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オリジナルの中世ファンタジー小説
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アザのことはタイジも本当に分からなかった。
つい数週間前のことである。
その夜は普段にも増して暑さが厳しく、まるで夏の終わりに乗じて大気の精霊が、最後の大暴れと溜め込んだ熱気を一気に放出してやろうと云わんばかりの熱帯夜で、寝苦しく、また眠りに落ちてからも寝汗が止まらなかった。
何か穏やかならぬ夢を見ていた気がする。夢の中で、久しく会っていない誰かが現れ、そいつに追いかけられて逃げ回っていた気がする。
自分の手には一本の小さなナイフが握られている。だが、とてもそんなもので太刀打ちできるような相手じゃない。逃げることしか出来ない。振り返りもせずに…
やがて、
袋小路に追い込まれ、そいつは拳を振り上げた。そいつの拳は太陽のように眩しく輝いていて、それは生死を決定する恐るべき威厳の力であった。
拳の光は次第に焼き鏝のようなものになって、
脇腹にそれが当たった。皮膚を熱く、焼た。
タイジは水でも被ったかのような汗にまみれて、真夜中に目を覚ました。
翌朝、親友でもあり、学校を辞めてからもしばしば顔を合わしているただ一人の男に、その悪夢を語った。
「タイジ、夢なんて見るのか?お前らしいな。俺は夢なんて見ないぜ。俺らしいだろ?」
五つ年の離れたその親友は獣人であった。
猫族との亜人であるその友は人間には無い長いヒゲを持ち上げながら笑った。
「なんかさ、腹を焼かれたような気がしたんだよね」
「へー」友人は何気なくタイジのシャツをめくってみた。「わ!なんだ?このアザ!」
「え?」
タイジはその時、初めて自分の体の異変に気付いた。
「き、気付かなかった」別に痛くはなかったし、感覚の変化も無かった。ただ、触ると小さな熱だけがあった。
タイジは瞬間、紫の煙の如き模様の中に次兄の面影を見た。
あの、夢の中で襲ってきたあいつ…それはもう何年も顔を合わしていない兄、セイジに違いない。


マナを除く魔術大学生一行が夕方に一斉に帰ってき、食堂で夕食をとった後は、昨晩のような馬鹿騒ぎは繰り返さず、三々五々散会し各々静かに部屋で時を過ごしていた。
「どうした?マナ。今日はどんちゃん騒ぎは無しか?」
廊下ですれ違えば、ついついタイジは話しかけてしまっていた。タイジは同行の、マナが「みんなカレシ」と呼んだ連中とはつとめてコミュニケーションを拒絶していたが。
「女の子には色々あるのよ。それと予定を繰り上げて明日、例の場所へ行くことにしたんだ」
「例の場所って…あの暗黒の地下道へか?」
暗黒の地下道
それはタイジの国の領土内において、一般の市民は決して立ち入ってはならないと禁じられている北方山脈地帯の一角。荒涼とした岩場に口を開けた、深い深い暗闇の洞窟。
城下町の郊外から馬で一刻弱のその辺りには、何度も立てては破壊された柵と「立入禁止」の立て札の数々。
「あんなとこ行って、もし帰ってこれなかったら、どうするつもりだよ」
マナはタイジの厚ぼったい唇を見つめて「安心しなよ。ボクらの宿泊代はうちの国の予算で払うんだから、踏み倒したりはしないよ」
「じゃなくって、もし怪物どもにやられちまったらどうすんの、ってこと」
「その時は」と、マナはまるで恋人がそうするようにタイジの腕を優しくギュッと掴んで「お別れだよね。タイジとは会えなくなるよね」
タイジはまたいつもの思わせぶりだと感じ、自分の腕を掴むマナの柔らかく真っ白な手を解いてやろうかと思ったが、自分を真っ直ぐに見ているマナの目線を、病的ともいえる加速度で愛しくなり「マナ、死なないでくれよ」と真顔になって言った。
「大丈夫だって!タイジは知らないだろうけど、百年に一度の天才といわれた天才まじゅちゅし…ま、魔術師マナちゃんがそう簡単にやられるもんかい」
マナはいつもの明るいポーズをとってタイジの気遣いに応えようとした。
「あ!っていうかさ、お前、いつの間にそんなものになってたんだ?そもそも大学って…」
「あん?あー、それはね、中央国に移民した時に『あなたはまじゅちゅしの才能がありますねー』なんて役人さんに言われて、それでテストしたら今すぐにって魔術アカデミーに入れられて、そんであっという間に上級生を追い抜いて卒業試験てわけさ!スゴイだろ!」
「信じられない話だ」
タイジはマナの勝ち誇った顔を見て我が耳を疑った。
彼の知る限りでは、彼女はただの男好きの恋愛中毒少女でしか無かった筈だ。


かくして、翌日マナ達魔術大学の学生一行は大きな荷物を宿に残し、戦地に向う為に必要な最小限の道具だけを携帯し、それぞれ馬に跨って獰猛な怪物達が蠢く魔の区域へと出発した。
「心配か?」
タイジの姉の一人が物憂げに一団を見送っていた彼に対し聞いた。
「あんたがいくら心配したって、あんたはマナちゃん達みたいな特別な人間じゃないんだし」と母が続ける。「あの子達が無事、試練を終えてまたうちに戻ってくるのを祈ろうじゃないか」
タイジは二人の会話を他所に、マナとの思い出を反芻していた。
マナが行ってしまう。
最悪の場合もう二度と会えなくなるかもしれない。
かつて、自分の兄と付き合っていることを知っていながら、一緒に過ごしていた、マナといた日々。兄に宛てたマナの手紙を手渡すといって引き受け、黙ってその内容を読んでは苦い絶望を味わっていただらしない青春の日々。あの頃はあいつに魔術だとかなんだとか、妙な力なんてものは無く、ただその女としての魔力にやられ、街の公園や川原で肩を並べて座っては、髪の色が変化していく様を横からただ見ていた。
もし、マナが異生物どもに殺されるような事態になったら、これが最後の別れになってしまう。そうは云っても正しく母が言った通り、今の自分ではどうすることも出来ない。少なくともタイジはそう信じていた。何も出来ない己の無力さに歯痒くなるばかりだった。
タイジは誰の眼にもはっきりとわかるくらい、茫然自失とした魂の抜けた顔でその日一日を過ごした。側にいれば、会いたくないと逃げ出してしまうくせに、いざ離れていってしまうと途端に募る想いで胸が激しく締め付けられる。

そして夜は一段と彼の心を蝕んだ。
もう夏も終わりかけ、幾分過ごしやすくはなってきた季節にも関わらず、浅い眠りと断片的な悪夢によって何度も自室の布団の中で寝ては起き、寝ては起きを繰り返していた。
たとえ虫の音とひんやりした夜風が窓の外に満たされていたとしても、タイジの部屋にだけはそれは届かない。少年は苦しみに彩られた睡眠に激しく苛まれていた。
いつか獣人である例の親友と森に狩に出かけた時に襲ってきた三つ目の猿の群を思い出し、その猿に似た異生物に襲われるマナの幻を見ては、これが夢であれと願うばかりで何も出来ずにわめき叫んでいる自分だけがいる。
あるいは暗い洞窟で灯りを無くし、深い地底に閉じ込められてしまったマナが一人、ずっと助けを呼び続けている、タイジの描く悪夢のレパートリーは尽きることを知らなかった。
コツン!
しかし。
タイジを執拗な夢の猛襲から救い出したのは、他でもないマナ本人であった。あるいは、それは別の悪夢の始まりでもあったのかもしれない。
「タイ…ジ。起きて。た、助けて…」
寝台の側の窓の外に、マナの姿があった。
タイジは窓を開ける。月明かりが差し込む。
そこにいたのは顔の右半分を血で染めた満身創痍のマナの姿であった。
「な!何があったんだ?どうしたんだ、マナ?」
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タイジの自室は宿の従業員用区画の最奥、一階部分にあった。
今、窓の向こうには、疲弊した馬の姿が見え、そして血にまみれたマナがいる。
「タイジ、お願い、だから…。黙って、静かにボクの話を聞いてくれる?」
マナは開けた窓越しにタイジの手をとって話し始める。
タイジは流血によってか、馳せてここにやってきた為か、苦しそうな面持ちのマナが語り出す事柄を真剣に聞く姿勢を取る。
「結論から言うと、ボクたちは、あの洞窟で全滅したの。ボクの仲間の四人は洞窟内で…四人は、死んだ。そして、残りは今、地下道までの道にある見張り小屋に傷を負ったまま寝かしてあるの」
秋の虫の鳴く声が開けた窓から室内に入ってきた。
タイジは仲間の死を打ち明けた時のマナの、悲壮に満ちた硝子の如き表情を強く記憶した。
擦り傷を負っている彼女の手は彼の手と繋がれているが、それが今はただの愛情の戯れといった類の行為ではなく、誰かに手を繋いでいてもらわないとその身が維持できないでバラバラに千切れ去ってしまいそうな状態であることが、タイジには段々と分かってきた。
「仲間が死んだ?」
あの、タイジがしきりに顔を合わせようとしなかったマナの仲間達。
マナと親しいことを快くは思えず、内心疎ましく思っていた魔術大学の生徒達。
「うん、みんな…殺され…た」と言ってマナは唇を噛んで涙を必死に堪えていた。肩が震え、月光に照らされた髪の色が黒と緑の狭間を行き来している。
「その見張り小屋なら知ってる。ここから半刻もあれば、馬で行けるとこだ」
タイジが何か言葉を言わなければと思って出たのがそれだった。
「うん、そう」とマナは破けた外套の袖で顔を拭い、タイジに赤い血に塗られたその愛らしい顔を向け「生き残った三人はとても馬になんか乗れる状態じゃなくて。で、そこなら大丈夫だろうと思って、寝かしてある」
八人の魔術学生のうち、半数は死亡し、残りは重傷を負って倒れている。
すぐには実感の湧かない話だった。
だが、マナの顔を染めた赤い血が、それが偽りではないことを物語っていた。
「その…、言い訳をするつもりじゃないんだけど、ボクらを洞窟内で襲ったのが、ただの異生物じゃなくて、何か、こう組織された連中のようでもあって…ボクたちは完全に不意をつかれて…必死の応戦も…交戦も!抗戦も!光線も!」
「わかったよ、マナ。とにかくお前が無事で良かった。さ、早く…。とりあえず手当てしなくっちゃ。裏口を開けるから、そっから入ってこいよ」
「それがね」マナは、促がそうとするタイジの手を握り締めて「そうじゃなくて。タイジ、お願いだからボクのこれから言うことを、黙って聞いてくれる?」
「え?」
「タイジ、あんたは今から身支度をして、この窓から外に出て、それでボクと一緒に見張り小屋まで来て欲しいの。今すぐに!」
「な!」
タイジはさすがに面食らって「何を言ってるんだよ!意味わかんないよ、マナ。とりあえず、その傷を直して明日また出直すか、対策を練るとかさ、そういうことを考えるべきだろ!そうだ、お城に行って相談したり、超人を雇って小屋まで行って怪我人を…」
「ボクの立場は」とマナはタイジを遮って「全滅だなんて結果を本国に持ち帰ることは出来ない。なんとしてもこの試練を突破しなければならない。それにはタイジの力が必要なの。ワケは後で言うよ。とにかく、今すぐついてきて欲しい」
「日を改めろって!だ、だって、マナ、すごい怪我してるじゃないか!」
「明日になったら、ことが明るみになっちゃうでしょ?それじゃマズイんだよぉ」マナは傷だらけの顔でダダをこね始める。「ね!タイジ!今すぐ一緒に来て!」
「だから、意味がわかんないって言ってるんだよ!超人である魔術師がやられたんだぞ!僕なんかが行ったって役立たずなだけだよ!」
「そんなこと言わないで!もう、タイジしか頼れる人いないの」
「だからお門違いだって言ってるんだよ。凡人の僕に何が出来るんだよ」
タイジは己の不甲斐なさに憤りながらマナの申し出を拒んだ。
「ねぇ、タイジ」とマナはタイジの手を、今度は両手で握り「ボクはこのまま後には引けないの。それは絶対。今すぐリベンジするしか道は無いの。それともタイジはボクのことなんかどうでもいいの?このままボクがまた洞窟に行って、それで殺されちゃったり、試練を放棄してホウホウノテイでとんぼ返りして、中央のお役人さんに面子を潰されたと牢屋に入れられたり、拷問されたり、ギロチンに掛けられたり…」
「そそそ、そんなこといったって、第一、僕が言ったって同じ結果になっちゃうだけじゃないか!」
超人でもあり魔術のスペシャリストでもある魔術師学生が七人もやられたんだ。そんなところへただの人間が、しかも特別運動が得意なわけでも、戦略に長けているわけでもない自分が行って、何の意味があるって言うんだ?
「そりゃ…友…達だし、マナの役には立ちたいと思うよ。でも超人でも魔術師でも無い僕に何が出来るって言うんだよ」
「タイジは超人だもん」
試すような、勇気を奮い立たせるような、自分を見つめる雄々しい二つの眼があった。
「なんだって?」
「タイジは、超人なの。んんん、正確にはもう少しで超人になるの。ボクは知っている」
マナはタイジの手を握る手に力を込めた。
突然の告白に頭が真っ白になるタイジ。
「そのアザ。それは大きな力が解放されるという印。解放されて超人へと生まれ変わる証」
タイジは思わず自分の脇腹に視線を移した。紫のアザはそうだと答えんばかりに、微熱を高めていっているようだ。
「ちょ、ちょっと待て。ムチャクチャなこと言わないでくれよ。確かにさ、このアザがなんなのかわかんないけど…」言いながらタイジは愕然としてきた。
そう、僕はあの日。
悪い夢から目覚めて出来ていたこのアザが、一体何なのかさっぱり分からない。だけど、マナは知っているという。
超人
人間とは似て非なる者。
人間を超えた力を持つ人間。
それに、僕も、なる、だって?
「で、でも…少なくとも今の僕は超人になんかなった覚えはないし、何も特別な力なんて持っていないんだぞ」
「それはこれからだよ」マナが笑った。「そのアザはフラグみたいなもん」
「フ、フラグ?」
なんと難解な表現を使うんだ、こいつ…さすが大学生。
「そう、タイジはもう超人になるフラグが立ってるの!あと、必要なのはきっかけだけ!そして、そのきっかけはこれからボクについてくればきっと起こるっ!間違いないんだよ!」
マナは上気してけしかけた。タイジについて来て欲しい。その気持ちはまるで夏の陽射しのように明々とタイジに照射されていた。
「待て待て待て」
タイジは分からないことだらけで、うまい具合に丸め込まれていっている自分の立場を立て直そうと「ちゃんと、説明してくれよ。このアザは超人になるっていう予言みたいなものってこと?」
「もうーめんどくさいなー」マナはまた外套で傷口を拭いてから早口で「あのね、前にそれと同じアザを持った子が大学にいたの。その子は魔術研究学科だったんだけど年下のカワイイ女の子である時そのアザの力が解放されてドヴァーって感じでそれでその子はボクのことをとても大好きで魔術師に超人になって一攫千金の一石二鳥が…」
「マナ、落ち着け、何を言ってるか誰にも分からないぞ!」
タイジもマナのあたふたした動作を見て、強張らせていた顔を少し柔らかくしてしまった。
「もー!とにかく、ボクと一緒に来れば、タイジも超人になれるし、ボクも国に帰って晒し首にならなくて済むの!さぁ、もう決まりでしょ!?行こうよ!」
冒険の始まりはこうして、ある意味無理矢理とも云える強引さによってもたらされる。
それは物語の装置に過ぎないのか。
いや、違う。
誰にでもチャンスはあるのだ。
不可思議なアザだなんて、有り触れた小道具に過ぎないかもしれないが、つまりそれだけきっかけはなんでも良いのである。何故なら冒険を始めるきっかけは誰にだって与えられているし、どこにだって用意されている。
手は、いつも差し伸べられているのだ。たとえ見えなくても。
マナの笑顔が、タイジの心を惹きつけた。
こいつと、冒険に出掛ける。
どんな恐ろしいことが待ち受けてるかも分からない。
だけど、今のマナはきっとそんな理由で、僕を見逃してはくれないのだろう。
僕が超人になるって?
タイジは興奮するマナに誘発されてヒートアップ気味の頭を、目まぐるしく逡巡させて、今、この現状で出来る最良の選択を導き出そうとした。
超人…僕が超人になる…冒険…マナ…超人のマナ…マナの頼み…マナは友達だから…友達?…超人の…人助け…僕が、超人…マナの言葉…友達…?
ん…待てよ。
「わ、わかった、マナ、ついていってやる。お前が僕の知らないところで勝手に死なれるのは嫌だ」
タイジが珍しく男らしい台詞を吐いた理由は、だが別にあった。
そうだ、僕には一人、たった一人だけ、こういう時に頼れる友がいた。『お前が困った時はいつでも力んなるから、遠慮なく言えよ!』そう言って高等学校に、退学届けを仲良く揃って提出した親友がいる!留年を繰り返していた獣人のあいつは、超人だ。
「ホント?」
マナは血で染まった顔を、きらきらきらきら精一杯輝かして喜んだ。
「その代わり、手当てだけはしてくぞ。半刻もかからない。薬と包帯と応急手当。さ、中に入って」
「わ、え。あ…ありがと」
タイジは窓越しにマナを招き入れ、ベッドに腰掛けさせ、皆が寝静まった真夜中の宿内から救急箱と秘伝の軟膏薬を取ってきて、マナの傷の手当てを施した。
顔の血のりをお湯で絞った布でふき取り、肉付きの良い二の腕やふくらはぎに鋭く走る擦過傷を煎じた薬で消毒し、ガーゼを当てて包帯を巻いていく。その動作は自分でも不思議なくらい行き届いていて、頼もしいと感じられるものだった。マナと冒険に行くという、これからの期待と不安と大いなる予感に、タイジの中で何かが変わり始めていたのかもしれない。
「なんか、タイジって手際良いね。傷の手当てとか慣れてるの?こうしているとなんかボクたち恋人同士みたいやね」とマナは優しい声で言った。「タイジ、どさくさにまぎれて変なところとか触んないでよ」と思わずいつもの調子で言ってみる。
「ば、バカやろ!こんな時にふざけるな!」
マナの熟しきる寸前の果実のような体に触っていたのに、変な気分にならなかったタイジはその言葉で急に我に帰った。
「それと、一緒に行くって言ったのは」と包帯をハサミで切って「助っ人になってくれるかもしれない奴がいるからだ。一人、僕の知り合いで、協力してくれるかもしれないやつがいるから、今からそいつを呼びに言ってくる」
「へ?」今度はマナが驚く番。「そんな人いるの?男?ボクの知ってる人?こんな時間に…」
「大丈夫だ。気まぐれなやつだけど、いざって時は頼りになるやつなんだ」
「ほんとに力になってくれそう?その人?」
「この近くに住んでる。夜行性だし、呼べばすぐに駆けつけてくれる良いやつなんだ。これから呼びに行ってくるから、とりあえず大人しく待っててくれ。すぐ戻る」
タイジは立ち上がり「大丈夫。そいつは僕と違ってマナと同じ、れっきとした超人だよ」言い残して部屋を後にした。
この時、タイジの頭の中には幾らかの勝算があった。マナの強引な要請を引き受けたのも、うまくいくという可能性の自信が芽生えたからだ。それもこれも、これから援助を依頼しに行く獣人の親友の存在が為であった。それだけの信頼があったのだ。
「わわ、わかったよ、タイジたん。ボク、待ってるね。なるはやで帰ってきてね」
マナはタイジの唐突な頼もしさに半ば驚きながらも、部屋を抜け出ていく幼馴染の姿を優しく見送った。
大丈夫かな…
幼馴染の男の子の部屋で一人きりになると、そっとベッドに横たわった。瀕死の重傷を負いながら、ここまで馬を飛ばしてきた。さすがに、緊張の糸も切れ、今は押し留めていた疲労感が一気に襲い掛かってくる頃だ。少しぐらい、タイジの布団を使っても、文句はいわれないだろう。
「あ、いけない、いけない」すぐに出発するんだった!
マナは半身を起こし、ベッドに座ったまま瞳だけを閉じた。
ふと、タイジが塗ってくれた薬の香りが鼻に入った。今までにかいだことのない、新鮮な匂いだった。それは、どこか余所余所しいけれども落ち着く、優しい香りだった。






タイジ、ありがとうね。そして、ゴメンね。
四半刻後。
タイジがひっそりと自室に戻ってくると、マナはベッドに腰掛けたままうたた寝をしていた。
「お待たせ」
静かに部屋の戸を閉めて、タイジは言った。
「それとも、やっぱり朝まで待ってからにした方が良いか?」
「あ、いや、ゴメン」とマナはすぐに目を覚まし「んんん、朝になるとおばさまや宿の人に見つかる。それじゃマズイから、さぁ。行こう」と素早く身を起こした。
少しの睡眠で、肉体はだいぶ楽になってきている。マナは傍らに置いた武具や道具袋をしっかり身に付け、再出発の姿勢を見せた。
「ん?あれ?
その頼れる助っ人君は?」
「交渉したら、武器を選んだり、装備を整えたりするから、後から直接見張り小屋に行くだと」
タイジは今しがた会ってきた、猫族の獣人であるからか真夜中でも機嫌一つ変えずにタイジを出迎え、手短に事情を話したらあっけなく了承し、その割には同行ではなく「任せろ!すぐに駆けつける」と意味深な気まぐれを見せた親友のことを想った。
「あいつは…ちょっと変わってるけど、何故だか僕の困ったときにはいつでも助けてくれる良い友達なんだ」
「見張り小屋に後から行くって、ホントに来てくれるのかな?」
「確かに変だけどな」とタイジもマナに続いて窓から抜け出し「でも、信じて大丈夫だ。嘘なんてつくやつじゃない。ちょっとばかしの準備が必要とか言ってたから」
「わかった」
マナは待機していた馬の手綱を引きながら「じゃあ、ボクも信じるよ」
「うん。きっとすぐに、来てくれるさ」僕の…ただ一人、この町で頼れる友人だから…
タイジ宿の馬小屋から大人しい一匹を連れてきた。調教が済んで間もないが、過不足無くよく働く若馬だ。
「…」
タイジは宿を離れる時、一度だけその大きな家屋を振り返った。何千もの夜をここで寝泊りしてきた、彼の生家。
東南国の王宮から特別の認可を下されている超人用の宿屋。
古めかしい造りの建物は、今も物言わずに、そこから旅立っていくタイジを黙って見下ろしている。
こんな家…嫌いだったんだ
ずっと、ここから抜け出してやりたいと思っていたんだ
だけど、そのきっかけ、理由が僕には見つからなかった。手に入らなかった。
でも…今は…
ぼんやりと、馬の背の上で背後を見つめたまま、離れていく忌まわしき実家を眺めている。
そう、この時のタイジには既に、もうここには帰ってこないだろうという、漠然とした予感が察知できていたのだ。
マナの不可解な申し出を引き受けた時点で、もう自分はここには戻ってはこないだろうという、漠然とした予感、
それが、タイジには備わっていた。
「タイジぃ~、どうしたの?」前方からマナの促がす声が聞こえる。「そんな後ろばっか見て…あ、忘れ物?」
「いや、違うよ」
タイジは前を向いた。しっかりと馬の手綱を握って。「忘れ物なんかないって」
「そんな名残惜しそうな顔しなくたって、万事うまくいけば、またここに戻ってくるんだから」
マナの言葉を、だがタイジは返さなかった。
ここには戻ってこない。きっと、戻ってこない。
それはタイジの信念ではなく、あくまで予感であった。
二人は真夜中に城下町を抜け出し、大いなる冒険へと旅立っていった。


夜を、走っていく。
ますはダンジョン手前の中継地点である見張り小屋に行き、負傷したマナの仲間三人の様子を窺う。そして、可能であれば、すぐにでもダンジョン攻略に再チャレンジする。
タイジは宿の調理場から、滋養のある肝や木の実といった食料を持って出かけた。
超人は僅かな食事でも、普通の人間の数倍の速度で体力と傷口を回復させることが出来る。
そこに睡眠が加われば、更に効果は倍増する。
助っ人を呼びに行っていた間にうたた寝をしていたマナの体は、塗り薬の効力もあってか傷口も塞がり、だいぶ軽くなっていた。
タイジは滅多には来ない郊外の、夜の草むらの中にその姿を覗かせている異形の生き物達、異生物を幾度も目視していた。
人間を襲い、命をも奪わんとしてくる忌むべき怪物たちの姿を目にして、全く恐れを抱かなかったといえば少々強がりになる。
しかし、それでも今はマナと共に旅立つ歓喜と期待、それに伴う勇気、決意、覚悟、それら感情の高ぶりが馬上の恐怖に打ち勝っていた。失っていた活力を取り戻した感じ。
また、マナと二人になれたんだ!駆け抜けていく二つの影を照らす月は物も言わずに、廻り始めた運命の車輪をただ見守っていた。今やマナもタイジも無言で馬を駆り、夜道を急いていた。


タイジの乗る馬は若かったが、乗り手のスキルに見合った走りをしてくれた。
さすがに、厩から一等の馬を拝借するわけにはいかなかった。
高等部時代に乗馬を習ったとはいえ、ここしばらくは御無沙汰だったので、出発当初にスピードを上げた時はさすがに手こずりもした。
マナが何も言わずに、ブランク空けのタイジが着いてこれる程度に、速度を落としてくれているのがわかる。

「見えてきた!」
肌着を吸い寄せる汗が夜風で心地よく冷される頃、マナが声を発した。
地下道の中途にある見張り小屋は、堅固に積まれた石の塀に囲まれた、レンガ作り、一階建て、長方形の建物であった。
「静かだ」
タイジも馬を降りながら言った。
「うん。きっと三人とも死んだように眠りこけてるんだ。死んでなきゃ良いけど…」とマナはタイジが馬の手綱を木に繋いでるのを待ちながら言い「でも、火を消してしまうのはいくらなんでもよくないよ」と呟きながらレンガ小屋の扉を開けた。
ギィィィィ
「うわ、真っ暗だ。ランプはわかる?」
タイジはマナの後ろで言った。
「ちょっと待って!」とマナは鋭く言った。
窓から差し込む月明かりが僅かに青白く照らしている部位以外、部屋の中は何も見えない。
空気が変わった。
鈍重な殺気!
その時、マナが魔術を使った。
タイジは見た。
聞き取れない、何らかの言葉を呟いた、己の半歩前に立つ少女の手から光が、炎が、紅蓮の炎がやって来て辺りを照らし、みるみる緑色へと変わっていく髪の毛の様。そして…
「うわああぁああぁ!!!」
マナの作り出した幻の炎に、明るく照らされた室内に立っていた三つの影!
どす黒い赤に染まった肉体!
ベトベトと、汚泥のように体から液を滴らせながら二本の足で床に立ち、目は禍々しく赤く光り、口元は溶け出しながら裂けている!異形の人間!異生物
「悲劇の怪人」が三匹、あらわれた!
タイジは腰を抜かしてしまった。
先程まで、馬で草原を疾走していたときに見受けた草むらに隠れた怪物達ならまだしも、安心と思って訪れた小屋でこの光景を目にしてしまっては「あ、あわわ、ぁぁぁ」膝が半身を支えることを放棄した。
「チクショウ!」
マナは大声を出して胸の前で作り出した炎を一層たぎらせ「こんなことってあるか!クソ!」
両手を高く上げて炎を最高潮に熱して、怪人に向かって発射させた!
炎は真っ直ぐにその化け物に向かって飛んでいき、見事命中!
「ギュギュズウジュウジュ」と人の形をした魔物は呻き声を上げながら、赤黒い体を炎上させた。
そして、煙のように跡形もなく消え去った。
殺したってことか?
もはやタイジは、あたかも幻を見ているような気分だった。
あんな不気味な異生物、町の外でも見たこと無い!
異生物って言ったって、精々大きくたって人間よりもちょっと小さい獣みたいなやつぐらいしか知らない。人の形を保てなくて崩れていくこんなバケモノ、見たことない!
それ以上に、マナが使っている魔術?
あれが魔術っていうものなのか?なんだ、これは?
彼は床にだらしなく尻餅を付きながら、自分の日常から久遠に離れた世界の光景を眺めている。
ここはどこだ?一体、これは何が起こっているんだ?
それに、マナの魔術で一時明るく照らされた部屋を見渡しても、負傷した魔術師の仲間は見当たらなかった。
代わりにいたのが、こいつら異生物!?
「シャアアアアァアア」
怪物の一体がガラスを引っかくような不快な雄叫びを上げ、ドロドロに溶けている腕を振りかぶってマナに向かって突進してきた!
マナはそれを横様にかわし、再び何かを呟いて手のひらで炎を作り上げる。
髪はグリーンそのものになっている。
あのマナのカバンに入っていた、父親の肖像画と等しく。
「レッドホットー!」
怒声を上げて、マナは襲い掛かる二人目の怪人に至近距離で炎を打ち当てた!
またしても悲劇の怪人は耳をつんざくような断末魔を上げて、蒸発するように消え去った。
だが、タイジが震える口で「後ろ!」と叫んだときには、もう既に三人目の怪人に頭部を締め付けられていた。
「きゃあああ」
マナは悲鳴を上げる。
目の前にはマナの二発目の幻炎を受けて燃え上がり崩れ落ちる魔物。
しかし背後から別の一体がマナの頭に裂けた顎で噛み付き、両腕で首を絞めつけてきている!
「ク、くそぉお、この」
タイジは焦燥していた!
今こそ立ち上がってマナを助けなければ!
それは分かっている。
しかし、完全に腰が抜けてしまっていて、膝がガクガク、立ち上がれない。
「ハアアァアア」と怪人は笑っているのか、妙な声を発してマナを締め上げる。
マナの炎の灯りは消えたが、感覚の膨張の所為か、薄闇にすっかり慣れた目で、マナが襲われている様子を、ただ見つめることしか出来ない!
いきなり戦闘になって、それで、いきなりピンチだなんて!そんなんないよ!どうすりゃ良いってんだよ!
バタ!!
その時、戦場である部屋に一筋の光が差した!
ドアが開いて、長い細い影が!
そいつは威丈高に名乗りを上げた。
「俺の名はデニス・サ・サキ・ピーター・ジュン!助けに来た!ぶっ殺してやる!」
タイジは見た。
いや、見ることしか出来なかった
数刻前に会話を交わした親友のサキィが、美しい猫人の長身と長髪を閃かせて戸口から走り寄り、背の鞘からスラリと長い一振りの剣を抜き、三人目の怪物がこちらに目を向けるよりも先に、大上段から一気に剣を振り下ろし、相手を真っ二つにしてしまったところを!
失神寸前のマナをたった数秒で救った、その天上の音楽のような優雅な一連の流れを!
「キャニュゥヒアアアアァァミィィイイイイ!!」
空気を切り裂くようなサキィの懸声。
三体目の悲劇の怪人中空で消滅すると共に美しい音楽は鳴り止んだ。
マナは背中に纏わりついていた怪物から解放されて床に倒れた。
若く美しい獣人の剣士は、月光を浴びて光を放つ刃を右手に持ちながら、こちらを向き「タイジ、大丈夫だったか?怪我は!?」と、何故か、たった今自らが助けた少女の方ではなく、友人タイジの身の安否を先に問うた。
「サキィ!ああ、サキィ、よかった。ホントに良かった」
タイジは涙ぐみそうになりながら、サキィという愛称を持つ頼もしき親友に言葉を返した。
一方。
「ゴホ、ゴホ」
マナは床に片手をついた状態で、喉を押さえながら咳き込み、そして「あ、ありがとう…ございます」と上を見上げて言った。
見上げれられてはじめて、長身のサキィはやっとマナに視線を向けた。
入口のドアが開け放たれているお陰で、双方の姿はよく確認できた。
「キャ!」
マナは思わず黄色い声を上げてしまった!
危機にあった自分を救ってくれた剣士の姿。
長い剣を右手に構え、反対の腕には頑丈そうな革の盾を握り、鎧は着用していないが、それを必要だとは思わせないほど立派な筋肉を、はだけた胸のシャツの合間から覗かせている。
獣人といえど、その姿は限りなく人間に近い。
猫族特有の長いヒゲが目立ったが、長い髪は豊かな群青色で、細身で高身長、目鼻も鋭く研ぎ澄まされ整っている理想の青年の姿。長く伸ばした濃い青の髪に隠れがちだが、その二つの耳は頭部にではなく、人間と同じ位置に、だが三角形に近い尖り方をしている。
マナは下からじっくりと剣士の姿を見上げていく。
今まで何人もの美男子を物色してきはしたが、この人は中でも格別だ。肉体に過不足が無い。いや、獣の血が混じったその不完全な肉体こそ、魅惑の要素に溢れている。
不完全の美学、融合の美学。それは美のイコンであった。タイジとは大違いの均整の取れた戦う男の肉体。彫刻家が創り上げた美術品のような身姿。加えて、そこに混ざっている猫科動物の血が、彼をより一層幻想的で、容易に手の届かない高みに押し上げていた。
「はぅ」
剣士の股の後ろに可愛らしい尻尾が揺らめいているのを発見し、思わず心がとろけそうになる。
獣人自体は、この世界でそうそう珍しいものではない。
犬族から鳥類、爬虫類、魚類に至るまで、基本は人間をベースにしながらも、獣の特性を有した亜人は多く存在する。
亜人には他にも眼球が三つある者、極端に背丈が低いが腕力のある者、信じられない巨体を誇る者など、様々な種類がいた。
その総てが漏れなく超人ということではなかったが、亜人が同時に超人でもあるケースは多かった。
マナは先程まで生きるか死ぬかの瀬戸際にいたというのに、彼女の性格からか、それともほぐれた緊張の弾みでか、サキィに対する感想をあまりに露骨に言ってしまった。
「か、かっくいい…」
するとサキィと呼ばれた男は「タイジよ…」と友人の方を再度振り返ってこう言った。
「誰?このブタ?」
「え…?」
あちゃー、とタイジは僅かに離れた位置から、二人の初対面を目の当たりにしていた。
マナはサキィのことを知らない。
サキィ、その男。
鍛冶屋の跡取り息子にして、孤高の美男子であり獣人、美と力を併せ持つ完璧超人、一時期彼に惚れない女は女ではないという言い回しが流行ったほどの男。
高等学校時代、校門に一体何人の女子学生達が彼の下校を待ち伏せしていたことか分からない。
しかし、それもあってかサキィは、女に関しては他に類を見ないほど条件に厳しく、また先述の通りに救い難いほど口も悪い。
留年を繰り返していたサキィの、それ以前のことは知らないが、知り合って以来、常に行動を共にしていたタイジが記憶する限り、まともに彼の相手が出来た女は一人もいなかったのではないかと思われる。
「は?」
マナはそれを知らない。
彼に対する、いたずらな彼の容姿等への褒め言葉は、逆に仇となって、評した筈の女を深く傷つける手痛いしっぺ返しになる。
「ちょ、ちょっと、、何?」
「ま、とにかく」サキィは盾を外し、テーブルの上に置いてあった布で長剣を拭い「タイジがケガ一つなくってホント、良かったぜ」背中の鞘にそれを収めた。
マナのことは眼中に無いようだ。
穏やかでないのは当然のマナ。
「ちょっと!ちょっと、いくらなんでも、いきなり何よ?」
マナはスッと立ち上がって、サキィに食って掛かった。
こうして並んでみると二人の身長差は、頭一個分以上もある。
マナは髪を緑にし、怒り顔を上向きに「あのさ!そりゃ確かにちょっとボクはポッチャリむちむちかもしれないけど、家畜と一緒にするのはやめてくれるかなぁ!?助けてもらっておきながらこんなん言うのはなんだけど!」
「なんだお前?女のくせに自分のことボクだなんて言ってるのか?」サキィはまるで相手にしない風に「やめたほうがいいぜ。気持ち悪いよ、お前」
「な、なんだよう!ボクのこと、ボクっていうのは、ボクのお父さんがボクが小さい頃ボクが男の子だったらって言ったからで、じゃあボク男の子になるよってふざけてボクって言い始めて!つまりボクの小さいときからの癖なんだよー」
「あ、あのさ、マナ」と、やっとタイジは二人の間に割って入ろうとする。
「そいつが、僕が呼んだ助っ人のサキィ」
その言葉はこれ以上ないほど、見事に空虚に響いた。
「えと、僕達より年上で…じゃなくて、確かに口が悪いのは、保障付きっていうか、ご覧の通りってか」
タイジの喋る言葉は全く的を得ない。「いや、ちょとサキィは気性が荒いだけで、もちろん本心でそんなこと、言ったつもりじゃ…」
「俺はいつだって本心だぜ」とサキィはタイジの心遣いを物ともせず「タイジ、言っとくが、俺はこういう女が一番大っ嫌いだ!」
「いや、あのさ、サキィ。でもいきなりそんなこと言うなよ」
すっかりタイジは参ってしまっている。
「は?は?」
マナはもはや怒りのピークに達してしまっている。
「ふざけないでくれる?ちょっと顔が良くって、スラーっとしてて、ネコちゃんでカワイくって、ロンゲが決まってるからって…じゃなくって!簡単に人を見抜いたようなさ、そんな言い草するなんて、あんまりじゃない?自信過剰なんじゃないのぁ?」と大声を上げてサキィに抗い「それに、タイジ!」と怒りの矛先を、何も出来ずにへたり込んでいたタイジの方にも万遍無く向け「あんたさ!ボクが必死んなって、死に物狂いで戦ってた時、何やってたの?何さ?なんもしないでボケーっと見てただけ?それでもあんた男なの!!?」
こうなるとタイジは何も言い返せない。
昔からマナが髪の毛を眩しいほどの真緑にしてプッツンしてる時、タイジは何も言い返すことが出来なかった。
「タイジ!一体、そんな隅っこの方で何やってたんだよ!あんたホントにアレ付いてんのかよ?オカマなんじゃねぇの?」
「おい、てめぇ、タイジを責めるなって」と、サキィはタイジに加勢し出す。
「こいつは超人でもなんでもねぇんだよ。バケモンとやりあうのは俺ら超人の仕事だ。タイジは悪くない!」
「違うもん!」とマナは頭をぶんぶんと振った。
短い髪が揺れる。
「タイジは…、違うもん!タイジ、良い?あんたは立派な超人なの!言ったじゃない!なんで、一緒に戦ってくれなかったの?ボク一人じゃ死んじゃってたかもしれないじゃない!みんなみたいに…」
「そんな言われても…」
だが。
マナは自分で口にした言葉の意味に気づき、徐々に続く声を小さくしていき、火口から溢れるマグマのような剣幕も見る見る静まらせ「みんな…」と次第に声を震わせながら「みんな、死んじゃった」
そう。
マナは、今までに起こった出来柄を反芻することで初めて事の事態を冷静に、一つ一つ狂いなく把握していったのだ。
散らばったままになっていた、目を覆いたくなるような現実を、噛み締めるように受け入れていく。
急速な激しい怒りが退き、代わりに深い深い井戸の底から湧き上がって来る漆黒の悲しみがマナを襲う。
「どうしよう」
そしてその瞳は、夏の夕立の如き速度で潤いを帯びていき「ど、どうしよう…みんな、死んじゃった」
「マ、ナ」とタイジはマナの感情の豹変に戸惑い、サキィは何も言わずに虚空を見つめている。
そうか、この部屋にさっきの怪物がいたってことは、残っていた三人の学生は既に…
マナは耐え切れなくなった。
無残な現実が、彼女を容赦なく強襲する。
「えええええええええんんん!!!」
マナは遂に両目から止め処なく涙を流しながら、盛大に泣き始めた。
「なんで!あう、う、うううう、なんでだよぅう!えええええんん、みんな、死んじゃったぁぁぁあ!」
マナが泣いている。
タイジはそれを見る。
マナが泣いている。事情は今ひとつ不明瞭だが、その愛らしい身を震わせながら声を限りに、嗚咽と、涙と、悲しみに打ちひしがれている。
タイジは彼女に対して何もしてやれなかった自分の不甲斐なさを、再び呪いだす。
呪いながら、それでもなお、マナに対して何をすれば良いのか分からず、戸惑ってばかりいた。
だが…
「お前のせいじゃない」
素早くマナの肩を抱いたのは、なんとサキィだった。
サキィがマナの肩を抱いている。先ほどの悪口の残滓を微塵も見せずに。
そしてタイジは即座に思い出した。
世の女性にとって、高嶺の更にいと高きにある花、雲上の貴公子サキィという男に有効な、たった一つの攻略法を。
サキィ様の前で泣け!
これが高等学校の女子学生たちによってまことしやかに囁かれた、極秘の裏情報だった。
「お前は何も悪くない。俺が、もう少し早く駆けつけてやれなかった、そのことを謝りたい。さぁ、もうお前を襲う怪物は俺がキレイにきっちり片付けた。今は気が済むまで泣けばいい」と、サキィは先程ブタ呼ばわりした女を、今度はまるで恋人のように両腕で背中を抱いて、頑強な胸板に彼女の熱っぽい頭部を触れさせ、最大限の優しさを以ってマナを包み込んでやっていた。
マナの涙で濡れた視界のすぐ側に、あの猫のような尖った耳が映っていた。
タイジはこの親友の、あまりに破天荒な様変わりを唖然として眺めていた。
彼は眺めてばかりいた。
マナはサキィの、堅実な安定と逞しさに満ちた大いなる父性の中で、失った仲間達の事を想い、涙を流しながら、しかしまるで見当違いの誤解をし始めていた。
嬉しい。やっぱりこの人、ボクのこと好きなんだ…
そんな幸せな誤解に安堵し、そのままサキィの腕の中で寝息を立て始めた。
少し年上の彼の体温は、マナに懐かしき恋人セイジのことを思いださせた。
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