでもない能無しだ。兵糧も使い果たした。最低限のことだけを行い、速やかに撤退をする。誰もがそれを肝に銘じ、慎重にクソッタレ四階フロアを進んだ。そして、さっき俺たちがいたところまで戻ってきたんだ…曲がり角。だが、そっから顔を出せば、またあの牛のバケモンの後姿が見えた。畜生!俺の頭が真っ先に考えたのは、さっき見捨てちまった仲間のルロイのことだった。きっともう、弐号機ばりに鳥葬されたかオヤシロサマのたたりで腹を裂かれて惨殺されたか、既に消滅しちまったか…あの時、無理をしていれば、大切な仲間の一人の命をみすみす奪われずに済んだのに!ああ、精霊よ、俺は何と罪深いことをしてしまったんだ!俺のせいで一人の超人の命が…!」
サキィは瞳をギュッとつぶり、両手を握って祈る仕草を取った。
と、思った刹那「だがな、次の瞬間、俺の目に飛び込んできたのは、牛野郎の足下に転がったままの二つの人体……角のある方のルロイはさっきの致命傷をくらって伸びきったまま、まだその状態でそこに転がっていた。そして依頼主の探し人も、全く変わらず…」
「それって…つまり」タイジは目を見開き「異生物は…」
気を失い、戦意を持ってない奴には襲い掛かってこない
「嘘だ!」マナは鉈を持つ少女のように大声で、椅子から飛び上がって「だって、ボクの仲間は洞窟で消滅しちゃったんだよ!異生物に殺されて…服だけになっていたんだよ!」
「そうだ。それも事実だ」サキィは男前の獣人顔をキリリとした表情で「だが、牛野郎が立ち去るのを待ってから回収した、布で包んだ依頼主の探し人と、腕の取れた俺たちの仲間は、異生物に食い荒らされたりもせず、あいつらに全く相手にされずに、転がったままの状態で、保たれていたんだ。あいつらはこの二人を完全にスルーしてた」
「でも…だって、ボクの仲間は…服だけに…」
「マナよ、思い出してくれ。確か、お前があの暗黒の地下道で全滅しかけた時、意識を失った二人を担いであの見張り小屋まで戻ったんだよな。その時、異生物は戦闘不能になった二人に襲い掛かってきたか?」
「そんなの…だって、ボクはもう一人と、逃げることで必死だったから……よく、覚えてないよ…」小声になりつつも、今度は眉をV字型にしながら「それに、異生物に襲われた人の話、聞いたことあるよ?その人は、一緒にいた人が獰猛な異生物に食われちゃったのを見たって!目の前で、バリムシャバリムシャって!」
「そいつは超人だったか?」
「え?いや、違う。超人じゃない、普通の街の人の話だけど…」
タイジは黙り込んだまま、この二人の体験談から導き出される答えを探していた。
異生物は、気を失い、戦闘が出来なくなった超人を襲わない?
超人だから襲わない?
肉体が消滅する前……仮死?
仮死状態、つまり通常の人間における死の状態、肉体の消滅前の状態ならば、標的とされない!?
そんな都合の良い話は初耳だ。一般市民が、野山の異生物に襲われ、惨殺されているのを、小さい頃から知っていた。でも、それは、一般市民…非超人。致死的攻撃に耐え得ることの出来ない人間
しかし、だとしたら『異生物に襲われて』殺された、マナの仲間達はどうなる?そっちの説明がつかない。
超人である相手が死の一歩手前まで達すれば、異生物は攻撃…殺戮の意志を失う……だが、もし意志があれば…異生物に意思?意志?命令?命令させれば?異生物じゃないもの……????
「結局……俺たちは無事に迷宮を抜け出し、腕がもげて気を失っていた亜人のルロイは、依頼主の恋人と一緒に、超人医院というとこに預けてある」
「超人医院?」とマナ。
「以前、マナの姉ちゃんを送っていった時に知ったんだ。彼女が住んでいるミドゥーの都の側、メルヴェイユ地方の森の中にあるんだが…古い、巨大な白い建物でな。普通の病院とは別に、超人専門の医療機関があるとかなんとか…タイジは知ってるだろ?」
「ああ、行ったことはまだないけど。そこから大学に出張に来ている人が何人かいる」
超人専門の医療研究をする機関…それが超人医院。タイジの所属する研究チームの構成員の殆どが、そこの人員である。
「そこでなら、もしかしたら二人が息を吹き返すかもしれないって、まあ淡い期待だけどな。それでも充分だって、依頼主の嬢さんは恋人の姿を見て、わんわん泣いて、さんざん俺らに感謝した挙句、当初の額よりも更に一桁多い報酬をくれちゃったわけよ」
そこでサキィは、テーブルの上にポンと、一枚の上質な羊皮紙の小切手を置いた。
タイジとマナは小切手を覗き込むように見た。そこに書いてある額を数えた。
!?
「え?」
「サキィくん……これって…」
「ああ、報酬は仲間で均等分けが俺のルールだが、俺は何せ最高責任者だ。俺はこの巨額の富をアンデン家に奉納することも出来るし、ここを出て家を一軒建てることも出来る。だがな、この金はまだ使わないことにしているんだよ。何故なら…」
「あんたたちったら、あたしの料理も食べないで何やってんの!」そこへ湯気の立つ鶏の丸焼き肉を、大きな鉄板に乗っけて登場したマナの母が「ちょっと、開けなさいって。ああ、重い。よっこらしょっと!」
「あ!」
「わ!」
「あら、あたしったら、うっかり鉄板をそのまま机の上に置いちゃった!てへ☆テーブルが焦げちゃったわ」
鶏の丸焼きがジュージューと音を立てる、灼熱の鉄板の下敷きになった、目ん玉から心臓どころか、臓器が根こそぎフリークアウトしそうな金額が記載された小切手の運命を、三人は唖然として眺めていた。
「どうしたの?食べないの?じゃあ、あたしからもらっちゃうわよ。あ~お腹すいた~」
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