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オリジナルの中世ファンタジー小説
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「起きなさい、起きなさい」
剣と魔法の物語。
しばしばそれはこの主人公を眠りから呼び覚ます母の声から始まる。それが王道であるという以上に、作品の出発点は、つまるところ眠っているものを呼び覚ますという行為から始まるものである。
「起きなさい、いつまで寝ているの?」
その世界では人々が暮らす町や村などの集落の周りを、得体の知れぬ怪物達が日夜跋扈していた。それらは通常の生物とは異なる生物という意味で「異生物」と呼称されていた。
「起きなさいってば!もう!」
異生物。
それは人々にとっては脅威の象徴。
異生物たちは人間の居住区のぐるりを取り囲むようにして生息していた。それはさながら動物園の檻と檻の中で見世物にされている動物を思い出させる構図であった。
異生物は無防備な人間どもを襲い、激しく傷つけ、無情にも命を奪う。
だが同時にまた、人間の中にはそれら異生物と闘う「超人」の存在があった。
「ほら!いいかげん起きて手伝ったらどうなんだい!?」
超人。
それは異生物と戦う者。人間を超えた人間。世界を股にかけて活躍をする戦闘のプロフェッショナル。外見は常人とさして変わらないものの、各々人智を越えた能力を有している。
「タイジ!!」
「う…るっさい…なぁ」
タイジと呼ばれた少年は顔をすっぽり覆うように深く被った敷布の中から小さく声を出した。
「タイジ!いいかげんにしなさいよ。お兄ちゃんもお姉ちゃんも、もう皆働きに出てるのよ?それなのにあんたときたら!いったいいつまでそうやってダラダラしてるつもりなんだい?あんたにゃ恥ってもんがないのかい?」
激しくまくし立てる母親の剣幕にも「恥なんて気にしてちゃ立派なやつにはなれないね」ともそもそと答えるタイジ。
「あたしが恥なんだよ。あんたの母親のあたしがね!そして、恐れ多くも偉大なる女王陛下からありがたいありがたい認可を頂いて営業しているこの城下町一の宿屋にとってね!」
「偉大なる女王陛下?あんなおばさんの何が偉大なんだか…」
その冒涜を聞いて母親はさすがに堪忍袋の尾を切らし、タイジのシーツを容赦無い腕力で引っ張り、彼をベッドから床に勢いよく叩き落した。
「滅多なこと言うもんじゃないよ!このろくでなしのゴクツブシ!あんたなんかお城の牢獄の掃除係にでもなっちまえばいいんだい!ドラ息子!」
しかしタイジは床に背中を強打して落下したにも関わらず、その動作は変わらずのんびりしていた。「ゴメンだよ、母さん。僕は囚人のケツ拭きなんかするつもりはないね」
「誰がお前のケツを拭いてやってると思ってんだい!そんなら、顔を洗って服を着替えて、そしたら店の掃除がたっぷり待ってるから、早く下に降りて来るんだよ!」と言い残してタイジの母は彼の部屋を出て行った。
タイジは観念して今日一日をベッドの中ではなく、立って歩いて生活することにした。
ああ、なんと情けない有様か。
ボサボサの寝癖と目ヤニのついた寝惚け顔はまるでのっそりとしたカエルのよう。部屋を去っていった母親の金切り声が頭の中で残響している。しかもこんな光景が殆ど毎日続いていたのである。
「ガミガミうるさいんだよ、まったくもう」タイジは一人きりの部屋で不平を言う。
そう、少年の名はタイジ。
広大な領土を誇る東南王国。その現君主である女王陛下がおわす城下町、サボウルツ市でも殊に古い歴史と格式のある宿の息子。五人兄弟の末っ子にして一家の問題児。
高い学費を払って入学させた町の高等学校をたった一年で退学し、定職にも就かず、生家の宿がこのように忙しい時にも関わらず昼過ぎまで惰眠を貪る不甲斐ない少年なのであった。
「ゆっくりしてたって良いじゃないか」
タイジは自分の凡庸さをわきまえていた。ちょっと金持ちの家に生まれたってだけで、周囲の人間から妬まれたり特別扱いされたりしたけど、自分には人に誇れるような長所もないし、賞状や勲章を獲得したためしもなければ、友達だってほとんどいない。勉強は出来ないくせにすぐ退屈だと感じて投げ出しちゃうし、運動神経も人並みでケンカも弱い。
ましてや自分は超人なんかじゃない。でもそれを悲観したこともなかった。潔い諦念。
「ねっむー」
タイジは大きな欠伸を一つして廊下に出て洗面所に行き、服を脱いで鏡の前に立った。両生類みたいな愛嬌のある顔。中肉中背。引き締まっているともたるんでいるともいえない己が肉体を見つめる。母親以外の女性が手を触れたことのない無垢な白紙の肉体。
だが、そこに唯一凡庸を揺るがすものがあった。
左の脇腹に、ペンキをぶちまけられたかのように残っている奇妙な紫色のアザを確認する。
まるで火傷の痕のようにそのアザはタイジの上半身を汚していた。鏡を見ながらタイジはそのアザを手でさすってみる。
「やっぱり、消えてないか。痛みもないけど…」
しかし、そこには小さな熱があった。アザは手をさするとかすかに識別できるほど些細ではあるが、確実な熱を伴っている。
タイジはかめの水を手ですくって寝癖で乱れた髪を梳かした。黒い髪は癖も無く、細くも太くも無く、少しも手は掛からなかったが、だったら無くてもいいやというくらい、凡庸そのものであった。

「相変わらずお寝坊さんだな」
勤勉な長兄がのろのろと従業員通用口を歩いてきたタイジに言った。「今日は、わざわざうちに予約までしてる団体さんのご到着なんだぞ?そんな日ぐらい、まじめに朝から働いたらどうだ」
また小言か、とタイジは胸の内で舌打ったが「なんだっけ?隣の国の…中央国の」
「そう。中央皇国の魔術研究機関の方々だ」と、兄は抱えた果実の籠を重たそうに持ち替えながら「といっても、今日のご一行はずいぶん若々しいみたいだぞ?確かお前と同じくらいかちょっと上くらいって聞いていたな。それが護衛の超人も付けずにご旅行中なのだと。明日、王宮に挨拶に向かわれて、二三日はうちの宿にご滞在」
「ふーん」タイジには大して関心が湧かなかった。
魔術。その概念はまだこの世界にとって真新しいものなのであった。
そもそも、タイジの暮らす世界が、いわゆる「剣と魔法の世界」へと変貌を遂げてから、まだ数十年しか経過していなかった。当然、魔術という不可思議な分野もまだまだ僅かな体系化と研究しか為されていない未知の領域なのであった。
「お隣の国は古くから学問や科学の研究に熱心だったろ。魔術って、得体の知れないもんにも真っ先に食いついたんだ。うちの国なんか、比べたらさっぱりだよ。もっとも、王国には世界最強の軍隊が控えている。超人兵もずいぶん増えたって噂だ」兄はタイジに説明を施す。「ただ、騎士団の中でも、魔術とかに関しては、完全に隣国に頼りっぱなしって噂だ。それだけ、かの国では研究が進んでるんだと。なんせ、今では魔術を教える学校までできているらしいからな」
「学校?」タイジは自分が逃げ出した学校のことを思い出して嫌な気分になった。
「おっと、学校つっても誰でも入れるわけではないらしいぜ。エリート中のエリート。中等科や高等科の成績をオール満点で通過し、厳しい試験に受かったほんの一握りの選ばれた者しか、魔術学校にはいけないらしい」
「はぁ」そうなのか。ご苦労さんだこと。
「今日、泊まりに来るのは、その魔術学校…魔術大学って言ったかな、たしか?とにかくその大学の記念すべき第一期卒業予定生たちらしい」
タイジはすっかり他人事といった顔で聞いていた。どうせ、この兄も最後は「お前も彼らを見習って、ちゃんと仕事に精を出せ」とか言うんだろう、と踏んでいた。
「お前も彼らを見習って、超人にでもなったらどうだ?」
「はぁ?」
なんだって?
僕が超人に?
「ははは!冗談だよ。お前なんかが街の外にいる異生物たちと戦えるわけないもんな!せいぜい歳の近いエリートさんを見て、そのだらけ切った生活に渇でも入れてみろ」と、長兄はタイジのケツを足でポンと蹴って行ってしまった。
お前だって、結局はうちの雑用係じゃないかよ!偉そうなこと言うな。

宿屋の運営はタイジの家族と他に田舎から出稼ぎに来ている小間使い達で切盛りされていた。タイジの父はタイジが生まれて間もなくに失踪してしまっていた。噂では郊外で異生物に襲われたのではないかとされている。
そしてタイジの四人の姉と兄のうち、三人はこの宿で働いていた。
ただ一人、次兄のセイジ兄さんだけは、家を離れていた。兄弟の中でただ一人、寡黙で冷たい目をした兄。
幼い頃から近寄りがたかった彼は、高等科の途中から料理屋で働き、やがてその腕を見込まれて王宮の調理場に仕えるようになった。
次兄は既に高等学校時代から宿舎で暮らしていて、同じ兄弟なのに全くの他人のような距離感があった。
当時から滅多に実家に顔を出さず、王宮に入ってからは完全に疎遠となっていた。タイジはもはや最後にいつ彼と話をしたか、思い出すことが出来ないでいた。
そもそも今も王宮にいるかどうかも疑わしい。

末っ子タイジは母に命ぜられたとおり、地上三階建て、木造築五十年、生家でもあるアリガタイ宿屋の隅から隅までの掃除をこなしていた。今日はその団体客を除けばわりあい閑散としていた。
「こんな宿屋」とタイジは掃除をしながら何度も思う。「こんな宿屋、潰れちまえばいいんだ。お墨付きとか言って変に国から汚い援助金とかもらってるくせに…」
しかし、かといってタイジは次兄のように家を出て行こうとは思わなかったし、ぬるま湯にはいつまでも浸かっていたいと願う、無気力で何も出来ない少年だった。
黒ずんだモップを持って帳場の前を通りかかった時、母親の書いたメモの羊皮紙が床に落ちているのに気付き、それを拾ってテーブルの上に戻した。
中央国立魔術大学魔術学部第一魔術学科魔術師学専攻卒業見込み第一期生様御一行、代表マナ・アンデン。そこにはそう書かれていた。
「マナ…アンデン?」
タイジはその文字を見て一瞬たじろいだ。
後頭部に稲妻が落ちた感覚。マナという名に覚えがあったからだ。「まさか、ね」
タイジは遠い昔を思い出していた。マナ…確かに良くある名前だ。けど、もしかしたら…「違うだろ」そうだ、あいつのファミリーネームはアンデンなんてのじゃなかった筈だ。変な奴だったけど、魔術師だなんて妖しいもんじゃなかったし、超人ですら無かったんだ。それに第一、あの勉強嫌いがエリートしか入れないような大層な大学にいるわけないもんな。どうせ、魔術師なんて陰気で根暗なひ弱ばっかりさ。女々しい男に内気な女、魔術師なんてどうせそんなもんだろうさ。マナはそんな大人しい女なんかじゃない。もうずっと会ってないけど…
だが、帳場を後にしてからも動悸だけは小さく尾を引いていた。懐かしい中等科の頃を思い出して。元気にしてるのかな、マナ。一体、今、どこで何をやってるんだ。あいつは、突然いなくなった。マナ…もう、どれぐらい会っていない?
そうだ、あいつがいなくなってから、何もかもが灰色になっちゃったんだ。あの夏に唐突に消えて、僕は高等学校を卒業する気力さえ無くなった。

陽が沈みかけて、雑巾で磨いた窓ガラスから見える外の景色が薄暗いベールに包まれ始めた頃、玄関ロビーの方から騒がしい声が聞こえてきた。
「ようこそ!ようこそ!お越しいただきまして、ありがとうございます!皆様のご到着を心よりお待ち申し上げていました」
ちょっとお偉いさんがやって来るとすぐこれだ、とタイジは母が客に対していつも用いるへつらいの態度にイライラしながら階段を降りていった。
「まあまあ、皆さん、遠いところを…。当宿屋が万全のサービスで皆さんを御もてなし致しますので、何かあったら遠慮なく何でも申し付けてくださいね」
兄達が連中の大きな荷物をさっそく抱えて部屋に運ぼうとしている姿が目に入った。
「それにしても皆さん、ずいぶんお若いのですね。さぞやお疲れでしょう。食事はもうすぐですが、湯の準備も出来ていますので…」
「あ!」
隣国の魔術大学の卒業予定生らしい一団の先頭に立った、髪の短い女がこちらに指を指していた。
「見ーつけた!タイジだ」
「ま…さか」
もう会うことはないと思っていたタイジは戦慄していた。
たった今、階段を従業員にあるまじき重たい足取りで降りようとしてきた自分に対し、鋭く指を突き刺しているその女。
旅人用の頑丈なマントを羽織っているにも関わらず、服の隙間から自分を誘惑する無邪気な色気を匂わせている魅惑の少女。
そうした想いがまた悔しくもあり、だからこそ二度と会うまいと思っていたタイジの初恋の女。
「タイジ!タイジ!タイジだよねー?」と、にこにこと意地悪げな笑みを浮かべながらてくてくと階段を上ってくる。こっちに近づいてくる!
「マ、マナ。どうして、お前が?」タイジはその場に貼り付けになっていた。階下にいる母親や彼女の仲間達のことなど全く見えてはいなかった。
「あははー、タイジったら、ボクに会ったからって、もう緊張してるんだね」
そう、このマナというタイジの背丈よりもちょっと低めで、黒髪のようにも、緑がかっているようにも見える艶々とした髪と、猫科動物の如き幼さの残る顔立ちを持った少女は、自分のことをボクと呼び、タイジの無垢で淡い感情を知っていながら、いつもそれを弄ぶのであった。


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