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オリジナルの中世ファンタジー小説
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タイジの自室は宿の従業員用区画の最奥、一階部分にあった。
今、窓の向こうには、疲弊した馬の姿が見え、そして血にまみれたマナがいる。
「タイジ、お願い、だから…。黙って、静かにボクの話を聞いてくれる?」
マナは開けた窓越しにタイジの手をとって話し始める。
タイジは流血によってか、馳せてここにやってきた為か、苦しそうな面持ちのマナが語り出す事柄を真剣に聞く姿勢を取る。
「結論から言うと、ボクたちは、あの洞窟で全滅したの。ボクの仲間の四人は洞窟内で…四人は、死んだ。そして、残りは今、地下道までの道にある見張り小屋に傷を負ったまま寝かしてあるの」
秋の虫の鳴く声が開けた窓から室内に入ってきた。
タイジは仲間の死を打ち明けた時のマナの、悲壮に満ちた硝子の如き表情を強く記憶した。
擦り傷を負っている彼女の手は彼の手と繋がれているが、それが今はただの愛情の戯れといった類の行為ではなく、誰かに手を繋いでいてもらわないとその身が維持できないでバラバラに千切れ去ってしまいそうな状態であることが、タイジには段々と分かってきた。
「仲間が死んだ?」
あの、タイジがしきりに顔を合わせようとしなかったマナの仲間達。
マナと親しいことを快くは思えず、内心疎ましく思っていた魔術大学の生徒達。
「うん、みんな…殺され…た」と言ってマナは唇を噛んで涙を必死に堪えていた。肩が震え、月光に照らされた髪の色が黒と緑の狭間を行き来している。
「その見張り小屋なら知ってる。ここから半刻もあれば、馬で行けるとこだ」
タイジが何か言葉を言わなければと思って出たのがそれだった。
「うん、そう」とマナは破けた外套の袖で顔を拭い、タイジに赤い血に塗られたその愛らしい顔を向け「生き残った三人はとても馬になんか乗れる状態じゃなくて。で、そこなら大丈夫だろうと思って、寝かしてある」
八人の魔術学生のうち、半数は死亡し、残りは重傷を負って倒れている。
すぐには実感の湧かない話だった。
だが、マナの顔を染めた赤い血が、それが偽りではないことを物語っていた。
「その…、言い訳をするつもりじゃないんだけど、ボクらを洞窟内で襲ったのが、ただの異生物じゃなくて、何か、こう組織された連中のようでもあって…ボクたちは完全に不意をつかれて…必死の応戦も…交戦も!抗戦も!光線も!」
「わかったよ、マナ。とにかくお前が無事で良かった。さ、早く…。とりあえず手当てしなくっちゃ。裏口を開けるから、そっから入ってこいよ」
「それがね」マナは、促がそうとするタイジの手を握り締めて「そうじゃなくて。タイジ、お願いだからボクのこれから言うことを、黙って聞いてくれる?」
「え?」
「タイジ、あんたは今から身支度をして、この窓から外に出て、それでボクと一緒に見張り小屋まで来て欲しいの。今すぐに!」
「な!」
タイジはさすがに面食らって「何を言ってるんだよ!意味わかんないよ、マナ。とりあえず、その傷を直して明日また出直すか、対策を練るとかさ、そういうことを考えるべきだろ!そうだ、お城に行って相談したり、超人を雇って小屋まで行って怪我人を…」
「ボクの立場は」とマナはタイジを遮って「全滅だなんて結果を本国に持ち帰ることは出来ない。なんとしてもこの試練を突破しなければならない。それにはタイジの力が必要なの。ワケは後で言うよ。とにかく、今すぐついてきて欲しい」
「日を改めろって!だ、だって、マナ、すごい怪我してるじゃないか!」
「明日になったら、ことが明るみになっちゃうでしょ?それじゃマズイんだよぉ」マナは傷だらけの顔でダダをこね始める。「ね!タイジ!今すぐ一緒に来て!」
「だから、意味がわかんないって言ってるんだよ!超人である魔術師がやられたんだぞ!僕なんかが行ったって役立たずなだけだよ!」
「そんなこと言わないで!もう、タイジしか頼れる人いないの」
「だからお門違いだって言ってるんだよ。凡人の僕に何が出来るんだよ」
タイジは己の不甲斐なさに憤りながらマナの申し出を拒んだ。
「ねぇ、タイジ」とマナはタイジの手を、今度は両手で握り「ボクはこのまま後には引けないの。それは絶対。今すぐリベンジするしか道は無いの。それともタイジはボクのことなんかどうでもいいの?このままボクがまた洞窟に行って、それで殺されちゃったり、試練を放棄してホウホウノテイでとんぼ返りして、中央のお役人さんに面子を潰されたと牢屋に入れられたり、拷問されたり、ギロチンに掛けられたり…」
「そそそ、そんなこといったって、第一、僕が言ったって同じ結果になっちゃうだけじゃないか!」
超人でもあり魔術のスペシャリストでもある魔術師学生が七人もやられたんだ。そんなところへただの人間が、しかも特別運動が得意なわけでも、戦略に長けているわけでもない自分が行って、何の意味があるって言うんだ?
「そりゃ…友…達だし、マナの役には立ちたいと思うよ。でも超人でも魔術師でも無い僕に何が出来るって言うんだよ」
「タイジは超人だもん」
試すような、勇気を奮い立たせるような、自分を見つめる雄々しい二つの眼があった。
「なんだって?」
「タイジは、超人なの。んんん、正確にはもう少しで超人になるの。ボクは知っている」
マナはタイジの手を握る手に力を込めた。
突然の告白に頭が真っ白になるタイジ。
「そのアザ。それは大きな力が解放されるという印。解放されて超人へと生まれ変わる証」
タイジは思わず自分の脇腹に視線を移した。紫のアザはそうだと答えんばかりに、微熱を高めていっているようだ。
「ちょ、ちょっと待て。ムチャクチャなこと言わないでくれよ。確かにさ、このアザがなんなのかわかんないけど…」言いながらタイジは愕然としてきた。
そう、僕はあの日。
悪い夢から目覚めて出来ていたこのアザが、一体何なのかさっぱり分からない。だけど、マナは知っているという。
超人
人間とは似て非なる者。
人間を超えた力を持つ人間。
それに、僕も、なる、だって?
「で、でも…少なくとも今の僕は超人になんかなった覚えはないし、何も特別な力なんて持っていないんだぞ」
「それはこれからだよ」マナが笑った。「そのアザはフラグみたいなもん」
「フ、フラグ?」
なんと難解な表現を使うんだ、こいつ…さすが大学生。
「そう、タイジはもう超人になるフラグが立ってるの!あと、必要なのはきっかけだけ!そして、そのきっかけはこれからボクについてくればきっと起こるっ!間違いないんだよ!」
マナは上気してけしかけた。タイジについて来て欲しい。その気持ちはまるで夏の陽射しのように明々とタイジに照射されていた。
「待て待て待て」
タイジは分からないことだらけで、うまい具合に丸め込まれていっている自分の立場を立て直そうと「ちゃんと、説明してくれよ。このアザは超人になるっていう予言みたいなものってこと?」
「もうーめんどくさいなー」マナはまた外套で傷口を拭いてから早口で「あのね、前にそれと同じアザを持った子が大学にいたの。その子は魔術研究学科だったんだけど年下のカワイイ女の子である時そのアザの力が解放されてドヴァーって感じでそれでその子はボクのことをとても大好きで魔術師に超人になって一攫千金の一石二鳥が…」
「マナ、落ち着け、何を言ってるか誰にも分からないぞ!」
タイジもマナのあたふたした動作を見て、強張らせていた顔を少し柔らかくしてしまった。
「もー!とにかく、ボクと一緒に来れば、タイジも超人になれるし、ボクも国に帰って晒し首にならなくて済むの!さぁ、もう決まりでしょ!?行こうよ!」
冒険の始まりはこうして、ある意味無理矢理とも云える強引さによってもたらされる。
それは物語の装置に過ぎないのか。
いや、違う。
誰にでもチャンスはあるのだ。
不可思議なアザだなんて、有り触れた小道具に過ぎないかもしれないが、つまりそれだけきっかけはなんでも良いのである。何故なら冒険を始めるきっかけは誰にだって与えられているし、どこにだって用意されている。
手は、いつも差し伸べられているのだ。たとえ見えなくても。
マナの笑顔が、タイジの心を惹きつけた。
こいつと、冒険に出掛ける。
どんな恐ろしいことが待ち受けてるかも分からない。
だけど、今のマナはきっとそんな理由で、僕を見逃してはくれないのだろう。
僕が超人になるって?
タイジは興奮するマナに誘発されてヒートアップ気味の頭を、目まぐるしく逡巡させて、今、この現状で出来る最良の選択を導き出そうとした。
超人…僕が超人になる…冒険…マナ…超人のマナ…マナの頼み…マナは友達だから…友達?…超人の…人助け…僕が、超人…マナの言葉…友達…?
ん…待てよ。
「わ、わかった、マナ、ついていってやる。お前が僕の知らないところで勝手に死なれるのは嫌だ」
タイジが珍しく男らしい台詞を吐いた理由は、だが別にあった。
そうだ、僕には一人、たった一人だけ、こういう時に頼れる友がいた。『お前が困った時はいつでも力んなるから、遠慮なく言えよ!』そう言って高等学校に、退学届けを仲良く揃って提出した親友がいる!留年を繰り返していた獣人のあいつは、超人だ。
「ホント?」
マナは血で染まった顔を、きらきらきらきら精一杯輝かして喜んだ。
「その代わり、手当てだけはしてくぞ。半刻もかからない。薬と包帯と応急手当。さ、中に入って」
「わ、え。あ…ありがと」
タイジは窓越しにマナを招き入れ、ベッドに腰掛けさせ、皆が寝静まった真夜中の宿内から救急箱と秘伝の軟膏薬を取ってきて、マナの傷の手当てを施した。
顔の血のりをお湯で絞った布でふき取り、肉付きの良い二の腕やふくらはぎに鋭く走る擦過傷を煎じた薬で消毒し、ガーゼを当てて包帯を巻いていく。その動作は自分でも不思議なくらい行き届いていて、頼もしいと感じられるものだった。マナと冒険に行くという、これからの期待と不安と大いなる予感に、タイジの中で何かが変わり始めていたのかもしれない。
「なんか、タイジって手際良いね。傷の手当てとか慣れてるの?こうしているとなんかボクたち恋人同士みたいやね」とマナは優しい声で言った。「タイジ、どさくさにまぎれて変なところとか触んないでよ」と思わずいつもの調子で言ってみる。
「ば、バカやろ!こんな時にふざけるな!」
マナの熟しきる寸前の果実のような体に触っていたのに、変な気分にならなかったタイジはその言葉で急に我に帰った。
「それと、一緒に行くって言ったのは」と包帯をハサミで切って「助っ人になってくれるかもしれない奴がいるからだ。一人、僕の知り合いで、協力してくれるかもしれないやつがいるから、今からそいつを呼びに言ってくる」
「へ?」今度はマナが驚く番。「そんな人いるの?男?ボクの知ってる人?こんな時間に…」
「大丈夫だ。気まぐれなやつだけど、いざって時は頼りになるやつなんだ」
「ほんとに力になってくれそう?その人?」
「この近くに住んでる。夜行性だし、呼べばすぐに駆けつけてくれる良いやつなんだ。これから呼びに行ってくるから、とりあえず大人しく待っててくれ。すぐ戻る」
タイジは立ち上がり「大丈夫。そいつは僕と違ってマナと同じ、れっきとした超人だよ」言い残して部屋を後にした。
この時、タイジの頭の中には幾らかの勝算があった。マナの強引な要請を引き受けたのも、うまくいくという可能性の自信が芽生えたからだ。それもこれも、これから援助を依頼しに行く獣人の親友の存在が為であった。それだけの信頼があったのだ。
「わわ、わかったよ、タイジたん。ボク、待ってるね。なるはやで帰ってきてね」
マナはタイジの唐突な頼もしさに半ば驚きながらも、部屋を抜け出ていく幼馴染の姿を優しく見送った。
大丈夫かな…
幼馴染の男の子の部屋で一人きりになると、そっとベッドに横たわった。瀕死の重傷を負いながら、ここまで馬を飛ばしてきた。さすがに、緊張の糸も切れ、今は押し留めていた疲労感が一気に襲い掛かってくる頃だ。少しぐらい、タイジの布団を使っても、文句はいわれないだろう。
「あ、いけない、いけない」すぐに出発するんだった!
マナは半身を起こし、ベッドに座ったまま瞳だけを閉じた。
ふと、タイジが塗ってくれた薬の香りが鼻に入った。今までにかいだことのない、新鮮な匂いだった。それは、どこか余所余所しいけれども落ち着く、優しい香りだった。






タイジ、ありがとうね。そして、ゴメンね。
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四半刻後。
タイジがひっそりと自室に戻ってくると、マナはベッドに腰掛けたままうたた寝をしていた。
「お待たせ」
静かに部屋の戸を閉めて、タイジは言った。
「それとも、やっぱり朝まで待ってからにした方が良いか?」
「あ、いや、ゴメン」とマナはすぐに目を覚まし「んんん、朝になるとおばさまや宿の人に見つかる。それじゃマズイから、さぁ。行こう」と素早く身を起こした。
少しの睡眠で、肉体はだいぶ楽になってきている。マナは傍らに置いた武具や道具袋をしっかり身に付け、再出発の姿勢を見せた。
「ん?あれ?
その頼れる助っ人君は?」
「交渉したら、武器を選んだり、装備を整えたりするから、後から直接見張り小屋に行くだと」
タイジは今しがた会ってきた、猫族の獣人であるからか真夜中でも機嫌一つ変えずにタイジを出迎え、手短に事情を話したらあっけなく了承し、その割には同行ではなく「任せろ!すぐに駆けつける」と意味深な気まぐれを見せた親友のことを想った。
「あいつは…ちょっと変わってるけど、何故だか僕の困ったときにはいつでも助けてくれる良い友達なんだ」
「見張り小屋に後から行くって、ホントに来てくれるのかな?」
「確かに変だけどな」とタイジもマナに続いて窓から抜け出し「でも、信じて大丈夫だ。嘘なんてつくやつじゃない。ちょっとばかしの準備が必要とか言ってたから」
「わかった」
マナは待機していた馬の手綱を引きながら「じゃあ、ボクも信じるよ」
「うん。きっとすぐに、来てくれるさ」僕の…ただ一人、この町で頼れる友人だから…
タイジ宿の馬小屋から大人しい一匹を連れてきた。調教が済んで間もないが、過不足無くよく働く若馬だ。
「…」
タイジは宿を離れる時、一度だけその大きな家屋を振り返った。何千もの夜をここで寝泊りしてきた、彼の生家。
東南国の王宮から特別の認可を下されている超人用の宿屋。
古めかしい造りの建物は、今も物言わずに、そこから旅立っていくタイジを黙って見下ろしている。
こんな家…嫌いだったんだ
ずっと、ここから抜け出してやりたいと思っていたんだ
だけど、そのきっかけ、理由が僕には見つからなかった。手に入らなかった。
でも…今は…
ぼんやりと、馬の背の上で背後を見つめたまま、離れていく忌まわしき実家を眺めている。
そう、この時のタイジには既に、もうここには帰ってこないだろうという、漠然とした予感が察知できていたのだ。
マナの不可解な申し出を引き受けた時点で、もう自分はここには戻ってはこないだろうという、漠然とした予感、
それが、タイジには備わっていた。
「タイジぃ~、どうしたの?」前方からマナの促がす声が聞こえる。「そんな後ろばっか見て…あ、忘れ物?」
「いや、違うよ」
タイジは前を向いた。しっかりと馬の手綱を握って。「忘れ物なんかないって」
「そんな名残惜しそうな顔しなくたって、万事うまくいけば、またここに戻ってくるんだから」
マナの言葉を、だがタイジは返さなかった。
ここには戻ってこない。きっと、戻ってこない。
それはタイジの信念ではなく、あくまで予感であった。
二人は真夜中に城下町を抜け出し、大いなる冒険へと旅立っていった。


夜を、走っていく。
ますはダンジョン手前の中継地点である見張り小屋に行き、負傷したマナの仲間三人の様子を窺う。そして、可能であれば、すぐにでもダンジョン攻略に再チャレンジする。
タイジは宿の調理場から、滋養のある肝や木の実といった食料を持って出かけた。
超人は僅かな食事でも、普通の人間の数倍の速度で体力と傷口を回復させることが出来る。
そこに睡眠が加われば、更に効果は倍増する。
助っ人を呼びに行っていた間にうたた寝をしていたマナの体は、塗り薬の効力もあってか傷口も塞がり、だいぶ軽くなっていた。
タイジは滅多には来ない郊外の、夜の草むらの中にその姿を覗かせている異形の生き物達、異生物を幾度も目視していた。
人間を襲い、命をも奪わんとしてくる忌むべき怪物たちの姿を目にして、全く恐れを抱かなかったといえば少々強がりになる。
しかし、それでも今はマナと共に旅立つ歓喜と期待、それに伴う勇気、決意、覚悟、それら感情の高ぶりが馬上の恐怖に打ち勝っていた。失っていた活力を取り戻した感じ。
また、マナと二人になれたんだ!駆け抜けていく二つの影を照らす月は物も言わずに、廻り始めた運命の車輪をただ見守っていた。今やマナもタイジも無言で馬を駆り、夜道を急いていた。


タイジの乗る馬は若かったが、乗り手のスキルに見合った走りをしてくれた。
さすがに、厩から一等の馬を拝借するわけにはいかなかった。
高等部時代に乗馬を習ったとはいえ、ここしばらくは御無沙汰だったので、出発当初にスピードを上げた時はさすがに手こずりもした。
マナが何も言わずに、ブランク空けのタイジが着いてこれる程度に、速度を落としてくれているのがわかる。

「見えてきた!」
肌着を吸い寄せる汗が夜風で心地よく冷される頃、マナが声を発した。
地下道の中途にある見張り小屋は、堅固に積まれた石の塀に囲まれた、レンガ作り、一階建て、長方形の建物であった。
「静かだ」
タイジも馬を降りながら言った。
「うん。きっと三人とも死んだように眠りこけてるんだ。死んでなきゃ良いけど…」とマナはタイジが馬の手綱を木に繋いでるのを待ちながら言い「でも、火を消してしまうのはいくらなんでもよくないよ」と呟きながらレンガ小屋の扉を開けた。
ギィィィィ
「うわ、真っ暗だ。ランプはわかる?」
タイジはマナの後ろで言った。
「ちょっと待って!」とマナは鋭く言った。
窓から差し込む月明かりが僅かに青白く照らしている部位以外、部屋の中は何も見えない。
空気が変わった。
鈍重な殺気!
その時、マナが魔術を使った。
タイジは見た。
聞き取れない、何らかの言葉を呟いた、己の半歩前に立つ少女の手から光が、炎が、紅蓮の炎がやって来て辺りを照らし、みるみる緑色へと変わっていく髪の毛の様。そして…
「うわああぁああぁ!!!」
マナの作り出した幻の炎に、明るく照らされた室内に立っていた三つの影!
どす黒い赤に染まった肉体!
ベトベトと、汚泥のように体から液を滴らせながら二本の足で床に立ち、目は禍々しく赤く光り、口元は溶け出しながら裂けている!異形の人間!異生物
「悲劇の怪人」が三匹、あらわれた!
タイジは腰を抜かしてしまった。
先程まで、馬で草原を疾走していたときに見受けた草むらに隠れた怪物達ならまだしも、安心と思って訪れた小屋でこの光景を目にしてしまっては「あ、あわわ、ぁぁぁ」膝が半身を支えることを放棄した。
「チクショウ!」
マナは大声を出して胸の前で作り出した炎を一層たぎらせ「こんなことってあるか!クソ!」
両手を高く上げて炎を最高潮に熱して、怪人に向かって発射させた!
炎は真っ直ぐにその化け物に向かって飛んでいき、見事命中!
「ギュギュズウジュウジュ」と人の形をした魔物は呻き声を上げながら、赤黒い体を炎上させた。
そして、煙のように跡形もなく消え去った。
殺したってことか?
もはやタイジは、あたかも幻を見ているような気分だった。
あんな不気味な異生物、町の外でも見たこと無い!
異生物って言ったって、精々大きくたって人間よりもちょっと小さい獣みたいなやつぐらいしか知らない。人の形を保てなくて崩れていくこんなバケモノ、見たことない!
それ以上に、マナが使っている魔術?
あれが魔術っていうものなのか?なんだ、これは?
彼は床にだらしなく尻餅を付きながら、自分の日常から久遠に離れた世界の光景を眺めている。
ここはどこだ?一体、これは何が起こっているんだ?
それに、マナの魔術で一時明るく照らされた部屋を見渡しても、負傷した魔術師の仲間は見当たらなかった。
代わりにいたのが、こいつら異生物!?
「シャアアアアァアア」
怪物の一体がガラスを引っかくような不快な雄叫びを上げ、ドロドロに溶けている腕を振りかぶってマナに向かって突進してきた!
マナはそれを横様にかわし、再び何かを呟いて手のひらで炎を作り上げる。
髪はグリーンそのものになっている。
あのマナのカバンに入っていた、父親の肖像画と等しく。
「レッドホットー!」
怒声を上げて、マナは襲い掛かる二人目の怪人に至近距離で炎を打ち当てた!
またしても悲劇の怪人は耳をつんざくような断末魔を上げて、蒸発するように消え去った。
だが、タイジが震える口で「後ろ!」と叫んだときには、もう既に三人目の怪人に頭部を締め付けられていた。
「きゃあああ」
マナは悲鳴を上げる。
目の前にはマナの二発目の幻炎を受けて燃え上がり崩れ落ちる魔物。
しかし背後から別の一体がマナの頭に裂けた顎で噛み付き、両腕で首を絞めつけてきている!
「ク、くそぉお、この」
タイジは焦燥していた!
今こそ立ち上がってマナを助けなければ!
それは分かっている。
しかし、完全に腰が抜けてしまっていて、膝がガクガク、立ち上がれない。
「ハアアァアア」と怪人は笑っているのか、妙な声を発してマナを締め上げる。
マナの炎の灯りは消えたが、感覚の膨張の所為か、薄闇にすっかり慣れた目で、マナが襲われている様子を、ただ見つめることしか出来ない!
いきなり戦闘になって、それで、いきなりピンチだなんて!そんなんないよ!どうすりゃ良いってんだよ!
バタ!!
その時、戦場である部屋に一筋の光が差した!
ドアが開いて、長い細い影が!
そいつは威丈高に名乗りを上げた。
「俺の名はデニス・サ・サキ・ピーター・ジュン!助けに来た!ぶっ殺してやる!」
タイジは見た。
いや、見ることしか出来なかった
数刻前に会話を交わした親友のサキィが、美しい猫人の長身と長髪を閃かせて戸口から走り寄り、背の鞘からスラリと長い一振りの剣を抜き、三人目の怪物がこちらに目を向けるよりも先に、大上段から一気に剣を振り下ろし、相手を真っ二つにしてしまったところを!
失神寸前のマナをたった数秒で救った、その天上の音楽のような優雅な一連の流れを!
「キャニュゥヒアアアアァァミィィイイイイ!!」
空気を切り裂くようなサキィの懸声。
三体目の悲劇の怪人中空で消滅すると共に美しい音楽は鳴り止んだ。
マナは背中に纏わりついていた怪物から解放されて床に倒れた。
若く美しい獣人の剣士は、月光を浴びて光を放つ刃を右手に持ちながら、こちらを向き「タイジ、大丈夫だったか?怪我は!?」と、何故か、たった今自らが助けた少女の方ではなく、友人タイジの身の安否を先に問うた。
「サキィ!ああ、サキィ、よかった。ホントに良かった」
タイジは涙ぐみそうになりながら、サキィという愛称を持つ頼もしき親友に言葉を返した。
一方。
「ゴホ、ゴホ」
マナは床に片手をついた状態で、喉を押さえながら咳き込み、そして「あ、ありがとう…ございます」と上を見上げて言った。
見上げれられてはじめて、長身のサキィはやっとマナに視線を向けた。
入口のドアが開け放たれているお陰で、双方の姿はよく確認できた。
「キャ!」
マナは思わず黄色い声を上げてしまった!
危機にあった自分を救ってくれた剣士の姿。
長い剣を右手に構え、反対の腕には頑丈そうな革の盾を握り、鎧は着用していないが、それを必要だとは思わせないほど立派な筋肉を、はだけた胸のシャツの合間から覗かせている。
獣人といえど、その姿は限りなく人間に近い。
猫族特有の長いヒゲが目立ったが、長い髪は豊かな群青色で、細身で高身長、目鼻も鋭く研ぎ澄まされ整っている理想の青年の姿。長く伸ばした濃い青の髪に隠れがちだが、その二つの耳は頭部にではなく、人間と同じ位置に、だが三角形に近い尖り方をしている。
マナは下からじっくりと剣士の姿を見上げていく。
今まで何人もの美男子を物色してきはしたが、この人は中でも格別だ。肉体に過不足が無い。いや、獣の血が混じったその不完全な肉体こそ、魅惑の要素に溢れている。
不完全の美学、融合の美学。それは美のイコンであった。タイジとは大違いの均整の取れた戦う男の肉体。彫刻家が創り上げた美術品のような身姿。加えて、そこに混ざっている猫科動物の血が、彼をより一層幻想的で、容易に手の届かない高みに押し上げていた。
「はぅ」
剣士の股の後ろに可愛らしい尻尾が揺らめいているのを発見し、思わず心がとろけそうになる。
獣人自体は、この世界でそうそう珍しいものではない。
犬族から鳥類、爬虫類、魚類に至るまで、基本は人間をベースにしながらも、獣の特性を有した亜人は多く存在する。
亜人には他にも眼球が三つある者、極端に背丈が低いが腕力のある者、信じられない巨体を誇る者など、様々な種類がいた。
その総てが漏れなく超人ということではなかったが、亜人が同時に超人でもあるケースは多かった。
マナは先程まで生きるか死ぬかの瀬戸際にいたというのに、彼女の性格からか、それともほぐれた緊張の弾みでか、サキィに対する感想をあまりに露骨に言ってしまった。
「か、かっくいい…」
するとサキィと呼ばれた男は「タイジよ…」と友人の方を再度振り返ってこう言った。
「誰?このブタ?」
「え…?」
あちゃー、とタイジは僅かに離れた位置から、二人の初対面を目の当たりにしていた。
マナはサキィのことを知らない。
サキィ、その男。
鍛冶屋の跡取り息子にして、孤高の美男子であり獣人、美と力を併せ持つ完璧超人、一時期彼に惚れない女は女ではないという言い回しが流行ったほどの男。
高等学校時代、校門に一体何人の女子学生達が彼の下校を待ち伏せしていたことか分からない。
しかし、それもあってかサキィは、女に関しては他に類を見ないほど条件に厳しく、また先述の通りに救い難いほど口も悪い。
留年を繰り返していたサキィの、それ以前のことは知らないが、知り合って以来、常に行動を共にしていたタイジが記憶する限り、まともに彼の相手が出来た女は一人もいなかったのではないかと思われる。
「は?」
マナはそれを知らない。
彼に対する、いたずらな彼の容姿等への褒め言葉は、逆に仇となって、評した筈の女を深く傷つける手痛いしっぺ返しになる。
「ちょ、ちょっと、、何?」
「ま、とにかく」サキィは盾を外し、テーブルの上に置いてあった布で長剣を拭い「タイジがケガ一つなくってホント、良かったぜ」背中の鞘にそれを収めた。
マナのことは眼中に無いようだ。
穏やかでないのは当然のマナ。
「ちょっと!ちょっと、いくらなんでも、いきなり何よ?」
マナはスッと立ち上がって、サキィに食って掛かった。
こうして並んでみると二人の身長差は、頭一個分以上もある。
マナは髪を緑にし、怒り顔を上向きに「あのさ!そりゃ確かにちょっとボクはポッチャリむちむちかもしれないけど、家畜と一緒にするのはやめてくれるかなぁ!?助けてもらっておきながらこんなん言うのはなんだけど!」
「なんだお前?女のくせに自分のことボクだなんて言ってるのか?」サキィはまるで相手にしない風に「やめたほうがいいぜ。気持ち悪いよ、お前」
「な、なんだよう!ボクのこと、ボクっていうのは、ボクのお父さんがボクが小さい頃ボクが男の子だったらって言ったからで、じゃあボク男の子になるよってふざけてボクって言い始めて!つまりボクの小さいときからの癖なんだよー」
「あ、あのさ、マナ」と、やっとタイジは二人の間に割って入ろうとする。
「そいつが、僕が呼んだ助っ人のサキィ」
その言葉はこれ以上ないほど、見事に空虚に響いた。
「えと、僕達より年上で…じゃなくて、確かに口が悪いのは、保障付きっていうか、ご覧の通りってか」
タイジの喋る言葉は全く的を得ない。「いや、ちょとサキィは気性が荒いだけで、もちろん本心でそんなこと、言ったつもりじゃ…」
「俺はいつだって本心だぜ」とサキィはタイジの心遣いを物ともせず「タイジ、言っとくが、俺はこういう女が一番大っ嫌いだ!」
「いや、あのさ、サキィ。でもいきなりそんなこと言うなよ」
すっかりタイジは参ってしまっている。
「は?は?」
マナはもはや怒りのピークに達してしまっている。
「ふざけないでくれる?ちょっと顔が良くって、スラーっとしてて、ネコちゃんでカワイくって、ロンゲが決まってるからって…じゃなくって!簡単に人を見抜いたようなさ、そんな言い草するなんて、あんまりじゃない?自信過剰なんじゃないのぁ?」と大声を上げてサキィに抗い「それに、タイジ!」と怒りの矛先を、何も出来ずにへたり込んでいたタイジの方にも万遍無く向け「あんたさ!ボクが必死んなって、死に物狂いで戦ってた時、何やってたの?何さ?なんもしないでボケーっと見てただけ?それでもあんた男なの!!?」
こうなるとタイジは何も言い返せない。
昔からマナが髪の毛を眩しいほどの真緑にしてプッツンしてる時、タイジは何も言い返すことが出来なかった。
「タイジ!一体、そんな隅っこの方で何やってたんだよ!あんたホントにアレ付いてんのかよ?オカマなんじゃねぇの?」
「おい、てめぇ、タイジを責めるなって」と、サキィはタイジに加勢し出す。
「こいつは超人でもなんでもねぇんだよ。バケモンとやりあうのは俺ら超人の仕事だ。タイジは悪くない!」
「違うもん!」とマナは頭をぶんぶんと振った。
短い髪が揺れる。
「タイジは…、違うもん!タイジ、良い?あんたは立派な超人なの!言ったじゃない!なんで、一緒に戦ってくれなかったの?ボク一人じゃ死んじゃってたかもしれないじゃない!みんなみたいに…」
「そんな言われても…」
だが。
マナは自分で口にした言葉の意味に気づき、徐々に続く声を小さくしていき、火口から溢れるマグマのような剣幕も見る見る静まらせ「みんな…」と次第に声を震わせながら「みんな、死んじゃった」
そう。
マナは、今までに起こった出来柄を反芻することで初めて事の事態を冷静に、一つ一つ狂いなく把握していったのだ。
散らばったままになっていた、目を覆いたくなるような現実を、噛み締めるように受け入れていく。
急速な激しい怒りが退き、代わりに深い深い井戸の底から湧き上がって来る漆黒の悲しみがマナを襲う。
「どうしよう」
そしてその瞳は、夏の夕立の如き速度で潤いを帯びていき「ど、どうしよう…みんな、死んじゃった」
「マ、ナ」とタイジはマナの感情の豹変に戸惑い、サキィは何も言わずに虚空を見つめている。
そうか、この部屋にさっきの怪物がいたってことは、残っていた三人の学生は既に…
マナは耐え切れなくなった。
無残な現実が、彼女を容赦なく強襲する。
「えええええええええんんん!!!」
マナは遂に両目から止め処なく涙を流しながら、盛大に泣き始めた。
「なんで!あう、う、うううう、なんでだよぅう!えええええんん、みんな、死んじゃったぁぁぁあ!」
マナが泣いている。
タイジはそれを見る。
マナが泣いている。事情は今ひとつ不明瞭だが、その愛らしい身を震わせながら声を限りに、嗚咽と、涙と、悲しみに打ちひしがれている。
タイジは彼女に対して何もしてやれなかった自分の不甲斐なさを、再び呪いだす。
呪いながら、それでもなお、マナに対して何をすれば良いのか分からず、戸惑ってばかりいた。
だが…
「お前のせいじゃない」
素早くマナの肩を抱いたのは、なんとサキィだった。
サキィがマナの肩を抱いている。先ほどの悪口の残滓を微塵も見せずに。
そしてタイジは即座に思い出した。
世の女性にとって、高嶺の更にいと高きにある花、雲上の貴公子サキィという男に有効な、たった一つの攻略法を。
サキィ様の前で泣け!
これが高等学校の女子学生たちによってまことしやかに囁かれた、極秘の裏情報だった。
「お前は何も悪くない。俺が、もう少し早く駆けつけてやれなかった、そのことを謝りたい。さぁ、もうお前を襲う怪物は俺がキレイにきっちり片付けた。今は気が済むまで泣けばいい」と、サキィは先程ブタ呼ばわりした女を、今度はまるで恋人のように両腕で背中を抱いて、頑強な胸板に彼女の熱っぽい頭部を触れさせ、最大限の優しさを以ってマナを包み込んでやっていた。
マナの涙で濡れた視界のすぐ側に、あの猫のような尖った耳が映っていた。
タイジはこの親友の、あまりに破天荒な様変わりを唖然として眺めていた。
彼は眺めてばかりいた。
マナはサキィの、堅実な安定と逞しさに満ちた大いなる父性の中で、失った仲間達の事を想い、涙を流しながら、しかしまるで見当違いの誤解をし始めていた。
嬉しい。やっぱりこの人、ボクのこと好きなんだ…
そんな幸せな誤解に安堵し、そのままサキィの腕の中で寝息を立て始めた。
少し年上の彼の体温は、マナに懐かしき恋人セイジのことを思いださせた。
「もしかしてタイジの言ってた、幼馴染の魔術師って、この女のことか?」
サキィは小テーブルにどこから取り出したのか、ウィスキーのビンを置いて「俺はてっきり男のこと言ってたのかと…」ちびりちびりと少しずつ酒瓶を整った口に運んでいく。
「あ、ごめん」
タイジはサキィの前ですら、マナのことがうまく話せなかったのだ。
「うん。その魔術師ってのは、そいつのことだよ。マナって名前で…、えと、僕が中等んときにいっしょだったんだ。それが、最近、突然うちの宿に泊まりにきて…いや、ほら、うちの宿って国の認可得ていてデッカイだろ、無意味にさ。マナはなんでも今は隣の国の魔術師学校のエリートらしいんだ」
「ふぅん」
サキィはタイジの顔に顕著に表れている、ある種の感情の高揚、動揺の様相を知ってか知らずか、まるで意に介そうとせずに「そういや、この女、さっきタイジのことを超人だなんて言ってたな。それ本当か?」
「知らないよ」
タイジは今はすやすやとかび臭いベッドで寝息を立てているマナに視線を移した。
その顔を見た。なんて美しいのだろう!
タイジは素直に感動してしまった。そこにいつもの子供っぽい突っ張りの片意地が入り込める余地など、全くなかった。
マナの寝顔の美しさには名状しがたい、七色の虹彩が宿っていた。その愛らしい丸顔は、時に何も知らない無垢な幼女のように弾け、時に気に入った男を我が物にするために媚びと誘惑の術を操り、時にタイジの恋心を奔放に弄び、だが時に魔術という人智を超えた奥義を放つ際には凄腕の剣士の如き険しさをまとい、そして時に深い悲しみと苦悩に直面して涙の海に溺れ落ちる。
ずっと、このマナが好きだったんだ。離れていても…
だけど、今また一緒にいても、結局、僕はこいつに遊ばれるだけ。
マナは僕の力が必要だと言った。
だけど、僕は何も出来なかった。
僕は何も出来ない。
好きな女に気持ちを打ち明けることも出来なければ、その女の為に命を賭けることも出来ない。
そうだ。
ヒロインの危機を救ったのは、明日のヒーローになる主人公ではなく、主人公の親友だった。
ヒロインの心は当然、不甲斐ない名ばかりの主人公ではなく、その友人に傾いた。
「超人でもなんでもないよ」
タイジは眠るマナから、そしてサキィからも視線を逸らせて俯きながら言った。
「僕はなんも出来ないよ」
マナの寝顔を見続けることが、耐え難い苦痛に変わっていた。
すぐ側にあるマナの寝床、光輝くその一角は、永久に手の届かない宇宙の果てのように感ぜられた。
マナの光彩に照らされることで、タイジは己の卑しさや無力さ、無能さを感じていくばかりであった。どうしてマナは僕なんかを連れてきたんだろう?
「でも、こいつはお前が超人だって言ってたぜ。タイジ。そりゃ確かに超人の数はそんなに多くない。俺だってある日突然超人になった時はビックリしたもんだ。親父とか周りの連中は俺の変化にすぐには気付かなかったし、俺がちょっとキレて店の壁を殴ったら、壁が吹っ飛んで店が潰れかかったりしたことや、酔っ払って馬をすっ飛ばしてたとき、落っこちて足をバッキバキにやっちまったのに一晩寝たらすっかり元通りなってたり。それで城に行って検査みたいのしたら『お前は超人だ。申請を出して王宮兵舎に出頭するように』なんて言われちって」
十代の前半は救いようのない悪ガキだったと打ち明ける、悪名高い獣人サキィと一緒に城下町を歩いていると、強面の不良達や町の悪人達が、すれ違いざまに丁寧に挨拶をしていくことがあった。
つまり、真症の悪だったサキィが、更に超人になって無敵の力を手に入れたとあっては、どんな単細胞な悪党でも自分の命は惜しいものだから、触らぬサキィに祟りなしと、決してご機嫌を損ねないようにと気を配っていたのである。
「確かに、一般人に比べて便利なこともあったよ。大怪我しても平気だしな。でも、だからって王宮の騎士になれっつう話には賛成出来なかったな。あんな縦社会は俺には無理だし、俺は気の向いたときだけ街の外に行って剣を振るうだけさ」
自由人サキィ。
こいつは学校の授業なんて殆ど寝てるかサボっているかだったし、夜になれば酒場に行って酒を山ほど飲んだり、そのまま馬で走り回ったり。その奔放な姿は本物のヒョウみたい。
サキィの上半身は人の肌をしているが、実は腹から下は丸い斑点の浮かぶ黄色い毛皮に覆われている。
「それで、じゃあタイジは自分が超人だなんて自覚はあるの?」
「ないよ、そんなもん」
でも自覚ってなんだろう?
マナみたいに、得体の知れない魔術を使ったり、サキィのように剣で異生物を一刀両断したり?
「多分…僕は普通の人間だよ。サキィにもアザがあったんだろ?それで超人になったんだろ?」
「アザ?そんなもんねぇよ」サキィはまたウィスキーをあおり「俺にはそんなもんはなかった。俺が超人になったのは…」だがそこで一瞬顔を強張らせ、そして話題を変えようと寝ている美少女を指して「そもそも、こいつはタイジのなんなの?ガールフレンド?」
「ちょ、ちょっとサキィ!変なこと言わないでくれよ。マナはただの幼馴染で!」タイジは急に慌てふためく。「別にそれだけだよ!それにこいつは、誰彼構わず気に入った男を口説いていく、どうしょうもない女なんだぜ!」
すると、その言葉を聞いて「ちょっと、変なこと大声で言わないでくれる?」毛布にうずくまったマナが目を開けて喋った。
「あ、マナ!」
タイジは疲れて眠っていたマナを、自分の声で起こしてしまったことを気に掛ける。
「ご、ごめん。サキィが変なこと言うから…。っていうか、マナ、きちんと言っておくけど、僕は超人でもなんでもないんだぞ」
「違うもん」
マナは掛け布団を口元まで持ち上げ、眉間に皺を寄せ、意地悪そうな眼をこちらに向け「タイジはせっかくの超人になるチャンスをみすみす棒にふったんだよ。怖気づいて尻餅なんかついちゃってさ。もし一緒に戦ってくれてたら、なんかの弾みで、超人になれたのかも知れなかったのに…言ったでしょ、そのアザは超人に生まれ変わる前触れだって。それをさ、見逃しちゃうなんてね。せっかくフラグが立ってたのにね!」
「おい、待て、そんなん言ったって、いきなりの異生物との戦闘はビビっちまうもんだぜ」
サキィがすかさずタイジの肩入れをした。
「お前も魔術師だとかって言ってたけど、俺が到着してたときには手も足も出ない状態だったじゃないか?」
「だって敵が強すぎたんだもん」
「な!なんだそりゃ…そもそも、なんでタイジや俺の力を借りることになったのか、その辺をまだ俺達は聞かされてないぜ!確か小屋にはお前の仲間が待機してるとかって聞いてたが、いたのは見たこと無い悪趣味な異生物だけだったじゃないか?話が違うぞ、クライアントさんよ」
サキィが問い詰めるとマナは「うん、わかったよ」とベッドから半身を起こし、毛布をまるで何かの安心を手に入れんとするかのように体にきつく巻きつけながら話し始めた。「ちゃんと話すよ」
タイジもサキィも、黙ってマナの言葉を待つ。

「昨日の朝、ボクたちはタイジの宿を出てからピクニックみたいな気分で洞窟まで行って…なんせ途中にいたちっちゃい異生物とかは、襲ってきてもまるで相手にならないくらいだったし。そりゃ若くても、魔術使える優秀な超人が八人もいたら当たり前だけどね」
「まあな。俺も暇な時にこっちの方まで来て、あいつら相手に剣の鍛錬をしたりしてる。この辺のやつらは、そりゃ、街の中に入ってきたらちょっとは一大事かもしれないけど、超人水準的にはまったくのザコで、難なくぶっ殺せる程の弱さだ。でもよ、あの暗黒の地下道の中にいるバケモンたちだって、ここいらに比べてそんなに強いってわけでもないだろ?」
「え?サキィ、あの洞窟に入ったことあるの?」
「ヒマな時にな。何しろ強くなりすぎて、町の外ぐらいじゃ物足りなくってな」
サキィは、もしかしたら下手な王宮騎士よりも強いのかもしれない。
「あれだろ、あの洞窟を、城の超人兵の採用試験だかなんだかに使ってんだろ。なんでも、洞窟の最下層部に妙な光だか、光線だかを放ってる水晶があって、そのプリズムの型が珍しいからって、タトゥーみたいに体にその印をつけて帰ってこれるか、肝試しみたいに使ってるんだろ。で、俺は兵士になる気なんてさらっさら無いから、その水晶の光はともかくとして、洞窟にいるバケモンがどんぐらいの強さか腕試ししたかったから、夜中に一人でテンション上がってたときに、こっそり洞窟内を探検してみたんだ」
サキィの口調はいつでも豪快で野性的だ。まるで巨大な出刃包丁で分厚い豚バラ肉をぶった切っていくかのように。覗かせている獣の牙がより勇ましさを装飾している。
「でもよ、中は意外と込み入ってて、結構深かったからあんまり探索してないけど…襲ってきたのは確かに、外の草原の奴らよりかはマシな強さだったけど、学生魔術師が全滅するような程でもなかったぜ」
「そう。そこなんだよ、サキィ君」
マナは指をピンと立てる仕草をし「ボク達も、最初は『大したことないじゃ~ん』って言ってたんだ。別に初歩的な魔術の一撃でもくらわせればあっけなく退治できちゃうし、ゲル…EP補給液も随分あったし、なんも問題はなかったの」
「EP補給液?何、EPって?」
タイジは専門用語に疑問を抱く。
「あー、魔術を使うために必要な燃料みたいなもんだよ。ほら、かまどの火を起こすのにも薪が必要でしょ?」とマナの説明。「でも、ホント、あの洞窟の異生物は大したことなかったんだよ」
「まぁな。苦戦するもんじゃないよな」
「うん。で、それで皆でわいわいお喋りしながら進んでたら、張り合いも無いし二手に別れて、目的地点まで競争しようって話になって、うまいこと四人ずつに別れて、ボクたち分かれ道で別々の方に進んだんだよね」
「つまり余裕しゃくしゃくってわけだったのね」と、そんな物騒なほら穴に潜ったことのないタイジは、簡潔に要点だけを確認した。
「うん。で、どれぐらい時間たってたのかなぁ?相変わらず暗がりから出てくるのは、原始的な石の武器を持った小人の異生物とか、もじゃもじゃした空飛ぶ変なやつとか、まぁとにかくボク達の敵じゃなかったんだよ。四人でふざけ合いながら歩いてて、暗がりだから何かしよっか?とかボクも言ったりして」
「そんな話は聞いてないって」
タイジはツッコミを丁寧に返し、サキィは無視を決め込んだ。
「そしたらさ、突然、洞窟全体に響き渡るんじゃないかっていう程の、叫び声が聞こえて…『ギャーーー!』って」とマナは再現するように急に奇声を発した。
「それで、ボク達、顔を見合わせて、こんな楽勝なとこで、あいつらきっとふざけてるんだろ、って言って、後の四人のこと、最初はそう思ったんだ。でもそう言ったとたんに、また悲鳴が聞こえて。魔術唱える声も聞こえてきたし。それでボク達、これは本当に何かあったんじゃないかって、声が聞こえた方に向かったわけ。で、結構あったのね、距離が。やっぱりイタズラだったんじゃないの?って皆が思い始めた辺りで」と、マナは唾を飲み込んで「さっき、この小屋にいたドロドロの人型異生物がいたんだ。ボクがしんがりだったんだけど、先頭を走ってった子は飛び掛られて頭を噛み砕かれて、それを見てボクはすぐ炎の魔術を撃ったんだけど、待ち伏せてたかのように別の角度からもドロ人間が出てきて、おまけにそいつらの他にも今まで見たことなかった異生物が一緒になって襲ってきて…地を這う巨大な蛇みたいなのに足を噛み千切られたり、猫とゴリラを合わせたみたいな凶暴なケダモノに肉を食いちぎられたり、そうかと思うとドロドロが首を絞めてきたり…。ボクらは必死になって戦った。でもそいつら、強さが桁違いで、一人、また一人地面に倒れこみ、血が飛び散って、叫び声が上がり、まさに死闘だった。みんなそれまで余裕こいてたから、あまりに突然でパニックになってたし、何かを考えてるヒマなんてなかった。ボクはリーダーだったけど、退却できるような感じでもなかったから、とにかく必死になって怪物たちを葬ってった。死ぬかと思った。仲間が目の前で」喋りながらマナの髪と瞳の様子が徐々に変わっていく、その変化が蝋燭の光に照らされてありありと窺えた。「目の前でどんどん倒れてって、それでもなんとかボクが最後の一匹にトドメを指して、それでここで何があったかを悟ったんだ。分かれ道を進んだ四人はこいつらにやられたんだと。戦闘が終わってからボクは、そこから少し離れた地面に四人の身につけていた法衣や装飾品や他の持ち物が転がっていたのを発見した
「え!服と荷物が転がってた?それはどういうこと?」とタイジが問うた。
「そうか、タイジは知らないのか」
するとサキィが「超人は、人間を超えた力を発揮することが出来る。生命力も並の人間の比じゃない。滅多に死なない。しかし、もし超人が死んだら、誰もそいつの墓を立てることが出来ない
「墓を立てれない?どういうことだよ、サキィ?」
タイジは、サキィのいささか気取った謎めいた言い方に疑問符を打った。
「超人はその命が尽きると、肉体が自動的に消滅する。丁度バケモノ、つまり異生物か…、あのクソどもをぶっ殺したときと同じように、空中に消滅して後には何も残らなくなるのさ。遺体も遺骨もな。後に残るのは着ていた服と装備していた武器ぐらいだ」
「そうなんだよ、タイジ。ボクは四人がさっきの格段に強い異生物の群れに殺されたことにショックだったけど、でも、とにかく負傷した三人と地上へ脱出することにした。完全な全滅は避けなきゃ。国の威信に関わるから。それにどう考えても戻るべきだったんだ」マナは段々と早口になりながら「地上へは来た道を引き返さなければいけない。用意していたアイテムも底をつき、パンも弟切草も無くなっちゃった。ボクともう一人はなんとか歩けたけど、後の二人は意識がない気絶状態だったから、二人を背負って、なんとか出口を目指したんだ。けど洞窟を進むときにはなんでもなかったチビっこい奴らが、今度は執拗に襲ってきたりして、道も複雑で何度も堂々巡りしたし、次に襲われたらアウトってとこでなんとか脱出できた。外に出て馬に意識不明の二人を乗せ、なんとかこの小屋まで辿りついたのが真夜中。草原の異生物にも何度か襲われた。気絶していないもう一人はもう息も絶え絶えで、だから三人を小屋に残してタイジを呼びに行ったんだ。後は知っての通り。結局ボクがタイジを呼びに行っている間に生き残っていた仲間も追ってきたドロドロに殺されちゃった」
マナはそこまで話すと毛布に顔を埋めてしまった。
「うーむ。ザコだったはずの洞窟内で、急に格段上の敵が出てきた。これは、罠の匂いがするな」
サキィは猫ヒゲをピクピクさせながら独り言のように感想を述べた。
だが、タイジは別の事が気に掛かっていた。
超人はその命が尽きるとき、肉体が消滅する。
「マナが死んだらマナは消滅する。サキィが死んだらサキィは消滅する」
さっき、マナやサキィがほふった異生物が、煙のようにパッと消え去った様を思い出した。
あんな感じに、二人も、もしやられたら消えてしまうんだろうか…
「と、いうことは、この小屋に残っていた他の学生も、さっきの異生物に襲われて、やられてしまってたっていうこと?」
「うん」
マナは小さくうなずいてみせた。「きっと服だけ転がってるはず…」
なんという悲劇だろう。
マナが顔を押し付けている毛布から泣き声が漏れ始める。
するとサキィは立ち上がって「心配するな!俺が死ぬまでお前らは死なない。俺が命に掛けて守ってみせる。絶対だ。マナ、もう泣くんじゃない。タイジ」そしてタイジを振り返り「お前はこれから戦うことになるが、心配するな。俺が守る!安心しろ、俺より先にお前が死ぬことはないさ」と高らかに宣言した。
サキィの尾がピンと立っていた。
その勇ましい声を聞くと「ありがとうサキィくん」とマナは顔を上げ、鼻を毛布でこすった。
その時。
ドンドンドン
小屋の戸を叩く音がした。
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