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オリジナルの中世ファンタジー小説
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サキィは重たい瞼を持ち上げた。
いつも、俺の側にいて俺を安心させてくれる親友。
俺の勢い任せのなりふりに文句をつけずに、黙って頷いてくれる友。
俺の剣と鍛えた肉体で、守ってみせるつもりだった。だが、俺は負けた。守るどころか、守られちまった。そんなんじゃダメなんだ。また、あの時のように、失ってしまう。
「大丈夫か…もう…」タイジがぎこちない気遣いで、サキィに声をかける。
サキィは仰向けのまま、その獣の口もとから小さな、小さな声で「夢を……見て、いた…また…あいつが……救えなかったのに……あいつは…俺を守ってくれて……」
「え?なんだって?」
「いや、なんでもない」サキィは肩肘をついて起き上がろうとする。「すまねぇ…けど、ありがと」握手を求める。
タイジはその手を、どうして良いか分からず、でも照れくさそうにしながら、黙ってしっかりと握り返した。
長身の獣人剣士の肉体は、まごうことなく正常な状態に戻っていた。
「わー」
マナはこの美しい友情の光景に見とれていた。
「よっと!」
サキィはふんぎるように、勢いよく起き上がった。立派な体躯は、まるでもぎとったばかりの根菜のごとき、健康そのものであった。
「サキィくん!よ、よかったよ~」
「おっと、待ちなっ」近づいてくるマナをサキィは素早く制し「試練は帰るまでが試練だ。いいか、この洞窟を抜け出るまでは、安心しちゃいけねぇ」歩きながら告げた。
「サキィ…」
タイジはいつも通りの親友の語調に、思わず顔を緩めてしまう。
サキィは床に放り出されていた己が剣を手に取ると「登るぞ」指を真上に指して言った。
「え?」
「登るって、ここを?」
「そうだ」
サキィははっきりと答えた。
まだ少し、頭がクラクラする。だが、いつまでもへたばってなんからんない!
「はっきり言うが、あんなこともあったし、また来た道を、異生物のお客さんをお相手しながら引き返すのは、ちょっと危険かもしれない。何より、俺の剣は、ホレ、この通り…」苦闘の末に打ち負かしたボス七つの融合に突き刺さっていた長剣。タイジが規格外で呼び寄せた雷を導き、その身に歴史的電撃を浴びた鋼鉄の剣。真っ黒に変色し、見事に破損してしまっている「ナマクラになっちまった。耐久性よりも使い慣れた方を選んで持ってきた結果がこれだよ!こんなんじゃ俺の剣技に耐え切れん!剣を使えない剣士なんて、嘴の取れたカラスみたいなもんだ。こりゃな、弱気を吐いてるんじゃない。生き残る為の賢明な判断をしたいんだ。いいか…俺たち三人が、無事にこの陰気なほら穴から這い出て、あったけぇ羽毛布団でオネンネする為にゃ、あそこから地上に出た方が良いんじゃないかって思うわけよ」と、サキィは右手を再度垂直に上げて、高い高い天井を指差した。
古い太い木の根が夥しく絡まりあってる地下のドームの、天辺からやや外れたところ、傘が破れたように穴がポッカリと空いている。
「あれ、たしか最初はあんなの無かったよね」
興奮気味だったマナも上を見上げて言った。
「あの穴って、じゃあタイジのパープルヘイズで空いたのかな?」
「な、なんだ?パープルヘイズって」タイジはマナに問うた。
「あ、タイジが使ってたカミナリさんの魔術。なんか、パープルヘイズって言ってるみたいに聞こえたから、ボクが勝手に命名」とマナはしなを作って、且つ、ひょうきんに言った。「学校に帰ったら、正式に魔術登録しなくちゃね!もっちろん、さっきの大回復魔術スペシャル呪文も!」
「あ、そ…そう」
タイジは勝手にしてくれといった風。
自分が魔術を使えるようになるなんて夢にも思わなかった。
「それよりさ、あそこから外に出る気って…それ本気で言ってるの?ちょっと高くない?相当上でしょ。それに、外に出たって、どこに出るかわかんないよ」
天井の穴からは 赤い陽射しが差し込んでいる。もう夕刻なのであろうか。と、すると一体自分達は何時間、この地下茎のドームに留まっていたんだろう。
天を見ると、幾つもの根っこの隙間から光が差し込んでいる。
当初、木の根の隙間から外に出るには隙間がいささか込み入り過ぎていると思えてた。
だが、今は落雷によって穿たれた穴がある。あそこからなら無理なく脱出できるだろう。そこまで辿り着くまでが大変だが。
タイジは首を真上に傾けながら小さな声で「ちょっと、高すぎるよ。 途中で落ちたりしたらヤバイって」
「この辺りが良いな」
サキィとマナは既によじ登る気でいた。
「ボク、木登りとか実は好きなんだよねー」
「おい、本気で登るの?」
タイジも致し方なく壁に駆け寄っていく。大樹の根が作り上げた壁に。



もし神がいなかったら、世界はどんなになっているだろう。
或いは争いの無い平和な世界してるだろうか。
或いは心の拠り所なく彷徨う人々の世界してるだろうか。
何かを信じること。
人間にとって欠かせないこと。
誰かを信じ、誰かを愛し、誰かを裏切り、裏切られたと傷つき、またお互いに傷つけあい、それでも人は、人を信じようとする。
人は一人では生きていけない。信じれる者や物が無ければ、生きていこうとする活力が生まれないからだ。
何かを、誰かを信じようとすることで、明日を、未来を、歴史を築いてく。
人は奇跡に出会ったとき、神の存在を想い始める。
そして、それを信じ始める。
糧として、精神の拠り所にする。
信仰し、崇拝し、やがて服従する。
そして、自分がこんなにも大切に崇めている神を信じない他者に、敵意を抱く。相容れないものを排除、攻撃しようとする。
神が戦争を引き起こした。世界戦争は神の所為だ!
本当か?
神の所為になんか出来るのか?そもそも、はじめから神なんて存在していたのか?
妄想?
それは妄想?
では、神を禁じれば人々はどうなる?世界はどうなる?
「タイジ~」
頭の上からマナの声がした。太い木の根はザラザラしていて、うまく足場と掴むところを探さなければならない。
「な、なんだ~?」
タダでさえ、落ちたらどうなってしまうかハラハラしてるのに…
「ボクのパンティ、覗かないでよね」
「あ!」
タイジは木の根を掴む手をうっかり離してしまいそうになった。「アホ言うな、こんな時に!」
「あ、今、覗いたでしょ?やだー、タイジ、相変わらず変態~。あとで鑑賞料もらうからね!!」
「おい二人とも、喋って気を散らして、まっさかさまに落っこちたって知らないぞ?」先頭を行くサキィが叱咤した。
三人は重たい体をなんとか鞭打って、高い木の根の壁を登っていった。その高さはタイジの実家の宿屋のそれを、優に越えていた。
それでも、三人は登りきった。
三人には登りきるだけの気迫が残っていた。あの、凶悪無比な七つの融合を撃破したことへの自信があった。自分達の力を、信じていた。

外は夜だった。
「しっかし、すっげぇ木だな。樹齢、何千年ってとこか?」
サキィは巨木を見上げて感想を述べた。
巨大な木の根っ子の一部に、鋭く落雷の跡があった。その貫かれた穴から、三人は外に脱出したのだ。晩夏の夜風が、汗ばむ三人の衣服をはためかせる。
「というか、無事に外に出られて良かったよ。雷が空けた穴、意外と通りやすかったし」
「さすがタイジだな!俺なんかじゃ、いくらなんでもこんな芸当は出来ねぇ…ッチ!タイジがその、なんたらっていう魔術を使ったとこ、見てみたかったぜ」サキィは巨木を穿った天変地異の破壊力を察し、感嘆とする。穴は圧倒的な傷痕だった。恐らく、通常の天候悪化で雷が落ちたとしても、ここまでの破壊の跡を残すことはまず有り得ないだろう。特別な時空、特別な条件下、そして特別な場所と意味を伴って、あの落雷は起こったのだ。それをタイジが引き起こしたのだ。「こんなドッシリした木にこんな大穴空けちまうなんて…さぞ、凄まじかったんだろうな。この威力…なんかタイジにライバル心が燃えてきたぜ」猫族のヒゲをピクピクさせて、マナの方を向く。
「……。」
だが、マナは大樹を見上げたまま、黙り込んでいた。
サキィは、てっきり『そーなんだよ、もー!タイジったら、チョーカッコよかったんだって!』と陽気にはしゃいで返すと踏んでいた女魔術師が放心しているのを、不審に思う。
首を上に傾けたまま、ただ巨大な大樹を眺めている。
「どうしたんだよ、マナ。そんなに…すごい?」
「おじいちゃん…」
「え?」
暗黒の地下道の最深階に広がった地下茎ののドームも壮大だったが、そのドームを作った大樹の、夜空に突き刺さるように天高くそびえ立つ姿にも威厳があった。
葉は雄々しく茂り、たまの夜風にオーケストラの演奏のような雄大な音を立てる。
「まあ、確かにな!こんなにでっけぇんだから、きっとそこいらの木々に比べりゃ長老クラスだろう」サキィも今一度、大樹を見上げて、その雄々しさを褒め称える。
「そうじゃなくて…」マナはやんわりとした口調で否定の言葉を囁きながら、吸い寄せられるように、幹に触れる。両腕を広げ、大木を抱くように…祖父に抱かれるように「おじいちゃん……とっても、優しい気分になるんだよ」
タイジもサキィも黙っていた。
マナはここにやってくるまでに、とても沢山の出来事を体験してきた。友の死、絶体絶命の危機、逆転の奇跡、昏睡からの復活、試練の達成……今、はじめて、安らぎを得られるような状態にあるのかもしれない。夜風が吹く。とても優しい高原の風が、大樹に抱きついているマナの緑色の髪の毛を踊らせる。
「じいちゃんか…俺はなんていうか…うーん」サキィも努めて厳粛な気分になったふりをして、巨大な木を見上げ「お舅さん……ってとこかな」
「サキィ…」タイジは呆れ顔で友人のボケに返事をする。
マナはまだ木に抱擁されたままだった。眠ってしまったのだろうか。
「あ!」サキィが静寂を破るように声を上げた。「モクモクした煙が見えるぜ。モクモクしてるな~」
サキィの呼びかけにタイジは「どこだよ?」
たとえ超人になったとはいえ、タイジの視力は獣の瞳を持つサキィには遠く及ばない。
「集落かな……いや違う。違うな。集落はもっと、バーッとしてるもんな」
「僕も家に帰りたいよ。せめて、人里に」
旅籠だよ」マナが振り向かずに答えた。「中央国から東南国に来る時に泊まった……あそこに行けば、食事も、馬もあると思う。武具屋は無かったけど、余っている武器なら貸してくれるかもしれない」
「よ~っし!そうと決まったら、出発しようぜ!宿まで着いちまえばこっちのもんだ!」サキィは体力回復地まであと一息だぞと、気合を入れる。
「うん。行こう……マナ」タイジはマナを促がす。「マナ、行くよ」
「どうしたんだよ、置いていくぞ!」
「う、うん」マナは名残惜しそうに、大樹から離れる。二人の仲間の後を追おうとする。足元は入り組んだ大樹の根で不安定だ。尻餅を付かないように、二人を追いかける。二人の、男の子の後を…
びゅうううぅぅぅぅ
風が吹いた。ザワ、ザワと何百枚もの葉が鳴った。
マナは、ふと木に呼ばれたような気がして、おもむろに振り向いた。
木と向かい合う。
「さよなら…ボク、もっと強くなるから……待っていて。行って来ます」
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旅籠は、険しい山脈に囲まれた大自然溢れる茫漠としたその土地に、まるで砂漠のオアシスを思わせるかのように、そこだけ一点、確固たる木造建築の存在、人の手による建造物の存在を誇示していた。
その一帯でどれだけ周囲を見渡しても、目に入るのは山や森ばかりで、町や集落の姿は窺うことは出来ない。
辺りには人間を容赦なく襲う異生物の群が跋扈している。大昔に旅人を悩ませた野盗やおいはぎなんかよりも、遥かに脅威となる存在である。おまけに、大都市部から離れた地域とあってか、その界隈には暗黒の地下道よりも更に手強い異生物が生息していた。
旅籠は、そんなのっぴきならない危険地帯にあって、決して倒壊しない頑丈な造りの建物と、完全自給自足を意味する田んぼと畑、馬小屋と納屋、それらを低い柵で囲って、異生物のはびこる広大なフィールドから慎ましやかな縄張りを確保していた。
「ここの主人が言うにはね。『ワシの方があいつらより先にここに住んどったんだ。この土地に関しちゃ、ワシの方が格上なんだよ』ってことらしいんですよ」宿にいた、年齢不詳の男はロビーでタイジたちに説明した。「あのバケモンたちのことはよくわからないけど、でも主人が言うには、もとは獣。獣は土地の先住者に礼と仁義を通すものだって。だからこの旅籠の柵も、お飾りみたいな程度でしょ。あれでも一度も異生物が襲ってきたことはないんですよ」
「そりゃスゲェな」サキィはいかにも自由人的ななりをした宿の先客に対して感嘆となって「やっぱ異生物のやつらも、わかってるんだろうな。その辺。先住民には頭を下げるっていうか」
「そんな分別のある連中に、僕には思えないんだけど…」タイジは子供の背丈ほどもないやわな柵で囲っただけで、あのおっかない異生物たちが襲撃してこないという話が、どうも信じられない。
「っていうか、お客さん、ボクが前に来たときもいましたよね?」
この旅籠屋に来るのが二度目のマナは、相変わらず客室にいた自由人のおじさん…?に向って言う。
「あははは、参ったな~。まあ僕は、この宿の常連みたいなものさ」
「はぁ…そうなんですか」
こんな人里離れたド田舎の宿屋の常連?一体、この人はどこに家があるんだろう…あ、ココがその家なんじゃない?
「僕はフリーの旅芸人!メインは叙事詩の朗詠」ここで小型のギターを取り出す「君は魔術アカデミーの学生さんかい?」
「おお、詩人だったのか、あんた!」
サキィは吟遊詩人が手にした弦楽器を目にして興味をそそられる。
「と、とりあえずボクは、今この身にまとわりついてる死亡フラグをなんとか振り落としたいから、先に部屋にいってるね!」
疲労困憊のマナは、サキィたちを残したまま宿の階段を上がろうとする。
「へ~、使い込んでるけど、良い音なるじゃねぇか」
獣人の剣士サキィは、詩人から楽器を取り上げて試奏をはじめてる。じゃかじゃん♪じゃかじゃん♪
「タイジー!いくよー!」マナは二階からタイジを呼んだ。
「え?あ、うん」
タイジは嬉々として楽器を演奏しているサキィの顔を見つめながら、マナに呼ばれるままに客室へ上がっていった。

夕食の段になって、ちょっとした事件があった。
「あ!」
「ええ?」
先に声を上げたのはマナ。その彼女を見て、まるで幽霊にでも出くわしたかのように、四人の若者たちが一斉に驚きの声を発した。
続いて宿の食堂に降りてきたサキィは、小さい円卓を囲んでいる四人の、一風変わった奇抜な衣装に身を包んだ旅人が、怪訝な表情で揃って自分たちを眼差しているのを見て「なんだ?お前ら?俺たちになんか用か?ガン飛ばしやがって、何モンだ、てめえら!え?何様のつもりだ!誰だ?」
「マナ……アンデン…」珍奇な風貌の一人が声を漏らした。
「ん?なんだ、マナ。知り合いか?」サキィは眉をひそめたままマナに尋ねる。
するとマナは、青い顔をしてこちらを見ている四人を顧みず「んもー!ビックリしたわよ!こんなところで会うなんて」
マナの大学の知り合いだろうか…後方のタイジは、見知らぬ男子に愛想をふりまいている幼馴染のくだけた態度を垣間見て、途端に嫌な気分になる。
「あ、サキィくんにタイジ、紹介するね!この方々はぁ、魔術アカデミーの魔術学部第二魔術学科の学生さんたちなの!つまりね、ちょっとややこしいけど、ボクの学科とは別の学科なのね。ボク達の第一魔術学科は実際の魔術師育成がメインだけど、第二魔術学科の彼らは魔術の研究を主にやってるの」マナは愛嬌たっぷりにタイジとサキィの眼を交互に見つめながら説明した。「彼らは、ハコザ教授っていう、うちの大学でも大そうな研究成果をもってる先生の教え子さんなんだよ」
「ハコザ…」
タイジは何とはなしにその名を呟いた。ハコザ…なんだろう。落ち着かない、嫌な響きだ…
「ふ~ん」
長身の獣人サキィは、改めて魔術師学生らしい四人を見定める。
魔術師の学生といっても、彼らはマナと共にタイジの宿に訪れた卒業見込みだった七人のそれとは違い、どこか鋭角的で反社会的な出で立ちをしていた。
短髪をカラフルな色に染め上げ、油でかためて尖らせたり、身につけている衣服も、過度に装飾的で、まるでどこか辺境の部族のごとき異様な風体である。
加えて拭い去りがたい、とても好戦的で喧嘩っ早い雰囲気を感じる。
サキィはまるで在りし日の自分、もしくは当時つるんでいた町の悪党どもを思い出したような気分で、しかしあえて「じゃあ、まあ知り合いってわけだ。だったら、どうだ?いっしょにメシでも…」魔術大学の別学科の学生四人を誘った。その誘い方には当然、威圧感がこめられていた。
「構わないぜ」
いっとう派手な格好をした若造がサキィの誘いに応えた。
「ライドン…」
「そーだよ、そーだよ!こんなところで出会ったのも、何かの縁だしさ!」マナだけは一人、和やかな仲良しムードを作ろうとしている。「食事は多い方が良いよね~。あ、すいませーん、ワインありますぅ?え?セルフサーヴィス?」
「で、なんでまた魔術大学の学生さんが、こんなところに?」
サキィが、四人が黙々と大テーブルに食器を配置しなおすのを待ってから尋ねた。
「もしかして、学長がボクたちの卒業試験の偵察に行って来いって…言ったとか?」マナは喋りながら、どんどん葡萄酒を注いでいく。
「そんなとこだ」
恐らく四人の中でリーダー格と思われる学生が答えた。マナよりも明るいグリーンの髪をしたド派手な風体の男。タイジは返事をしたそいつをシチューをすくったスプーンを口に向わせながら盗み見た。
なんとなく、気色が違う。うちの宿に泊まりに来たマナの仲間達は、馬鹿騒ぎしてたけど、全体的にはもう少し上品な感じがあった。
少なくとも、こいつらみたいに殺気立ってはいなかった。
おまけに便乗するようにサキィがさっきから喧嘩腰なのが気掛かりだ。なんかもう、嫌な予感しかしないんだけど…
「ああ、そっかー!じゃあヤーマ先生ともいっしょだったのかな?」
「ヤーマ教授とは途中から別行動になっていた」
「へぇ~、ほっかほっか」
マナは葡萄酒をあおりながら悪意のない顔で同大学の学生の話を聞いている。
「そんなことより、マナ・アンデンよ。試験はどうなったんだ?」
「そうだ、マナ・アンデン。他の連中はどうしたんだよ」
食卓に、唐突な冷たさが漂い始めた。
マナは酒やパンのカスで汚れた己の口もとをナプキンで一ふきすると、沈痛な面持ちで、自分以外の七人の学友が試験の最中に皆死んでしまったことを、四人に説明した。
洞窟に向ったら予想以上に手強い異生物がいたこと。仲間が次々と命を落とし、一度撤退を試みたが、その間にも生き残りの仲間が殺されてしまったこと。試験を放棄することは出来ぬからと、旧友であるタイジと、その友サキィの力を借りて、最深部目指して再び突入し、親玉ともいうべき怪物に、絶体絶命の瀬戸際まで追い詰められたが、なんとか撃破することに成功したこと。
話し終え、うつむいたまま唇を噛み締めているマナ。
粗暴ななりの四人も、さすがに言葉を失ったのか、マナの報告を受けて動揺しているように見えた。
ややあって「そうか。でも生き残ったってのは…」重たい空気の中、リーダー格の隣にいた男は淡々と話した。「ラッキーだったな。いや、マナ・アンデンの魔術力がずば抜けているってのは、前から聞いてた。死亡者が出ちまったのは残念だけど、試験の結果が全員不合格では無かったってことは大事なことだな」
「おい、ちょっと待て、お前!」
サキィがその言葉に反応した。
マズイ…タイジはスープから顔を上げずに、親友の導火線に火がついたことを察知した。
「今、なんてった?マナはな。目の前で仲間を異生物に殺されたんだぞ!それを、お前、試験の結果がどうのとか、そういった軽々しいことを言ってんじゃねぇぞ!」
うわ、始まった。
タイジは、いつもの如く、面倒なことはゴメンだと、傍観を決め込む腹でいた。
「お前こそ、何を言ってる?結果は結果だろ。確かに人命の損失はあった。けどよ、俺達は国の代表ってことでこの試験方法を採用し、試験を受ける奴もその覚悟で臨んでいたはずだ。わざわざ隣国の用地を選んだことからも、この結果は決して満足のいくものとはいえないだろ」
「ちょ、ちょっと待て、お前!」サキィがテーブルに身を乗り出した。「国だとか関係ねぇって言ってんだろ!マナはな、殺されたんだぞ!仲間を!」
「お前が誰か知らないが」男は鋭い視線を逆上するサキィに向けた。「俺ら魔術アカデミーの人間は、そんな軽い責任感で大学にいるんじゃねぇんだ。魔術大学は、今もっとも中央国が力を注いでる分野の、最先端を担っているんだ。いずれ、俺たちは伝説になるんだ。だから、こんなつまらん卒業試験ごときで死者を出してよ…しかも他国でくたばったなんて、良い恥さらしだって言ってんだよ」
「そうだ、ライドンのいう通りだ。できれば全員が無事に帰国して欲しかったもんだな、って言っているんだ」
「こ、このやろ…ッ」売り言葉に買い言葉である。「もっぺん言ってみろ、ゴルァ!」
皿の割れる音がした。グラスが傾き、床にワインの零れ落ちる音が聞こえた。
「やる気か?」
「おい、スティージョ、この猫野郎をしばくぞ!」
旅籠のめぼしい宿泊客は他にいなかったとはいえ、食堂は今や一触即発の緊迫状態である。
「ちょっと、ちょっと、何してんのよ、アンタタチ!」例の常連旅芸人が、騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた。「やめなさいって、ホラ!」ケンカの仲裁に入ろうとする者特有の厚かましさ丸出しで。
タイジはほとほとウンザリしていた。
どうしてこういう連中は、初対面のくせに意気投合して口論を始めようとするのか。
なんで、こうも事を面倒な方向へ持っていこうとしたがるのだろうか。まったく…
「う、う、うぇえええん」
マナがテーブルに突っ伏して泣き始めた。
マナにとって、先ほど語ったこと…七人の仲間の死という事実は、あまりに悲痛な現実だった。「わぁぁっぁあんんん ん!!!」マナの泣き声は宿の隅々にまで響き渡った。
「マナ…」
「……チッ」
赤子のように泣きじゃくるマナを目の当たりしにて、周囲の血気盛んな単細胞男達も、自ずと 言葉の刀を鞘に納めた。

食後。
結局サキィと四人の魔術師学生は火花を散らしたまま、マナに免じて暗黙の休戦協定を結び、決着を先延ばしにすることになった。
奇抜な出で立ちの学生四人は夕食が終わると、中央国の首都へ一足先に出発してしまった。彼らはマナたち卒業見込み生の一行と、一日違いでこの旅籠に泊まりにきていたようだ。
「俺が朝までここで見張っていてやる。夜中に不意打ちで戻ってきたら、あいつら一人残らずとっちめてやる!」
サキィは意気揚々と、部屋の前の廊下にあぐらをかいて座り込んでいる。
「そんなことしなくっても、だいじょうぶだって~」マナはサキィの過剰に剥きだしの敵意をなだめようとする。
「いんや!あいつら、一目見たときからどうも気にくわなかったんだ。たいした技能もないくせに、口だけ、見かけ達者な…よくいるんだよ、ああいう粋がった奴は、姑息で、きっと俺らの寝込みを襲うために、この宿に戻ってくるに違いない。第一、俺は中央国のやつらが気にくわねぇ!あんにゃろーども、年下の分際で、何様のつもりだ!」
タイジはサキィのいつものイライラを見て、やれやれと溜め息をもらした。「中央国か……どんなところなんだろう…」
「そんなに変わらないよ」二つの国に住んだことのあるマナが、タイジに向って答える「国が違ったって、言葉や通過はいっしょだし……あ、でも、中央国の方が、精霊信仰が熱心かな?もともと魔術アカデミーもそうだけど、魔術とか霊的なこととかに長けた国家だからね。遺跡や謎の文献なんかも多く残されているし…まあ、行ってみればわかるよ」
「そうだな…」タイジはなんとなく「って、え?」
「ボクらも早めに出た方が良いと思うんだ。だから、明日にはもう出発しよう!馬はここのおじさんに頼んで調達すれば良いし、首都のボンディまでは何日かかかるけど、途中に町もいくつかあるし、今のタイジとサキィくんなら、道中の異生物も大丈夫だと思うんだよね」
「ちょ、ちょと待て、マナ…ぼ、僕も中央国に行くのか?」聞いてないぞ!
「っていうか、正確にはもう中央国の領土内なんだけどさ」この旅籠は中央国と東南国との国境線にあたる山脈の一角にあり、領域的には中央国側だ。
「そ、そうじゃなくって!」そんな急に…「だって、首都まで行くったら、結構な長旅になるだろ?そんな準備してきてないし…」
「だいじょ~ぶ、だいじょ~ぶ」マナは眼を閉じて人差し指をふりふり、問題ないといった仕草で「のたれ死ぬようなこたぁないから!それに、タイジがボクといっしょに着いてくるのは、もう決定済みだから。タイジの修得した二つの新魔術、あれは絶対に大学の先生たちに見せなくっちゃいけないもん。それもすぐに!」
「そんな…勝手なこと、言うなよ」タイジは小声になって抵抗を試みる。
するとマナは「タイジはボクといっしょに旅をするのが嫌なの?」と潤んだ上目遣いと猫撫で声で、タイジの柔らかいハートをなでまわすように「約束、してくれたよね?いっしょに、来てくれるんだよね?」抜群の蠱惑ヴォイスで迫ってきた。
タイジは敵わない。タジタジになって、否応なしに屈服させられそう。
「そ…そんな、k…」
マナはタイジが陥落したとわかると、すぐに振り返って「ねぇねぇ!サキィくんも来てくれるよね!」
「うおっ。なんだ?」サキィは部屋の扉の前であぐらをかいたまま、うたた寝をしていたところを起こされた。
「タイジがさぁ、ボクといっしょに中央国の首都まで行くの、渋ってんだけどさ、有り得ないよね~。もちろん、サキィくんは、いっしょに着いてきてくれるよね!」
「うおっ、もちろん!」サキィはまだよくわからないまま、勢いだけで答えてしまった。
「そんな、サキィ!」タイジが駆け寄ってくる。「急すぎだよ。一旦、サボウルツに戻ってさ、家の人にも何か言った方がいいし、馬だって洞窟の前に置いてきたままだし」
「んもう!そんな悠長なことしてるヒマはありません!」マナが反論する「一旦戻るったってさ、あの木の根っ子をまた通りたくないでしょ?そうしたら、この山合いの道をぐるっと迂回して関所まで行かなくちゃいけないの!で、関所に着いたら着いたで、また面倒な手続きなんかあったら、また時間かかっちゃうし、城下町まで戻るのだって、そんなすぐじゃないし。乗り捨ててきた馬は繋いでなかったから平気だって!」
「でも…」
「でもじゃないでしょ!」マナは先輩の風紀委員が新人の子に説教をする時のように「今は一刻も早く魔術アカデミーに戻らなくっちゃいけないの!サキィくんも来るって言ってくれてるんだし!」
「中央国…中央……」サキィはぼんやりとその名を繰り返し呟き、やがて「中央…国…!」ふいにあることを思い出し、ハッとなって、こう言った。
「す、すまん!マナ、タイジ。俺は中央国には行けねぇや」
ハコザ教授の腹心、奇抜な風体の魔術師学生四人が、夜の山道を馬にまたがり疾走していく。
「ライドン、ホントにこれで良かったのかよ?」
「どういう意味だ、ヴィシャヴィシャス?」
「まさか、生きていたなんて思わなかったから…あの時、俺たちで、始末しといた方が良かったんじゃ」
「確かに。だが、マナ・アンデンは逃げ延びたのではなく、あのバケモノを倒したと言っていた。あいつ一人の力じゃないことは確かだろうが、あの一緒にいた、二人の男。マナ・アンデンと同じくらいか、それ以上の超人水準があると見えた」
「そういえば、お前に食ってかかってきた髪の長い獣人の男。ガッチリしてて戦い慣れしている感じがしたな」
「スティージョ、それだけじゃない。もう一人の、なんだか覇気のないヤサオトコの方。あいつはもしかしたら一番危険な奴かも知れない。何か…これは直感だが、 あいつには、一見、何も出来ない落ちこぼれみたいな振りしやがって、実はとてつもない魔力か何かを隠しているみたいな、そういう嫌な予感がしたんだ」
「そうですか?俺はそんなふうには思わなかったですけど」
「メシに毒の一つぐらい盛っておいたほうが良かったんじゃないか?」
「バカ!あの異生物を倒してしまった奴らに効果のある毒なんて、どうやって用意するんだ!とにかく、マナ・アンデンが生き残って、二人の超人の仲間と一緒に 魔術アカデミーまで戻ってこようとしている、そのことをいち早くハコザ様に伝えるんだ!その上で今後どうするかが決定されるだろう」
漆黒の夜の闇の中。
黒よりも黒い闇が蠢いている。夜の闇を以ってしても、その暗黒には勝ち得なかった。



「な、なんだってー!?」サキィの不参加表明を聞いたマナが盛大に驚く。
「いや、だから……俺は中央国まではいっしょに行けん。すまんが二人とはここでお別れだ」
「いや、あのサキィ…僕はまだ行くと決めたわk」
タイジの声を遮るようにマナが「なんでなんでなんでなんでなんで?なんでよ!なんでだYo!どうしてさ?」
「どうしてもこうしても、だ」サキィは腕組みをしたまま頑固な拒否顔をしてしまう。
「ええーー!ありえないよ、どうしてさ?天才剣士サキィくんともあろう人が…もしかして、中央国には海がないから?お魚食べられないから、とか?」
「ぅ…ウナギ食えないのはキツイ…」猫族との獣人サキィは思わず好物の名を上げてしまったが「と、とにかく、俺は中央国までは一緒に行けないからな!特に首都だなんて」
「ええええええーーー!!意味、わっかんない!」
タイジは黙したまま、様子を窺っていた。
確かに、勇猛果敢でチャレンジ精神旺盛なサキィが、中央国行きを拒絶するのは意外だった。いつもの血気盛んな彼なら、まだ見ぬ新敵と刃を交えてみたいと、むしろ率先して旅の同行を承諾しそうなものなのだが…。
何か、よっぽどの理由でもあるんだろうか。
東南国城下町サボウルツの名物鍛冶屋の息子サキィと魔術と古代ロマンの王国、中央皇国。果たして、何の因果が…
「もー!知らない!ボク、すっごく疑問!プンプン!」
ついにマナがキレた。
てっきり同行してくれると思っていた仲間二人、しかもいずれも男性二人が、揃って消極的な態度を取っているので、すっかりご立腹してしまった。
「信じらんなーい!ぷんぷん!ギモンギモンギモンギモン!ギモーーーン!だーーーいっ嫌い!みんなみんな、だーーーっい嫌い!もー!みやむー!もー、知ぃーらない!ケっ!」
マナは大声で怒りを撒き散らしながら、ベッドにつっぷしてしまった。
タイジは髪の色を真緑にしたマナを尻目に、腕組みをしてあぐらをかいているサキィの元へと近づいて、理由を聞きだそうとした。
「おい、サキィ、どうして断ったんだ?」
「ん?」
サキィはタイジに詰め寄られて、少し困ったような顔になる。
「何か…特別な事情でもあるのか?」
獣人の偉丈夫は親友に迫られて至極弱ったような表情をしている。尻から伸びた尻尾がくるくるくるくる可愛くさまよってる。
「実はな、俺、あの国じゃ、お尋ね者なんだ」
「お、お尋ね者?」捜索中の犯罪者、容疑者の意。「おいおい、何、しちゃったんだよ、サキィ…」彼の昔日の悪童ぶりを少しでも知っているタイジは、こっそり耳打ちするように言った。
「いや、たいしたことじゃないんだけど…」サキィは座ったままぽりぽりと長い青髪をかきあげ「それよりもタイジ、お前はホントにあいつと一緒に首都…中央皇国の皇都まで行くのか?」
サキィが末尾で言い直した件が一瞬気になったが「う~ん、僕だって、そんな急な話、聞いてなかったしさ」
「じゃあ、ここであいつを見捨てて家に帰るのか?」
サキィの特に口調を変えずに発せられた質問を、しかしタイジは発言者以上に重力を伴って、その言葉を咀嚼した。
マナを見捨てて、自分は家に帰る。
あの、なんにもない、退屈で、ぬるま湯のような家に?
うるさい母親と、嫌味な姉や兄たちの、腐敗の巣窟に?
マナを見捨てて?マナを…
「それは…」タイジは己が掌を見つめた。僕はこの手で奇跡を起こした。マナを救い、サキィを救い、恐ろしい異生物を撃破し、無事に洞窟から生還した。いいじゃないか、楽になりたいなら、もうこれで終わりにしても。もう、傷つくこともない、このまま大人しく実家に帰って、何事も無かったかのように、静かに暮らしていけばいいじゃないか。「僕は…」ふて腐れたカエルみたいに、どこにもいかずに、ずっと家の中で引き篭もったまま「いっしょに…」充分やった。自分の役目はもう終わった。あとは、この輝かしい思い出を人生における唯一の栄光の瞬間として、いつまでも大事にしたまま過ごしていけばいい。これ以上、厄介なことに首を突っ込む必要は無い。いつまでも記憶の中で生き続けていけば…
「マナといっしょに行くよ」
タイジは幾らか焦点の合わない目で、そう告げいていた。
自分でも信じられなかった。
面倒なことや、己が傷つきそうなことからは、とことん逃げ続けたいと願ってきた自分が、今だけは、その負の習性に抗っている。
マナといっしょに旅を続ける。
そうすれば、昨日のあいつなんかよりも、もっと恐ろしくて、おっかないやつと戦わなくちゃならなくなる。もっともっと、恐ろしい目にあわされる。そんな、嫌な予感がビンビンしている。だけど…
「マナをほっとけないよ」
その時、タイジの瞳はしっかりと前を見据え、両生類のような顔はしっかりと引き締まり、一抹の弱気を隠しながらも、堂々とした男の宣言を果たした。
「そうか」
サキィは学生時代からの友を見上げ、その友人の瞳の中に、今まで見たこともなかった煌きを発見し、やがて悟ったように、猫族との亜人であることをはっきりと示す口もとから、流暢な言い回しでこう言った。
「よくぞ言った、宿屋の息子、タイジよ。もうお前は立派な一人前となった。一人前の戦う男だ。さあ、俺の出番は終わった。俺はもはやお役御免!デニス・サ・サキ・ピーター・ジュンとはここでお別れだ」
マナのたてる寝息だけが、聞こえていた。



翌朝。
高原の瑞々しい澄んだ空気を胸いっぱいに吸いこむ。太陽は空高く昇り、ときおり吹く風が、草や木々を優しくなびかせる。
タイジは柵の外にいる馬たちを眺める。
自由気ままに、ふさふさとしたその毛を揺らしながら、足下の草を頬張っている。
「あのバケモンたちゃ、わっしら人間だけを襲うからな」頑強な旅籠の主人が、タイジの後ろに立って言った。「見ての通り、この柵で囲まれた内側がワシらのテリトリー。その外側に出るのを許されてるんは、あの馬どもだけよ」
「この柵から出たら、僕達はまた戦わなくちゃならない」
タイジは山の風に子供っぽい黒髪をかき乱されながら、呟くように告げた。
「それが超人の仕事よ。お前さんたちの……ワシは、あいつらバケモンがこの世に出てきおった前から、ここで旅籠屋稼業を営んでいた。この商売を、ばけもんごときに、そうやすやすと明け渡しはせんよ」
「長いんですね」タイジは宿の主人に背を向けたまま返した。彼は自ずと、同じ宿屋業界の人間として、この老人に薄っすらとした親近感と敬意を抱いていた「今までにも、たくさんの超人の人を、泊めてきたんでしょう?」
「そりゃあな」大柄な宿の主人は、土をすり潰しすような低い声でタイジに答える。「ここは国境沿い。貿易商は年々減りつつあるが、今も王宮の要人なんかが何人もの衛兵を引き連れて度々やってくる。何人もの超人を、ワシは見てきた。わしゃぁ超人じゃないから、やっこさん方がどんな旅をしているのか、そこまでは知らん。ワシに出来ることは、連中に温かいメシを作ってもてなし、寝台を提供し、ほんのひと時の休息を与えるだけだ。路銀を頂いてな。金があれば、旅の商人から物を買ったり、気前のいい旅人に町までお使いを頼んだり出来る。ワシは一歩もこの柵を出ない」
「昨日のごはんはとてもおいしかったです」タイジは宿の主人の方を振り返って礼を言った。「僕の仲間が、とんだ失礼をしてしまったことを、お詫びします」
「そん時、ワシはもう寝てたからな」老齢であるにも関わらず、逞しい筋肉に恵まれたいかにも山男といった風情の主人は「それで、どいつにするか、決めたか?」
「手前の二頭にします」タイジはむしゃむしゃと草を食べている馬の方を指差し「まだ若いかもしれませんが、あの二頭は仲が良さそうだ」
二頭…そう。もうサキィはここにはいない。彼は既に行ってしまった。
僕も、行かなければならない。あいつとは反対の方向に…北に!
「悪くない選択だ。特別に二つで一頭分の値段にしておこう」
タイジは出発の時が来たと、目礼をして主人の側を離れようとした。宿の中にいるマナを呼びに行こうとする。
「あれはもう、三十年ぐらい前になるかの」
「?」
年老いてもなお、不屈の大岩のように立派な体躯をした主人は、ふいに語り出した。
「小僧が一人、傷ついた体で、この旅籠に辿り着いた。とても恐ろしいものに出会ったと、小僧は震えながら言っていた。ワシはとにかく、そいつをこの宿で休ませてやった。ベッドに寝かせ、粥を作って食べさせてやった。当時はまだ元気だったワシの女房が、包帯を巻いて傷の手当てをしてやった。小僧はひどく衰弱してて、熊にでも襲われたのかと、当時のわっしらは思ったもんだ。だが、翌日になってみると、小僧の傷はすっかり癒え、ケロッと元気になっていやがった」
「え……」
「小僧は家出してきたとか言って、故郷に帰ることを頑なに拒んだ。特に、激しく父親のことを憎んでいたな。世界で最も醜い存在だ、とか言って……どれぐらいだったか、小僧はしばらくこの旅籠に入り浸っていた。今のあの旅芸人のあいつみたいにな。でも、ある日、何も言わずにぷつりと行方をくらました。それからしばらくして、異生物とかいうやつらがこの辺りに溢れかえり出し、ワシの女房が襲われ、結果的にそれが原因でくたばっちまった。そして、旅人達はいつしかこの旅籠のことを『はじめの旅籠』と呼ぶようになった」
マナとタイジはそれぞれ新しい馬に跨り、低い柵の内側に立った旅籠の主とフーテンの旅芸人、二人に向って手を振った。
気持ちの良い晩夏の陽気の中、二人の幼馴染の旅人は、しばし、黙ったまま馬を進めていた。
タイジが選んだ二頭の馬は、大人しく従順的で、すぐに二人に馴染んだ。
「……」
もっともそれは、午前のうちから幾分厳粛な雰囲気で歩を進めているからかもしれない。
タイジは、マナが今どんな心境にあるのか、心の中で探ろうとしていた。
想像以上に過酷だった試練を乗り越え、いよいよ帰路につくことになった。死んだ仲間達のことを彼女は考えているだろうか?あるいは、この一連の事件の不可解な謎について考えているのだろうか?
タイジの神経質な思考は、ところがふいに『遂にマナと二人きりになれた』という甘酸っぱいテーゼを掘り起こした。
「……。」
とはいえ、なんとなくお互いがそういう浮ついたムードに、今はなれないことに気が付いている。
今、ここには三人目の仲間がいない。
サキィは国許に帰り、厄介事を少しも面倒と受け取らず、後の始末をやってくれると約束し、去っていった。
タイジの生家である宿屋に寄って、ことの経緯を納得のいく形で、多少のごまかしも交えて説明する。魔術師学生達の荷物をマナに指示されたとおりに処分する。何よりタイジの母親に息子が戻ってこないことを言い渡す。宿の代金の件については既に解決済みだった。
マナ達が置いてきた荷物の中に、どうしても手放せないものは含まれていない。そうした旅の必需品は、彼女が今携帯している革袋の中に入っている。
少し前を進んでいく少女が背負った袋を眺める。幾分、窮屈そうに膨らんでいる。中に、死んでいった仲間たちの遺品が詰められているんだ。
マナの持つ道具袋の中には、汚れた衣服や魔術大学で支給された杖なんかが丸められて収められている。
超人の死は完全なる肉体の消滅。遺骨を残すことも、土の下に埋葬してやることも出来ない。だから、故人の纏っていた装備は、何よりも重要だ。遺品にこそ、逝ったその人の魂が宿っている。
マナは魔術大学に戻ったら弔いをするつもりだと言っていた。それまでは絶対に死ねない、とも。
馬鹿騒ぎをしていたとはいえ、失った仲間の命はあまりにも重たく、大きい。彼女はその七つの命を一身に背負って、旅を続けているんだ。
タイジは馬の背の上で、動きやすいゆったりした己がズボンの、ポケットにそっと手を差し入れた。
金の筒を取り出す。
あの異生物『七つの融合』に、決定打の雷撃を食らわした直後に手にしたもの。怪物の体から飛び出した拾得物。純金製の、細やかで複雑な模様の装飾が施された筒。
異生物の身から転がり落ちた円筒状のそれには弁のような蓋が着いていて、側面にサインのようなものが掘られていた。今は手に握ったところで何の第六感的感触もないが、それが何某かの魔術が籠められたアイテムであるだろうことが、如実に窺われた。
これはきっと鍵になる存在。タイジは直感を信じていた。
だから、昨夜出くわした奇抜な魔術師学生達にも、仲間の誰にも、この金の筒のことは話していなかった。
その時が来たら、きっとそれは明かされる。
真実と、陰謀。
僕を中央国で待っているものはなんなのだろう……マナとの二人旅。それは本当に僕の願ったものだった?また何か、とてつもないことに巻き込まれそうになっている……
タイジが黙々と片思い中の少女の後を歩んでいると、俄かに背後から音が聞こえ始めた。
「おーーーい」
高原を吹き抜ける爽やかで勇ましい風。その風の音の内に、聞きなれた声が含まれている。
「待てよ、おーーい!」
馬を駆る音が聞こえてくる。蹄の、小気味良い連続音。やがて、軽装の鎧のこすれる音が…
ヒヒーーーン!
馬のいななきと共に、急ブレーキをかけて地の土がめくれる音。
「サキィ!」
「おっと、待った、お二人さんよ!」
サンサンと輝く太陽の下、そこに、頼もしい獣人の姿があった。
鎖帷子を身に付け、新しい鉄製の盾と剣。馬上の鞍の上で、彼のヒョウ柄の尾っぽが踊っている。
「ヤアヤアヤア、俺の名は、さすらいの剣士、サキィ・マチルヤ!東南国の城下町で鍛冶屋をやっている家のドラ息子とは、赤の他人よ!俺は旅の剣士!こうして武者修行の旅をしている!旅人さん方よ、御用とお急ぎでなけりゃ、ちょっと俺の話を聞いていきやがれ!」
マナもタイジも、それを聞いて思わず顔を合わし、たまらず吹き出した。
タイジは久々にマナの笑顔を見た気がした。よく晴れた太陽の下で、彼女の髪の緑が透明に映えている。
「魔術師と回復役だけの二人旅じゃ、こっから先は危なっかしいぜ。ここはアタッカーが必要だろ!」
タイジは笑いをこらえながら「どうしたんだよ、サキィ」
馬上の獣人剣士は芝居めいた物言いを崩して「へへ、親父に正式に勘当してもらったよ。あの野郎、最後には俺を認めたみたいだな。名前を捨てるついでに、とっておきの餞別を寄越しやがった」サキィは背中の鞘から剣を抜いた。刀身はどこまでも光り輝いて美しい。柄の部分に、風車のような装飾が施されている。今までのものよりもいっとう鋭く長い、強力な武器だ。「この剣の力が、お前らには必要だろ」
マナはお腹を抱えて笑っている。
タイジは答える「ああ、よろしくな、サキィ」
サキィ・マチルヤが仲間になった!





それぞれの旅路。
突然連れ出され、仲間の敵討ちを手伝わされた寄る辺ない宿屋の息子だったタイジは、そのまま生家に戻ることなく、国境を越え、中央国首都であるボンディの都へと向っていく。
前科持ちであることを理由に改名をした獣人の剣士、サキィ・マチルヤも一緒だ。
三人の冒険者は北に進路を取り、並み居る異生物たちを或は剣で、或は魔術で、巧みに退け、馬を駆り、幾つかの町々に滞在しながら、歩みを進めていった。
サキィが実家の鍛冶屋から持ってきた自前の剣の切れ味は大層鋭く、大抵の異生物は彼の豪快な一振りの前に平伏していった。
また、マナの詠唱する攻撃用の魔術も、それを過不足無くサポートし、二人より遅れることままあるとはいえ、タイジの後方からのボウガンによる射撃、また難敵に対して放たれる必殺の電撃呪文パープルヘイズ、そして味方が傷ついた時にはすかさず回復の魔術を使用するという万全の補助。この攻守バランスの取れたフットワークによって、タイジ、マナ、サキィの三人は魑魅魍魎溢れる危険なフィールドを順調に踏破していった。
その行く手に、未だかつて無い恐怖が待ち受けているとも知らずに…。



季節は夏から秋へと、移っていった。
そこには、いくらかの時間と空間の、隔たりがあった。
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