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オリジナルの中世ファンタジー小説
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アザのことはタイジも本当に分からなかった。
つい数週間前のことである。
その夜は普段にも増して暑さが厳しく、まるで夏の終わりに乗じて大気の精霊が、最後の大暴れと溜め込んだ熱気を一気に放出してやろうと云わんばかりの熱帯夜で、寝苦しく、また眠りに落ちてからも寝汗が止まらなかった。
何か穏やかならぬ夢を見ていた気がする。夢の中で、久しく会っていない誰かが現れ、そいつに追いかけられて逃げ回っていた気がする。
自分の手には一本の小さなナイフが握られている。だが、とてもそんなもので太刀打ちできるような相手じゃない。逃げることしか出来ない。振り返りもせずに…
やがて、
袋小路に追い込まれ、そいつは拳を振り上げた。そいつの拳は太陽のように眩しく輝いていて、それは生死を決定する恐るべき威厳の力であった。
拳の光は次第に焼き鏝のようなものになって、
脇腹にそれが当たった。皮膚を熱く、焼た。
タイジは水でも被ったかのような汗にまみれて、真夜中に目を覚ました。
翌朝、親友でもあり、学校を辞めてからもしばしば顔を合わしているただ一人の男に、その悪夢を語った。
「タイジ、夢なんて見るのか?お前らしいな。俺は夢なんて見ないぜ。俺らしいだろ?」
五つ年の離れたその親友は獣人であった。
猫族との亜人であるその友は人間には無い長いヒゲを持ち上げながら笑った。
「なんかさ、腹を焼かれたような気がしたんだよね」
「へー」友人は何気なくタイジのシャツをめくってみた。「わ!なんだ?このアザ!」
「え?」
タイジはその時、初めて自分の体の異変に気付いた。
「き、気付かなかった」別に痛くはなかったし、感覚の変化も無かった。ただ、触ると小さな熱だけがあった。
タイジは瞬間、紫の煙の如き模様の中に次兄の面影を見た。
あの、夢の中で襲ってきたあいつ…それはもう何年も顔を合わしていない兄、セイジに違いない。


マナを除く魔術大学生一行が夕方に一斉に帰ってき、食堂で夕食をとった後は、昨晩のような馬鹿騒ぎは繰り返さず、三々五々散会し各々静かに部屋で時を過ごしていた。
「どうした?マナ。今日はどんちゃん騒ぎは無しか?」
廊下ですれ違えば、ついついタイジは話しかけてしまっていた。タイジは同行の、マナが「みんなカレシ」と呼んだ連中とはつとめてコミュニケーションを拒絶していたが。
「女の子には色々あるのよ。それと予定を繰り上げて明日、例の場所へ行くことにしたんだ」
「例の場所って…あの暗黒の地下道へか?」
暗黒の地下道
それはタイジの国の領土内において、一般の市民は決して立ち入ってはならないと禁じられている北方山脈地帯の一角。荒涼とした岩場に口を開けた、深い深い暗闇の洞窟。
城下町の郊外から馬で一刻弱のその辺りには、何度も立てては破壊された柵と「立入禁止」の立て札の数々。
「あんなとこ行って、もし帰ってこれなかったら、どうするつもりだよ」
マナはタイジの厚ぼったい唇を見つめて「安心しなよ。ボクらの宿泊代はうちの国の予算で払うんだから、踏み倒したりはしないよ」
「じゃなくって、もし怪物どもにやられちまったらどうすんの、ってこと」
「その時は」と、マナはまるで恋人がそうするようにタイジの腕を優しくギュッと掴んで「お別れだよね。タイジとは会えなくなるよね」
タイジはまたいつもの思わせぶりだと感じ、自分の腕を掴むマナの柔らかく真っ白な手を解いてやろうかと思ったが、自分を真っ直ぐに見ているマナの目線を、病的ともいえる加速度で愛しくなり「マナ、死なないでくれよ」と真顔になって言った。
「大丈夫だって!タイジは知らないだろうけど、百年に一度の天才といわれた天才まじゅちゅし…ま、魔術師マナちゃんがそう簡単にやられるもんかい」
マナはいつもの明るいポーズをとってタイジの気遣いに応えようとした。
「あ!っていうかさ、お前、いつの間にそんなものになってたんだ?そもそも大学って…」
「あん?あー、それはね、中央国に移民した時に『あなたはまじゅちゅしの才能がありますねー』なんて役人さんに言われて、それでテストしたら今すぐにって魔術アカデミーに入れられて、そんであっという間に上級生を追い抜いて卒業試験てわけさ!スゴイだろ!」
「信じられない話だ」
タイジはマナの勝ち誇った顔を見て我が耳を疑った。
彼の知る限りでは、彼女はただの男好きの恋愛中毒少女でしか無かった筈だ。


かくして、翌日マナ達魔術大学の学生一行は大きな荷物を宿に残し、戦地に向う為に必要な最小限の道具だけを携帯し、それぞれ馬に跨って獰猛な怪物達が蠢く魔の区域へと出発した。
「心配か?」
タイジの姉の一人が物憂げに一団を見送っていた彼に対し聞いた。
「あんたがいくら心配したって、あんたはマナちゃん達みたいな特別な人間じゃないんだし」と母が続ける。「あの子達が無事、試練を終えてまたうちに戻ってくるのを祈ろうじゃないか」
タイジは二人の会話を他所に、マナとの思い出を反芻していた。
マナが行ってしまう。
最悪の場合もう二度と会えなくなるかもしれない。
かつて、自分の兄と付き合っていることを知っていながら、一緒に過ごしていた、マナといた日々。兄に宛てたマナの手紙を手渡すといって引き受け、黙ってその内容を読んでは苦い絶望を味わっていただらしない青春の日々。あの頃はあいつに魔術だとかなんだとか、妙な力なんてものは無く、ただその女としての魔力にやられ、街の公園や川原で肩を並べて座っては、髪の色が変化していく様を横からただ見ていた。
もし、マナが異生物どもに殺されるような事態になったら、これが最後の別れになってしまう。そうは云っても正しく母が言った通り、今の自分ではどうすることも出来ない。少なくともタイジはそう信じていた。何も出来ない己の無力さに歯痒くなるばかりだった。
タイジは誰の眼にもはっきりとわかるくらい、茫然自失とした魂の抜けた顔でその日一日を過ごした。側にいれば、会いたくないと逃げ出してしまうくせに、いざ離れていってしまうと途端に募る想いで胸が激しく締め付けられる。

そして夜は一段と彼の心を蝕んだ。
もう夏も終わりかけ、幾分過ごしやすくはなってきた季節にも関わらず、浅い眠りと断片的な悪夢によって何度も自室の布団の中で寝ては起き、寝ては起きを繰り返していた。
たとえ虫の音とひんやりした夜風が窓の外に満たされていたとしても、タイジの部屋にだけはそれは届かない。少年は苦しみに彩られた睡眠に激しく苛まれていた。
いつか獣人である例の親友と森に狩に出かけた時に襲ってきた三つ目の猿の群を思い出し、その猿に似た異生物に襲われるマナの幻を見ては、これが夢であれと願うばかりで何も出来ずにわめき叫んでいる自分だけがいる。
あるいは暗い洞窟で灯りを無くし、深い地底に閉じ込められてしまったマナが一人、ずっと助けを呼び続けている、タイジの描く悪夢のレパートリーは尽きることを知らなかった。
コツン!
しかし。
タイジを執拗な夢の猛襲から救い出したのは、他でもないマナ本人であった。あるいは、それは別の悪夢の始まりでもあったのかもしれない。
「タイ…ジ。起きて。た、助けて…」
寝台の側の窓の外に、マナの姿があった。
タイジは窓を開ける。月明かりが差し込む。
そこにいたのは顔の右半分を血で染めた満身創痍のマナの姿であった。
「な!何があったんだ?どうしたんだ、マナ?」
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