オリジナルの中世ファンタジー小説
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戦場である大樹の根元の空間からおいとましようと歩き出していたタイジ。
異生物と二人の仲間に背を向けてトボトボと逃げ出していたタイジ。
声を聞いて歩みを止め、マナを見た。
血まみれになったマナの丸い背中があった。
「もう、一生タイジとは口きかないからね」
タイジはその言葉を聞いて、初めて自分の行為に疑問を感じた。
マナは立ち上がった。触手で裂かれた服の間から血が流れている。
ゆっくりとこちらを向く。
「タイジの馬鹿。タイジなんて大嫌いだよ。もしボクが死んだって、あの世でタイジを呪い殺してやるからね。そうして死んだって、あの世でも永遠に無視してやるから」
何故間違っている?
僕は間違っていたか?
いや、そんなことはないはずだ。
戦いの熟練者であるサキィがやられてしまった。マナの魔術も効かない。
「いいよ、早く、どこへでも行っちゃえばいいよ!タイジの馬鹿!いなくなっちゃえよ」
タイジは動けなくなった。
逃げるべきだ。絶対、このまま逃げるべきなんだ。
でも、何故だろう?そうは出来なくなった。どうしたらいいんだろう?
マナが死ぬ。
それだ。タイジの心を締め付けているのは…。
マナが、死ぬだって?どれだけ、一体どれだけ、こいつに会いたいと思って日々を過ごしていたんだ、僕は。マナが死ぬ?この世からいなくなる?超人の死は無残な消滅。そんなの絶対に嫌だ。
「いいよ!早く!いっちゃえよ!!」
マナが怒っている。僕を嫌悪している。何故だろう。今までの超人と異生物による凄まじい戦闘の実感はまるで掴めなかったのに、マナに嫌われているっていう感覚だけは手に取るようにはっきり解る。
異生物を背にしてこちらを向いている傷ついたマナの姿。その顔は憤怒の表情。タイジを非難する、見たくない顔。
red hot chili peppers!!!!!
だがそれはマナの詠唱ではなかった。
「え?」
マナの背後から輝く炎が迫りくる。
マナが得意とするレッドホット。
無防備のところを焼かれ、豊満な少女の肉体は紅く燃え上がる。
タイジはそれらの流れをスローモーションで見ていた。仲間が傷つき、倒れていく。それでも、今一歩理解に乏しい。
たった一人の女の子に突っ撥ねられて冷たくされることは身にしみて痛いと感じるのに、この凄惨な戦闘の情景は未だにぼんやりとしたまま。
その女の子ですら、死地へと向っていくというのに。
「あああああ!あついっ!あつっ!」
タイジの現実味の無い視界の中で、マナは悲鳴を上げながら火炎の魔術に体を焼かれ、震えながらも背後を振り返り、異生物の方へ向かって何かを呟いた。
タイジでなくとも、マナの言葉には不可解な響きがあった筈だ。
「もう、やめてよ。みんな。これ以上、ヒドイことをしないで」
なんだって?「みんな」って?あの不気味な異生物に向って何を?
「ねぇ!もう…終わりにしようよぉ」
理性の無い異生物に向って命乞い?あまりの肉体的苦しみに口走ったのか?
マナはきっと狂ったんだ。
タイジはぼんやりそんなことを考えていた。上半身だけになったサキィはもう口を開かない。肉体は消え去ってはいないが、それは彼の超人的超人体力の最後の底力が為せるわざか。しかし、彼がもう再起不能であることは間違いなかった。
「みんな、ボクだよ。マナだよ、わかるでしょ?」
なんだろう?
敵が今度は催眠術でも使ってマナに幻覚を見せているのだろうか?それともマナの目にはもう天国が映っているのだろうか…。
でも、心なしか、あの忌まわしい異生物の動きが止まっているようにも見える。
「今まで、気付かなかった。確信が持てなかったから…でも、みんななんでしょ。わかるよ」
マナは武器である杖を収め、昂ぶる敵をなだめるように、ゆっくりとした口調で、一歩一歩七つの融合に近づきながら言葉を投げ掛けた。
「ずっと、一緒にいたもん。今まで、まさかって思ってたけど、あんな魔術、ただの異生物が使いこなせるわけない。何があって、こんなことになっちゃったのか、本当にもう分からないけど、でもボクと一緒に戦ったり笑い合ったりしてた…その事を思い出して!」
マナの声は震えを帯びていた。
それでもなだめるように禍々しい姿をした異生物に語りかけてるマナの後姿をタイジは見ながら、彼女が涙を流していることを知った。
どういうことだ?
今や、七つの顔をもつ柱状の異生物は当惑しているようでもあり、怒りと苦しみの中間ともいうべき名状しがたい表情を彷徨っている。七つ…。
待てよ!?七つだって?それじゃぁ…
「ボクがみんなを助けられなかったのは、本当に悔しいし、リーダーのくせして一人だけ生き残っちゃったし、どんなに謝っても許されないと思う。でも、みんなと過ごしていた毎日、大学でのなんやかやとか、いっぱい遊んだりしたよね。もしそうなら、復讐なのかな…これ以上、戦いたくないんだよ」
「魔術大学の生徒。マナの仲間たち…」
タイジは信じられないといった風に思わず独りごちた。
七つ!
僕のうちの宿屋にやってきた卒業見込みの魔術学生は確かマナを含めて全部で八人だった。昨日の朝に宿を発って、洞窟内で分隊の四人が異生物にやられて死亡。
そしてマナに連れられて小屋に駆けつけた時には残りの三人も死亡済だった。
!!?
タイジは思わず息を詰まらせた。
一つの謎を解き明かさんとして思考の蔦を巡らせていたところ、それが思わぬ別の謎の茂みを探り当て、そしてその茂みから考えたくも無い残酷な推論が浮かび上がってきた。
「わかるよ。さっきまでは遠くにいたし、よく見えなかったからあれだったけど、こうして近くにいると、みんなの顔が…一番上にあるのが、ジンベさんだよね。すぐ側にゴル兄さんも…かっちゃんに、キクチョー…みんな、いるんだ…」
マナは穏やかに語りかける。
「もし、この七つの顔がマナのクラスメイトだったとしたら…」
タイジは一人驚愕の真実に接近していこうとする。
「人は異生物に生まれ変わることがあるってことか?人が、いや、超人か、超人がこんな醜い異生物に。そして、もしそれが事実なら、僕らが小屋で戦ったあの三体の怪人。ドロドロのあいつら…人の形をしてた…まるで腐った死骸みたいだった…熊に食われた兎の死体が何日も経って腐ったみたいな…三人は小屋に残してきた…異生物は三体いた…まさか!」
マナは子守唄を歌うような優しい口調で異生物に呼び掛けている。
ほとんど狂気といってもいい。先程までの戦闘の血生臭さを祓うかのように、緩やかに、優しさに溢れ、常軌を逸した愛を訴えている。
マナはおかしい。
やっぱり、この極限状態にあって気がどうかしちゃったんじゃないか?七つ顔があることなんて、ただの偶然だよ。そいつはマナの仲間なんかじゃない!
タイジは次第にはっきりとした意識が蘇ってくるのを自覚していた。
マナを呼び戻さなくっちゃ!
いつもみたいに暴走しちゃってるマナを!
あんなバケモノを仲間だと思って…勘違いして…仲間のところへ行こうとしているマナを!
「マナ!気をつけろ、それ以上近づくな」
マナはタイジに呼ばれて振り返った。
顔中を血のりと涙でぐしゃぐしゃにして、大好きな女の子はそこにいた。
救いを求めるような、どうしようもなく耐えられない悲しみを抱え、それでも必死で戦っている少女の顔があった。
タイジはマナの狂気を、少なくとも彼にとっては狂気だと思えたそれを見つめることで、自分の正気に目覚めていった。
そして、その確かな感覚は今まで萎えていた小さな勇気すら復刻させた。
「マナの仲間だったなんて証拠はないだろ?そう思い込んでるだけだよ!それより、サキィがやられたんだ、そいつに、だからこの場はにg」
クrッロロロサアアアァアァァアア
だが、異生物の攻撃。
速やかな攻撃だった。
まるで美味しいものをやると言われてひょこひょこついてきた子供が、裏切られたことを知って掌を返し、手痛い反撃を繰り出した時のように。
「タ…ぃ、ジ。ボ、ボクの代わり…に、友達をちゃ…んと、天国に送って…あげ、て、ね」
タイジはその場に固まった。
マナの腹部から触手が伸びていた。
最後にその愛しい顔は笑っていたようにも見えた。
マナはそのまま前向きに倒れた。
背中から腹へ貫通した異生物の触手はスルリと抜け、異生物は一時の油断を忘れ去るかのように、再び戦闘態勢に入る。タイジは駆け寄って受け止めることすら出来なかった。
「マナ!!マナ!マナぁぁぁぁっぁぁああ!」
マナのお腹から赤い血が流れている。
タイジは無心で走り出し、柔らかい体を抱き起こした。
「きっと…」
「え?なんだって?」
マナは聞き取れないぐらい小さく、かすれた声で言った。眼を閉じたまま、タイジの腕の中でぐったりと、前髪が汗でべっとりして乱れている。
「タイジ、勝ってね。でも、無理、だったら、ホント、ゴメン」
「ゴメンじゃないよ」
タイジは自分の声が震えているのに気が付いた。
体中の血が逆流するようだ。ぞわぞわする。震えている、僕が。
「いまさら、もうどうしようもないじゃないか。マナがこんななっちゃったら、もう逃げることだってできないじゃんか!」
抱きかかえているマナの体。優しくって意地悪。どうしようもなく性悪な奴なのに嫌いになれない。女の子。僕の、好きな…
「大丈…夫だよ。き、っ…と、勝てる…か、ら。ボ…クが、死んで、も…」
ボクが死んでも…かすれて耳に届いたその言葉は、冗談よりは遺言の方に近かった。それは紛れもなくリアルな響きであった。
異生物と二人の仲間に背を向けてトボトボと逃げ出していたタイジ。
声を聞いて歩みを止め、マナを見た。
血まみれになったマナの丸い背中があった。
「もう、一生タイジとは口きかないからね」
タイジはその言葉を聞いて、初めて自分の行為に疑問を感じた。
マナは立ち上がった。触手で裂かれた服の間から血が流れている。
ゆっくりとこちらを向く。
「タイジの馬鹿。タイジなんて大嫌いだよ。もしボクが死んだって、あの世でタイジを呪い殺してやるからね。そうして死んだって、あの世でも永遠に無視してやるから」
何故間違っている?
僕は間違っていたか?
いや、そんなことはないはずだ。
戦いの熟練者であるサキィがやられてしまった。マナの魔術も効かない。
「いいよ、早く、どこへでも行っちゃえばいいよ!タイジの馬鹿!いなくなっちゃえよ」
タイジは動けなくなった。
逃げるべきだ。絶対、このまま逃げるべきなんだ。
でも、何故だろう?そうは出来なくなった。どうしたらいいんだろう?
マナが死ぬ。
それだ。タイジの心を締め付けているのは…。
マナが、死ぬだって?どれだけ、一体どれだけ、こいつに会いたいと思って日々を過ごしていたんだ、僕は。マナが死ぬ?この世からいなくなる?超人の死は無残な消滅。そんなの絶対に嫌だ。
「いいよ!早く!いっちゃえよ!!」
マナが怒っている。僕を嫌悪している。何故だろう。今までの超人と異生物による凄まじい戦闘の実感はまるで掴めなかったのに、マナに嫌われているっていう感覚だけは手に取るようにはっきり解る。
異生物を背にしてこちらを向いている傷ついたマナの姿。その顔は憤怒の表情。タイジを非難する、見たくない顔。
red hot chili peppers!!!!!
だがそれはマナの詠唱ではなかった。
「え?」
マナの背後から輝く炎が迫りくる。
マナが得意とするレッドホット。
無防備のところを焼かれ、豊満な少女の肉体は紅く燃え上がる。
タイジはそれらの流れをスローモーションで見ていた。仲間が傷つき、倒れていく。それでも、今一歩理解に乏しい。
たった一人の女の子に突っ撥ねられて冷たくされることは身にしみて痛いと感じるのに、この凄惨な戦闘の情景は未だにぼんやりとしたまま。
その女の子ですら、死地へと向っていくというのに。
「あああああ!あついっ!あつっ!」
タイジの現実味の無い視界の中で、マナは悲鳴を上げながら火炎の魔術に体を焼かれ、震えながらも背後を振り返り、異生物の方へ向かって何かを呟いた。
タイジでなくとも、マナの言葉には不可解な響きがあった筈だ。
「もう、やめてよ。みんな。これ以上、ヒドイことをしないで」
なんだって?「みんな」って?あの不気味な異生物に向って何を?
「ねぇ!もう…終わりにしようよぉ」
理性の無い異生物に向って命乞い?あまりの肉体的苦しみに口走ったのか?
マナはきっと狂ったんだ。
タイジはぼんやりそんなことを考えていた。上半身だけになったサキィはもう口を開かない。肉体は消え去ってはいないが、それは彼の超人的超人体力の最後の底力が為せるわざか。しかし、彼がもう再起不能であることは間違いなかった。
「みんな、ボクだよ。マナだよ、わかるでしょ?」
なんだろう?
敵が今度は催眠術でも使ってマナに幻覚を見せているのだろうか?それともマナの目にはもう天国が映っているのだろうか…。
でも、心なしか、あの忌まわしい異生物の動きが止まっているようにも見える。
「今まで、気付かなかった。確信が持てなかったから…でも、みんななんでしょ。わかるよ」
マナは武器である杖を収め、昂ぶる敵をなだめるように、ゆっくりとした口調で、一歩一歩七つの融合に近づきながら言葉を投げ掛けた。
「ずっと、一緒にいたもん。今まで、まさかって思ってたけど、あんな魔術、ただの異生物が使いこなせるわけない。何があって、こんなことになっちゃったのか、本当にもう分からないけど、でもボクと一緒に戦ったり笑い合ったりしてた…その事を思い出して!」
マナの声は震えを帯びていた。
それでもなだめるように禍々しい姿をした異生物に語りかけてるマナの後姿をタイジは見ながら、彼女が涙を流していることを知った。
どういうことだ?
今や、七つの顔をもつ柱状の異生物は当惑しているようでもあり、怒りと苦しみの中間ともいうべき名状しがたい表情を彷徨っている。七つ…。
待てよ!?七つだって?それじゃぁ…
「ボクがみんなを助けられなかったのは、本当に悔しいし、リーダーのくせして一人だけ生き残っちゃったし、どんなに謝っても許されないと思う。でも、みんなと過ごしていた毎日、大学でのなんやかやとか、いっぱい遊んだりしたよね。もしそうなら、復讐なのかな…これ以上、戦いたくないんだよ」
「魔術大学の生徒。マナの仲間たち…」
タイジは信じられないといった風に思わず独りごちた。
七つ!
僕のうちの宿屋にやってきた卒業見込みの魔術学生は確かマナを含めて全部で八人だった。昨日の朝に宿を発って、洞窟内で分隊の四人が異生物にやられて死亡。
そしてマナに連れられて小屋に駆けつけた時には残りの三人も死亡済だった。
!!?
タイジは思わず息を詰まらせた。
一つの謎を解き明かさんとして思考の蔦を巡らせていたところ、それが思わぬ別の謎の茂みを探り当て、そしてその茂みから考えたくも無い残酷な推論が浮かび上がってきた。
「わかるよ。さっきまでは遠くにいたし、よく見えなかったからあれだったけど、こうして近くにいると、みんなの顔が…一番上にあるのが、ジンベさんだよね。すぐ側にゴル兄さんも…かっちゃんに、キクチョー…みんな、いるんだ…」
マナは穏やかに語りかける。
「もし、この七つの顔がマナのクラスメイトだったとしたら…」
タイジは一人驚愕の真実に接近していこうとする。
「人は異生物に生まれ変わることがあるってことか?人が、いや、超人か、超人がこんな醜い異生物に。そして、もしそれが事実なら、僕らが小屋で戦ったあの三体の怪人。ドロドロのあいつら…人の形をしてた…まるで腐った死骸みたいだった…熊に食われた兎の死体が何日も経って腐ったみたいな…三人は小屋に残してきた…異生物は三体いた…まさか!」
マナは子守唄を歌うような優しい口調で異生物に呼び掛けている。
ほとんど狂気といってもいい。先程までの戦闘の血生臭さを祓うかのように、緩やかに、優しさに溢れ、常軌を逸した愛を訴えている。
マナはおかしい。
やっぱり、この極限状態にあって気がどうかしちゃったんじゃないか?七つ顔があることなんて、ただの偶然だよ。そいつはマナの仲間なんかじゃない!
タイジは次第にはっきりとした意識が蘇ってくるのを自覚していた。
マナを呼び戻さなくっちゃ!
いつもみたいに暴走しちゃってるマナを!
あんなバケモノを仲間だと思って…勘違いして…仲間のところへ行こうとしているマナを!
「マナ!気をつけろ、それ以上近づくな」
マナはタイジに呼ばれて振り返った。
顔中を血のりと涙でぐしゃぐしゃにして、大好きな女の子はそこにいた。
救いを求めるような、どうしようもなく耐えられない悲しみを抱え、それでも必死で戦っている少女の顔があった。
タイジはマナの狂気を、少なくとも彼にとっては狂気だと思えたそれを見つめることで、自分の正気に目覚めていった。
そして、その確かな感覚は今まで萎えていた小さな勇気すら復刻させた。
「マナの仲間だったなんて証拠はないだろ?そう思い込んでるだけだよ!それより、サキィがやられたんだ、そいつに、だからこの場はにg」
クrッロロロサアアアァアァァアア
だが、異生物の攻撃。
速やかな攻撃だった。
まるで美味しいものをやると言われてひょこひょこついてきた子供が、裏切られたことを知って掌を返し、手痛い反撃を繰り出した時のように。
「タ…ぃ、ジ。ボ、ボクの代わり…に、友達をちゃ…んと、天国に送って…あげ、て、ね」
タイジはその場に固まった。
マナの腹部から触手が伸びていた。
最後にその愛しい顔は笑っていたようにも見えた。
マナはそのまま前向きに倒れた。
背中から腹へ貫通した異生物の触手はスルリと抜け、異生物は一時の油断を忘れ去るかのように、再び戦闘態勢に入る。タイジは駆け寄って受け止めることすら出来なかった。
「マナ!!マナ!マナぁぁぁぁっぁぁああ!」
マナのお腹から赤い血が流れている。
タイジは無心で走り出し、柔らかい体を抱き起こした。
「きっと…」
「え?なんだって?」
マナは聞き取れないぐらい小さく、かすれた声で言った。眼を閉じたまま、タイジの腕の中でぐったりと、前髪が汗でべっとりして乱れている。
「タイジ、勝ってね。でも、無理、だったら、ホント、ゴメン」
「ゴメンじゃないよ」
タイジは自分の声が震えているのに気が付いた。
体中の血が逆流するようだ。ぞわぞわする。震えている、僕が。
「いまさら、もうどうしようもないじゃないか。マナがこんななっちゃったら、もう逃げることだってできないじゃんか!」
抱きかかえているマナの体。優しくって意地悪。どうしようもなく性悪な奴なのに嫌いになれない。女の子。僕の、好きな…
「大丈…夫だよ。き、っ…と、勝てる…か、ら。ボ…クが、死んで、も…」
ボクが死んでも…かすれて耳に届いたその言葉は、冗談よりは遺言の方に近かった。それは紛れもなくリアルな響きであった。
PR
死ぬ?マナが…今、この腕の中にいるマナが?
「死んでも、戦ってね、最後まで。これ、最後の、わがまま…」
「最後だなんて、言うな!」タイジは次第に自分を抑えられなくなっていた。
誰が悪い?僕をここまで苦しめるのは、誰だ?
「さよなら、タイジ。お腹、痛い…ただでさえ…」そこでマナの言葉は尽き果てた。
タイジの視界。マナがいる。目を覚まさないマナが…超人の死は消滅。それを思い出したとき、マナの体が薄れていった。
薄れて、消えてしまう!マナの存在が、まるで最初からいなかったかのように!跡形もなく、消えてしまう!!
嫌だ。そんなの嫌だ。誰だ?誰が悪い?僕をこんなに苦しませてるのは…!?サキィか?違う。マナか?違う。あいつだ。あいつが悪い!
タイジは立ち上がった。
「くっそぉぉぉおおおお」怒りと、嘆きと、憎悪と、どうにもならない憤りと、鬱積したそれらの負の感情が、総てのタイジの感情が、それを引き起こした。
頭がボーっとする。何か、光って弾けているものがある。
得体の知れない熱が脇腹から起こり、それがやがてタイジの全身を包んでいく。
僕は超えてみせる。この負の領域を!
「う…く」
何かが激しく弾ける音、光、空気の振動。
ほんの少しの、それは昼食を摂った後の午睡のような、短い眠りであった。
マナは目を開いた!
地べたに倒れたままで、立ち上がれるほどの力は残っていないが、薄く開いた眼で戦いの様子を窺うことはできた。腹を刺された痛みで気を失っていたが、しかと見届けよと何者かの意思が働いたのか、或はほとばしる戦闘音によってか、すぐに意識は回復した。タイジが、戦っていたのだ。
「ぬううぅうおお」
タイジが戦っていた!
タイジはマナの眼前に立って、ボウガンの矢を次々に異生物に向かって発射している。だが、その矢が異様だ。そもそも本当にタイジか?体は微弱な光の色彩を帯び、だらしないザンバラ髪は勇ましく重力に抗って逆立っている。そして彼の撃つボウガンの矢!
ジィィィミミミィィィィィ
矢は閃光!まばゆい紫の輝きを放っている。その奇怪な光の矢が七つの融合に向かって何本も撃ち込まれていく。タイジは敵の顔面に照準を定めて射撃をしているわけではなかった。ただ、家屋の陰に住み着く忌まわしい害虫を駆除せんとばかりに、憎しみと廃絶の念を込め超常的な矢を連発していた。
そして、紫の閃光を帯びた矢は異生物の体に突き刺さると、低音域の効いたドーンという衝撃音を上げ、辺りに火の粉を散らしたように、もう少し小さな光の束を生じさせる。
変だ。あの異生物、反撃をしてこない。だからタイジは続けざまに攻撃を加えられるんだ。
七つの融合は反撃をしてこないのではなく、しようにも出来ないでいたのだ。矢が突き刺さると伸び上がって苦痛の声をあげ、体中を小さな光の束が駆け巡っていき、その後に痙攣を起こす。
麻痺。
それが異生物の行動を封じていた。もちろん、一心不乱に射撃を繰り返しているタイジには知る由もなかった。ただ、どういうわけか自分が今ボウガンの矢を放つと、それは火矢の如き輝きを帯びながら飛んでいき、またどういうわけか敵にそれが当たると、予測されるはずの反撃がやってこない。理解の範囲などとっくに超えていた。
「す、すごい。まさか、ここまでだったなんて…タイジ」
マナは痛みに耐えながら、再び意識を失わないように戦況をじっと見守っていた。タイジは気合の懸声を上げながら、仲間の為に初めて戦っている。
仲間を守る為に?自分を守る為に?大切なのは、彼がサキィやマナを見捨てて逃げ出しはしなかったということだ。
「アザ…消えたんだね」
タイジの放つ光る矢が、クラスメイトだったかも知れない異生物に命中する。爆破音と紫の衝撃が起こってその体は痙攣を起こす。
電気。
紫の閃光、それは即ち電気であった。そして、彼らの世界には「電気」というものの存在が無かった。
いや、正確には電気はあったのだ。
それは自然界の中に予め含まれており、電気、ひいては物体を構成する原子の中の陽電子や中性子無くして世界は成り立ちはしないのだから。そうではなくて、彼らの世界の文明がまだ『電気を発見していない』ということだ。
我々の世界に於いてさえ、静電気の研究こそ古代からなされていたが、実際に電池や電灯が発明されて実用化されるには西暦十九世紀を待たねばならなかった。
タイジ達の世界では、赤い炎を夜の闇に立ち向かう為の唯一の友達とし、遠く離れた相手に何かを伝える為には何日掛かるかもわからない手紙に頼らざるを得なく、冷蔵庫やエアコンなど有る筈も無いから、氷を塩漬けにして貯蔵したり、ゼンマイ式の扇風機を南方の王国では使用していた。
我々の世界では電子を0と1の配列で操作することで、人類にとっての多くの不可能を可能にしてきた。かつてそれを手に入れるまでに掛かっていた時間が殆ど天文学的といってもいい猛スピードで短縮されていった。
では、雷はどうなるか?
我々の世界に於いて、落雷は遥か昔から神の怒りであるとされてきた。それはしばしば地球のあらゆる地域や文明において確認されており、天に近づこうとした人々が、神の怒りを買って雷撃で建設していた塔を破壊されたという神話はあまりに通俗的でポピュラー過ぎるが、最も代表的で典型的な例と云える。
ところが、我々の生活を豊かにした電気と、天の怒りであるとされ畏怖されてきた雷が、同じものであると見做されたのは、有名なベンジャミンによる避雷針の危険な実験を待たなければならない。時に十八世紀半ば、この時ベンジャミン・フランクリンによって稲妻と電気が同質のものであると定義されたといわれる。
つまりタイジ達の世界では、誰一人として、雷が電気であるとは発言し得ないのである。繰り返すが、そもそも「電気」が何たるものかさえ解っていない。
では、この世界において稲光は『神の怒り』であるとされていたか。
答えは、否定である。
結論から云うと、彼らの世界では雷光は天の精霊か何かの悪戯、何らかの暗示やメッセージ程度に考えられていて、地方によってはそれを使った占いや祭の行事があったり、稲妻が落ちた田畑では豊作になるという言い伝えなどがあったりした。
しかし、神の怒りであるという扱いではなかった。いや、民家に落ちればそれを崩壊させたし、人に落ちればその生命を奪ったから、中には「精霊の怒り」と恐れていた人々も確かにいた。だが、あくまで『精霊』の怒りである。神ではない。
何故なら、その世界に神はいなかったからだ。
「死んでしまえ!お前なんか!」
タイジは無我夢中で雷光矢を発射し続け、決して攻撃の手を緩めることはしなかった。相手は無抵抗であった。
憎しみがあった。今、自分が一方的にダメージを与えている相手は、昨日まではもしかしたらマナの大切な仲間だったかも知れない。それが、何らかの超越的な経緯を隔ててこの異生物に生まれ変わっていたとしても、タイジには遠慮する義理など無かった。マナの仲間?それは僕の宿に来て大騒ぎしていた連中だ。男ばっかりだったと思う。タイジはここにきて、場違いな嫉妬心から闘志をたぎらせていた。恋心は時に人を狂気にするが、特にタイジのように小心で意中の相手を前にしてもうまく振舞えないようなタイプは、かえって一度理性のタガが外れると何をしだすか分からない恐さがある。もはや、自分の放つ矢が人智を超えた何かを纏っていることなど意に介してはいなかったのだ。ただ、目の前の腹立たしい敵を殲滅する、タイジの頭にあったのはそれだけだった。
「すごいよ、すごいよ、タイジ」
マナはまだ出血の止まらない腹部を押さえながらも、感動の声を漏らしていた。
タイジが、戦ってる!ボクもサキィ君も、まるで歯が立たなかった強敵に対して、明らかに優勢を誇っている。
「くっそ!」
だがその時、タイジのボウガンの矢が尽きた!残量のことをまるで考えていなかった。
異生物は電気を帯びた射撃により表皮の所々を焦がされており、何本も突き刺さった矢からは濁った体液が染み出している。だが、タイジの猛攻が一時でも止まると、再び活動の気配を示し始めた。
「まずい」マナが小さく言う。
辺りの空気が冷えていく。「くっそ、またあの氷を使ってくる気か」タイジは焦り始める。後ろを振り返る。「あ、マナ、大丈夫なのか?」お腹から血を流しながらこちらを見ていたマナを確認。
「タイジ、ブルージーンが、もし飛んできたら、いよいよマズイと思う」弱々しく言う。
「わ、わかってるよ、でももう矢が無いんだよ」どうする?ボウガンそのものを投げつけるか?いや、違う!ナイフで切りつける?それも駄目だ!
何か、まだ僕に出来ることがある筈だ!それは何だ?今の僕なら出来ること、どこかに、体のどこかにまだ使っていない何かが非常用の保存食さながら残っている感覚がする。手付かずの貯蓄に対するあの余裕感がある。「魔術だ!マナ、念じて唱えれば、魔術って使えるんだな?」
根拠の無い確信からその言葉が飛び出した。
「え?」タイジ、魔術を使う気?「う、うん。相手を思い描いて、ぶっ殺してやりたい相手のことを頭に浮かべて、それでそいつが自分の魔術で苦しむ姿を想像しながら、呪文を唱えるんだよ。で、でもタイジ、魔術使えるの?」
「相手を、想像するんだな、よし」タイジには謎めいた自信があった。今なら出来る。「マナ、見てろよ」と低い声で言った。
「う、うん」七つの融合は精神を集中させ、氷雪呪文ブルージーンの詠唱に入っている。
タイジは眼を閉じた。
頭の中の声…聞こえるんだ…耳元で、さっきから、歌うように、誰かが歌っている、言葉が聞こえてくる、文字が浮かび上がっている、それを僕が読み上げるんだ、読めるッ!読めるぞッ!
冷気が漂い始めた異生物の周囲に反して、タイジの体からは鼻を突くような空気の乾燥した匂いが立ち上っていく。
思い描くんだ、あいつがムチャクチャにやられるところを、あの腐った怪物に天罰を喰らわすんだ、出来る、今なら出来る、歌っている声を、聞こえてる声を、読める文字を、イメージを、僕も、続けて…イメージを、叩き込む!
思い描く、イメージを、現実に還らせる、力、それは、勇気!
purple haze all in my brain!!!!!
落雷!
マナは眼を見開いた。か・み・な・り・が・お・ち・た????
「死んでも、戦ってね、最後まで。これ、最後の、わがまま…」
「最後だなんて、言うな!」タイジは次第に自分を抑えられなくなっていた。
誰が悪い?僕をここまで苦しめるのは、誰だ?
「さよなら、タイジ。お腹、痛い…ただでさえ…」そこでマナの言葉は尽き果てた。
タイジの視界。マナがいる。目を覚まさないマナが…超人の死は消滅。それを思い出したとき、マナの体が薄れていった。
薄れて、消えてしまう!マナの存在が、まるで最初からいなかったかのように!跡形もなく、消えてしまう!!
嫌だ。そんなの嫌だ。誰だ?誰が悪い?僕をこんなに苦しませてるのは…!?サキィか?違う。マナか?違う。あいつだ。あいつが悪い!
タイジは立ち上がった。
「くっそぉぉぉおおおお」怒りと、嘆きと、憎悪と、どうにもならない憤りと、鬱積したそれらの負の感情が、総てのタイジの感情が、それを引き起こした。
頭がボーっとする。何か、光って弾けているものがある。
得体の知れない熱が脇腹から起こり、それがやがてタイジの全身を包んでいく。
僕は超えてみせる。この負の領域を!
「う…く」
何かが激しく弾ける音、光、空気の振動。
ほんの少しの、それは昼食を摂った後の午睡のような、短い眠りであった。
マナは目を開いた!
地べたに倒れたままで、立ち上がれるほどの力は残っていないが、薄く開いた眼で戦いの様子を窺うことはできた。腹を刺された痛みで気を失っていたが、しかと見届けよと何者かの意思が働いたのか、或はほとばしる戦闘音によってか、すぐに意識は回復した。タイジが、戦っていたのだ。
「ぬううぅうおお」
タイジが戦っていた!
タイジはマナの眼前に立って、ボウガンの矢を次々に異生物に向かって発射している。だが、その矢が異様だ。そもそも本当にタイジか?体は微弱な光の色彩を帯び、だらしないザンバラ髪は勇ましく重力に抗って逆立っている。そして彼の撃つボウガンの矢!
ジィィィミミミィィィィィ
矢は閃光!まばゆい紫の輝きを放っている。その奇怪な光の矢が七つの融合に向かって何本も撃ち込まれていく。タイジは敵の顔面に照準を定めて射撃をしているわけではなかった。ただ、家屋の陰に住み着く忌まわしい害虫を駆除せんとばかりに、憎しみと廃絶の念を込め超常的な矢を連発していた。
そして、紫の閃光を帯びた矢は異生物の体に突き刺さると、低音域の効いたドーンという衝撃音を上げ、辺りに火の粉を散らしたように、もう少し小さな光の束を生じさせる。
変だ。あの異生物、反撃をしてこない。だからタイジは続けざまに攻撃を加えられるんだ。
七つの融合は反撃をしてこないのではなく、しようにも出来ないでいたのだ。矢が突き刺さると伸び上がって苦痛の声をあげ、体中を小さな光の束が駆け巡っていき、その後に痙攣を起こす。
麻痺。
それが異生物の行動を封じていた。もちろん、一心不乱に射撃を繰り返しているタイジには知る由もなかった。ただ、どういうわけか自分が今ボウガンの矢を放つと、それは火矢の如き輝きを帯びながら飛んでいき、またどういうわけか敵にそれが当たると、予測されるはずの反撃がやってこない。理解の範囲などとっくに超えていた。
「す、すごい。まさか、ここまでだったなんて…タイジ」
マナは痛みに耐えながら、再び意識を失わないように戦況をじっと見守っていた。タイジは気合の懸声を上げながら、仲間の為に初めて戦っている。
仲間を守る為に?自分を守る為に?大切なのは、彼がサキィやマナを見捨てて逃げ出しはしなかったということだ。
「アザ…消えたんだね」
タイジの放つ光る矢が、クラスメイトだったかも知れない異生物に命中する。爆破音と紫の衝撃が起こってその体は痙攣を起こす。
電気。
紫の閃光、それは即ち電気であった。そして、彼らの世界には「電気」というものの存在が無かった。
いや、正確には電気はあったのだ。
それは自然界の中に予め含まれており、電気、ひいては物体を構成する原子の中の陽電子や中性子無くして世界は成り立ちはしないのだから。そうではなくて、彼らの世界の文明がまだ『電気を発見していない』ということだ。
我々の世界に於いてさえ、静電気の研究こそ古代からなされていたが、実際に電池や電灯が発明されて実用化されるには西暦十九世紀を待たねばならなかった。
タイジ達の世界では、赤い炎を夜の闇に立ち向かう為の唯一の友達とし、遠く離れた相手に何かを伝える為には何日掛かるかもわからない手紙に頼らざるを得なく、冷蔵庫やエアコンなど有る筈も無いから、氷を塩漬けにして貯蔵したり、ゼンマイ式の扇風機を南方の王国では使用していた。
我々の世界では電子を0と1の配列で操作することで、人類にとっての多くの不可能を可能にしてきた。かつてそれを手に入れるまでに掛かっていた時間が殆ど天文学的といってもいい猛スピードで短縮されていった。
では、雷はどうなるか?
我々の世界に於いて、落雷は遥か昔から神の怒りであるとされてきた。それはしばしば地球のあらゆる地域や文明において確認されており、天に近づこうとした人々が、神の怒りを買って雷撃で建設していた塔を破壊されたという神話はあまりに通俗的でポピュラー過ぎるが、最も代表的で典型的な例と云える。
ところが、我々の生活を豊かにした電気と、天の怒りであるとされ畏怖されてきた雷が、同じものであると見做されたのは、有名なベンジャミンによる避雷針の危険な実験を待たなければならない。時に十八世紀半ば、この時ベンジャミン・フランクリンによって稲妻と電気が同質のものであると定義されたといわれる。
つまりタイジ達の世界では、誰一人として、雷が電気であるとは発言し得ないのである。繰り返すが、そもそも「電気」が何たるものかさえ解っていない。
では、この世界において稲光は『神の怒り』であるとされていたか。
答えは、否定である。
結論から云うと、彼らの世界では雷光は天の精霊か何かの悪戯、何らかの暗示やメッセージ程度に考えられていて、地方によってはそれを使った占いや祭の行事があったり、稲妻が落ちた田畑では豊作になるという言い伝えなどがあったりした。
しかし、神の怒りであるという扱いではなかった。いや、民家に落ちればそれを崩壊させたし、人に落ちればその生命を奪ったから、中には「精霊の怒り」と恐れていた人々も確かにいた。だが、あくまで『精霊』の怒りである。神ではない。
何故なら、その世界に神はいなかったからだ。
「死んでしまえ!お前なんか!」
タイジは無我夢中で雷光矢を発射し続け、決して攻撃の手を緩めることはしなかった。相手は無抵抗であった。
憎しみがあった。今、自分が一方的にダメージを与えている相手は、昨日まではもしかしたらマナの大切な仲間だったかも知れない。それが、何らかの超越的な経緯を隔ててこの異生物に生まれ変わっていたとしても、タイジには遠慮する義理など無かった。マナの仲間?それは僕の宿に来て大騒ぎしていた連中だ。男ばっかりだったと思う。タイジはここにきて、場違いな嫉妬心から闘志をたぎらせていた。恋心は時に人を狂気にするが、特にタイジのように小心で意中の相手を前にしてもうまく振舞えないようなタイプは、かえって一度理性のタガが外れると何をしだすか分からない恐さがある。もはや、自分の放つ矢が人智を超えた何かを纏っていることなど意に介してはいなかったのだ。ただ、目の前の腹立たしい敵を殲滅する、タイジの頭にあったのはそれだけだった。
「すごいよ、すごいよ、タイジ」
マナはまだ出血の止まらない腹部を押さえながらも、感動の声を漏らしていた。
タイジが、戦ってる!ボクもサキィ君も、まるで歯が立たなかった強敵に対して、明らかに優勢を誇っている。
「くっそ!」
だがその時、タイジのボウガンの矢が尽きた!残量のことをまるで考えていなかった。
異生物は電気を帯びた射撃により表皮の所々を焦がされており、何本も突き刺さった矢からは濁った体液が染み出している。だが、タイジの猛攻が一時でも止まると、再び活動の気配を示し始めた。
「まずい」マナが小さく言う。
辺りの空気が冷えていく。「くっそ、またあの氷を使ってくる気か」タイジは焦り始める。後ろを振り返る。「あ、マナ、大丈夫なのか?」お腹から血を流しながらこちらを見ていたマナを確認。
「タイジ、ブルージーンが、もし飛んできたら、いよいよマズイと思う」弱々しく言う。
「わ、わかってるよ、でももう矢が無いんだよ」どうする?ボウガンそのものを投げつけるか?いや、違う!ナイフで切りつける?それも駄目だ!
何か、まだ僕に出来ることがある筈だ!それは何だ?今の僕なら出来ること、どこかに、体のどこかにまだ使っていない何かが非常用の保存食さながら残っている感覚がする。手付かずの貯蓄に対するあの余裕感がある。「魔術だ!マナ、念じて唱えれば、魔術って使えるんだな?」
根拠の無い確信からその言葉が飛び出した。
「え?」タイジ、魔術を使う気?「う、うん。相手を思い描いて、ぶっ殺してやりたい相手のことを頭に浮かべて、それでそいつが自分の魔術で苦しむ姿を想像しながら、呪文を唱えるんだよ。で、でもタイジ、魔術使えるの?」
「相手を、想像するんだな、よし」タイジには謎めいた自信があった。今なら出来る。「マナ、見てろよ」と低い声で言った。
「う、うん」七つの融合は精神を集中させ、氷雪呪文ブルージーンの詠唱に入っている。
タイジは眼を閉じた。
頭の中の声…聞こえるんだ…耳元で、さっきから、歌うように、誰かが歌っている、言葉が聞こえてくる、文字が浮かび上がっている、それを僕が読み上げるんだ、読めるッ!読めるぞッ!
冷気が漂い始めた異生物の周囲に反して、タイジの体からは鼻を突くような空気の乾燥した匂いが立ち上っていく。
思い描くんだ、あいつがムチャクチャにやられるところを、あの腐った怪物に天罰を喰らわすんだ、出来る、今なら出来る、歌っている声を、聞こえてる声を、読める文字を、イメージを、僕も、続けて…イメージを、叩き込む!
思い描く、イメージを、現実に還らせる、力、それは、勇気!
purple haze all in my brain!!!!!
落雷!
マナは眼を見開いた。か・み・な・り・が・お・ち・た????
確か、あの日も雷雲だったと思う。
マナは瞬間、思い出す。初めての恋人のことを。
セイジさん。タイジのお兄ちゃん、あの時既に実家の宿屋を離れ、一流料理屋の下宿で一人暮らしをしていた。
何回も、そこへ行った。泊まらしてもらうことは出来なかったけど、何度もそこで大切な時間を過ごした。やっぱり子ども扱いされてるのかな?って思ってたけど、それでも大好きだったから、セイジさんのこと。とてもクールなあの瞳。
そのうち「夜は仕事が忙しいから会えない」って言われるようになった。だからボクは学校を抜け出してでも、セイジさんの部屋に押し掛けた。自分を止められなかった。
だんだん、ウザがられてるんじゃないかって、そんな気がしてた。セイジさんの部屋に行っても、することはいつも同じ。いつも、おんなじで、それでも、必要とされてるんだって思うだけで、愛されていると感じられていた。
あの夜。遠くで雷が鳴っていた。雨は降ってなかったけど、どうしてもセイジさんに会いたくって、夜は仕事で忙しいから、って言われてたけど、抑えられなくってセイジさんが働いてる料理屋のすぐ近くにある下宿に行った。どうしても、不安で、不安で、会いたかったんだ。
雷が鳴ってた。とても、夜の、遅い、時間。
料理屋はもう店仕舞いしてた。ボクは、セイジさんの部屋の前まで、足音立てないようにこっそり歩いた。階段が木の階段でさ、いつもは一段一段音が鳴るんだよね。下宿の他の部屋はもう灯りも消えていて、だってかなり夜遅くだったから…セイジさんの部屋も、灯りは消えていた。だけど、声はしてたんだ。
ボクは戸口に立って、そこでじっとしてた。ドアをノックすることが出来なかった。
遠くで雷の音がしてた。でも、雷の音はセイジさんの部屋の中から聞こえてくる女の子の声をかき消してはくれなかった。
「ス……ミレ…」
セイジさんの、女の人を呼ぶ声がした。
「これが…力?僕の…」
タイジは不細工な自分の両手を見つめながら、呆然としていた。
たった今、自分がしたこと。自分がなし得たこと。魔術を放った。マナではなく、もちろんあの異生物がでもなく、この僕が魔術を!
実物の雷が七つの融合に命中したわけではない。だが、被術した異生物にとって、紛れもなくそれは雷であった。
稲妻の電力は平均でおよそ九百ギガワット。並の人間ならば直撃したらまず生きていられないか、助かっても重傷である。並の人間ならば。
その直撃を受けた七つの融合は超電圧による感電に苦しみ悶え、もはや唱えかけていた氷雪呪文のことなどすっかり忘れ、ベビーベッドの中の赤子のような無防備さを晒している。巨体のあちこちに刺さったままのボウガンの矢、そして顔面の一つに突き刺さったサキィの長剣。
「僕の…力!」
タイジは徐々に湧き上がってくる喜びが、器に注ぐ水が表面張力を越えて零れ落ちていくように、抑えようとしても抑えきれなくなって、とうとう歓喜の奇声を上げた。
「うわっほい!やった!よっしゃー!よっしゃー!」それはとても不気味な光景であった。冷静さなんて微塵も残っていなかった。
今度はマナが呆れる番だった。
「タイジ、嬉しいのはボクもわかるけど…ちょっと落ち着いてよ」
「あーっはははは!もう勝ったも同然じゃないかぁ!」タイジは狂喜乱舞。完全に切れてしまっていた。「さんざん僕らを痛めつけやがって!終わりだ!終わりだ!終わりだ!」
purple haze all in my brain!!!!!
再び、タイジの唱えた雷撃呪文が怪物の肉体を感電させる。
金属的な衝撃音と焦げた匂いがあたりに立ち込める。
「ボクの魔術はどれも効果がなかったのに…それにあんなの初めて見る…雷さん?」
すっかり有頂天のタイジによって、異生物の体には幻とはいえ、信じがたい分量の電流が食らわされ、感電による痙攣で悶え苦しむこと以外の行動は完膚なきまでに抑制されてしまっていた。知覚神経を強襲する魔術が、その効果によって運動神経の機能を封殺していた。
「終わりだ!はーっはははああはああはあ」
タイジの絶叫。無敵となった瞬間に見える、あの何も遮るもののない無限の地平。インヴィシブル・ホライズン!
「うそ、勝て、ちゃうの…」
マナですら驚いていた。
タイジの魔術、あまりに強力すぎる。今まで見たことも聞いたこともない、全く未知の魔術。
「あ、あ…」
マナは見た。
今、まさにその呪われた命を全うし、消滅への一途を辿ろうとしている異生物の七つの顔、それが、はっきりと仲間の顔になった。マナの仲間達。共に大学で学び、魔術を習得し、国境を越えて、タイジの宿まで辿り付き、そしてこの洞窟での冒険で全滅してしまった仲間達、学友。七人の顔が、はっきりとマナには確認できた。
「みんな……」
みんないる。やっぱり、そうだったんだ。
一つの人柱にまとめ上げられてしまっていた七人の見習い魔術師達。一体、誰がこんな残忍なことをしたのか?何のために、こんな凄惨なことをしたのか?七つの顔、それがタイジの放つ雷撃に苦しみながらも、やっと与えられる、待ちに待った「死」を前にして、安らいでいるようにも窺えた。
「タイジ、待って!やめて!」
「消えろぉぉぉおおおおおお!!!」
総ては遅かった。
だが、予想外のことも起こった。
魔術は実在の現象を錯覚させることで、相手にダメージを与えるものである。従って、タイジやマナが幾ら炎や電気の魔術を唱えたとしても、何も無い空間から突然炎や雷が発生するわけではない。別の次元からお取り寄せするわけでもない。魔術は知覚に訴える技術だ。
しかし、どうしたわけか、例外が起こったのである。
タイジは覚醒した。
そして目覚めさせた。電気という存在を。
未知の存在。電気をその世界に!
それに呼応したのか、異生物の顔面の一つから伸びるサキィの長剣が避雷針の役割を果たしたのか、地下数十メートルの地底にまで届く、それはそれは凄まじい『本物の落雷』であった。太い木の根を突き破って、ここに空から雷が落ちてきた。
ピシャドドォォォオオオオオオオオンンン
真昼のような明るさが戦場に訪れた。落雷は凋落の異生物にトドメを指すのに充分だった。
だが、その衝撃はタイジやマナの意識をも吹飛ばした。
耳をつんざく轟音と、自然界の稲光。
タイジは急激に薄れていく感覚の最中、消滅する異生物の体から何かが飛び出してきたのを確認し、咄嗟にそれを右手で掴み取った。
しかし、それ以上は肉体が許さなかった。実物の落雷による強制シャットダウン。
「のわあああああああああああああ」
白い、そこは白い空間だった。
マナは歩いているのか、泳いでいるのか、宙を浮いているのか、どれとも分からない夢独特の浮遊感覚で、そこを彷徨っていた。
少しずつ、話し声が聞こえてくる。
「マナ、いっしょに帰ろうぜ」
「ははは、今日は私との先約があるんだよ」
「え、なんだよ、俺んち来てくれるんじゃなかったの?」
友達が、ずっと一緒だった、魔術大学のクラスのみんな。
「本当に、天才だよね。どうしてそうポンポン魔術が使えるの?」
「魔術の申し子…魔術の精霊というか」
白い、空間、仲間達もマナの両隣を漂っている。どこへ向かってるの、ねえ、ボクたち、どこへ向かってるの?この先に何があるの?
「なんか、こんな感じでダラダラしちゃってたけど、本当は俺、マナのこと…」
「ずっと、一緒だ。離れたりなど…」
白い、空間。マナとその級友達。進んでいく、どこかへ向かって。
前方の明るさが煩わしくなってきた。真っ白な光が迫ってくる。何もかもが解けて、骨一つ残らないぐらいキレイに消えて無くなってしまいそうな、真っ白な光。
「ちょっと、待って、ボク…ボクにはまだやらなきゃならないことが、あるんだ」
人は死というものを考える。死んだらどうなるのだろうと考える。死後の世界があるんじゃないかと考える。天国の存在を想像する。そしていつしか神の存在に辿り着く。我々の次元を超えた場所にいるであろう、超越的存在、神。奇跡を起こし、願いを叶え、天罰をお与えになる。神なる存在。
だが、神はいなかった。
何故か。
何故だろう。この世界において神の存在は禁じられていたのだ。大陸各地に残された謎の一枚岩に書かれた文字によって。そして、神の不在のせめてもの代替として精霊信仰があった。絶対神は存在しない、石版がそれを冷然と告げていた。
当然、その言い伝えを残したものこそが神自身だといった反論は予想される。
だが、言い伝えは神の教えではない。但し書きは周到に付されていた。人々は誰が残したとも分からない伝承のままに絶対神の想像/創造を禁じられていた。
白い世界を歩くマナ。神なんて知らないマナ。仲間達が次々と、向こうへ行こうとする。
「あのさ、ボク、多分まだそっち行くんじゃないと思う」
マナは胸が苦しくなる。どうしようもなく悲しい気分になってくる。涙がこみ上げてくる。きっと、今ボクの髪は緑色になってる筈だ。お父さんと同じ。
「!!?」
光の先に、死別した父の姿が浮かび上がった。
マナは父の身姿に涙が溢れ出す。
「お父さん!お父さん!」
「どうした、マナ」マナは父の声を聞いた。「また、泣いたりなんかして。本当にお前は泣き虫なんだから。大好きな男の子に、またふられたのか?」
「パパ、パパ、会いたかったよ、パパ」
大好きな父が、そこにいる。十六の夏に死んでしまった父が、そこにいる。そっちへ行けば、お父さんとまた一緒に暮らせる。同じクラスの皆もそっちにいる。でも、でも、
「僕は、それはちがうと思う」タイジの声がした。
いつしか、光の中の父親はタイジになっていた。
「タイジ…ねぇ、ダメ?ボク、会いたい人がいるんだ?ダメ、そっちにいっちゃ?」
「ダメだね」
!
タイジではなかった。タイジによく似ていたが、その声はタイジではなかった。
「ウザイんだよ、悪いんだけどさ」
「セ…セイジさん。なんで?」
タイジの兄、マナの初恋人、セイジがいた。
彼は、光のずっと先の先の世界にいるようで、そして、自分を拒絶していた。
「セイジさん……お父さんも…みんな、どうして…ボクを…」
続いていた心地よい感覚が、急激に冷めていく。
真冬の雨に打たれるように、冷たい悲しみがやってくる。
大好きな人が、自分の手を離れていく。耐え難いほどの、悲しみ。
「安心していいのよ」
「え?」
女の人の声。今まで、聞いたことのない…
優しくて、母性的で、心の底から安らいだ気分になれるような……一体、誰?
*hi*e**l**m!!!
白い光の中、セイジの立っていた位置から、更に眩い光が放射された。
光に押し流されるように、誰の姿も、見えなくなった。
次の瞬間、マナは抗えない引力で体中を引っ張られ、真っ白な空間から強制的に引き離されていった。落下していくようでもあり、高く高く跳躍していくようでもある、どちらともいえない夢特有の感覚。
ボクは、まだダメなんだね。
白い世界が消えていく。父の姿ももうどこにもない。七人の友人達もいなくなった。
「ありがとう。呼んでいたんだね、タイジが、ボクを…あの時」マナは次第に安らぎに包まれていった。「ありがとう、タイジ」
眼鏡を掛けた総白髪の老看護婦が、窓の外の景色をじっと眺めながら、椅子に座っている。
所々染みの付いた看護服を身にまとい、整えられているとは云い難い灰色の髪は、首と耳を覆い隠すぐらいの長さで、やや大きめの質素な眼鏡の縁で、迷惑そうに跳ねている。長身というほどでも無いのだろうが、背筋をピンと伸ばして椅子に腰掛けていて、老齢でありながら、肌のはりや女性としての膨らみの衰えは、まだ見られない。
その老女が見つめている窓の外。
澄み切った晴天の遥か彼方。俄かに黒いものが集束しつつある。
雲が流れていく。まるで街にやって来た旅芸人の賑やかさにつられて人々が何だろうと家から顔を出し、次第に彼らの元に群がっていくかのように。
遠くの空で何かが光ったような気がした。
すると「わかりました。時が、来た、ということ…」お婆さんの独り言が一つ。
???
総白髪の老婆の声は、異様に若々しい響きがした。
老婆ではない!
人生の終焉を目前に控えたような絶望色の光を瞳に宿してはいるが、それは、まだ若い女であった。
マナは瞬間、思い出す。初めての恋人のことを。
セイジさん。タイジのお兄ちゃん、あの時既に実家の宿屋を離れ、一流料理屋の下宿で一人暮らしをしていた。
何回も、そこへ行った。泊まらしてもらうことは出来なかったけど、何度もそこで大切な時間を過ごした。やっぱり子ども扱いされてるのかな?って思ってたけど、それでも大好きだったから、セイジさんのこと。とてもクールなあの瞳。
そのうち「夜は仕事が忙しいから会えない」って言われるようになった。だからボクは学校を抜け出してでも、セイジさんの部屋に押し掛けた。自分を止められなかった。
だんだん、ウザがられてるんじゃないかって、そんな気がしてた。セイジさんの部屋に行っても、することはいつも同じ。いつも、おんなじで、それでも、必要とされてるんだって思うだけで、愛されていると感じられていた。
あの夜。遠くで雷が鳴っていた。雨は降ってなかったけど、どうしてもセイジさんに会いたくって、夜は仕事で忙しいから、って言われてたけど、抑えられなくってセイジさんが働いてる料理屋のすぐ近くにある下宿に行った。どうしても、不安で、不安で、会いたかったんだ。
雷が鳴ってた。とても、夜の、遅い、時間。
料理屋はもう店仕舞いしてた。ボクは、セイジさんの部屋の前まで、足音立てないようにこっそり歩いた。階段が木の階段でさ、いつもは一段一段音が鳴るんだよね。下宿の他の部屋はもう灯りも消えていて、だってかなり夜遅くだったから…セイジさんの部屋も、灯りは消えていた。だけど、声はしてたんだ。
ボクは戸口に立って、そこでじっとしてた。ドアをノックすることが出来なかった。
遠くで雷の音がしてた。でも、雷の音はセイジさんの部屋の中から聞こえてくる女の子の声をかき消してはくれなかった。
「ス……ミレ…」
セイジさんの、女の人を呼ぶ声がした。
「これが…力?僕の…」
タイジは不細工な自分の両手を見つめながら、呆然としていた。
たった今、自分がしたこと。自分がなし得たこと。魔術を放った。マナではなく、もちろんあの異生物がでもなく、この僕が魔術を!
実物の雷が七つの融合に命中したわけではない。だが、被術した異生物にとって、紛れもなくそれは雷であった。
稲妻の電力は平均でおよそ九百ギガワット。並の人間ならば直撃したらまず生きていられないか、助かっても重傷である。並の人間ならば。
その直撃を受けた七つの融合は超電圧による感電に苦しみ悶え、もはや唱えかけていた氷雪呪文のことなどすっかり忘れ、ベビーベッドの中の赤子のような無防備さを晒している。巨体のあちこちに刺さったままのボウガンの矢、そして顔面の一つに突き刺さったサキィの長剣。
「僕の…力!」
タイジは徐々に湧き上がってくる喜びが、器に注ぐ水が表面張力を越えて零れ落ちていくように、抑えようとしても抑えきれなくなって、とうとう歓喜の奇声を上げた。
「うわっほい!やった!よっしゃー!よっしゃー!」それはとても不気味な光景であった。冷静さなんて微塵も残っていなかった。
今度はマナが呆れる番だった。
「タイジ、嬉しいのはボクもわかるけど…ちょっと落ち着いてよ」
「あーっはははは!もう勝ったも同然じゃないかぁ!」タイジは狂喜乱舞。完全に切れてしまっていた。「さんざん僕らを痛めつけやがって!終わりだ!終わりだ!終わりだ!」
purple haze all in my brain!!!!!
再び、タイジの唱えた雷撃呪文が怪物の肉体を感電させる。
金属的な衝撃音と焦げた匂いがあたりに立ち込める。
「ボクの魔術はどれも効果がなかったのに…それにあんなの初めて見る…雷さん?」
すっかり有頂天のタイジによって、異生物の体には幻とはいえ、信じがたい分量の電流が食らわされ、感電による痙攣で悶え苦しむこと以外の行動は完膚なきまでに抑制されてしまっていた。知覚神経を強襲する魔術が、その効果によって運動神経の機能を封殺していた。
「終わりだ!はーっはははああはああはあ」
タイジの絶叫。無敵となった瞬間に見える、あの何も遮るもののない無限の地平。インヴィシブル・ホライズン!
「うそ、勝て、ちゃうの…」
マナですら驚いていた。
タイジの魔術、あまりに強力すぎる。今まで見たことも聞いたこともない、全く未知の魔術。
「あ、あ…」
マナは見た。
今、まさにその呪われた命を全うし、消滅への一途を辿ろうとしている異生物の七つの顔、それが、はっきりと仲間の顔になった。マナの仲間達。共に大学で学び、魔術を習得し、国境を越えて、タイジの宿まで辿り付き、そしてこの洞窟での冒険で全滅してしまった仲間達、学友。七人の顔が、はっきりとマナには確認できた。
「みんな……」
みんないる。やっぱり、そうだったんだ。
一つの人柱にまとめ上げられてしまっていた七人の見習い魔術師達。一体、誰がこんな残忍なことをしたのか?何のために、こんな凄惨なことをしたのか?七つの顔、それがタイジの放つ雷撃に苦しみながらも、やっと与えられる、待ちに待った「死」を前にして、安らいでいるようにも窺えた。
「タイジ、待って!やめて!」
「消えろぉぉぉおおおおおお!!!」
総ては遅かった。
だが、予想外のことも起こった。
魔術は実在の現象を錯覚させることで、相手にダメージを与えるものである。従って、タイジやマナが幾ら炎や電気の魔術を唱えたとしても、何も無い空間から突然炎や雷が発生するわけではない。別の次元からお取り寄せするわけでもない。魔術は知覚に訴える技術だ。
しかし、どうしたわけか、例外が起こったのである。
タイジは覚醒した。
そして目覚めさせた。電気という存在を。
未知の存在。電気をその世界に!
それに呼応したのか、異生物の顔面の一つから伸びるサキィの長剣が避雷針の役割を果たしたのか、地下数十メートルの地底にまで届く、それはそれは凄まじい『本物の落雷』であった。太い木の根を突き破って、ここに空から雷が落ちてきた。
ピシャドドォォォオオオオオオオオンンン
真昼のような明るさが戦場に訪れた。落雷は凋落の異生物にトドメを指すのに充分だった。
だが、その衝撃はタイジやマナの意識をも吹飛ばした。
耳をつんざく轟音と、自然界の稲光。
タイジは急激に薄れていく感覚の最中、消滅する異生物の体から何かが飛び出してきたのを確認し、咄嗟にそれを右手で掴み取った。
しかし、それ以上は肉体が許さなかった。実物の落雷による強制シャットダウン。
「のわあああああああああああああ」
白い、そこは白い空間だった。
マナは歩いているのか、泳いでいるのか、宙を浮いているのか、どれとも分からない夢独特の浮遊感覚で、そこを彷徨っていた。
少しずつ、話し声が聞こえてくる。
「マナ、いっしょに帰ろうぜ」
「ははは、今日は私との先約があるんだよ」
「え、なんだよ、俺んち来てくれるんじゃなかったの?」
友達が、ずっと一緒だった、魔術大学のクラスのみんな。
「本当に、天才だよね。どうしてそうポンポン魔術が使えるの?」
「魔術の申し子…魔術の精霊というか」
白い、空間、仲間達もマナの両隣を漂っている。どこへ向かってるの、ねえ、ボクたち、どこへ向かってるの?この先に何があるの?
「なんか、こんな感じでダラダラしちゃってたけど、本当は俺、マナのこと…」
「ずっと、一緒だ。離れたりなど…」
白い、空間。マナとその級友達。進んでいく、どこかへ向かって。
前方の明るさが煩わしくなってきた。真っ白な光が迫ってくる。何もかもが解けて、骨一つ残らないぐらいキレイに消えて無くなってしまいそうな、真っ白な光。
「ちょっと、待って、ボク…ボクにはまだやらなきゃならないことが、あるんだ」
人は死というものを考える。死んだらどうなるのだろうと考える。死後の世界があるんじゃないかと考える。天国の存在を想像する。そしていつしか神の存在に辿り着く。我々の次元を超えた場所にいるであろう、超越的存在、神。奇跡を起こし、願いを叶え、天罰をお与えになる。神なる存在。
だが、神はいなかった。
何故か。
何故だろう。この世界において神の存在は禁じられていたのだ。大陸各地に残された謎の一枚岩に書かれた文字によって。そして、神の不在のせめてもの代替として精霊信仰があった。絶対神は存在しない、石版がそれを冷然と告げていた。
当然、その言い伝えを残したものこそが神自身だといった反論は予想される。
だが、言い伝えは神の教えではない。但し書きは周到に付されていた。人々は誰が残したとも分からない伝承のままに絶対神の想像/創造を禁じられていた。
白い世界を歩くマナ。神なんて知らないマナ。仲間達が次々と、向こうへ行こうとする。
「あのさ、ボク、多分まだそっち行くんじゃないと思う」
マナは胸が苦しくなる。どうしようもなく悲しい気分になってくる。涙がこみ上げてくる。きっと、今ボクの髪は緑色になってる筈だ。お父さんと同じ。
「!!?」
光の先に、死別した父の姿が浮かび上がった。
マナは父の身姿に涙が溢れ出す。
「お父さん!お父さん!」
「どうした、マナ」マナは父の声を聞いた。「また、泣いたりなんかして。本当にお前は泣き虫なんだから。大好きな男の子に、またふられたのか?」
「パパ、パパ、会いたかったよ、パパ」
大好きな父が、そこにいる。十六の夏に死んでしまった父が、そこにいる。そっちへ行けば、お父さんとまた一緒に暮らせる。同じクラスの皆もそっちにいる。でも、でも、
「僕は、それはちがうと思う」タイジの声がした。
いつしか、光の中の父親はタイジになっていた。
「タイジ…ねぇ、ダメ?ボク、会いたい人がいるんだ?ダメ、そっちにいっちゃ?」
「ダメだね」
!
タイジではなかった。タイジによく似ていたが、その声はタイジではなかった。
「ウザイんだよ、悪いんだけどさ」
「セ…セイジさん。なんで?」
タイジの兄、マナの初恋人、セイジがいた。
彼は、光のずっと先の先の世界にいるようで、そして、自分を拒絶していた。
「セイジさん……お父さんも…みんな、どうして…ボクを…」
続いていた心地よい感覚が、急激に冷めていく。
真冬の雨に打たれるように、冷たい悲しみがやってくる。
大好きな人が、自分の手を離れていく。耐え難いほどの、悲しみ。
「安心していいのよ」
「え?」
女の人の声。今まで、聞いたことのない…
優しくて、母性的で、心の底から安らいだ気分になれるような……一体、誰?
*hi*e**l**m!!!
白い光の中、セイジの立っていた位置から、更に眩い光が放射された。
光に押し流されるように、誰の姿も、見えなくなった。
次の瞬間、マナは抗えない引力で体中を引っ張られ、真っ白な空間から強制的に引き離されていった。落下していくようでもあり、高く高く跳躍していくようでもある、どちらともいえない夢特有の感覚。
ボクは、まだダメなんだね。
白い世界が消えていく。父の姿ももうどこにもない。七人の友人達もいなくなった。
「ありがとう。呼んでいたんだね、タイジが、ボクを…あの時」マナは次第に安らぎに包まれていった。「ありがとう、タイジ」
眼鏡を掛けた総白髪の老看護婦が、窓の外の景色をじっと眺めながら、椅子に座っている。
所々染みの付いた看護服を身にまとい、整えられているとは云い難い灰色の髪は、首と耳を覆い隠すぐらいの長さで、やや大きめの質素な眼鏡の縁で、迷惑そうに跳ねている。長身というほどでも無いのだろうが、背筋をピンと伸ばして椅子に腰掛けていて、老齢でありながら、肌のはりや女性としての膨らみの衰えは、まだ見られない。
その老女が見つめている窓の外。
澄み切った晴天の遥か彼方。俄かに黒いものが集束しつつある。
雲が流れていく。まるで街にやって来た旅芸人の賑やかさにつられて人々が何だろうと家から顔を出し、次第に彼らの元に群がっていくかのように。
遠くの空で何かが光ったような気がした。
すると「わかりました。時が、来た、ということ…」お婆さんの独り言が一つ。
???
総白髪の老婆の声は、異様に若々しい響きがした。
老婆ではない!
人生の終焉を目前に控えたような絶望色の光を瞳に宿してはいるが、それは、まだ若い女であった。
タイジとマナは目を覚ましていた。
どのくらい眠っていたのかはわからない。
やけに象徴的で強烈な夢を見たせいで、二人とも覚醒したにも拘らず、とても長い長い時間の旅をしてきたような気分になってしまっている。
きっと、実際に結構な時間、眠り続けていたのだろう。
そのおかげか、超人の特性の一つ、睡眠による心身の飛躍的な回復効果によって、二人の体はだいぶ軽くなっていた。そう、タイジは超人になったのだ!
「サキィくん……」
タイジは黙々と、生家の宿から持ってきたという軟膏薬を、サキィの痛々しい体の断面に施していた。その必死な後ろ姿を、マナは何も出来ずに、見守っていた。
誰かを傷つける魔術なんかより、誰かを癒してあげる魔術があればいいのに……
大学で教わった魔術はみな、攻撃に分類されるものばかりで、かなり有力な『回復の魔術が存在するらしい』という噂は、あるにはあったが、未だかつて、誰もそれを発見してはいなかった。噂は噂の域を出ていなかったのである。
「ねぇ、まだ死んでないよね?サキィくん…」
マナは懸命な治療を行っているタイジの背中に語りかける。
「死んだら…体…消えてるわけだし…まだ、大丈夫なんだよね?」
タイジからの返事は返ってこない。
今は、あまり余計なことを言わない方がいい。そう思える。
「大丈夫……だよね…」
ふと、マナはタイジの手の中にある、見慣れぬ種類の塗り薬を見て、サキィの遺体を前にしての悲愴感もさることながら、小首をかしげた。
いくつかの傷に効く薬草の類を知っているが、タイジの手にしているような『ビンに入った塗り薬』というものは、与り知らない。
とにかく、今、ボクに出来ることは、タイジの処方に効果が表れるように祈ること。それを邪魔しちゃいけない。うん、きっと大丈夫。サキィ君は死んでなんかない。そうだ、超人は死んだら肉体が消えてなくなるもの。だから、サキィ君はまだ無事ってこと!
「ボク、ちょっとその辺、探してくるね」
マナは何気なくその場を離れ、辺りを歩き出した。
サキィくんは絶対助かる!
そう、信じながら…
そう、祈りながら…
でも…
もし、死んでないなら、睡眠による体力の回復ルールは?どうして、あれから何時間も経ってるのに、ボクもタイジも、もう傷は回復してるのに…どうして?サキィくんだけ目を覚まさないの?その体の傷は癒されていないの?
んんん!考えたって駄目だ。今はタイジを信じよう。うん!タイジならちゃんと治してくれる。だって、タイジは昨日の晩、あんなにボロボロだったボクの傷をキレイに治してくれたんだもん。きっと、あの薬で…サキィくんだって…
半球型の地下空間を物思いに耽りながら彷徨う。やがて、今までは気付かなかった箇所を見つける。
「あ!」
落ち着かない心のまま、その円周をしばらく歩いて調べまわっていたところ、堅い地下茎の入り組んだ壁に、僅かに開いている穴が発見された。
そこだけ壁にめり込むように空洞が出来ていて、その奥を覗けば、果たして虹色に輝く光が、湧水のようになみなみと溢れていた。
「タイジー!ちょっと!こっち…きて!」
マナはタイジを呼んだ。
「ん!何さ?」タイジは首だけをこちらに向けている。
サキィくんの治療が今は一番大事。
そのことはボクにも分ってる。
でも、この発見と思い付きを、すぐに実行したい!
「んもう!いいから、こっち来てよ!」
マナの強引さが、この時ばかりは親友を救うために献身的な施術を行っていたタイジを動かした。
「なんだよ、マナ……」タイジが駆け寄ってくる。「今それどころじゃ……え?これって!」
タイジはマナの指差した、木の根に囲まれた穴の奥を覗いた。
「水晶?」
「そう、これが…」と言ってマナは腰に下げた革袋から、上質の羊皮紙を取り出し「手順は教わってるけど、大丈夫かな、ホントに…ちょっと待ってね」ぶつぶつ言いながら、手にした紙片を穴の奥の光に、火であぶるようにあてた。
木の根で出来たゆりかごの中、生まれたての赤ん坊のような穢れない光がかすかに揺らめいている。
水晶そのもの自体は木の根の先に隠れているのか、光源は確認できない。ただ、そこにこの世のものとは思えない幻想的な光のゆらめきが、確かにあった。
「よし」
しばし後にマナが紙を取り出すと、そこには美しい紋様が浮かび上がっていた。
水晶の光なのだろうか?紙に模様を残すほど、何かそれは特別な光であるようだ。
「うん、これでいいはずだ」
タイジはマナの持つ紙を横から覗き込んだ。
「キレイでしょ?」とマナ。
「いや、別に」大して関心の無いタイジ。「でも、なんか不思議だよ。光にあてただけでそんな模様が出来るなんて」不思議だ。とにかく不思議なことが多すぎる。
僕は落雷で気を失う前、信じられないような魔術を使って、あの怪物と戦っていた。
マナもサキィも歯が立たなかった相手を、倒してしまったんだ、この僕が!
タイジが後方に置き去りにしているサキィのことを考え始めた時、マナがタイジの手を握っていた。
「タイジ。タイジも立派に試練に合格したんだもんねー」
「え?」
マナの眩しい笑顔を前にして、サキィを救わなくちゃという想いも薄らぐほど、堅くなるタイジ。
「だからさ、だからさ、ちょっと、手をこの穴の中に突っ込んでみてよ。それで、あの光にあててみて!ボクの紙をそうしたみたいに」
マナは唐突な思い付きを、自信満々で訴える。
「て、手を?」
タイジは言われるがままに、木の根に守られた光溢るる空洞に自分の右手を差し入れた。
「コレ、ってなんか意味あるの?」
「いーから、いーから。わかんないけど、今、なんとなく、そうした方が良い気がしたんだ、カンだよ、カン」
シュパイイイィィンンと、一瞬、光がフラッシュし、タイジは思わず「うわ!」
「だいじょぶ?」
タイジは手を引っ込めた。
見ると、拳が淡い輝きを帯びている!
まるで木の幹の間に隠された精霊のごとき光が、タイジの手に乗り移ったかのよう。
「タ、タイジ、それ…」
マナは優しい光を帯びたタイジの掌を見て、思いの外効果が表れていることに我ながら驚き、興奮してしまっている。
「熱い?」
「いや……熱はあるみたいだけど、なんていうか。その…」
僕の右手。
あの魔術を使う時みたいに、ぼんやりと光っている。この不思議な光に触れたら、なんだかまた力が、今までに持ったことのない力が、手に入って自分のものになったような感覚。
「そうか!水晶の光…超人はここで生まれたんだ!あ、こ…言葉が…」
「え?何を言ってるの、タイジ?」
マナの真ん丸な瞳がタイジに釘付けになっている。
「言葉が、また浮かんできてる…」
さっきもそうだった。
そして、これも何でか分からないけど、自分がすべき事がなんとなく、わかるんだ。
タイジは壁から離れ、ゆっくりと歩き始めた。床に転がるサキィの死骸に向って。
死骸?
いや違う。
超人は死んだらその身が消滅する。つまり、死骸という概念はあり得ない。
「タイジ。もしかして…」その光で、直せるの?サキィくんを…
タイジは少し離れたサキィの側まで、片手に光を携えたまま、ゆっくりと戻っていった。
サキィはぐったりと倒れたままだった。
千切れた胴をなんとかくっつけて、その断面に溶接するように、宿から持ってきたありったけの特製塗り薬を塗っていた。
何故か石化呪文ブラウンシューで石になった筈の彼の下半身は、元の毛皮に戻っていた。
だから、くっつけようとするのに、それほど手間はかからなかったが、傷があまりに甚大すぎるのか、タイジの生家で代々受け継がれてきた秘伝の特効薬の効果は、大して表れていなかった。
小さい頃、宿に泊まりに来た超人の戦士の、痛々しい背中の切り傷に、母親に命令されてその薬を塗ったことがある。生傷によく効く、不思議な薬。タイジは酸っぱいような爽やかなような、その軟膏の匂いが少し好きだった。
ビンの蓋を開け、空気に触れると、すぐに変色する、せっかちな薬。
幾つもの希少な薬草類を調合させ、じっくりと熟成させて製造する、実家の宿屋の秘密兵器。
今、タイジはその蓋を外し、光り輝く指で、残りの軟膏をくまなく手におさめる。それを、サキィの傷口に塗っていく。
「すごい…光ってる」
マナは眼を丸くして、タイジの奇跡の手を凝視する。この瞬間瞬間を、またとはない、歴史的儀式の一瞬として記憶する。そうか!この為に、サキィくんの傷は……その損傷は、タイジの治療を待っていたんだ!この超人的治療の儀式を!興奮したマナの勝手な飛躍的解釈。そして…
「言葉が、また……来ている」
あの、水晶の光にこの手をかざしたことで。
「見てろよ、兄さん……僕だって…」
white light white heat!!!!!
タイジは詠唱した。またも新たな魔術を!
「す、すごい……」
マナは呆然とする。
ルルルゥゥゥウウリリリリィィィイイイ
白い閃光が辺りを包んだ。
タイジの右手からは太陽光のような明かりが放たれ、それがサキィの全身を覆っていく。
壊れていたものがまた元に戻っていく、仲直りの神秘。輝く朝の到来を思わせる、安らかで力強い癒しの閃光!
無残な切り口が、塞がってゆく。元通りになる!
異生物にダメージを与えた雷撃とは対称的な、それは愛に満ちた、再生の煌きであった。
細胞を超人的に活性化させる。サキィの傷だらけの体が再生していく。
タイジの魔術。
それは回復の魔術。
「これが…まさか、噂の」回復呪文!「タイジが、使っちゃうなんて…」
タイジはまだ無我夢中で超人の能力を行使していたが、それでも段々とかつてない心境に達し始めていた。
僕は、誰かの為に、何かをしている。仲間を助ける為に、何故か僕に身に付いた力『魔術』を使っている。
今まで、自分さえよければなんて、思っていた。
誰かの話を聞いたり、言いつけられたり、そんなことは本当に嫌だった。
でも、僕はマナやサキィの為に、何かをしている。
世界の人の為とか、お国の為とか、家の為とか、そんなもんはやっぱり関係ないと思っちゃう。
けれど、大好きな仲間達だけは、失いたくないと思うんだ。ただ、それだけ。
マナは後方からこの信じ難い光景を、ただ眺めていた。
アザがあったことから、タイジが何某かの魔術の力を秘めていることは察しがついていた。
けど、今まで魔術大学でだって一度も目にしたことのないような強力な魔術を、こうも呆気なく使えるようになってしまうなんて!
しかも、今また、もう一つの新魔術を使ってみせた。
タイジって、実は隠れ天才?やばい、ちょっと、本気になっちゃうかも??
「サキィ…起きろよ」
タイジが小さく呼びかけた。
サキィの長いヒゲがピクンと動いた。
「お前に、助け…られる…なん、て」
どのくらい眠っていたのかはわからない。
やけに象徴的で強烈な夢を見たせいで、二人とも覚醒したにも拘らず、とても長い長い時間の旅をしてきたような気分になってしまっている。
きっと、実際に結構な時間、眠り続けていたのだろう。
そのおかげか、超人の特性の一つ、睡眠による心身の飛躍的な回復効果によって、二人の体はだいぶ軽くなっていた。そう、タイジは超人になったのだ!
「サキィくん……」
タイジは黙々と、生家の宿から持ってきたという軟膏薬を、サキィの痛々しい体の断面に施していた。その必死な後ろ姿を、マナは何も出来ずに、見守っていた。
誰かを傷つける魔術なんかより、誰かを癒してあげる魔術があればいいのに……
大学で教わった魔術はみな、攻撃に分類されるものばかりで、かなり有力な『回復の魔術が存在するらしい』という噂は、あるにはあったが、未だかつて、誰もそれを発見してはいなかった。噂は噂の域を出ていなかったのである。
「ねぇ、まだ死んでないよね?サキィくん…」
マナは懸命な治療を行っているタイジの背中に語りかける。
「死んだら…体…消えてるわけだし…まだ、大丈夫なんだよね?」
タイジからの返事は返ってこない。
今は、あまり余計なことを言わない方がいい。そう思える。
「大丈夫……だよね…」
ふと、マナはタイジの手の中にある、見慣れぬ種類の塗り薬を見て、サキィの遺体を前にしての悲愴感もさることながら、小首をかしげた。
いくつかの傷に効く薬草の類を知っているが、タイジの手にしているような『ビンに入った塗り薬』というものは、与り知らない。
とにかく、今、ボクに出来ることは、タイジの処方に効果が表れるように祈ること。それを邪魔しちゃいけない。うん、きっと大丈夫。サキィ君は死んでなんかない。そうだ、超人は死んだら肉体が消えてなくなるもの。だから、サキィ君はまだ無事ってこと!
「ボク、ちょっとその辺、探してくるね」
マナは何気なくその場を離れ、辺りを歩き出した。
サキィくんは絶対助かる!
そう、信じながら…
そう、祈りながら…
でも…
もし、死んでないなら、睡眠による体力の回復ルールは?どうして、あれから何時間も経ってるのに、ボクもタイジも、もう傷は回復してるのに…どうして?サキィくんだけ目を覚まさないの?その体の傷は癒されていないの?
んんん!考えたって駄目だ。今はタイジを信じよう。うん!タイジならちゃんと治してくれる。だって、タイジは昨日の晩、あんなにボロボロだったボクの傷をキレイに治してくれたんだもん。きっと、あの薬で…サキィくんだって…
半球型の地下空間を物思いに耽りながら彷徨う。やがて、今までは気付かなかった箇所を見つける。
「あ!」
落ち着かない心のまま、その円周をしばらく歩いて調べまわっていたところ、堅い地下茎の入り組んだ壁に、僅かに開いている穴が発見された。
そこだけ壁にめり込むように空洞が出来ていて、その奥を覗けば、果たして虹色に輝く光が、湧水のようになみなみと溢れていた。
「タイジー!ちょっと!こっち…きて!」
マナはタイジを呼んだ。
「ん!何さ?」タイジは首だけをこちらに向けている。
サキィくんの治療が今は一番大事。
そのことはボクにも分ってる。
でも、この発見と思い付きを、すぐに実行したい!
「んもう!いいから、こっち来てよ!」
マナの強引さが、この時ばかりは親友を救うために献身的な施術を行っていたタイジを動かした。
「なんだよ、マナ……」タイジが駆け寄ってくる。「今それどころじゃ……え?これって!」
タイジはマナの指差した、木の根に囲まれた穴の奥を覗いた。
「水晶?」
「そう、これが…」と言ってマナは腰に下げた革袋から、上質の羊皮紙を取り出し「手順は教わってるけど、大丈夫かな、ホントに…ちょっと待ってね」ぶつぶつ言いながら、手にした紙片を穴の奥の光に、火であぶるようにあてた。
木の根で出来たゆりかごの中、生まれたての赤ん坊のような穢れない光がかすかに揺らめいている。
水晶そのもの自体は木の根の先に隠れているのか、光源は確認できない。ただ、そこにこの世のものとは思えない幻想的な光のゆらめきが、確かにあった。
「よし」
しばし後にマナが紙を取り出すと、そこには美しい紋様が浮かび上がっていた。
水晶の光なのだろうか?紙に模様を残すほど、何かそれは特別な光であるようだ。
「うん、これでいいはずだ」
タイジはマナの持つ紙を横から覗き込んだ。
「キレイでしょ?」とマナ。
「いや、別に」大して関心の無いタイジ。「でも、なんか不思議だよ。光にあてただけでそんな模様が出来るなんて」不思議だ。とにかく不思議なことが多すぎる。
僕は落雷で気を失う前、信じられないような魔術を使って、あの怪物と戦っていた。
マナもサキィも歯が立たなかった相手を、倒してしまったんだ、この僕が!
タイジが後方に置き去りにしているサキィのことを考え始めた時、マナがタイジの手を握っていた。
「タイジ。タイジも立派に試練に合格したんだもんねー」
「え?」
マナの眩しい笑顔を前にして、サキィを救わなくちゃという想いも薄らぐほど、堅くなるタイジ。
「だからさ、だからさ、ちょっと、手をこの穴の中に突っ込んでみてよ。それで、あの光にあててみて!ボクの紙をそうしたみたいに」
マナは唐突な思い付きを、自信満々で訴える。
「て、手を?」
タイジは言われるがままに、木の根に守られた光溢るる空洞に自分の右手を差し入れた。
「コレ、ってなんか意味あるの?」
「いーから、いーから。わかんないけど、今、なんとなく、そうした方が良い気がしたんだ、カンだよ、カン」
シュパイイイィィンンと、一瞬、光がフラッシュし、タイジは思わず「うわ!」
「だいじょぶ?」
タイジは手を引っ込めた。
見ると、拳が淡い輝きを帯びている!
まるで木の幹の間に隠された精霊のごとき光が、タイジの手に乗り移ったかのよう。
「タ、タイジ、それ…」
マナは優しい光を帯びたタイジの掌を見て、思いの外効果が表れていることに我ながら驚き、興奮してしまっている。
「熱い?」
「いや……熱はあるみたいだけど、なんていうか。その…」
僕の右手。
あの魔術を使う時みたいに、ぼんやりと光っている。この不思議な光に触れたら、なんだかまた力が、今までに持ったことのない力が、手に入って自分のものになったような感覚。
「そうか!水晶の光…超人はここで生まれたんだ!あ、こ…言葉が…」
「え?何を言ってるの、タイジ?」
マナの真ん丸な瞳がタイジに釘付けになっている。
「言葉が、また浮かんできてる…」
さっきもそうだった。
そして、これも何でか分からないけど、自分がすべき事がなんとなく、わかるんだ。
タイジは壁から離れ、ゆっくりと歩き始めた。床に転がるサキィの死骸に向って。
死骸?
いや違う。
超人は死んだらその身が消滅する。つまり、死骸という概念はあり得ない。
「タイジ。もしかして…」その光で、直せるの?サキィくんを…
タイジは少し離れたサキィの側まで、片手に光を携えたまま、ゆっくりと戻っていった。
サキィはぐったりと倒れたままだった。
千切れた胴をなんとかくっつけて、その断面に溶接するように、宿から持ってきたありったけの特製塗り薬を塗っていた。
何故か石化呪文ブラウンシューで石になった筈の彼の下半身は、元の毛皮に戻っていた。
だから、くっつけようとするのに、それほど手間はかからなかったが、傷があまりに甚大すぎるのか、タイジの生家で代々受け継がれてきた秘伝の特効薬の効果は、大して表れていなかった。
小さい頃、宿に泊まりに来た超人の戦士の、痛々しい背中の切り傷に、母親に命令されてその薬を塗ったことがある。生傷によく効く、不思議な薬。タイジは酸っぱいような爽やかなような、その軟膏の匂いが少し好きだった。
ビンの蓋を開け、空気に触れると、すぐに変色する、せっかちな薬。
幾つもの希少な薬草類を調合させ、じっくりと熟成させて製造する、実家の宿屋の秘密兵器。
今、タイジはその蓋を外し、光り輝く指で、残りの軟膏をくまなく手におさめる。それを、サキィの傷口に塗っていく。
「すごい…光ってる」
マナは眼を丸くして、タイジの奇跡の手を凝視する。この瞬間瞬間を、またとはない、歴史的儀式の一瞬として記憶する。そうか!この為に、サキィくんの傷は……その損傷は、タイジの治療を待っていたんだ!この超人的治療の儀式を!興奮したマナの勝手な飛躍的解釈。そして…
「言葉が、また……来ている」
あの、水晶の光にこの手をかざしたことで。
「見てろよ、兄さん……僕だって…」
white light white heat!!!!!
タイジは詠唱した。またも新たな魔術を!
「す、すごい……」
マナは呆然とする。
ルルルゥゥゥウウリリリリィィィイイイ
白い閃光が辺りを包んだ。
タイジの右手からは太陽光のような明かりが放たれ、それがサキィの全身を覆っていく。
壊れていたものがまた元に戻っていく、仲直りの神秘。輝く朝の到来を思わせる、安らかで力強い癒しの閃光!
無残な切り口が、塞がってゆく。元通りになる!
異生物にダメージを与えた雷撃とは対称的な、それは愛に満ちた、再生の煌きであった。
細胞を超人的に活性化させる。サキィの傷だらけの体が再生していく。
タイジの魔術。
それは回復の魔術。
「これが…まさか、噂の」回復呪文!「タイジが、使っちゃうなんて…」
タイジはまだ無我夢中で超人の能力を行使していたが、それでも段々とかつてない心境に達し始めていた。
僕は、誰かの為に、何かをしている。仲間を助ける為に、何故か僕に身に付いた力『魔術』を使っている。
今まで、自分さえよければなんて、思っていた。
誰かの話を聞いたり、言いつけられたり、そんなことは本当に嫌だった。
でも、僕はマナやサキィの為に、何かをしている。
世界の人の為とか、お国の為とか、家の為とか、そんなもんはやっぱり関係ないと思っちゃう。
けれど、大好きな仲間達だけは、失いたくないと思うんだ。ただ、それだけ。
マナは後方からこの信じ難い光景を、ただ眺めていた。
アザがあったことから、タイジが何某かの魔術の力を秘めていることは察しがついていた。
けど、今まで魔術大学でだって一度も目にしたことのないような強力な魔術を、こうも呆気なく使えるようになってしまうなんて!
しかも、今また、もう一つの新魔術を使ってみせた。
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