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オリジナルの中世ファンタジー小説
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「もしかしてタイジの言ってた、幼馴染の魔術師って、この女のことか?」
サキィは小テーブルにどこから取り出したのか、ウィスキーのビンを置いて「俺はてっきり男のこと言ってたのかと…」ちびりちびりと少しずつ酒瓶を整った口に運んでいく。
「あ、ごめん」
タイジはサキィの前ですら、マナのことがうまく話せなかったのだ。
「うん。その魔術師ってのは、そいつのことだよ。マナって名前で…、えと、僕が中等んときにいっしょだったんだ。それが、最近、突然うちの宿に泊まりにきて…いや、ほら、うちの宿って国の認可得ていてデッカイだろ、無意味にさ。マナはなんでも今は隣の国の魔術師学校のエリートらしいんだ」
「ふぅん」
サキィはタイジの顔に顕著に表れている、ある種の感情の高揚、動揺の様相を知ってか知らずか、まるで意に介そうとせずに「そういや、この女、さっきタイジのことを超人だなんて言ってたな。それ本当か?」
「知らないよ」
タイジは今はすやすやとかび臭いベッドで寝息を立てているマナに視線を移した。
その顔を見た。なんて美しいのだろう!
タイジは素直に感動してしまった。そこにいつもの子供っぽい突っ張りの片意地が入り込める余地など、全くなかった。
マナの寝顔の美しさには名状しがたい、七色の虹彩が宿っていた。その愛らしい丸顔は、時に何も知らない無垢な幼女のように弾け、時に気に入った男を我が物にするために媚びと誘惑の術を操り、時にタイジの恋心を奔放に弄び、だが時に魔術という人智を超えた奥義を放つ際には凄腕の剣士の如き険しさをまとい、そして時に深い悲しみと苦悩に直面して涙の海に溺れ落ちる。
ずっと、このマナが好きだったんだ。離れていても…
だけど、今また一緒にいても、結局、僕はこいつに遊ばれるだけ。
マナは僕の力が必要だと言った。
だけど、僕は何も出来なかった。
僕は何も出来ない。
好きな女に気持ちを打ち明けることも出来なければ、その女の為に命を賭けることも出来ない。
そうだ。
ヒロインの危機を救ったのは、明日のヒーローになる主人公ではなく、主人公の親友だった。
ヒロインの心は当然、不甲斐ない名ばかりの主人公ではなく、その友人に傾いた。
「超人でもなんでもないよ」
タイジは眠るマナから、そしてサキィからも視線を逸らせて俯きながら言った。
「僕はなんも出来ないよ」
マナの寝顔を見続けることが、耐え難い苦痛に変わっていた。
すぐ側にあるマナの寝床、光輝くその一角は、永久に手の届かない宇宙の果てのように感ぜられた。
マナの光彩に照らされることで、タイジは己の卑しさや無力さ、無能さを感じていくばかりであった。どうしてマナは僕なんかを連れてきたんだろう?
「でも、こいつはお前が超人だって言ってたぜ。タイジ。そりゃ確かに超人の数はそんなに多くない。俺だってある日突然超人になった時はビックリしたもんだ。親父とか周りの連中は俺の変化にすぐには気付かなかったし、俺がちょっとキレて店の壁を殴ったら、壁が吹っ飛んで店が潰れかかったりしたことや、酔っ払って馬をすっ飛ばしてたとき、落っこちて足をバッキバキにやっちまったのに一晩寝たらすっかり元通りなってたり。それで城に行って検査みたいのしたら『お前は超人だ。申請を出して王宮兵舎に出頭するように』なんて言われちって」
十代の前半は救いようのない悪ガキだったと打ち明ける、悪名高い獣人サキィと一緒に城下町を歩いていると、強面の不良達や町の悪人達が、すれ違いざまに丁寧に挨拶をしていくことがあった。
つまり、真症の悪だったサキィが、更に超人になって無敵の力を手に入れたとあっては、どんな単細胞な悪党でも自分の命は惜しいものだから、触らぬサキィに祟りなしと、決してご機嫌を損ねないようにと気を配っていたのである。
「確かに、一般人に比べて便利なこともあったよ。大怪我しても平気だしな。でも、だからって王宮の騎士になれっつう話には賛成出来なかったな。あんな縦社会は俺には無理だし、俺は気の向いたときだけ街の外に行って剣を振るうだけさ」
自由人サキィ。
こいつは学校の授業なんて殆ど寝てるかサボっているかだったし、夜になれば酒場に行って酒を山ほど飲んだり、そのまま馬で走り回ったり。その奔放な姿は本物のヒョウみたい。
サキィの上半身は人の肌をしているが、実は腹から下は丸い斑点の浮かぶ黄色い毛皮に覆われている。
「それで、じゃあタイジは自分が超人だなんて自覚はあるの?」
「ないよ、そんなもん」
でも自覚ってなんだろう?
マナみたいに、得体の知れない魔術を使ったり、サキィのように剣で異生物を一刀両断したり?
「多分…僕は普通の人間だよ。サキィにもアザがあったんだろ?それで超人になったんだろ?」
「アザ?そんなもんねぇよ」サキィはまたウィスキーをあおり「俺にはそんなもんはなかった。俺が超人になったのは…」だがそこで一瞬顔を強張らせ、そして話題を変えようと寝ている美少女を指して「そもそも、こいつはタイジのなんなの?ガールフレンド?」
「ちょ、ちょっとサキィ!変なこと言わないでくれよ。マナはただの幼馴染で!」タイジは急に慌てふためく。「別にそれだけだよ!それにこいつは、誰彼構わず気に入った男を口説いていく、どうしょうもない女なんだぜ!」
すると、その言葉を聞いて「ちょっと、変なこと大声で言わないでくれる?」毛布にうずくまったマナが目を開けて喋った。
「あ、マナ!」
タイジは疲れて眠っていたマナを、自分の声で起こしてしまったことを気に掛ける。
「ご、ごめん。サキィが変なこと言うから…。っていうか、マナ、きちんと言っておくけど、僕は超人でもなんでもないんだぞ」
「違うもん」
マナは掛け布団を口元まで持ち上げ、眉間に皺を寄せ、意地悪そうな眼をこちらに向け「タイジはせっかくの超人になるチャンスをみすみす棒にふったんだよ。怖気づいて尻餅なんかついちゃってさ。もし一緒に戦ってくれてたら、なんかの弾みで、超人になれたのかも知れなかったのに…言ったでしょ、そのアザは超人に生まれ変わる前触れだって。それをさ、見逃しちゃうなんてね。せっかくフラグが立ってたのにね!」
「おい、待て、そんなん言ったって、いきなりの異生物との戦闘はビビっちまうもんだぜ」
サキィがすかさずタイジの肩入れをした。
「お前も魔術師だとかって言ってたけど、俺が到着してたときには手も足も出ない状態だったじゃないか?」
「だって敵が強すぎたんだもん」
「な!なんだそりゃ…そもそも、なんでタイジや俺の力を借りることになったのか、その辺をまだ俺達は聞かされてないぜ!確か小屋にはお前の仲間が待機してるとかって聞いてたが、いたのは見たこと無い悪趣味な異生物だけだったじゃないか?話が違うぞ、クライアントさんよ」
サキィが問い詰めるとマナは「うん、わかったよ」とベッドから半身を起こし、毛布をまるで何かの安心を手に入れんとするかのように体にきつく巻きつけながら話し始めた。「ちゃんと話すよ」
タイジもサキィも、黙ってマナの言葉を待つ。

「昨日の朝、ボクたちはタイジの宿を出てからピクニックみたいな気分で洞窟まで行って…なんせ途中にいたちっちゃい異生物とかは、襲ってきてもまるで相手にならないくらいだったし。そりゃ若くても、魔術使える優秀な超人が八人もいたら当たり前だけどね」
「まあな。俺も暇な時にこっちの方まで来て、あいつら相手に剣の鍛錬をしたりしてる。この辺のやつらは、そりゃ、街の中に入ってきたらちょっとは一大事かもしれないけど、超人水準的にはまったくのザコで、難なくぶっ殺せる程の弱さだ。でもよ、あの暗黒の地下道の中にいるバケモンたちだって、ここいらに比べてそんなに強いってわけでもないだろ?」
「え?サキィ、あの洞窟に入ったことあるの?」
「ヒマな時にな。何しろ強くなりすぎて、町の外ぐらいじゃ物足りなくってな」
サキィは、もしかしたら下手な王宮騎士よりも強いのかもしれない。
「あれだろ、あの洞窟を、城の超人兵の採用試験だかなんだかに使ってんだろ。なんでも、洞窟の最下層部に妙な光だか、光線だかを放ってる水晶があって、そのプリズムの型が珍しいからって、タトゥーみたいに体にその印をつけて帰ってこれるか、肝試しみたいに使ってるんだろ。で、俺は兵士になる気なんてさらっさら無いから、その水晶の光はともかくとして、洞窟にいるバケモンがどんぐらいの強さか腕試ししたかったから、夜中に一人でテンション上がってたときに、こっそり洞窟内を探検してみたんだ」
サキィの口調はいつでも豪快で野性的だ。まるで巨大な出刃包丁で分厚い豚バラ肉をぶった切っていくかのように。覗かせている獣の牙がより勇ましさを装飾している。
「でもよ、中は意外と込み入ってて、結構深かったからあんまり探索してないけど…襲ってきたのは確かに、外の草原の奴らよりかはマシな強さだったけど、学生魔術師が全滅するような程でもなかったぜ」
「そう。そこなんだよ、サキィ君」
マナは指をピンと立てる仕草をし「ボク達も、最初は『大したことないじゃ~ん』って言ってたんだ。別に初歩的な魔術の一撃でもくらわせればあっけなく退治できちゃうし、ゲル…EP補給液も随分あったし、なんも問題はなかったの」
「EP補給液?何、EPって?」
タイジは専門用語に疑問を抱く。
「あー、魔術を使うために必要な燃料みたいなもんだよ。ほら、かまどの火を起こすのにも薪が必要でしょ?」とマナの説明。「でも、ホント、あの洞窟の異生物は大したことなかったんだよ」
「まぁな。苦戦するもんじゃないよな」
「うん。で、それで皆でわいわいお喋りしながら進んでたら、張り合いも無いし二手に別れて、目的地点まで競争しようって話になって、うまいこと四人ずつに別れて、ボクたち分かれ道で別々の方に進んだんだよね」
「つまり余裕しゃくしゃくってわけだったのね」と、そんな物騒なほら穴に潜ったことのないタイジは、簡潔に要点だけを確認した。
「うん。で、どれぐらい時間たってたのかなぁ?相変わらず暗がりから出てくるのは、原始的な石の武器を持った小人の異生物とか、もじゃもじゃした空飛ぶ変なやつとか、まぁとにかくボク達の敵じゃなかったんだよ。四人でふざけ合いながら歩いてて、暗がりだから何かしよっか?とかボクも言ったりして」
「そんな話は聞いてないって」
タイジはツッコミを丁寧に返し、サキィは無視を決め込んだ。
「そしたらさ、突然、洞窟全体に響き渡るんじゃないかっていう程の、叫び声が聞こえて…『ギャーーー!』って」とマナは再現するように急に奇声を発した。
「それで、ボク達、顔を見合わせて、こんな楽勝なとこで、あいつらきっとふざけてるんだろ、って言って、後の四人のこと、最初はそう思ったんだ。でもそう言ったとたんに、また悲鳴が聞こえて。魔術唱える声も聞こえてきたし。それでボク達、これは本当に何かあったんじゃないかって、声が聞こえた方に向かったわけ。で、結構あったのね、距離が。やっぱりイタズラだったんじゃないの?って皆が思い始めた辺りで」と、マナは唾を飲み込んで「さっき、この小屋にいたドロドロの人型異生物がいたんだ。ボクがしんがりだったんだけど、先頭を走ってった子は飛び掛られて頭を噛み砕かれて、それを見てボクはすぐ炎の魔術を撃ったんだけど、待ち伏せてたかのように別の角度からもドロ人間が出てきて、おまけにそいつらの他にも今まで見たことなかった異生物が一緒になって襲ってきて…地を這う巨大な蛇みたいなのに足を噛み千切られたり、猫とゴリラを合わせたみたいな凶暴なケダモノに肉を食いちぎられたり、そうかと思うとドロドロが首を絞めてきたり…。ボクらは必死になって戦った。でもそいつら、強さが桁違いで、一人、また一人地面に倒れこみ、血が飛び散って、叫び声が上がり、まさに死闘だった。みんなそれまで余裕こいてたから、あまりに突然でパニックになってたし、何かを考えてるヒマなんてなかった。ボクはリーダーだったけど、退却できるような感じでもなかったから、とにかく必死になって怪物たちを葬ってった。死ぬかと思った。仲間が目の前で」喋りながらマナの髪と瞳の様子が徐々に変わっていく、その変化が蝋燭の光に照らされてありありと窺えた。「目の前でどんどん倒れてって、それでもなんとかボクが最後の一匹にトドメを指して、それでここで何があったかを悟ったんだ。分かれ道を進んだ四人はこいつらにやられたんだと。戦闘が終わってからボクは、そこから少し離れた地面に四人の身につけていた法衣や装飾品や他の持ち物が転がっていたのを発見した
「え!服と荷物が転がってた?それはどういうこと?」とタイジが問うた。
「そうか、タイジは知らないのか」
するとサキィが「超人は、人間を超えた力を発揮することが出来る。生命力も並の人間の比じゃない。滅多に死なない。しかし、もし超人が死んだら、誰もそいつの墓を立てることが出来ない
「墓を立てれない?どういうことだよ、サキィ?」
タイジは、サキィのいささか気取った謎めいた言い方に疑問符を打った。
「超人はその命が尽きると、肉体が自動的に消滅する。丁度バケモノ、つまり異生物か…、あのクソどもをぶっ殺したときと同じように、空中に消滅して後には何も残らなくなるのさ。遺体も遺骨もな。後に残るのは着ていた服と装備していた武器ぐらいだ」
「そうなんだよ、タイジ。ボクは四人がさっきの格段に強い異生物の群れに殺されたことにショックだったけど、でも、とにかく負傷した三人と地上へ脱出することにした。完全な全滅は避けなきゃ。国の威信に関わるから。それにどう考えても戻るべきだったんだ」マナは段々と早口になりながら「地上へは来た道を引き返さなければいけない。用意していたアイテムも底をつき、パンも弟切草も無くなっちゃった。ボクともう一人はなんとか歩けたけど、後の二人は意識がない気絶状態だったから、二人を背負って、なんとか出口を目指したんだ。けど洞窟を進むときにはなんでもなかったチビっこい奴らが、今度は執拗に襲ってきたりして、道も複雑で何度も堂々巡りしたし、次に襲われたらアウトってとこでなんとか脱出できた。外に出て馬に意識不明の二人を乗せ、なんとかこの小屋まで辿りついたのが真夜中。草原の異生物にも何度か襲われた。気絶していないもう一人はもう息も絶え絶えで、だから三人を小屋に残してタイジを呼びに行ったんだ。後は知っての通り。結局ボクがタイジを呼びに行っている間に生き残っていた仲間も追ってきたドロドロに殺されちゃった」
マナはそこまで話すと毛布に顔を埋めてしまった。
「うーむ。ザコだったはずの洞窟内で、急に格段上の敵が出てきた。これは、罠の匂いがするな」
サキィは猫ヒゲをピクピクさせながら独り言のように感想を述べた。
だが、タイジは別の事が気に掛かっていた。
超人はその命が尽きるとき、肉体が消滅する。
「マナが死んだらマナは消滅する。サキィが死んだらサキィは消滅する」
さっき、マナやサキィがほふった異生物が、煙のようにパッと消え去った様を思い出した。
あんな感じに、二人も、もしやられたら消えてしまうんだろうか…
「と、いうことは、この小屋に残っていた他の学生も、さっきの異生物に襲われて、やられてしまってたっていうこと?」
「うん」
マナは小さくうなずいてみせた。「きっと服だけ転がってるはず…」
なんという悲劇だろう。
マナが顔を押し付けている毛布から泣き声が漏れ始める。
するとサキィは立ち上がって「心配するな!俺が死ぬまでお前らは死なない。俺が命に掛けて守ってみせる。絶対だ。マナ、もう泣くんじゃない。タイジ」そしてタイジを振り返り「お前はこれから戦うことになるが、心配するな。俺が守る!安心しろ、俺より先にお前が死ぬことはないさ」と高らかに宣言した。
サキィの尾がピンと立っていた。
その勇ましい声を聞くと「ありがとうサキィくん」とマナは顔を上げ、鼻を毛布でこすった。
その時。
ドンドンドン
小屋の戸を叩く音がした。
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会話に夢中で忍び寄る足音に誰も気がつけなかったのか、あるいは、新手の敵の襲来か、はたまた国家の役人がもうかけつけたのか…
夜も更けた荒地にポツンと立つ見張り小屋の、扉を叩く音。それは静寂を不気味に打ち破る、不吉な音色であった。

「誰だ!」
威勢良く、サキィが扉に近づいていった。長剣の鞘を握り締めながら。
静々と扉は開かれた。
サキィは瞬時に切りかかっていけるように、柄を握って居合いの構えを取っている。マナもベッドから降りて魔術を放つ体勢を取っている。タイジは二人の後方で様子を窺っている。
「あ、いや、誰かいなさるのかな?灯りがついてるようだが…」
小屋のドアを叩いたのは、小柄な初老の男だった。
三人の緊迫した警戒心を、まるで省みずに男は呑気に部屋の中へと入ってきた。
「わ!ヤーマ先生じゃないですか」とマナが男の顔を見て大声を上げた。
ヤーマ先生と呼ばれた男は「おや、魔術学部のマナ君かい?こりゃビックリした。そうか、そうか、君達が卒業試験でこの辺りに来ていることは知っていたが、まさかはちあわせになるとは…。ん?この二人も学部の仲間だったかね?」
「あ、えと違う!」
マナは慌てて前へと飛び出した。
「ちょっと、ワケあって…あ、いや大したワケじゃないんですよ。ボク達はもう洞窟での試験はパスして、他の学生は街に戻ってるんです。で、あのほら…あ!そうそう、ボクは去年までこの国に住んでいたのはご存知ですよね?その頃の友達が彼らで、それで彼らも王宮の兵士に志願するみたいだから、実戦を経験したいとかでこの辺りまで一緒に来てたんです」
ところが「ほう、そうだったのか」マナの咄嗟の作り話は、老人のこのたった一つの相槌で処理された。
「なんであれ、試験をパスしたのは良いことだ。おめでとう。私はといえば、このあたりの異生物の研究をしていてね。夜は特にやつらの行動が活発になる。それにもまして最近、凶暴さに拍車が掛かってきているようなきらいもある。試験が終わっても気を抜くんじゃないよ」
「おい、ちょっと待て。あんた大学の教授なんじゃないのか?」
サキィはこんな朴訥とした老人が、異生物と戦えるわけは無いと踏んでいるようだ。
「あ、サキィ君。このヤーマ先生は、異生物の研究をしているの。魔術大学ってね、魔術だけをやってるんじゃなくて、生物学とかもあって異生物達の生態を調査したりもしてるんだ。ヤーマ先生はこう見えて超人なんだ。だから実際に異生物と接触することで、あいつらの実態を知ることが出来る人なんだよ。だからスゴイ人なんだよ。国からもたくさん勲章をもらってて、生物学部にもたくさんの援助金が支給されてるんだ」
マナは、さも自分のことのようにサキィに自慢をした。
「こらこらマナ君、やめなさい」とヤーマはにこやかにそれを制し、長剣を持つサキィを見上げて「ところで君は見たところ騎士のようだが、君も超人なのかね?」
「そうだ。あ、そうです。マナの友人でデニスといいます。デニス・サ・サキ・ピーター・ジュン。一応超人ではあります」
「ふむ」と戸口に立ったヤーマ氏は、目を細めてサキィを眺め、そしてその場を大学の教室か何かに見立てて藪から棒に講義を始めた。
超人異生物。我々には分からないことがまだまだ多くある。これらの超常的生命体が、我々人類の長い長い歴史の上に姿を現してから、まだ数十年しか経過していない。私は生物学を若い頃より専攻していたが、人間であれ、獣であれ、虫であれ、魚であれ、生物の歴史というものには、ちゃんときちんとした進化の道筋がある、と考えている。ちょうど大木の無数の枝葉のように、様々な分岐をしていながらも、ルーツは、みな同じ根っこに帰着する。生物の歴史には、理路整然とした『進化の流れ』があるべきなのだよ。人間は猿から進化したものだ、というと、それを断固否定する者達もいるが、私に言わせれば、人間が猫や鳥から進化したものだなんてのは子供の空想もいいところだし、多くの人が考えるように、ヒトは初めからヒトだった、と考えられなくもないが、それは今の最先端の生物学では、いささか野蛮な考えなのだ。ましてや、根強く噂されている古代超文明の産物だとか、各国の法律で『共通して禁忌とされている絶対的存在』によって創造されたとか、精霊達の創作物だとかいう話なんてね。では、超人は、人間の次なる進化形態なのか?その判断は極めて難しい。例えば、ある動物が餌を捕食するのに適した形に、ある部位を発達させていったとかではなく、まったく突拍子もない、突然変異から進化が始まるという学説もあるが、私はその点において慎重である。もちろん解明されてない超人に関する膨大な謎をおもんぱかることも当然だが、どうも超人の生態にはひどく意図的で機能的と受け止められるような要素が多く見受けられる。私自身も超人であるからこんなことが云えるのだが、どうも何か、仕組まれて周到に組み込まれたような都合の良さを感じてしまうのだ。まるで誰かによって作られた機械仕掛けの人形のように、ね」サキィを再び正視し「君は亜人であるようだな。獣人や小人、魚人や鳥人、葉緑体を持った草人、角を持つ鬼人などの類は、例えば魚と爬虫類の相の子とされる両生類のような位置づけであるとするのが、現在の生物学の一般的な捉え方だが、超人とは違う。亜人の骨格上に、通常の人間と相違が見られる点があるとはいえ、死しても肉体が消えるわけではなく、ずば抜けた超能力があるわけでもない。つまり、進化の詳細な経緯を知ることは難しくとも、少なくとも一本の道筋上に通常の人間と亜人が点在しているということは確かなのだ。亜人は人間の肉体をベースに、それぞれの動物…生物の特徴をうまく取り込んでいる。いつ、このような生態が発生するようになったのかはまだ分らぬが、そこには現実的な融合の形が見られるのだ。ところが、超人ときたら、まるでそれこそ魔法のような、不可思議な要素が加わる。精霊の力のような、超常的な要素がね。そして、亜人が超人の力を得るようになる確率が、常人よりも高いことは顕著だ。君はどのようにしてそれになったのか?或いは生まれながらにして超人だったのですか?」と問うた。
サキィはやや身を硬くして「いえ。俺はもともとタダの人間だった。超人になったのは大切な人が目の前で殺されたときにです」と押し殺した低い声で答えた。
「なるほど。では、もともと普通の人間であったのに、そうした不幸を契機に超人に生まれ変わった、と。さて、昨日までなんでもなかったタダの人間だった者が、突然ある日、超人へと変質する、これが果たして進化といえるのだろうか。私は甚だ疑問の念を禁じ得ない。仮に進化だとしたら、いずれは総ての人間が超人に生まれ変わり、超人の子は超人しか生まれず、世界は超人によって形成されていくのか。そうなると人類の文化は大きく変貌を遂げることになるだろう。圧倒的な力を持った、特権的存在である超人が、全生態系の頂点に立つ世界。もしかしたら、数百年後にはそんな世界になっているのかも知れない。それは誰にも分からない。だが、もっと不可解なのは異生物たちだ。人が超人になるように、獣が超人化したものが異生物という存在なのであろうか。確かに共通点はある。超越的な身体能力と生命力。中には魔術を使う異生物もいる。そして死を迎えると消滅してしまう肉体。これらの点では非常に超人のそれと相似しているといえる。だが、やつらは人間を襲うとき、捕食を目的として襲っているだろうか?私にはそうは思えない。私が調査と研究の為に異生物と接触し、時に戦闘となる時、感じるのは捕食を目的とした攻撃ではないということだ。やつらは超人を含めた人間というものに対する、果てしない憎悪を抱いている。憎しみだ。憎しみを、私は感じるのだ。異生物が人間を襲うのは、人間に対する深い憎しみからだ。そんな生物など、他にいない。縄張り意識の強い生き物が、自分のテリトリーを侵したものに猛然と攻撃を仕掛けることがある。その圧倒的な敵意に似ている。ただ、そこにあるのは人間という存在への漠とした巨大な深い憎悪のみだ。異生物にとってはすべからく人間は領域侵害者なのか。わからないことが多すぎる」
「俺もそれは気になっていた。どうも、あのバケモン達は普通の獣とかと違う。なんか人間を襲うことがまるで仕事みたいに、無条件で歯向かってくるんだよな。でも、知能がないとかって感じでもないんだよ。そりゃバケモンの種類によるけど」
「ふむ。デニスさんと言ったね。君はなかなか実戦の経験が豊富のように見受けられる。一応私は忠告だけ残して、急いで本国の研究室へ帰らねばならない。至急まとめたいことがあってね」
「あれ?先生もう行っちゃうんですか?っていうか何しに来たんですか?」と驚きのマナ。
「異生物の調査に決まってるじゃないか」とヤーマ博士はとぼけた仕草でドアノブに手をかけ「それと実は君達のことを学長に頼まれて…じゃ。また」と尻切れトンボに言うと呆気なく小屋を後にした。
入ってきたときと同じように、ヤーマという男は唐突に去っていった。
戸口の閉まる音が、妙な静けさをそこに招いた。
「なんだったんだ、あの人?大学の教授ってのはあんな感じなのか?」
真っ先に口を開いたのはサキィ。「見守りに来たんならちゃんとそう言えば良いのに。しかも役に立ってないし…」
「あ、うん。でも、ヤーマ先生は特に変わってる人かもしれない。教授で超人の人ってそんなにたくさんはいないんだけど、なんかヤーマ先生は、教授たちん中でも落ち着いた位置にいる人って感じ…あ!そうじゃないよ、どうしよう。とっさに嘘言ったけど、教授が学長とかにボク達のこと報告しちゃうかも。すぐに帰るとかって言ってたよね」
不安を募らすマナを尻目に「なーに!問題ねぇだろ。要はさっさと地下道の試練をクリアすりゃ良いんだ。そんなの楽勝だぜ」とサキィが力づけた。
タイジは初めにこの小屋にマナと二人で入ったときのことを思い出していた。
マナはすぐに仲間がやられたことを悟って戦闘の態勢に入っていた。
つまり、あの時点で小屋にはやられた仲間の死骸も何も残っていなかったということか。
そしてマナとサキィが倒した三体の異生物は、影も形も残さず消え去った。
完全なる…消滅…
そんなことを逡巡していると「ほれ!」とサキィが何かを手渡そうと、タイジに声を掛けた。
「タイジ。マナの説明じゃいまいち分かんなかったけど、お前も超人だったら、この武器を渡しておくぜ」
サキィが持ってきたのはボウガンだった。
「お前に合う武器っていったら何かな、って考えたんだけど、やっぱり弓矢が得意だったから、そいつを持ってきたんだ。いつかに狩に行ったとき使ったよな」
「あ、ありがと」
タイジはサキィから受け取った中型のボウガンをしげしげと精査した。
「すまん、サキィ、わざわざ持ってきてもらって。そうそう、これ、僕がサキィに借りて使ってたやつじゃないか。なかなか使いやすくって気に入ってたんだよ」
「こいつね、こう見えて射撃の腕はなかなかなんだぜ」と、サキィはにやにやしながらマナに言った。「あとは投げナイフも…ナイフは、持ってきているのか」
「あ、うん…護身用の、小さいやつなら」
刃は所持していた。だけど、先ほどの戦闘で、その存在を思い出すことすら出来ずに、僕は震え上がっていた。
今、僕の手の中にはサキィから受け取ったボウガンがある。これを…僕は、この弓を…引くことが出来るだろうか…あんな恐ろしい連中を前にして…

「へー、知らなかった!タイジにも得意なことがあったんだね!じゃあボクが危なくなったらそいつでムカツク敵をぶっ殺してちょうだいね。タイジが撃つの得意だなんて想像できないよ。ボクにはちっとも外れてばっかなのにね。あ、まだ撃ってきてもないか」
マナが明るい冗談声でタイジを励ます。
「おい、そんなアホなこと言ってないで、時間が勿体無いぞ!さぁ、もう充分休んだんだろ」
サキィは二人を促がした。
「さぁ、行こうぜ!」

三人は馬に跨り、真夜中の荒野を北上して行った。
その辺りはもともと人気のない土地で、噂ではある部族が細々と集落を作って暮らしているらしいとも云われていたが、東南国家は隣国との一応の国境線と定めながら も、自国の領土内には違いないが、危険地域に指定し、下手に干渉しないようにしていた。
険しい山脈の麓ということもあってか、気候が不安定で激しい風雨に晒されることもしばしばであった為、土地開墾の期待はほ とんど見込めず、そうした敬遠がいつからかこの地に、ある種の神聖さを与え始めていた。
わけても、異生物が世に蔓延るようになってからは、特に人々に近寄らないようにと念を押していた。そこに足を踏み入れることが許されていたのは、ある程度の戦闘力と生命力を備えた超人のみである。
そして、今は王国の徴兵制度の一環として使用されている魔の巣窟『暗黒の地下道』に、三人はやって来ていた。
地下道への入り口には、かがり火の台が幾つか立てられていたが当然火は灯されておらず、王家の紋章が物寂しく簡素に飾られていた。空が僅かに白み始めている。
「ここが、暗黒の地下道」
タイジは二人の後ろで呟いた。
タイジは文字通り、暗黒を覗かせるように岩場にぽっかりと口を開けた洞穴を前にして考える。
二人。
そう、この友人でもあり超人でもある二人には、既にこの洞窟に足を踏み入れた経験があるのだ。 その中で異生物との命を掛けた戦いを経験している。共に同じ時間を過ごしていた筈のマナ、サキィ、自分のあずかり知らぬところで別の人生を持っている。僕は一体なんだ?何も出来ない、したくないと実家の汚れた部屋でずーっとずっと眠っていただけ。戦い。戦い?何故、戦う?眠っていればいいじゃないか。戦 い、そんなものは面倒だ。恐ろしいことだ。僕は関わりたくない。でも、でもマナのクラスメイトが皆殺しにされた。サキィは必ずマナと僕を守ると誓った。僕は…僕は…
「タイジ。俺は、今、ほんのちょっとだがワクワクしてるぜ」
サキィはタイジの心の声を聞いたかのように、暗く陰鬱に開いた奈落への入り口を前にして、振り向かずに言葉を続けた。
「今まで俺は一人で気ままに異生物の相手をしたりしてた。つまり俺はいつも一人で剣をふるっていた。もちろん自己満足の為だ。まさか人を切っちまうわけにはいかないからな。だが、今これからこの洞窟に入って俺が振り回す剣は違う。俺が握る剣は守る為の剣だ。お前と、マナ。お前らの命を守る ため。俺は初めて仲間を持ち、仲間の為に武器を振るう。こんな嬉しいことはないぜ。だから俺は今、ドキドキしてるんだ。ハイってやつだ!」と、サキィは背 中の長剣を抜いて構えを取った。「さっきのセンコーが言ってたな。異生物は俺たち人間に、なんか知らんが恨みがあるから襲って来るんだと。つまり連中にはこちらの都合とか言い分はお構いなしってわけだ。上等だ!なら、こっちもお返しに容赦なくぶった切っていけるってわけだ。タイジを傷つけてみろ。そんなバケモンは、俺が元の姿もわからねぇぐらい滅多切りにしてやる。…まあ、殺したら消えちまうけどな。だから、安心して俺の後について来るんだ。お前が、本当は超人だとか、どうかなんて、分からねぇ。でもそんなの関係ねぇ。襲ってくるバカなうじ虫どもは、みんなこの俺があの世に送ってやっからな。マナ、お前もだ。お前ももう、魔術なんか使わなくたって、俺が キレイに全部片付けてやっからな」
タイジは見た。
長剣を構えている獣人サキィの長いヒゲに、微小な震えがあったのを。
それは武者震いだろうか?それとも恐れ?
「うん。未来の旦那さんのサキィ君に、今から守ってもらうなんて、ボク幸せ!」
マナはふざけた調子で言った。
サキィも最早笑みを浮かべて「てめぇはやっぱり死んでしまえ」勢いを付けて闇の中へと、突っ込んで行った。




タイジはマナから受け取った特殊加工された松明で辺りを照らし、サキィは右手で剣の柄を握り左手で盾を備え、マナは杖をしっかと両手で掴みながら、暗い暗い迷宮を進んでいた。
「この洞窟さ…」
先頭を行くサキィが口を開いた。「自然に出来たってより、なんか掘られた感じしない?」
「あ、それ、ボクも気になってたー。確かに、自然に出来たにしちゃ入り組み過ぎだよね」
「うん。人が掘ったっていう確かな痕跡があるわけじゃないけど、なんか自然現象って感じはしないね。でもさ、なんでそんなこと言うんだい?」とタイジ。
「おう、タイジ、よく聞いてくれた」
サキィは歩みを止めて、数秒その場に棒立ちになってから「実は、迷ったかも…」
タイジが手にした松明の炎が三つの影を揺らめかせている。
岩肌は乾燥していて天井は低い。特製の松脂が使われている松明の火は、明々と光を三人の目に提供していたが、洞窟の闇は当然それ以上だから、数歩先までしか照らせられなかった。道は何度も枝分かれを繰り返していたし、右に曲がったり左に曲がったり、なだらかな坂道や若干の段差も頻繁にあった。
「サキィ、僕はてっきり道を知ってて進んでるのかと思ったよ」
タイジは落胆の声を漏らした。
マナがやれやれといった風に「じゃあやっぱり、一番記憶の新しいボクが道案内するよ。今んとこ堂々巡りにはなってないかな?あと、水晶のあるのは最深部だから…」
「待て!」とサキィがマナの発言を制した。
「何か聞こえないか?」
「え?」とタイジは言われて耳を澄ました。
何か聞こえる?
洞窟は静けさだけを返す。マナの顔を見る。マナもきょとんとしている。
「とうとう現れやがったな、ゴミどもめ!」
獣人のサキィはタイジやマナよりも、数倍、音に敏感である。故に、敵襲に真っ先に気がついた。
サキィは剣を鞘から抜いて、鮮やかに構えを取った。
半猫半人の長髪騎士、サキィが、戦闘の姿勢を取る。
やがて、タイジの照らす明るさの中に、標的がやって来る。
ドリィィムrrライイイィツ!
奇妙な叫び声。
二匹の、最初はただのドブ鼠だと思った。
だが、違う。臼歯が血で染まったように禍々しく赤い。そして体躯が異様にでかい。
異生物!鮮血の臼歯、それが二体、道を塞いでいる。
鮮血の臼歯があらわれた!
鮮血の臼歯があらわれた!
タイジは思い出した。
馬で街から小屋へ、小屋からこの洞窟へとやって来る途中で、草むらの陰でうごめいていた異生物たち。その中に今、サキィと対峙している巨大な化けネズミと類似した姿があったことを。
だが、あの赤い臼歯には見覚えがない。目の前の異生物達は、血塗られたように不気味にぬらめく牙にも似た前歯を湛えている。
「せやぁ!」
まずサキィは気合だけを放った。
これが孤高の剣士、デニス・サ・サキ・ピーター・ジュンの戦い方であった。
本来自分達が襲うべき人間に、逆に威嚇された鮮血の臼歯は一瞬たじろぎ、やがて左手の一体が跳躍してきた。それをサキィは自慢の長剣で一閃!巨大鼠の脳天から尾っぽに掛けて鮮魚をさばくように、パックリと両断してしまった。そして間髪を入れずに、隣のもう一体に斬りかかり、首を横一文字に切断した!
「ネズ公ごときが、気高きヒョウの血を引くこの俺に、傷の一つでもつけられると思ったか!」サキィは高潮のまま、捨て台詞を吐く。「夢の国で一生、惨めな死と戯れていな!」
サキィが剣を柄に仕舞うと同時に、地に転がった鮮血の臼歯の屍体が、例の如く蒸発するかのように消滅した。
異生物の死、それは消滅。超人の死もまた同じ…
「とまぁ、こんなもんよ」
鮮血の臼歯たちをやっつけた!
「すっごぉ~~~~いッ!」
マナが歓声を上げた。
「サキィ君、天才じゃない?ボクが魔術の詠唱を始めるヒマなんてないくらい、あっという間だったね!うわー、強いんだね」
「なに、まだまだ軽い準備運動だ。あんまり大騒ぎするなって」
タイジは改めてサキィの戦いぶりを目の当たりにして、呆然としながらも「さっきみたいな奴が幾ら出てきても、これじゃあ余裕って感じだな」
「ま、そんなとこだな」
サキィはなんだか嬉しそうにしている。
とまれ、こうして暗黒の地下道での最初のエンカウントバトルは呆気なく終了した。
「そういえば、マナ、この先の道だけど…」
タイジはふいに、どこかしら戦いの余韻を払うかのように聞いた。

するとサキィも「んお!?っていうか、マナ、お前、魔術師なんだろ?魔術師だったら、道を全部把握できる魔法とか、洞窟を明るくしたり、ゴール地点の水晶のあるとこまでまっすぐ向かったり出来る魔法とかできないの?」ぶっきら棒に尋ねる。
「あのねぇ」
マナは腰に手を当てる仕草をして「魔術っていっても、絵本の中の魔法使いとは違うんだからねー」といたずらっぽく言った。
「マナ、僕にも教えてくれないか?そもそも魔術って一体、なんなのさ」
「おっほん」とマナは上機嫌な様子で「では国立魔術大学魔術学部なにげに主席のこのマナちゃんが、二人の生徒さんに特別に魔術講座をしちゃうよ」
「それはいいけど、歩きながらな」
サキィはマナの背を押した。

「わ、押さないで。えっとね、そもそも魔術ってのは、さっきのヤーマ先生も言ってたように、先に異生物が使用してたのを研究することでボクたちが使えるようになったんだ。そんなに大昔のことじゃないから、まだまだ分からないことが山ほどあるんだよね」
マナは後ろを振り返りつつ、サキィとタイジの瞳を交互に覗きながら会話を続けた。
「一番よく知られている話があって、今から五年ぐらい前かな?三人の亜人の登山家がいて、その登山家達は角があって大男で体格もでかくって…つまり鬼人っていうんだっけ?でもね、体格がデカイだけで、超人ではなかったの、その人達は。鬼人の人って、筋肉ムキムキだからみんな超人なのかと思っちゃうけど、違うらしいね。でも超人じゃなくても一千万パワー!ハートにさしたロングホーンがお前の愛を~奪い取るのさ~♪」
「マナ、歌はいいから続きを…」
タイジが呆れて制した。

「あ、とにかく…その亜人の登山家達は人里離れた山地にクライミングをしに出かけていたの。季節は秋、山の紅葉もキレイだしね!ところがどっこい!その山で登山隊はどっかの部族の人みたいな格好した異生物に襲われたの。なんか最初は人間かと思ったんだって。世捨人で、昔から奥深い山とかには修行をしてる人とか、なんかそういうのっているじゃん?最初はそうだと思ったんだって。そしたらその修行者みたいなやつは、奇妙な言葉を発しながら血相変えて襲い掛かってきたんだって。でも登山家達は超人では無かったんだけど、鬼人ってぐらいだから筋骨隆々マッチョマン、体毛も濃くて胸毛がヴォアー!必殺のハリケーンミキサーで、なんと異生物の男を殴り飛ばしたんだって!」
「マナ、確認したいんだけど…その登山家、ほんとに超人じゃなかったんだろうね」とタイジ。
「ま、弱っちい異生物だったら、超人でなくても倒せるしな」とサキィの言。
「うん。で、殴ったわけよ。超人じゃない、生身のマッチョな亜人のおっさんが、異生物を。登山家おっさんは三人、相手は一人。そしたらさ、その時、そいつが逆上して魔術を使ったわけよ。まず、聞いたこともないような奇妙な声を上げたんだって。そしたら今度は異生物の手に炎が燃え上がって、それを殴りつけたおっさんに向かって放射した。おっさんは何が起こってるのか理解できずに、避けるヒマもなく炎に直撃!激しく炎に焼かれてヴォアー!アンフォルゲッタブルファイアー!」とマナは両手をぶんぶん派手なジェスチャーで、炎の魔術をくらって炎上するおっさんの様子を表現した。
「ゴワーっとなって、そしておっさん死亡!間近で見ていた別のおっさんは勢い良く燃え上がっていく仲間の登山家を見て真っ青になっちゃった。すぐに、異生物はまたも奇声を発して炎を作り出した。でも今度は、さすがは鬼人、標的にされたと身の危険を感じたおっさんは、力いっぱい突進したんだ。異生物は慌てて走って向かってくる角の生えたおっさんに炎を打ち付けたけど、おっさんは体を焼かれながらも敵に喰らい付き、もみ合いになりながら、遂には異生物とおっさん二人とも崖から転落しちゃったんだ。残されたおっさんは無事に里に帰り、その一部始終を報告したってわけ。その話がウチの魔術アカデミーにも伝わって…人の姿をして、不可解な術を使ったっていう事例は初めてだったらしく、登山家の報告は一大センセーションになったとかならなかったとか。あ、次は左に曲がると思うよ。でね、特筆すべきは、その魔術師系異生物の存在もそうなんだけど、その異生物が使った怪しげな術!そいつが唱えた炎に焼かれておっさんの仲間の一人は炎上して死んじゃったんだけど、不思議なことに、あんなに激しく燃え上がって、皮膚は真っ黒に焼かれたのに『おっさんの衣服は少し焦げていた程度』だったんだ。そして、その時はパニックだったから疑問にすら思わなかったけど、よくよく思い返してみると、もう一人のおっさんが炎に焼かれながらも異生物に掴みかかったとき、炎は異生物に移らなかったんだよね。はい、ここでクエスチョンです。普通、火を付けると、火ってどんどん燃え移っていくし、火だるまになったら服なんか体より先に燃え上がっちゃうはずだよね。これらのことからどんなことが言えるかな?」
マナは突然二人に質問を投げ掛けた。
「魔術の炎…異生物は奇声を発してそれを唱え、いきなり発生した炎におっさんは焼かれて死んだけど、服までは燃えていなかった。また、火だるまになったおっさんが異生物に掴みかかっても、異生物の体は炎で燃えなかった。うーん…」
タイジは突き出た岩で転ばないよう足元に気をつけながら「魔術の炎は焼き上げる対象を選べるってこと?」
「うーん。惜しいなぁ、でも半分は合ってるかも。七十点だね。サキィ君は?」
「いや、俺は超人でないにもかかわらず、異生物に向かっていった鬼のおっさんの勇気を評価したい」
「零点!じゃあ正解を言うね。あのね、魔術の炎は『生物』だけを焼くの。だからおっさんは火だるまになっても、おっさんの身につけている服が一緒に燃えるわけじゃない。同様に、炎に焼かれているおっさんが誰かと接触しても、熱を感じることはあっても炎が燃え移ることはない。はい、じゃあもう一回チャンス。 このことから導き出される魔術の特徴は?あ、そこは下に降りた方が良いよ」
「炎はおっさん一人だけを燃やすように命令されて放たれた?」と足場を気にしながらタイジ。
「おっさんは襲い掛かるときピッケルを使えばよかったんだ!」とジャンプしてサキィ。
「タイジ、四十八点!サキィ君はマイナス三十点。じゃあちゃんと正解を言うね。つまり『魔術はみんな幻』なの。術者は被術者に向かって、強烈なきょうひゃくかんねんみたいな幻覚を投げかけるわけ。つまり極論を言えば『魔術の炎に焼かれた者は、実際には焼かれていないのに、焼かれていると思い込む妄念に襲われる』の。そしてその幻覚は周囲の者にも知覚できる。強烈な脳神経への攻撃だからね。ただ知覚できるが、あくまで燃え上がっているのは被術者だけであって、本当の炎はそこには無いの。でも、自分は火に焼かれているという強い幻覚で被術者の肉体は黒焦げになってしまうのね」
タイジは驚きながら「つまり何か?魔術は一種の催眠術みたいなものってこと?幻覚は他人にも見えるけど、実際に炎の感覚を体感するのはくらったやつだけ?」
「その通り。ただ、本当にどんなメカニズムになっていて、そんな現象が起こるのかはまだはっきりとは判明されてないんだよね。一説には、魔術を唱える時に使う言葉が、人間の…生物の脳に何かしらの記憶とか、なんか未知の部分に訴えかける機能があるとかないとか。だから例えばボクらは犬や魚や虫を焼くことは出来ても、魔術で暖炉の薪に火をつけたり、こうした松明に火をつけたりは出来ないんだよ。生き物じゃないから。それと今、魚って言ったけど、釣り上げてすぐだったら大丈夫だけど、魚屋で買ってきた秋刀魚を魔術で焼き上げることも出来ないんだよね」とマナは語った。
「なんだ、そうだったのか。エライ不便だな」とサキィは感想を漏らした。
タイジは数時間前の小屋での戦闘を思い出した。
マナはあの時、二発、炎の魔術を使った。そういえば何か自分には聞き取れない言葉を発していたような気がする。そしてドロドロしたあいつらを炎上させた炎は、床にも壁にも燃え移ることなく呆気無く消えた。
あの異生物が息絶えて体が蒸発するのと同時に。
知覚。
すべては知覚に訴えるものなのか、魔術とは…
タイジ達の世界において言葉は全世界共通であった。
東南国も中央国も、或いは他の諸国も、文化こそ微妙に違えど、使用している文字と言語は全く同じものであった。
総ての国家は、各地に残されている謎の石碑に残された記述を文化の下敷きにしていた。いかなる刃物を以ってしても傷をつけることが出来ない不思議な一枚岩。そこに刻まれた文字を。
そしてこの物語は彼らの共通言語を拙い日本語にどうにか翻訳する形で書かれている。
しかし、タイジがマナの詠唱の際に聞いた言葉は、明らかに普段耳にしない、我々の世界で言うところの異国語にあたる、未知の発音であった。
「まあ不便て言われても仕方ないかもしれないけど。大体何もないところにいきなり炎とか風とか氷とか出てきたら大変でしょ?精霊の仕業にしたって、そんなことしてたら気候がおかしくなっちゃうよ!現実はそんなにメルヘンじゃないってこと。もっと厳しいもんなのさ。」
マナはぶすっとして応えた。
「その魔術師の異生物が発した奇声ってのが、魔術を唱える暗号みたいなものなの?」
タイジが問う。
「そうそう。暗号…まあ暗号みたいなもんだね。ヤーマ先生が言ったように、異生物が唱えていたものを聞き取ったんだけどね、命がけで何年も掛けて。一説によると古代語とか言われてて、発音もすんごい難しいんだ。でもそれがちゃんと言えないと魔術は成功しないんだよ。もち、言っただけで魔術が使えるわけじゃないけどね。あと、聞き取りは完了しててもまだ使えることの出来ない魔術もいっぱいあって、大学じゃ毎日が苦難の連続なのさ!簡単じゃないんだよー」
「なるほど。すんごい良く分かったぜ」
サキィが剣を抜いた。「それじゃぁ、マナ。こいつらにその素晴らしい魔術をお見舞いしてやろうぜ」
タイジが松明で照らした先に蠢く影があった!
ゴリラの腕のように太い四肢を持つトラに似た異生物が数匹!
「逞しき四肢」それらが群れを成して今にも襲い掛からんと低い唸り声を上げている!

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