オリジナルの中世ファンタジー小説
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「いよいよお出ましだね!異生物め!」
マナは手にした杖を胸の前に構え、瞳を閉じて精神を集中し始める。
髪の色が黒から緑へと徐々に変わっていく。
そしてマナは叫んだ!
red hot chili peppers!!!!!
タイジは見る。
マナが聞き慣れない、普段とは違う発音で呪文の言葉を詠唱をしたことにより、杖の先に現れた炎の盛りを。宝玉のかたどられた杖に光が宿り、マナの髪が緑色に変わっていく様を映し出す。
幻の炎はどんどんと大きくなる。
「それ!燃えちまいな!レッドホットぉ!」
マナは杖を振って先端の炎を一匹の異生物に向かって投げつけた。
炎は真っ直ぐに進み見事命中!
「逞しき四肢」は断末魔を上げて崩れ、倒れ、消える。
仲間をやられた逞しき四肢達が唸り声の合唱を始める。
「キャレスプレエェイイィー!」
素早く!サキィが長剣で斬りかかる。
敵の頑強な前足を切り払い、顔面を刃で突く!
だが、その横にいた別の逞しき四肢が動きを見せ、サキィは爪による一撃を受けて半獣の肉体に擦過傷を作らされる。
破れた衣服がはらりと散った。
斑点のあるヒョウの毛並が見える。
サキィは後ずさる。
「サキィくん!大丈夫?」
サキィはマナに笑みを見せる。
「へん。こんな傷の一つや二つ、いつも受けてるからまったく平気よ。それより、マナ、さっきの魔術、やるじゃねぇか。ちょっと見直したぜ」
「レッドホット?ほんと?わーー嬉しい!サキィくんに褒められるなんて。うんうん、やっぱり女の子でも守られてばっかりじゃダメだもんね!」
マナは戦場だというのに黄色い声を上げて歓喜する。
守られてばかりじゃダメ…その言葉がタイジの耳に痛みを伴って響いた。
守られてばかりじゃダメ。
だが、どうする?
眼前には恐ろしい異生物たちが、二匹仕留めたというのに、まだまだたくさん残っている。大群じゃないか!
サキィは軽い怪我だと言い張ったが、敵の反撃は明らかに脅威だ。
どうする?やっぱり逃げた方が良い。傷つく。傷つくのは嫌だ。痛い想いをするのは嫌だ。松明を握っている腕が所在無げだ。僕なんかがここにいてもしょうがない。この二人に任せておけばいい。なんせこの二人は超人だ。おっかない異生物と戦う専門家だ。そんでもって僕はただの人間だ。よし、逃げよう。逃げた方が良いに決まっている。
タイジがおもむろに足を一歩後退した直後。
「なぁ、マナよぉ。確かにさっきの魔術はなかなかだった。一撃で仕留めてみせた。文句はない。けどさ」
サキィは飛び掛った一体を革の盾で受け止めて押し返しながら「ちきしょ。数は多いな…マナ!敵の方々はこんな団体さんだ。魔術ってのはお一人様限定なのかー?」
「それはボクも今、考えていたとこだよ。安心して!魔術アカデミーの主席、最優秀学生マナ・アンデン、まだまだ本領発揮はこれからだよー」
en blue jeans et blouson d'cuir!!!!!
マナは再び詠唱をし、今度は先程とは真逆の、水色の輝きが杖の突端に集まっていく。
マナの美しい髪は緑色。
それを照らすのは青い光!氷!
「キンキンに冷やしたらぁ!」
マナは精神を集中させて氷の結晶を創り上げていく。冷気!
洞窟内に吹雪が巻き起こる。
サキィに押し寄せる数体の逞しき四肢達を幻の吹雪が襲う!先ほどの火炎とは対称的な氷の魔術。吹雪、吹雪、氷の世界!
アアアアァァァダアアアァモオオオオオォォォ
吹雪に直撃した数匹が悲鳴を上げた。
奴らは氷点下何十度という猛烈な冷気を喰らったんだ。いや、喰らったと錯覚させられているんだ。
タイジは事を理解しようとしたが、さっきの炎も含め、マナが杖から放っている幻術がとてもまやかしだとは思えなかった。
どう見ても今、目の前の得体の知れぬ生き物達は凍死寸前の極寒に苦しめられている。
無数の氷の粒が異生物の自慢の足を地面に縛り付ける。
「今のうちだよ、サキィ君!」
「でかした、浮気娘!」
サキィは失礼なことを言って魔獣に飛び掛った。
氷漬けにされてもがいていた逞しき四肢を次から次へと切り倒していく。
異生物の黒い血液が辺りに飛び散る!そして順序良く絶命しては消え失せていく。
「それじゃぁ、もう一発お見舞いだ~」
en blue jeans et blouson d'cuir!!!!!
マナは再度同じ氷の魔術を使った。
どう見ても本物にしか見えない猛吹雪が、異生物たちに向かって放たれる。
サキィが剣での追撃を下す。
そうして現れた敵の群はすべて一掃された。
「こいつは良いコンビネーションだ!」
サキィは剣に付着した異生物の血のりを払いながら感想を述べた。
もっとも、消滅した順に血は乾いていくのだが。
気がつくと敵は全滅したのか、サキィはマナと向かい合って「やるじゃないか、マナ。その魔術を使ってくれるとこっちも戦いやすいぜ。こいつらの動きを吹雪で止めて俺がトドメを指す。うん、無駄の無いスマートな戦い方だ」
「あは。嬉しいな。ボクもあんまりこの水系の魔術は得意じゃないんだけど、数が多いときはブルージーンの方が良いよね。ブルージーンって他の魔術と詠唱が微妙に発音が違うから失敗しないかいつもドキドキなんだー。でも、これを得意としてた子は、こっちの方が失敗しにくいって言ってたけど」
逞しき四肢たちをやっつけた!
マナとサキィはそれなりの経験値を獲得!
ただ一人…タイジだけは視線を落としていた。
自分が何をしていたのか自問自答をしていた。
僕は何をしていた?ただ、戦う仲間の後ろに立って松明で照らしていただけ?僕は照明係か?完全に蚊帳の外…二人がおっかない異生物と戦っていたのを、ただ眺めていただけ…戦力じゃない、僕は、逃げようとすらしていた。自分に腹が立つ。でも己を攻めた所で何も出来ないことに変わりは無い。僕は何も出来ない。戦力じゃなかった。役立たず。いなくても良い存在。いない方が良い存在?嫌だ。何も出来ない。何もしたくない。出来ない!ほら、今もサキィとマナは戦いを終えて楽しそうに笑い合っている。緊張をほぐしているんだろうか。あんなに楽しそうに。マナは命を賭けて戦った。サキィは命を賭けて戦った。僕は命など賭けてはいなかったし、戦おうとすらしなかった。僕は何だ?何故、こんなところにいる?こんな戦場で…何をしている?
ところで。
三人が試練の洞穴に突入した時点から遡ること半月前のこと。
「今回の計画。ハコザ教授の前でこんなことを言うのは恐れ多いのですが」
そこは山深き中央皇国の魔術大学。タイジ達の住む東南国より遥か北方に位置する、叡智と学問の王国。
ブラインドで仕切られた窓の前、まだ四十に届いてはいないだろう男と、その教え子と思われる学生が話をしている。薄暗い部屋の中。
「ふぅん。どうした?言ってみなさい。なんでもはっきり発言しないと議論にならないし、君が出世することも出来ないんだぞ」
学生は薄笑みを浮かべているハコザという教授の瞳を見た。
鋭い瞳は欲望をたぎらすようにギラギラと燃え盛っている。だが、その炎は冷たい。その瞳には冷凍の炎が宿っていた。
この人は、人の上に立つことを至上の喜びとしている人だ。
そしてその為には手段を選ばない。
「やはり、同じ学生として、このような仕打ちをするというのは、私は心が痛みます。正直、はじめは構わないと思っていました。我々の学派がより力を握る為に、彼らには犠牲になってもらっても。でも、しかし」
するとハコザ教授は生徒に対して深い落胆の色を示し「君は有為な男だ。成績も優秀だ。君の発表する論文はいつも興味深い。だが、この期に及んでそんなつまらないことを言い出すのか」
「ち、違います!」
学生はハコザ教授の蔑むような目を見て「自分は、ただ、もっと穏便な方法はないだろうかと検討の余地をお願いしたかっただけで」
「君はまだ甘い」
ハコザ教授は整えられた髪に手ぐしを入れ、また笑みを口元に戻し、窓の縁に寄りかかって答えた。
「既に実行中の計画を途中で変更する。それは即ち失敗という結末を意味する。何故か。計画の変更には『弱さ』が含まれるからだ。君はもう少し人命を尊重した方法にしないのか、と言いたいのだろう?だがそれは心の迷い、君の弱さが言わせてしまったのだ。この計画は何ヶ月も前から我々の間で協議されてきた。それを今になって変更しようなどと言うのは、君が、計画に失敗したらどうしようかという恐れ、不安、心の薄弱に侵されてしまったからだ。つまり甘えだよ。もし、私の元を離れて一人でこの学会で名を上げていくつもりならばそれもよかろう。君がだよ。これから、たった一人で!だが、その甘さがある限り、私には、どう公平に見積もっても君の将来が明るいものだとは思えない。今、君はこの場で、この計画の見直しをしてはどうかという尻込みをした。計画の成否如何に関わらず、この先君は何か重大な決定をする時になったら、またきっとこうした迷いに捉われてしまうことだろう。そうした心の弱さが、これからの君の成功への道を暗く陰鬱に閉ざしていくことだろう。なるほど、私は今、陳腐な精神論を語っているように君は思うだろう。だが、私はこの世界で死に物狂いで生き延びてきた。レースをだ。そのレースの途中で脱落していった者を横目で何人も見ていた。そいつらは何故、脱落したか。出身や生まれた家柄か?経済力や人徳か?違うね。共通していたのは、皆、ここぞというところで心に迷いがあった。その迷いに負けて、肝心なところで判断を誤り、レースから脱落した。無様にね。ただそれだけの話だ。君もそうなりたいのかね?」
この人に、情け容赦は有り得ないんだ。
学生は肩を震わせ始めていた。
「いえ…。私は、落ちていきたくはありません」
すると窓を背にしたハコザ教授は口を弓なりに曲げた。冷たい瞳は決して笑ってはいない。
「これからも私を尊敬し、私に着いて来てくれるならば君にもチャンスがある。大丈夫だ。計画の本筋は少々手荒でも、最終的には総て丸く収まる。証拠は残らない。万全の対策を練ってある。あの目障りな老いぼれ学長も、今回のことにはまるで気付いていない。あいつはもうろくしているからな。それに、私が王族の連中に通じていることも知っているだろう?その確実なパイプラインがある限り、私と、私に賛同する君の立場は絶対に守られる。これのどこに不安があるというんだ?」
ハコザは窓から離れ、学生の震える肩に手を掛けた。
「何も恐れることはない。私を慕って私に協力してくれてさえいれば、君の将来は約束された望みどおりのものになるんだから」
この人は、恐ろしい。
だが、国家に通じている、それは絶対的な安心だ。
やっぱり、この人に着いていこう。
「はい。つまらないことを言って申し訳ありませんでした。自分は甘かったんだと思います」
「うむ。さすがは私の生徒だ。物分りが早い」
ハコザ博士は笑って、学生の肩に掛けている手に力を込めた。
そして呟いた。
…。
薄闇の部屋に唐突な明るさがやって来て、そしてまたもとの暗闇に戻った。
「私は優秀な生徒が好きだよ。優秀、それはつまり私の崇高な理想を理解し、それに従う者のことだ。あの死に損ないの学長は、私の教え子では無い者どもに、卒業の証を与えようとしている。そんなことは断じて間違っているのだ。その間違いを正してやるのも、我々、ハコザ学派の使命というものだ。私の学派に属するものだけが、栄光ある未来へと達することが出来る。レースの勝者となり得る。そうでないものには、敗者には、明日、息をしていることすら許されない。今、この瞬間もだね」
ハコザは殺害した学生が身につけていたものを屑篭へと処分してから部屋を後にした。
マナは手にした杖を胸の前に構え、瞳を閉じて精神を集中し始める。
髪の色が黒から緑へと徐々に変わっていく。
そしてマナは叫んだ!
red hot chili peppers!!!!!
タイジは見る。
マナが聞き慣れない、普段とは違う発音で呪文の言葉を詠唱をしたことにより、杖の先に現れた炎の盛りを。宝玉のかたどられた杖に光が宿り、マナの髪が緑色に変わっていく様を映し出す。
幻の炎はどんどんと大きくなる。
「それ!燃えちまいな!レッドホットぉ!」
マナは杖を振って先端の炎を一匹の異生物に向かって投げつけた。
炎は真っ直ぐに進み見事命中!
「逞しき四肢」は断末魔を上げて崩れ、倒れ、消える。
仲間をやられた逞しき四肢達が唸り声の合唱を始める。
「キャレスプレエェイイィー!」
素早く!サキィが長剣で斬りかかる。
敵の頑強な前足を切り払い、顔面を刃で突く!
だが、その横にいた別の逞しき四肢が動きを見せ、サキィは爪による一撃を受けて半獣の肉体に擦過傷を作らされる。
破れた衣服がはらりと散った。
斑点のあるヒョウの毛並が見える。
サキィは後ずさる。
「サキィくん!大丈夫?」
サキィはマナに笑みを見せる。
「へん。こんな傷の一つや二つ、いつも受けてるからまったく平気よ。それより、マナ、さっきの魔術、やるじゃねぇか。ちょっと見直したぜ」
「レッドホット?ほんと?わーー嬉しい!サキィくんに褒められるなんて。うんうん、やっぱり女の子でも守られてばっかりじゃダメだもんね!」
マナは戦場だというのに黄色い声を上げて歓喜する。
守られてばかりじゃダメ…その言葉がタイジの耳に痛みを伴って響いた。
守られてばかりじゃダメ。
だが、どうする?
眼前には恐ろしい異生物たちが、二匹仕留めたというのに、まだまだたくさん残っている。大群じゃないか!
サキィは軽い怪我だと言い張ったが、敵の反撃は明らかに脅威だ。
どうする?やっぱり逃げた方が良い。傷つく。傷つくのは嫌だ。痛い想いをするのは嫌だ。松明を握っている腕が所在無げだ。僕なんかがここにいてもしょうがない。この二人に任せておけばいい。なんせこの二人は超人だ。おっかない異生物と戦う専門家だ。そんでもって僕はただの人間だ。よし、逃げよう。逃げた方が良いに決まっている。
タイジがおもむろに足を一歩後退した直後。
「なぁ、マナよぉ。確かにさっきの魔術はなかなかだった。一撃で仕留めてみせた。文句はない。けどさ」
サキィは飛び掛った一体を革の盾で受け止めて押し返しながら「ちきしょ。数は多いな…マナ!敵の方々はこんな団体さんだ。魔術ってのはお一人様限定なのかー?」
「それはボクも今、考えていたとこだよ。安心して!魔術アカデミーの主席、最優秀学生マナ・アンデン、まだまだ本領発揮はこれからだよー」
en blue jeans et blouson d'cuir!!!!!
マナは再び詠唱をし、今度は先程とは真逆の、水色の輝きが杖の突端に集まっていく。
マナの美しい髪は緑色。
それを照らすのは青い光!氷!
「キンキンに冷やしたらぁ!」
マナは精神を集中させて氷の結晶を創り上げていく。冷気!
洞窟内に吹雪が巻き起こる。
サキィに押し寄せる数体の逞しき四肢達を幻の吹雪が襲う!先ほどの火炎とは対称的な氷の魔術。吹雪、吹雪、氷の世界!
アアアアァァァダアアアァモオオオオオォォォ
吹雪に直撃した数匹が悲鳴を上げた。
奴らは氷点下何十度という猛烈な冷気を喰らったんだ。いや、喰らったと錯覚させられているんだ。
タイジは事を理解しようとしたが、さっきの炎も含め、マナが杖から放っている幻術がとてもまやかしだとは思えなかった。
どう見ても今、目の前の得体の知れぬ生き物達は凍死寸前の極寒に苦しめられている。
無数の氷の粒が異生物の自慢の足を地面に縛り付ける。
「今のうちだよ、サキィ君!」
「でかした、浮気娘!」
サキィは失礼なことを言って魔獣に飛び掛った。
氷漬けにされてもがいていた逞しき四肢を次から次へと切り倒していく。
異生物の黒い血液が辺りに飛び散る!そして順序良く絶命しては消え失せていく。
「それじゃぁ、もう一発お見舞いだ~」
en blue jeans et blouson d'cuir!!!!!
マナは再度同じ氷の魔術を使った。
どう見ても本物にしか見えない猛吹雪が、異生物たちに向かって放たれる。
サキィが剣での追撃を下す。
そうして現れた敵の群はすべて一掃された。
「こいつは良いコンビネーションだ!」
サキィは剣に付着した異生物の血のりを払いながら感想を述べた。
もっとも、消滅した順に血は乾いていくのだが。
気がつくと敵は全滅したのか、サキィはマナと向かい合って「やるじゃないか、マナ。その魔術を使ってくれるとこっちも戦いやすいぜ。こいつらの動きを吹雪で止めて俺がトドメを指す。うん、無駄の無いスマートな戦い方だ」
「あは。嬉しいな。ボクもあんまりこの水系の魔術は得意じゃないんだけど、数が多いときはブルージーンの方が良いよね。ブルージーンって他の魔術と詠唱が微妙に発音が違うから失敗しないかいつもドキドキなんだー。でも、これを得意としてた子は、こっちの方が失敗しにくいって言ってたけど」
逞しき四肢たちをやっつけた!
マナとサキィはそれなりの経験値を獲得!
ただ一人…タイジだけは視線を落としていた。
自分が何をしていたのか自問自答をしていた。
僕は何をしていた?ただ、戦う仲間の後ろに立って松明で照らしていただけ?僕は照明係か?完全に蚊帳の外…二人がおっかない異生物と戦っていたのを、ただ眺めていただけ…戦力じゃない、僕は、逃げようとすらしていた。自分に腹が立つ。でも己を攻めた所で何も出来ないことに変わりは無い。僕は何も出来ない。戦力じゃなかった。役立たず。いなくても良い存在。いない方が良い存在?嫌だ。何も出来ない。何もしたくない。出来ない!ほら、今もサキィとマナは戦いを終えて楽しそうに笑い合っている。緊張をほぐしているんだろうか。あんなに楽しそうに。マナは命を賭けて戦った。サキィは命を賭けて戦った。僕は命など賭けてはいなかったし、戦おうとすらしなかった。僕は何だ?何故、こんなところにいる?こんな戦場で…何をしている?
ところで。
三人が試練の洞穴に突入した時点から遡ること半月前のこと。
「今回の計画。ハコザ教授の前でこんなことを言うのは恐れ多いのですが」
そこは山深き中央皇国の魔術大学。タイジ達の住む東南国より遥か北方に位置する、叡智と学問の王国。
ブラインドで仕切られた窓の前、まだ四十に届いてはいないだろう男と、その教え子と思われる学生が話をしている。薄暗い部屋の中。
「ふぅん。どうした?言ってみなさい。なんでもはっきり発言しないと議論にならないし、君が出世することも出来ないんだぞ」
学生は薄笑みを浮かべているハコザという教授の瞳を見た。
鋭い瞳は欲望をたぎらすようにギラギラと燃え盛っている。だが、その炎は冷たい。その瞳には冷凍の炎が宿っていた。
この人は、人の上に立つことを至上の喜びとしている人だ。
そしてその為には手段を選ばない。
「やはり、同じ学生として、このような仕打ちをするというのは、私は心が痛みます。正直、はじめは構わないと思っていました。我々の学派がより力を握る為に、彼らには犠牲になってもらっても。でも、しかし」
するとハコザ教授は生徒に対して深い落胆の色を示し「君は有為な男だ。成績も優秀だ。君の発表する論文はいつも興味深い。だが、この期に及んでそんなつまらないことを言い出すのか」
「ち、違います!」
学生はハコザ教授の蔑むような目を見て「自分は、ただ、もっと穏便な方法はないだろうかと検討の余地をお願いしたかっただけで」
「君はまだ甘い」
ハコザ教授は整えられた髪に手ぐしを入れ、また笑みを口元に戻し、窓の縁に寄りかかって答えた。
「既に実行中の計画を途中で変更する。それは即ち失敗という結末を意味する。何故か。計画の変更には『弱さ』が含まれるからだ。君はもう少し人命を尊重した方法にしないのか、と言いたいのだろう?だがそれは心の迷い、君の弱さが言わせてしまったのだ。この計画は何ヶ月も前から我々の間で協議されてきた。それを今になって変更しようなどと言うのは、君が、計画に失敗したらどうしようかという恐れ、不安、心の薄弱に侵されてしまったからだ。つまり甘えだよ。もし、私の元を離れて一人でこの学会で名を上げていくつもりならばそれもよかろう。君がだよ。これから、たった一人で!だが、その甘さがある限り、私には、どう公平に見積もっても君の将来が明るいものだとは思えない。今、君はこの場で、この計画の見直しをしてはどうかという尻込みをした。計画の成否如何に関わらず、この先君は何か重大な決定をする時になったら、またきっとこうした迷いに捉われてしまうことだろう。そうした心の弱さが、これからの君の成功への道を暗く陰鬱に閉ざしていくことだろう。なるほど、私は今、陳腐な精神論を語っているように君は思うだろう。だが、私はこの世界で死に物狂いで生き延びてきた。レースをだ。そのレースの途中で脱落していった者を横目で何人も見ていた。そいつらは何故、脱落したか。出身や生まれた家柄か?経済力や人徳か?違うね。共通していたのは、皆、ここぞというところで心に迷いがあった。その迷いに負けて、肝心なところで判断を誤り、レースから脱落した。無様にね。ただそれだけの話だ。君もそうなりたいのかね?」
この人に、情け容赦は有り得ないんだ。
学生は肩を震わせ始めていた。
「いえ…。私は、落ちていきたくはありません」
すると窓を背にしたハコザ教授は口を弓なりに曲げた。冷たい瞳は決して笑ってはいない。
「これからも私を尊敬し、私に着いて来てくれるならば君にもチャンスがある。大丈夫だ。計画の本筋は少々手荒でも、最終的には総て丸く収まる。証拠は残らない。万全の対策を練ってある。あの目障りな老いぼれ学長も、今回のことにはまるで気付いていない。あいつはもうろくしているからな。それに、私が王族の連中に通じていることも知っているだろう?その確実なパイプラインがある限り、私と、私に賛同する君の立場は絶対に守られる。これのどこに不安があるというんだ?」
ハコザは窓から離れ、学生の震える肩に手を掛けた。
「何も恐れることはない。私を慕って私に協力してくれてさえいれば、君の将来は約束された望みどおりのものになるんだから」
この人は、恐ろしい。
だが、国家に通じている、それは絶対的な安心だ。
やっぱり、この人に着いていこう。
「はい。つまらないことを言って申し訳ありませんでした。自分は甘かったんだと思います」
「うむ。さすがは私の生徒だ。物分りが早い」
ハコザ博士は笑って、学生の肩に掛けている手に力を込めた。
そして呟いた。
…。
薄闇の部屋に唐突な明るさがやって来て、そしてまたもとの暗闇に戻った。
「私は優秀な生徒が好きだよ。優秀、それはつまり私の崇高な理想を理解し、それに従う者のことだ。あの死に損ないの学長は、私の教え子では無い者どもに、卒業の証を与えようとしている。そんなことは断じて間違っているのだ。その間違いを正してやるのも、我々、ハコザ学派の使命というものだ。私の学派に属するものだけが、栄光ある未来へと達することが出来る。レースの勝者となり得る。そうでないものには、敗者には、明日、息をしていることすら許されない。今、この瞬間もだね」
ハコザは殺害した学生が身につけていたものを屑篭へと処分してから部屋を後にした。
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ここは暁の東南国。
「おはようございます。女王陛下」
扉を開けると近衛兵副隊長が慇懃に朝の礼をした。
女王は王都サボウルツ、王城の寝室でお目覚めになり、数人の侍女に従われて、寝室に隣接している浴室にお入りになった。
副隊長は女性である。
女王陛下の寝室と浴室にはいかなる男性の入室も許可されていない。陛下の御親族であってもそれは同じである。
「おはよう」
四十代とは思えぬ若々しい肌を浴槽にゆっくりとお沈めになられながら、女王陛下はたっぷりと間を置いて挨拶を返した。
浴室は充分に広く、大理石の床は鏡のような純白さを湛え、天井は見上げた先に暗闇を窺わせるほど高かった。
副隊長は入浴中の陛下にもしものことがあってはと、決して警戒心を怠らない。
数人の侍女が御くつろぎになっている陛下のお側に配されている中、ただ一人、白い静謐なる浴室で、いつでも瞬時に抜刀出来る闘志を内に潜めていた。
「副隊長、そういえば、あなたは先日、中央皇国の魔術師さんたちが謁見に来たとき、いましたかしら?」
女王は侍女から受け取った石鹸を両の御手で弄びなられながら、傍らで屹立している女騎士に質問を投げ掛けられた。
「は!自分は確かに居合わせておりました」
まだ陽は昇りきってはいない。
陛下の朝はすこぶるお早い。
「そう…」
女王陛下のお目覚めは、太陽よりも早く東南国に新たな一日の始まりを告げる、と云われている。
「あの子たち、ちゃんと試練をパスできたかしら…」
近衛兵副隊長ははじめ、陛下のそのお言葉を一人ごちたのだと受け取ってしまった。「ねぇ、副隊長、 あの子たちは無事かしらね?」
その反復を聞いて「は!我が国の超人兵の試練の場として長年運営されておりまするかの洞窟、異国の学生風情に易々と攻略され得るものではありません。恐らくは今ごろ苦戦を強いられているかと」
「ふふふ。あなたは本当に生真面目なんだから」
陛下は半ば話を遮って仰られた。
「じゃぁ、いつもの言い方になるけど…。副隊長。もしあの子達が我々の国の魔術師さんだったとして、特別の教育と訓練を施したとして、それで…どう思うかしら?武人としての、あなたの率直な感想を聞きたいわ。みんな、無事でいられると思う?」
副隊長は改まった様子で「それでは、女王陛下。恐れ多くも近衛兵隊、副隊長の位を授からせていただいておりまする私めの、武人としての観点から意見をさせていただきますと…」
そして唾を飲み込んだ。
自分は、今は亡き前国王の時代から兵隊として王宮に長年仕えてきた騎士の家庭に生まれ、恋をするよりも早く真剣を握らされ、女としての人生ではなく、鍛錬に次ぐ鍛錬という血生臭いイバラ道を歩んできた。
近衛兵は陛下直属の護衛部隊。一般兵の中からも特に選ばれた者のみが配属させられる。
陛下が即位前のまだお若い頃に、女の近衛兵がいたら話し相手にもなるから、と欲されて、王宮兵団の少なくはない女性兵の中から自分が選ばれた。
統率力や指揮力には今一歩及ばないところがあったが、男の騎士にも負けない腕っ節が、兵士長殿に買われた。程なくして副隊長に任命されたが、陛下は私に話し相手としての期待も抱いておられる。陛下の御命をお守りすることが何よりもの使命であるし、最善を尽くし、いつでも陛下の為に、自らの生命を捧げる覚悟をしてはいるつもりだ。しかし、話し相手としての私はまだまだ力不足であるのだろう。陛下には御兄弟がおらず、歳の近い御親族もおられないので、気丈に振舞ってはいるが、幼少の頃はひどく孤独であったと私に仰られたことがある。王女であられた頃にはよくわがままを言ったり、こっそり城を抜け出したりしては、家臣らを困らせたとか。もちろん、陛下の外交能力が大臣達よりも遥かに有能でいらっしゃることは言うまでもない。各国の首脳が集まる国際会議で、お若いながらも目覚ましい発言と提唱を試み、それが受け入れられて国際平和の実現にご貢献なされている。陛下はこの国にとってだけではなく、この世界全体の人々にとって、必要不可欠な存在なのである。私などがおいそれと私情を交えた会話をしてはならない、尊きお方なのだ。そして、何よりもお美しい。私のような醜女は本来ならばお側にいるだけで、 陛下の美しさを損ねてしまう忌むべき存在。恐れ多い。まこと、恐れ多いのだ。
「魔術師というものと手合わせた経験が無いゆえ、これは非常に憶測の域を出ない曖昧模糊な返答になりますが、かの一団、それなりに腕の立つ者と思われました。何よりも、護衛を付けずに異生物めの徘徊する野山を越えて来たという事実には、ある一定の評価が可能です。私自身は超人で無い為、試練を受けたことは無いのですが、八人で協力し合い、洞窟内での苦難に立ち向かっていければ、命を落とすようなことはないと思われます。特に、代表者であると名乗ったあの娘には、この武人の目に…何か光るものが映りました」
「そう、そうなのよね」と女王陛下は湯舟から御手をお上げになり、また水面をぴしゃんと打った。
水の弾ける音が、広大な浴室に小気味良くこだました。
「あの子。私もよく覚えているわ。マナさんね。マナ・アンデン。不思議を感じちゃったわ。なんか、昔の私を見てるみたいだった」
陛下は遠い目を傾け、夢見の表情で言葉を紡ぎ、するとクスっとお笑いになった。
「あの子と話したら、なんか懐かしい気持ちになっちゃってね。まだ即位していなかった頃は、あんな風にやんちゃでね。無鉄砲なくせに自信家で、自分はなんでも出来るんだと思っていた。きっと、人生はなんでもうまくいくって。辛いことがあっても、自分はうまいこと乗り切っていける、根拠のない自信で…よく物事が見えなくなっていた。でも、それだけ純粋だった。悲しいことがあると、夜はずっと一人で泣いていた。恋をしても、うまくはいかなかったわ」
副隊長は黙って陛下のお言葉を聞いていた。
自分は戦いをするものとしてマナ・アンデンの素養を見抜いたが、陛下が言われているような人間的な部分までは分からなかった。
「でも、私も歳をとったわ。昔の自分はもうどこにもいない。今は国を、そしてこの大陸諸国を悪い方に向かっていかないよう、一生懸命がんばること。あの子の人生は私のものじゃない。憧れても、それは私の大人になれない幼稚さのわがままね。私はあの子に…」
そこに静かな水の音だけがあった。
やや、言葉を途切らせてから、陛下は続きを仰った。
「あの子たちに…マナさんたちに、無事に帰ってきて欲しいの。その気持ちはね、副隊長、もちろん、国を預かる者としての感情もあるわ。でもね、それ以上に…」
副隊長はしばしばの空白を、ただ、実直に待ち続けるのみであった。
「いけないいけない。私はあの子に自分を重ねすぎているわ。なんというか…とても、他人って気がしないのよ。何故でしょう…心配しても仕方ないのに。うん、きっとあの子は無事に帰ってくる。何も心配はないよね。あなたもそう言った。それを信じましょう。無事を祈りましょう」
「は!私も中央皇国の学生団が滞りなく試練を通過することを望んでいます」
「そうよね。いっしょに願いましょう」
女王はお顔を窓のほうに向けられた。
日出まではまだ幾らか時間がある。
あの洞窟。懐かしいわね。遠い遠い昔、あそこで起こったこと、誰にも言えない。今、私がかつてあそこを冒険したことがあるなんて告白したら、副隊長はどんな顔をするかしら。
「暗黒の地下道、最後にあそこで試練が実施されたのはいつ?」
「は!ここ最近は城下で超人に覚醒する者の数が若干減少の傾向にあり、一番新しいものですと三ヶ月以上前かと。その時は、受験者がSOSを発して中止となりました」
「そうだ。そういえばそんな話を兵士長から聞いたわね。洞窟内の異生物も凶暴化しているのかしら?」
「いえ!報告書によりますと、もともとその受験者は身体能力的に兵士には不適格とされていたものです。なんでも演芸の才に秀でていた優男だとか…」
「まあ、そうだったの…旅芸人…と仰ったかしら」
陛下は窓の方を向いたまま、お言葉を続ける。
「超人。超人兵。でも、そうした区別は本当に必要かしらね。確かに並の兵士と超人の兵士では能力に差があるのは確かだわ。でも、私や大臣達が兵の階級を超人か否かであることを判断基準にしていないことはあなたも知っているわよね?私達は兵に志願した者に、超人だからといって特に優遇措置は取っていません。超人であろうと無かろうと、あくまでその兵の活躍と実績、貢献で評価をしています。それは結局、一人の超人の力よりも、統率された何百人の兵団の力のほうが軍事力として勝っているからです。中央国が十年前の戦争で魔術師を派兵して失敗したことがその何よりもの根拠です。でもね、私は一国を預かる立場にある人間として、極めて不適切な発言かもしれないけど…そもそも私は軍備を増強することをあまり歓迎してはいません。今のこの世界に、軍隊を持つことに何の意味があるでしょう。今は、今この世界は、人間同士が国家を賭けて争い合うような時代ではないのです。私たちが戦わねばならぬのは異生物…」
饒舌さはそこで途絶えた。
陛下は我を忘れて長話をなさったことを副隊長に詫びた。そしてやにわに話題を変えなされた。
「そういえば、もうすぐ中央国との定例会談が近いですわね」
「は!十日後に控えております。今回は先方を我々の国にお招きします」
タイジとサキィの住んでる東南王国は、中央皇国と密に交渉を図るようにしてきた。
中央国はほぼ全域が山地であり、魔術や学問の研究に非常に先鋭的であったが、食料自給率の低さは否めず、貿易の面でも国土の豊かな東南国とは関係を保っていく必要があった。
「あの王子様、いつも思いつめたような表情してて、なんだか危なっかしいのよね。あの子、すぐに深刻になっちゃうでしょう。ちょっと被害妄想の気があるのかしらね。そりゃあ、あの王家にはいろいろなことがあったわ。血生臭い血族の争いも…」
「恐れながら、中央皇国は我が国を含め、五つもの国と国境を接しています。過敏になられるのも無理はないのではないかと」
「そうよね。あなたの言うとおりだわ、副隊長。私達の国とはわけが違いますもんね。大陸の真ん中にあって、常に他国との関係に神経を使っている。でも、もう少し穏やかな気持ちで国の情勢をご覧になっては、といつも言っているんですがね。なんだか自分の息子に言い聞かせるような気分なのよね」
女王陛下は浴槽から大儀そうに起き上がられた。
四十を越えて未だ衰えを知らない、熟れた女性の瑞々しい裸体が朝の厳粛な光の中で輝いていた。
「やだわ。今日はなんだか若い子の心配ばかりしちゃって。歳のせいよね」
「陛下…」
副隊長は陛下の、この世のものとは思えぬ清らかなお姿を眺めながら「私は陛下のように、ご立派でお美しい方が、いつまでも独り身でいらっしゃるのは、誠に勿体無きことだと思っています」
「そうはいうけどね」
陛下は浴槽から冷たい大理石の上に足をお出しになり「みんな私を傲慢な女王だと罵るでしょうけど、私はダメなのよ。結婚は…」
副隊長は吸い込まれるような陛下の瞳を覗きこんだ。
その奥にある乾いた悲しみを垣間見た気がした。
「恋はね、人生で一度きり。ほんと、ヒドイ女王だわ。今も、忘れられない人がいて、そしてその人を必死になって、今でも探し続けているの。こんな強情な女王じゃ、国の平和なんて守れないかもね」
副隊長は涙を流してその場に跪いた。
そして嗚咽を交えながら謝罪の言葉を述べた。
「陛下!申し訳ありませんでした。しかし、しかし自分は、後にも先にも陛下以上に素晴らしい全知全能の君主が現れるわけはないと確信しております!仮初にもそのようなことを仰らないで頂きたく思います。また、陛下のお心を傷つけてしまった自分を、どうかお叱り下さい!」
「これこれ、副隊長。朝からなんですか、みっともないですよ。さぁさ、長風呂もお仕舞い。朝の公務が始まりますよ」
そこにあったのは東南国に安泰と繁栄を約束させる、眩い女王の笑顔であった。
「副隊長、中央国との会談が済めば、今度はいよいよ世界サミットが控えています。なんとか、例の件の、概要をまとめておかなくてはなりません」
「は!我が兵団も全力で、調査と研究にあたっています」
「ねぇ…まったく、色んなことを言われて困っちゃうわ。西南幕府は刀を持つ者を皆等しく剣士と扱うなと強情だし、南方王国は旅芸人の奇術を是非見てくれという。かと思えば北はあやしい宝探しを生業とする尋宝師とやらのことを引き合いに出すし、中央国でさえ、件の魔術大学…あぁ、あの子たちは魔術アカデミーと呼んでいましたね。その魔術アカデミーで近々、既存の概念を覆すかもしれない発表があるかもだなんて…まったく、もう…。世界をまとめるのも一苦労よね」
麗しの女王陛下は豊かな表情で、侍女にお体を拭かせながら副隊長に愚痴をおこぼしになられた。その瞳には、この世界に生きるすべての人々の幸せの行方が移られていた。
「おはようございます。女王陛下」
扉を開けると近衛兵副隊長が慇懃に朝の礼をした。
女王は王都サボウルツ、王城の寝室でお目覚めになり、数人の侍女に従われて、寝室に隣接している浴室にお入りになった。
副隊長は女性である。
女王陛下の寝室と浴室にはいかなる男性の入室も許可されていない。陛下の御親族であってもそれは同じである。
「おはよう」
四十代とは思えぬ若々しい肌を浴槽にゆっくりとお沈めになられながら、女王陛下はたっぷりと間を置いて挨拶を返した。
浴室は充分に広く、大理石の床は鏡のような純白さを湛え、天井は見上げた先に暗闇を窺わせるほど高かった。
副隊長は入浴中の陛下にもしものことがあってはと、決して警戒心を怠らない。
数人の侍女が御くつろぎになっている陛下のお側に配されている中、ただ一人、白い静謐なる浴室で、いつでも瞬時に抜刀出来る闘志を内に潜めていた。
「副隊長、そういえば、あなたは先日、中央皇国の魔術師さんたちが謁見に来たとき、いましたかしら?」
女王は侍女から受け取った石鹸を両の御手で弄びなられながら、傍らで屹立している女騎士に質問を投げ掛けられた。
「は!自分は確かに居合わせておりました」
まだ陽は昇りきってはいない。
陛下の朝はすこぶるお早い。
「そう…」
女王陛下のお目覚めは、太陽よりも早く東南国に新たな一日の始まりを告げる、と云われている。
「あの子たち、ちゃんと試練をパスできたかしら…」
近衛兵副隊長ははじめ、陛下のそのお言葉を一人ごちたのだと受け取ってしまった。「ねぇ、副隊長、 あの子たちは無事かしらね?」
その反復を聞いて「は!我が国の超人兵の試練の場として長年運営されておりまするかの洞窟、異国の学生風情に易々と攻略され得るものではありません。恐らくは今ごろ苦戦を強いられているかと」
「ふふふ。あなたは本当に生真面目なんだから」
陛下は半ば話を遮って仰られた。
「じゃぁ、いつもの言い方になるけど…。副隊長。もしあの子達が我々の国の魔術師さんだったとして、特別の教育と訓練を施したとして、それで…どう思うかしら?武人としての、あなたの率直な感想を聞きたいわ。みんな、無事でいられると思う?」
副隊長は改まった様子で「それでは、女王陛下。恐れ多くも近衛兵隊、副隊長の位を授からせていただいておりまする私めの、武人としての観点から意見をさせていただきますと…」
そして唾を飲み込んだ。
自分は、今は亡き前国王の時代から兵隊として王宮に長年仕えてきた騎士の家庭に生まれ、恋をするよりも早く真剣を握らされ、女としての人生ではなく、鍛錬に次ぐ鍛錬という血生臭いイバラ道を歩んできた。
近衛兵は陛下直属の護衛部隊。一般兵の中からも特に選ばれた者のみが配属させられる。
陛下が即位前のまだお若い頃に、女の近衛兵がいたら話し相手にもなるから、と欲されて、王宮兵団の少なくはない女性兵の中から自分が選ばれた。
統率力や指揮力には今一歩及ばないところがあったが、男の騎士にも負けない腕っ節が、兵士長殿に買われた。程なくして副隊長に任命されたが、陛下は私に話し相手としての期待も抱いておられる。陛下の御命をお守りすることが何よりもの使命であるし、最善を尽くし、いつでも陛下の為に、自らの生命を捧げる覚悟をしてはいるつもりだ。しかし、話し相手としての私はまだまだ力不足であるのだろう。陛下には御兄弟がおらず、歳の近い御親族もおられないので、気丈に振舞ってはいるが、幼少の頃はひどく孤独であったと私に仰られたことがある。王女であられた頃にはよくわがままを言ったり、こっそり城を抜け出したりしては、家臣らを困らせたとか。もちろん、陛下の外交能力が大臣達よりも遥かに有能でいらっしゃることは言うまでもない。各国の首脳が集まる国際会議で、お若いながらも目覚ましい発言と提唱を試み、それが受け入れられて国際平和の実現にご貢献なされている。陛下はこの国にとってだけではなく、この世界全体の人々にとって、必要不可欠な存在なのである。私などがおいそれと私情を交えた会話をしてはならない、尊きお方なのだ。そして、何よりもお美しい。私のような醜女は本来ならばお側にいるだけで、 陛下の美しさを損ねてしまう忌むべき存在。恐れ多い。まこと、恐れ多いのだ。
「魔術師というものと手合わせた経験が無いゆえ、これは非常に憶測の域を出ない曖昧模糊な返答になりますが、かの一団、それなりに腕の立つ者と思われました。何よりも、護衛を付けずに異生物めの徘徊する野山を越えて来たという事実には、ある一定の評価が可能です。私自身は超人で無い為、試練を受けたことは無いのですが、八人で協力し合い、洞窟内での苦難に立ち向かっていければ、命を落とすようなことはないと思われます。特に、代表者であると名乗ったあの娘には、この武人の目に…何か光るものが映りました」
「そう、そうなのよね」と女王陛下は湯舟から御手をお上げになり、また水面をぴしゃんと打った。
水の弾ける音が、広大な浴室に小気味良くこだました。
「あの子。私もよく覚えているわ。マナさんね。マナ・アンデン。不思議を感じちゃったわ。なんか、昔の私を見てるみたいだった」
陛下は遠い目を傾け、夢見の表情で言葉を紡ぎ、するとクスっとお笑いになった。
「あの子と話したら、なんか懐かしい気持ちになっちゃってね。まだ即位していなかった頃は、あんな風にやんちゃでね。無鉄砲なくせに自信家で、自分はなんでも出来るんだと思っていた。きっと、人生はなんでもうまくいくって。辛いことがあっても、自分はうまいこと乗り切っていける、根拠のない自信で…よく物事が見えなくなっていた。でも、それだけ純粋だった。悲しいことがあると、夜はずっと一人で泣いていた。恋をしても、うまくはいかなかったわ」
副隊長は黙って陛下のお言葉を聞いていた。
自分は戦いをするものとしてマナ・アンデンの素養を見抜いたが、陛下が言われているような人間的な部分までは分からなかった。
「でも、私も歳をとったわ。昔の自分はもうどこにもいない。今は国を、そしてこの大陸諸国を悪い方に向かっていかないよう、一生懸命がんばること。あの子の人生は私のものじゃない。憧れても、それは私の大人になれない幼稚さのわがままね。私はあの子に…」
そこに静かな水の音だけがあった。
やや、言葉を途切らせてから、陛下は続きを仰った。
「あの子たちに…マナさんたちに、無事に帰ってきて欲しいの。その気持ちはね、副隊長、もちろん、国を預かる者としての感情もあるわ。でもね、それ以上に…」
副隊長はしばしばの空白を、ただ、実直に待ち続けるのみであった。
「いけないいけない。私はあの子に自分を重ねすぎているわ。なんというか…とても、他人って気がしないのよ。何故でしょう…心配しても仕方ないのに。うん、きっとあの子は無事に帰ってくる。何も心配はないよね。あなたもそう言った。それを信じましょう。無事を祈りましょう」
「は!私も中央皇国の学生団が滞りなく試練を通過することを望んでいます」
「そうよね。いっしょに願いましょう」
女王はお顔を窓のほうに向けられた。
日出まではまだ幾らか時間がある。
あの洞窟。懐かしいわね。遠い遠い昔、あそこで起こったこと、誰にも言えない。今、私がかつてあそこを冒険したことがあるなんて告白したら、副隊長はどんな顔をするかしら。
「暗黒の地下道、最後にあそこで試練が実施されたのはいつ?」
「は!ここ最近は城下で超人に覚醒する者の数が若干減少の傾向にあり、一番新しいものですと三ヶ月以上前かと。その時は、受験者がSOSを発して中止となりました」
「そうだ。そういえばそんな話を兵士長から聞いたわね。洞窟内の異生物も凶暴化しているのかしら?」
「いえ!報告書によりますと、もともとその受験者は身体能力的に兵士には不適格とされていたものです。なんでも演芸の才に秀でていた優男だとか…」
「まあ、そうだったの…旅芸人…と仰ったかしら」
陛下は窓の方を向いたまま、お言葉を続ける。
「超人。超人兵。でも、そうした区別は本当に必要かしらね。確かに並の兵士と超人の兵士では能力に差があるのは確かだわ。でも、私や大臣達が兵の階級を超人か否かであることを判断基準にしていないことはあなたも知っているわよね?私達は兵に志願した者に、超人だからといって特に優遇措置は取っていません。超人であろうと無かろうと、あくまでその兵の活躍と実績、貢献で評価をしています。それは結局、一人の超人の力よりも、統率された何百人の兵団の力のほうが軍事力として勝っているからです。中央国が十年前の戦争で魔術師を派兵して失敗したことがその何よりもの根拠です。でもね、私は一国を預かる立場にある人間として、極めて不適切な発言かもしれないけど…そもそも私は軍備を増強することをあまり歓迎してはいません。今のこの世界に、軍隊を持つことに何の意味があるでしょう。今は、今この世界は、人間同士が国家を賭けて争い合うような時代ではないのです。私たちが戦わねばならぬのは異生物…」
饒舌さはそこで途絶えた。
陛下は我を忘れて長話をなさったことを副隊長に詫びた。そしてやにわに話題を変えなされた。
「そういえば、もうすぐ中央国との定例会談が近いですわね」
「は!十日後に控えております。今回は先方を我々の国にお招きします」
タイジとサキィの住んでる東南王国は、中央皇国と密に交渉を図るようにしてきた。
中央国はほぼ全域が山地であり、魔術や学問の研究に非常に先鋭的であったが、食料自給率の低さは否めず、貿易の面でも国土の豊かな東南国とは関係を保っていく必要があった。
「あの王子様、いつも思いつめたような表情してて、なんだか危なっかしいのよね。あの子、すぐに深刻になっちゃうでしょう。ちょっと被害妄想の気があるのかしらね。そりゃあ、あの王家にはいろいろなことがあったわ。血生臭い血族の争いも…」
「恐れながら、中央皇国は我が国を含め、五つもの国と国境を接しています。過敏になられるのも無理はないのではないかと」
「そうよね。あなたの言うとおりだわ、副隊長。私達の国とはわけが違いますもんね。大陸の真ん中にあって、常に他国との関係に神経を使っている。でも、もう少し穏やかな気持ちで国の情勢をご覧になっては、といつも言っているんですがね。なんだか自分の息子に言い聞かせるような気分なのよね」
女王陛下は浴槽から大儀そうに起き上がられた。
四十を越えて未だ衰えを知らない、熟れた女性の瑞々しい裸体が朝の厳粛な光の中で輝いていた。
「やだわ。今日はなんだか若い子の心配ばかりしちゃって。歳のせいよね」
「陛下…」
副隊長は陛下の、この世のものとは思えぬ清らかなお姿を眺めながら「私は陛下のように、ご立派でお美しい方が、いつまでも独り身でいらっしゃるのは、誠に勿体無きことだと思っています」
「そうはいうけどね」
陛下は浴槽から冷たい大理石の上に足をお出しになり「みんな私を傲慢な女王だと罵るでしょうけど、私はダメなのよ。結婚は…」
副隊長は吸い込まれるような陛下の瞳を覗きこんだ。
その奥にある乾いた悲しみを垣間見た気がした。
「恋はね、人生で一度きり。ほんと、ヒドイ女王だわ。今も、忘れられない人がいて、そしてその人を必死になって、今でも探し続けているの。こんな強情な女王じゃ、国の平和なんて守れないかもね」
副隊長は涙を流してその場に跪いた。
そして嗚咽を交えながら謝罪の言葉を述べた。
「陛下!申し訳ありませんでした。しかし、しかし自分は、後にも先にも陛下以上に素晴らしい全知全能の君主が現れるわけはないと確信しております!仮初にもそのようなことを仰らないで頂きたく思います。また、陛下のお心を傷つけてしまった自分を、どうかお叱り下さい!」
「これこれ、副隊長。朝からなんですか、みっともないですよ。さぁさ、長風呂もお仕舞い。朝の公務が始まりますよ」
そこにあったのは東南国に安泰と繁栄を約束させる、眩い女王の笑顔であった。
「副隊長、中央国との会談が済めば、今度はいよいよ世界サミットが控えています。なんとか、例の件の、概要をまとめておかなくてはなりません」
「は!我が兵団も全力で、調査と研究にあたっています」
「ねぇ…まったく、色んなことを言われて困っちゃうわ。西南幕府は刀を持つ者を皆等しく剣士と扱うなと強情だし、南方王国は旅芸人の奇術を是非見てくれという。かと思えば北はあやしい宝探しを生業とする尋宝師とやらのことを引き合いに出すし、中央国でさえ、件の魔術大学…あぁ、あの子たちは魔術アカデミーと呼んでいましたね。その魔術アカデミーで近々、既存の概念を覆すかもしれない発表があるかもだなんて…まったく、もう…。世界をまとめるのも一苦労よね」
麗しの女王陛下は豊かな表情で、侍女にお体を拭かせながら副隊長に愚痴をおこぼしになられた。その瞳には、この世界に生きるすべての人々の幸せの行方が移られていた。
タイジ、マナ、サキィの三人は黙々と洞窟を進んでいった。
地下道とは名ばかりで、それは地底に作られた複雑怪奇な大迷宮であり、何度か異生物の群にも襲われはしたが、マナの魔術とサキィの剣による抜群のコンビネーションでもってそれらを順調に殲滅し、遂に最下層である水晶のある間へと達していた。
だが、タイジは戦闘中も常に照明係を担当し、その顔に魂は宿らず、どんどん沈思していく一方であった。
凶悪な異生物を前にしても臆することなく立ち向かい、果敢にそれらを打ち倒していく二人の友を眺めているうちにどんどんと暗い気分になっていく一方の彼に、超人になる機会など訪れるはずもなく、自分の無力さにただただ悲観していくばかり。華やかな活躍をする目の前の二人を見てより一層。
「おい見ろ、この壁!」
サキィが鋭く言った。
「これ、もしかして、木の根っこぉ?」
「しかも超特大の巨木のな」
岩肌はいつしか堅く乾燥した大きな根茎に取って代わられていた。
「すごいよね。これ、何百年、いや、何千年ってとこかな?こんなにふっとい!ボク達が生まれるずーっとずっと昔っから生きていて、それで地下にこんな根を張ってさ。あ!明かりが見えてきたよ!」
マナは巨大な地下茎に彩られた通路を上機嫌で歩いていく。
「おぉ、ホントだ」
サキィが駆け出した。
根に囲まれた不思議な通路の先には開けた空間があった。洞窟の狭苦しさを解放せんとばかりに、地下都市の夢を思わせるような空間が広がっていた。光は遥か頭上から注いでいた。
「うっわ、すげぇ。なんか、なんつーか、ロマンチックじゃねぇか!?」
「わー、ホントだぁ。すっごい、お日様の光があんな上の方から注いでるよー」
マナもサキィにつられて上を見上げる。
木の根は高い高い天井から這ってきていて、その空間をドーム状に仕立て上げている。
天井の巨木は根の隙間から外の光をサキィ達の立っている地下の地面に注がせている。
天から注ぐ光。
そこは、数百年の歳月を思わせる巨大さを誇るであろう大木の根が土を掻き分けて、両腕を目一杯広げてもまだ足りないほどの太さを持つ根茎を思う様張り巡らせた、地下にぽっかり出来た半円球型の空洞だった。大樹の根の隙間を縫って差し込む太陽の光が、幾つもの斑を地に作って降り注いでいる。
「ねぇ、あれは何?」
タイジが突きつけるように指を指して言った。思えばタイジの声を聞くのも久方ぶりであった。
垂直に上を見上げていた二人は気付かされた、水平な地面の先に居たそいつを。
タイジの指し示す先には、奇妙な一本の木。
木の中に木が?
いや、違う。
動いているようだ。大樹の地下茎の中にいたのは、木の姿をした異生物!
「ほっほう、ボスバトルってわけか」
サキィが剣を抜いた。
今日び、ダンジョンの最奥にボス戦が待ち受けているのは、ロールプレイングゲームではすっかり御馴染みとなってしまったが、マナは不審に思った。
試練というぐらいだから、ゴール地点の水晶の間にこれまでの道のりでは決してお目にかからなかったような、いかにもタフそうな敵の一匹ぐらい、待ち構えていても少しも不思議ではないが、そんな情報はどこからも入っていなかった。
大体、国家管轄の試練の場所なら、その最深部で待ち構えているのは国営のボスキャラでなきゃおかしい。何人もの超人がここに潜り込んで証を立てに来ているなら、その度にサービス精神旺盛な異生物はよっこらしょと死と復活を繰り返していなければならない。
暗黒の地下道はそんなご都合主義ダンジョンではないし、異生物は少なくとも人間たちの喜びそうなことは一つもしてはくれない。
だから、ボスがいるだなんて、変な話なんだ!
「気をつけて!なんか、アレ、ヤバイ雰囲気がするよ」
マナは杖を構えた。
異生物はそびえ立っていた。
違う!木じゃない。顔が見える。
人間の背丈の二倍ぐらいの高さ。根の這う地面に同じような根を張って、そいつはそびえ立っていた!
根じゃない、触手だ。枝じゃない。あれは、腕?たくさんの腕が。そして、歪んだ顔、顔、顔、顔がたくさん!
異形の怪物。
異生物「七つの融合」は、それこそまるで一本の枯木のように、頭部は枝を広げたように腕のような触手が八方に分かれ、災厄を招く禍々しい呪いの柱のように不穏にそびえ立ち、足部は根と同じく地と一体化しているようにも見える。
そして全身の真ん中から上部にかけて七つの歪んだ顔が、低い呻き声を上げながら悶えるように蠢いている。その高さはマナの背丈なら二人分位はありそうで、体表は赤黒く部位によって紅であった。
「やぁってやるぜぇ!」とサキィの気合。
「ボクの魔術でイチコロさん!なんだからね!」とマナの気合。
戦闘は既に始まっていた。
タイジは最早、その様を外から眺めていた。
実はまだ戦闘に参加した事はない。
出来れば避けて通りたいと思っている。
マナは超人になるチャンスがあると言ったけど、僕は正直なところ、超人になんかなりたくない。面倒だし、傷つくのは嫌だ。まともな考えを持った人間ならそう思う筈だ。僕は戦いたくなんかない。そう願う彼にこれから残酷な運命が待ち受けていることも知らずに、曇った瞳でただ、自分とは無関係にすら感じてしまう戦況を見ていた。
「大そうなやつに見えるが…」
サキィは一歩、また一歩と近づいていく。
直立不動の「七つの融合」はその場からは動こうとしない。どうやら本当に足部にあたる触手は地面に接着しているようだ。
「こいつ、動かないみたいだぜ」
盾の取っ手部分を左腕に通し、剣を両手に持ちかえ「まさかその巨体がジャンプしたりとか…」サキィは獣の両足に力を込め、そして敵に向かって駆け出した!「しないよな!そっるっるぁあ!」
ああ、サキィが戦ってる。
剣で、あの木みたいな不気味な顔のいっぱいついた異生物を攻撃している。
そうさ、サキィの剣は誰よりも強い。サキィは強い。だから、あいつに任せておけば何も問題はないんだ。僕なんか何もしなくっても…
ィィイイイイイリィィイインング
サキィの斬りは異生物の顔の一つを見事に引き裂いた。
赤黒い液体が飛び散る。
ほら、あいつは天才だ。初めて会った敵に、あんなに簡単にダメージを与えてしまった。もはや、僕の出る幕は無いさ。これからもきっと。
だが、顔の一つを潰された七つの融合は不気味な嗚咽を上げたかと思うと、頭部の触手を揺らめかせ、それを鋭くサキィに振り下ろした。
「ぅわ!くっそ!」
サキィは咄嗟に上段からの切り下ろしに左腕の盾で防御する。弾かれて転倒するが、すぐに地を蹴って二つ目の顔に斬りかかる。
「ボクもー!」
マナの髪が翡翠色に変わる。
レッドホット!
炎の魔術を唱えた。
幻の炎が生まれて、あの異生物目掛けて飛んでいく。幻?まるで今僕が見ている景色がそれじゃないか?現実感無さ過ぎる…サキィはあんなに目にも留まらぬ動きで剣を振るっては敵を斬りつけていくし、マナは変な言葉を叫んでは炎や氷を手から発生させている。こんなの、現実だなんて思えないよ。
タイジは地下ドームの天井から差し込む光で、もう必要無くなった松明をだらりとぶら下げたまま、河岸の火事というか日常の地点から非日常の現象を、超人と異生物の戦いをすっかり冷めた目で傍観していたが、しかし、事態はそんなに容易なるものではなかった。
「なんでー?レッドホットがきかない?」
サキィの後方からマナが放った炎の魔術は、ヒットしたにも関わらず七つの融合の身を焼くことなく呆気なく鎮火してしまった。
マナのレッドホットは今までと何ら変わりなく、それが幻覚だとか催眠術だとか、そんな紛い物らしさを微塵も感じさせない、本物と寸分違わぬ炎でもって敵に向って撃ち込まれたが、全く効果が無かったのだ!
異生物に強迫効果は表れなかったということ!
そしてレッドホットを物ともしなかった異生物、七つの融合の無数の触手が、雨あられのように頭上から振りかざされ、サキィもまた防戦一方になっていた。
「それでもなんとかなるさ…」
タイジは戦いの繰り広げられている場から充分に距離を取った位置で、成り行きを見守っていた。二人は必死に戦っている。でも僕は戦わない。僕は所詮場違いな部外者であり、姑息な俯瞰者だ。超人の二人がおっかない異生物と戦っているのを、ここから眺めているだけ。だって、どうせ勝てるんだもん。あの二人は強いから。超人だから。無理矢理連れてこられた凡人の僕なんか…
最初にその幻想が崩れたのは、異生物の背筋も凍るような詠唱の声を聞いた時であった。
七つの顔を持った異生物の口が一斉に何かを唱え始める。
魔術!
old brown shoe!!!!!
砂塵と共に石つぶてが出現する!
次の一太刀を繰り出すことに躍起になっていたサキィは、突如襲い掛かってきた岩石の群れを見て、一瞬呆気に取られた。
そしてすぐにその大量の岩々に押し流され、後方へと吹き飛んだ!
崖崩れの土砂を万遍無く喰らったような感覚。体にごつごつとした堅い無機質な痛みが走り、口の中まで土っぽくなった。
「あ、あ、あれは…」
マナがそれを見て愕然となる。
「あの魔術は、そんな、まさか…」マナはサキィを呼んだ。「サキィ君!すぐにこっちに来て!」
サキィは最初、マナのその言葉を、自分の手傷を心配して治療をするから呼んだのだと思った。
だから「うるせぇ!ちょっと石っころをくらっただけだ!お前は後ろからこいつの気が散るように援護を…」
「そうじゃなくって!ねぇ、足を!」
マナは凍りついた。
やはり!間違いない。
さっき、あの異生物が使った魔術はブラウンシュー!土の魔術!
「足を!」
「足?」
サキィは下を向いた。
俺の肉体。
亜人として、猫族の能力を併せ持った自慢の肉体。
今、俺の体は炎と燃え上がっている。痛みが何だ!傷が何だ! そうだ、俺は…
タイジは恐怖した。
サキィのズボンの尻に空いた穴から飛び出している尻尾…色素を失い「石に…、なってる!」
「ああ…ああ、どうしよう…」
マナが頭に両手をやって困り果てている。
「ちょ、なんだこりゃ?足が動かねえじゃんか」
サキィはすぐには状況が呑みこめない。
だが、遠くから傍観していたタイジには分かった。
サキィの足は黄金の色を失い、絶望した灰色に変わっている。
履いているズボンに変わりはない。しかし、ズボンの破れ目や足首から覗く部位は石になってしまっているのが確認出来る!
「おい!なんだよこれ?」
サキィは手を後ろに回して尻尾を掴んだ。
妙に堅い。
鋭い爪の先で引っかいてみる。コツコツ…「コツコツって、おい!これじゃ石になったみたいじゃんか!」
そう、石化呪文、ブラウンシューである。
「どうしよう…まさかあの禁じられた魔術を使う奴が異生物でいたなんて…」
地下道とは名ばかりで、それは地底に作られた複雑怪奇な大迷宮であり、何度か異生物の群にも襲われはしたが、マナの魔術とサキィの剣による抜群のコンビネーションでもってそれらを順調に殲滅し、遂に最下層である水晶のある間へと達していた。
だが、タイジは戦闘中も常に照明係を担当し、その顔に魂は宿らず、どんどん沈思していく一方であった。
凶悪な異生物を前にしても臆することなく立ち向かい、果敢にそれらを打ち倒していく二人の友を眺めているうちにどんどんと暗い気分になっていく一方の彼に、超人になる機会など訪れるはずもなく、自分の無力さにただただ悲観していくばかり。華やかな活躍をする目の前の二人を見てより一層。
「おい見ろ、この壁!」
サキィが鋭く言った。
「これ、もしかして、木の根っこぉ?」
「しかも超特大の巨木のな」
岩肌はいつしか堅く乾燥した大きな根茎に取って代わられていた。
「すごいよね。これ、何百年、いや、何千年ってとこかな?こんなにふっとい!ボク達が生まれるずーっとずっと昔っから生きていて、それで地下にこんな根を張ってさ。あ!明かりが見えてきたよ!」
マナは巨大な地下茎に彩られた通路を上機嫌で歩いていく。
「おぉ、ホントだ」
サキィが駆け出した。
根に囲まれた不思議な通路の先には開けた空間があった。洞窟の狭苦しさを解放せんとばかりに、地下都市の夢を思わせるような空間が広がっていた。光は遥か頭上から注いでいた。
「うっわ、すげぇ。なんか、なんつーか、ロマンチックじゃねぇか!?」
「わー、ホントだぁ。すっごい、お日様の光があんな上の方から注いでるよー」
マナもサキィにつられて上を見上げる。
木の根は高い高い天井から這ってきていて、その空間をドーム状に仕立て上げている。
天井の巨木は根の隙間から外の光をサキィ達の立っている地下の地面に注がせている。
天から注ぐ光。
そこは、数百年の歳月を思わせる巨大さを誇るであろう大木の根が土を掻き分けて、両腕を目一杯広げてもまだ足りないほどの太さを持つ根茎を思う様張り巡らせた、地下にぽっかり出来た半円球型の空洞だった。大樹の根の隙間を縫って差し込む太陽の光が、幾つもの斑を地に作って降り注いでいる。
「ねぇ、あれは何?」
タイジが突きつけるように指を指して言った。思えばタイジの声を聞くのも久方ぶりであった。
垂直に上を見上げていた二人は気付かされた、水平な地面の先に居たそいつを。
タイジの指し示す先には、奇妙な一本の木。
木の中に木が?
いや、違う。
動いているようだ。大樹の地下茎の中にいたのは、木の姿をした異生物!
「ほっほう、ボスバトルってわけか」
サキィが剣を抜いた。
今日び、ダンジョンの最奥にボス戦が待ち受けているのは、ロールプレイングゲームではすっかり御馴染みとなってしまったが、マナは不審に思った。
試練というぐらいだから、ゴール地点の水晶の間にこれまでの道のりでは決してお目にかからなかったような、いかにもタフそうな敵の一匹ぐらい、待ち構えていても少しも不思議ではないが、そんな情報はどこからも入っていなかった。
大体、国家管轄の試練の場所なら、その最深部で待ち構えているのは国営のボスキャラでなきゃおかしい。何人もの超人がここに潜り込んで証を立てに来ているなら、その度にサービス精神旺盛な異生物はよっこらしょと死と復活を繰り返していなければならない。
暗黒の地下道はそんなご都合主義ダンジョンではないし、異生物は少なくとも人間たちの喜びそうなことは一つもしてはくれない。
だから、ボスがいるだなんて、変な話なんだ!
「気をつけて!なんか、アレ、ヤバイ雰囲気がするよ」
マナは杖を構えた。
異生物はそびえ立っていた。
違う!木じゃない。顔が見える。
人間の背丈の二倍ぐらいの高さ。根の這う地面に同じような根を張って、そいつはそびえ立っていた!
根じゃない、触手だ。枝じゃない。あれは、腕?たくさんの腕が。そして、歪んだ顔、顔、顔、顔がたくさん!
異形の怪物。
異生物「七つの融合」は、それこそまるで一本の枯木のように、頭部は枝を広げたように腕のような触手が八方に分かれ、災厄を招く禍々しい呪いの柱のように不穏にそびえ立ち、足部は根と同じく地と一体化しているようにも見える。
そして全身の真ん中から上部にかけて七つの歪んだ顔が、低い呻き声を上げながら悶えるように蠢いている。その高さはマナの背丈なら二人分位はありそうで、体表は赤黒く部位によって紅であった。
「やぁってやるぜぇ!」とサキィの気合。
「ボクの魔術でイチコロさん!なんだからね!」とマナの気合。
戦闘は既に始まっていた。
タイジは最早、その様を外から眺めていた。
実はまだ戦闘に参加した事はない。
出来れば避けて通りたいと思っている。
マナは超人になるチャンスがあると言ったけど、僕は正直なところ、超人になんかなりたくない。面倒だし、傷つくのは嫌だ。まともな考えを持った人間ならそう思う筈だ。僕は戦いたくなんかない。そう願う彼にこれから残酷な運命が待ち受けていることも知らずに、曇った瞳でただ、自分とは無関係にすら感じてしまう戦況を見ていた。
「大そうなやつに見えるが…」
サキィは一歩、また一歩と近づいていく。
直立不動の「七つの融合」はその場からは動こうとしない。どうやら本当に足部にあたる触手は地面に接着しているようだ。
「こいつ、動かないみたいだぜ」
盾の取っ手部分を左腕に通し、剣を両手に持ちかえ「まさかその巨体がジャンプしたりとか…」サキィは獣の両足に力を込め、そして敵に向かって駆け出した!「しないよな!そっるっるぁあ!」
ああ、サキィが戦ってる。
剣で、あの木みたいな不気味な顔のいっぱいついた異生物を攻撃している。
そうさ、サキィの剣は誰よりも強い。サキィは強い。だから、あいつに任せておけば何も問題はないんだ。僕なんか何もしなくっても…
ィィイイイイイリィィイインング
サキィの斬りは異生物の顔の一つを見事に引き裂いた。
赤黒い液体が飛び散る。
ほら、あいつは天才だ。初めて会った敵に、あんなに簡単にダメージを与えてしまった。もはや、僕の出る幕は無いさ。これからもきっと。
だが、顔の一つを潰された七つの融合は不気味な嗚咽を上げたかと思うと、頭部の触手を揺らめかせ、それを鋭くサキィに振り下ろした。
「ぅわ!くっそ!」
サキィは咄嗟に上段からの切り下ろしに左腕の盾で防御する。弾かれて転倒するが、すぐに地を蹴って二つ目の顔に斬りかかる。
「ボクもー!」
マナの髪が翡翠色に変わる。
レッドホット!
炎の魔術を唱えた。
幻の炎が生まれて、あの異生物目掛けて飛んでいく。幻?まるで今僕が見ている景色がそれじゃないか?現実感無さ過ぎる…サキィはあんなに目にも留まらぬ動きで剣を振るっては敵を斬りつけていくし、マナは変な言葉を叫んでは炎や氷を手から発生させている。こんなの、現実だなんて思えないよ。
タイジは地下ドームの天井から差し込む光で、もう必要無くなった松明をだらりとぶら下げたまま、河岸の火事というか日常の地点から非日常の現象を、超人と異生物の戦いをすっかり冷めた目で傍観していたが、しかし、事態はそんなに容易なるものではなかった。
「なんでー?レッドホットがきかない?」
サキィの後方からマナが放った炎の魔術は、ヒットしたにも関わらず七つの融合の身を焼くことなく呆気なく鎮火してしまった。
マナのレッドホットは今までと何ら変わりなく、それが幻覚だとか催眠術だとか、そんな紛い物らしさを微塵も感じさせない、本物と寸分違わぬ炎でもって敵に向って撃ち込まれたが、全く効果が無かったのだ!
異生物に強迫効果は表れなかったということ!
そしてレッドホットを物ともしなかった異生物、七つの融合の無数の触手が、雨あられのように頭上から振りかざされ、サキィもまた防戦一方になっていた。
「それでもなんとかなるさ…」
タイジは戦いの繰り広げられている場から充分に距離を取った位置で、成り行きを見守っていた。二人は必死に戦っている。でも僕は戦わない。僕は所詮場違いな部外者であり、姑息な俯瞰者だ。超人の二人がおっかない異生物と戦っているのを、ここから眺めているだけ。だって、どうせ勝てるんだもん。あの二人は強いから。超人だから。無理矢理連れてこられた凡人の僕なんか…
最初にその幻想が崩れたのは、異生物の背筋も凍るような詠唱の声を聞いた時であった。
七つの顔を持った異生物の口が一斉に何かを唱え始める。
魔術!
old brown shoe!!!!!
砂塵と共に石つぶてが出現する!
次の一太刀を繰り出すことに躍起になっていたサキィは、突如襲い掛かってきた岩石の群れを見て、一瞬呆気に取られた。
そしてすぐにその大量の岩々に押し流され、後方へと吹き飛んだ!
崖崩れの土砂を万遍無く喰らったような感覚。体にごつごつとした堅い無機質な痛みが走り、口の中まで土っぽくなった。
「あ、あ、あれは…」
マナがそれを見て愕然となる。
「あの魔術は、そんな、まさか…」マナはサキィを呼んだ。「サキィ君!すぐにこっちに来て!」
サキィは最初、マナのその言葉を、自分の手傷を心配して治療をするから呼んだのだと思った。
だから「うるせぇ!ちょっと石っころをくらっただけだ!お前は後ろからこいつの気が散るように援護を…」
「そうじゃなくって!ねぇ、足を!」
マナは凍りついた。
やはり!間違いない。
さっき、あの異生物が使った魔術はブラウンシュー!土の魔術!
「足を!」
「足?」
サキィは下を向いた。
俺の肉体。
亜人として、猫族の能力を併せ持った自慢の肉体。
今、俺の体は炎と燃え上がっている。痛みが何だ!傷が何だ! そうだ、俺は…
タイジは恐怖した。
サキィのズボンの尻に空いた穴から飛び出している尻尾…色素を失い「石に…、なってる!」
「ああ…ああ、どうしよう…」
マナが頭に両手をやって困り果てている。
「ちょ、なんだこりゃ?足が動かねえじゃんか」
サキィはすぐには状況が呑みこめない。
だが、遠くから傍観していたタイジには分かった。
サキィの足は黄金の色を失い、絶望した灰色に変わっている。
履いているズボンに変わりはない。しかし、ズボンの破れ目や足首から覗く部位は石になってしまっているのが確認出来る!
「おい!なんだよこれ?」
サキィは手を後ろに回して尻尾を掴んだ。
妙に堅い。
鋭い爪の先で引っかいてみる。コツコツ…「コツコツって、おい!これじゃ石になったみたいじゃんか!」
そう、石化呪文、ブラウンシューである。
「どうしよう…まさかあの禁じられた魔術を使う奴が異生物でいたなんて…」
マナは魔術大学のキャンパスを思い出す。
特殊講義実践魔術方法論で教わった魔術を、いつでもクラスの誰よりも早く習得していた。最年少の自分がなんでこんなにも軽々とこなせるのかは分からなかった。感覚だけでそれをものにしていた。
お世辞にも勉強が出来るわけではなかったが、こと魔術の腕前に関しては右に出るものが無かった。だが…
それは魔術大学にて、いよいよ実践的な魔術の修得過程が進み、炎と氷の魔術を会得したマナたち数十名の生徒達が、学内でも使い手がたった一人しかいないと云われる土の魔術の講義を受けることになった頃に。
「今日から私のアシスタントとしてやって来てくれた、助教授のイタル・キャトルプラス卿だ」
ある日、土の魔術のレクチャーをしているニビ・ハナカジマ教授はそう告げて、教室に伴って一緒に入ってきた細身の青年を紹介した。
当時、マナと半ば恋人関係にあったカマセイ・ヌケイゾは、木造の教室に現れたスラッとしたすまし顔の男を見て、そしてその男を視認した拍子に目の色を変えた横に座るマナを見て、むっつりとした顔をした。
「イタルくんは私の遠い親戚でね。彼は蒐集家としても有名なのだが、しばらくはこの魔術大学に席を置くことになったんだ」
質実としていて、まるで農夫や大工のような体型のニビ教授と並んで立つと、余計に彼の魅力は引き立てられた。
「おい、マナ」
咄嗟に醜い嫉妬心にかられたカマセイは「なに、うっとり見てんだ。あんなひょろいの、どうせ魔術もロクに使えないひ弱なヘタレだぜ」
「え?あ、ボクそんなに見てないよ!」
「はい、そこ、静かにする」ニビ教授は毎度のことのように賑やかな最優秀問題児に事務的な注意を施して「じゃ、先日の続きから…文書の十頁を開いて」
補佐として講義に加わることになったイタル卿は、あくまでクールな身のこなしで資料や配布物の扱いを行い、教壇のすぐ近くの席に座って、用が無い限りはじっと大人しくしていた。
そんな彼を美しい静物画を鑑賞するような目線で見つめるマナ。
さらにその様子を窺う横の男。
マナの様子がその日から俄かにおかしくなりだしたのは、恋人でなくても明らかであった。
卒業見込み生の選抜メンバー判定にも関わってくる大事な講義だというのに、マナは次第に上の空でいることが多く、ついには今まで誰にも譲らなかった魔術修得者第一号の座を受け渡してしまった。
「ハッハッハ、まさかマナよりも先にマスターできるなんて、夢にも思わなかったぞ」
マナの次に成績優秀なちょっと年増の男性生徒が得意げな笑い声を上げながら快活に自慢した。
「ふ、ふーん!ボクだって、いつも一番じゃ皆に悪いからって、譲ってあげただけなんだからね!ほ、本気を出せばそんな魔術、お手のもんさ」
と、言いつつもマナは近頃どうにも調子が出なかった。
ニビ教授が伝授する土の魔術、ブラウンシュー。
それは現存の他の魔術と大きく違う点があった。
マナ達が既に単位を取得している実戦用魔術はどれも、単純に標的にダメージを与えるものばかりであった。
ブラウンシューは威力こそ小さいが、その最大の特徴は相手を石に変えるという恐るべき力にあった。
よって、連日行われている特別訓練の中途で、見事岩石の幻影を発生させることに成功する者はいても、なかなか実験用の小動物の肉体を鉱物に変えるところまでは達せなかった。
「石のような、とても硬い精神が必要なんだ。何事にも動じない、そう、まるで打ち寄せる波を砕く海岸の岩のような」
正に海岸の岩のような精神を持った講師のニビはそう生徒達に手解きをしたが、山国の中央国にいる彼らが海を知っていたかどうかは疑わしい。
「おい、聞いたか?かっちゃんも成功したってよ!」
カマセイは休み時間に友人らと談笑していたマナのところにわざわざやって来て言った。
「えー!そ、そうなの…」
マナはクラスメイトにまたしても先を越されたことを知らされての、それなりのリアクションを取ってはみたが、その様子はどこかなおざりなものであった。
「なんだよ、あまり悔しくなさそうだな」
いつもなら躍起になってあくせくするマナが、妙に落ち着いている様を見て、さてはあの毎回教授の手伝いでやってくるイタルとかいうスカした男のせいだなと勘ぐったカマセイは「この分じゃ、皆に抜かれちまうだろうよ。天才マナの名もここまでって感じだな。ハハハハ」
「じゃあ、ヌケイゾさんだったら出来るっていうの?」
マナの友人の一人が立ったまま大きな声を出している彼に言った。
「俺?そりゃ…そうだ!俺だってもうほとんど出来るようになってるんだ。今度は確実にマナより先に覚えてやるぜ!」
「お、でたでた、いつものハッタリが…」
「マナちゃん、こんな人に抜かれちゃダメよ」
「ヌケイゾったらハッタリばっかりで、内容がいつも追いついてないんだから」
マナの女友達は彼女の現恋人であるカマセイのことを常より快く思ってはいないようだった。
「あん?俺はな、王の兄弟の血を引いてるんだ。つまり、俺こそ天才なんだよ!いいか!だったら宣言してやる。三人目にブラウンシューをモノにするのはこの俺だ!」
「ヌ…ケイゾ…」
カマセイはいまやいきり立って「俺こそ最強なんだ!キュウゾやアホのキクチョーなんかよりも先に、俺がブラウンシューを修得する!もちろん、マナ!お前よりも!だ」
マナの友人に馬鹿にされたことで自尊心を傷つけられたのか、それ以上に愛人が新参者の男に心を奪われていくことへの苛立ちが限界に達していたのか、所有欲と歪んだプライドの塊の如き醜き男は、お得意の無謀な宣言をしてカフェテリアを後にした。
「俺が!俺こそが!」見ていろ!今晩中に仕上げてやる!そして、最強の名が誰に相応しいか、皆に知らしめてやる!
翌日、カマセイ・ヌケイゾは石像となって、魔術大学の第二訓練場で発見された。
見つけたのはイタル助教授であり、彼は夜に何やら物音がするので、不審に思って訓練場に向ったところ、カマセイが使用時間を破ってブラウンシューの詠唱を行っており、イタルが注意をしようとした際に、魔術が暴発し、彼は自らの魔術で自分を石に変えてしまったのである。
そ の一部始終を垣間見たイタル卿はあまりの事態に動転して腰を抜かしてしまったが、すぐにニビ教授に報告。駆けつけたニビ・ハナカジマはなんとか策を練ろう としたが時既に遅し。カマセイ・ヌケイゾはまるで何年も昔からそのままの状態であったかのような頑丈な石の肉体に変わっており、触っても叩いてもピクリ とも動かない。
完全に石化状態にあった。
早急に魔術大学の教授たちによって対策会議が開かれたが、そもそも生物を石に変えるなどという奇術を会得していたのはニビ氏のみで、ましてやその解除法など誰も知る由がなく、魔術が駄目ならと薬学の限りを尽くし、各種の調合薬が岩石と変わったカマセイの体に試されたが、遂に石化した生徒を元に戻す手段は見つからなかった。
事の重大性に気付き、事態を重く見たニビ教授は大学側に一切の責任は自分にあるとして、ブラウンシューの使用と伝授、そして自分の地位を帳消しにすることを提案。学長との様々なやり取りを得て、最終的にニビ教授は魔術大学を去ることになった。
そして同時に、暴発によって使用者自らが石化してしまうという恐ろしい危険性があるとして、修得済みであろうと未修得状態であろうと、魔術大学は土の魔術ブラウンシューを金輪際一切タブーとした。
よって、魔術大学でブラウンシューを会得していたのはたった二名の生徒のみ。
その二人は後の卒業見込み生のメンバーであった。
「あいつが…使った。ブラウンシューを…詠唱…」
石化の魔術は使用を禁止された。
三人目の使い手が訓練中に石になってしまったために。
魔術を使用して、術者自身に被害があったことは今まで一度もなかった。
以来、今日までブラウンシューは使用凍結となっており、もう既に習得していた先の二人も、その危険性を考慮して大学側から詠唱の自粛を命じられた。ブラウンシューを生徒に伝授したニビ教授は責任を取るといって国家資格を放棄し、自ら罷免して田舎へと退き、今は隠遁生活を営んでいる。
その、禁断の石化呪文を、あいつが使いやがった!
まさか異生物で習得していたやつがいたなんて…いや、異生物が使用していたから人間が会得できたのだけど。
それにしても、こいつは、本当にタダモノじゃない。今までの雑魚とわけが違いすぎるよ!
「サキィ君!よけてぇ」
それは無理な注文だった。
自慢の下半身を石にされて身動きの取れなくなったサキィは、七つの融合の触手による猛攻を受けていた。幾つものムチで滅多打ちに、所謂フルボッコにされてしまっている。
足が、動かないのである!
特殊講義実践魔術方法論で教わった魔術を、いつでもクラスの誰よりも早く習得していた。最年少の自分がなんでこんなにも軽々とこなせるのかは分からなかった。感覚だけでそれをものにしていた。
お世辞にも勉強が出来るわけではなかったが、こと魔術の腕前に関しては右に出るものが無かった。だが…
それは魔術大学にて、いよいよ実践的な魔術の修得過程が進み、炎と氷の魔術を会得したマナたち数十名の生徒達が、学内でも使い手がたった一人しかいないと云われる土の魔術の講義を受けることになった頃に。
「今日から私のアシスタントとしてやって来てくれた、助教授のイタル・キャトルプラス卿だ」
ある日、土の魔術のレクチャーをしているニビ・ハナカジマ教授はそう告げて、教室に伴って一緒に入ってきた細身の青年を紹介した。
当時、マナと半ば恋人関係にあったカマセイ・ヌケイゾは、木造の教室に現れたスラッとしたすまし顔の男を見て、そしてその男を視認した拍子に目の色を変えた横に座るマナを見て、むっつりとした顔をした。
「イタルくんは私の遠い親戚でね。彼は蒐集家としても有名なのだが、しばらくはこの魔術大学に席を置くことになったんだ」
質実としていて、まるで農夫や大工のような体型のニビ教授と並んで立つと、余計に彼の魅力は引き立てられた。
「おい、マナ」
咄嗟に醜い嫉妬心にかられたカマセイは「なに、うっとり見てんだ。あんなひょろいの、どうせ魔術もロクに使えないひ弱なヘタレだぜ」
「え?あ、ボクそんなに見てないよ!」
「はい、そこ、静かにする」ニビ教授は毎度のことのように賑やかな最優秀問題児に事務的な注意を施して「じゃ、先日の続きから…文書の十頁を開いて」
補佐として講義に加わることになったイタル卿は、あくまでクールな身のこなしで資料や配布物の扱いを行い、教壇のすぐ近くの席に座って、用が無い限りはじっと大人しくしていた。
そんな彼を美しい静物画を鑑賞するような目線で見つめるマナ。
さらにその様子を窺う横の男。
マナの様子がその日から俄かにおかしくなりだしたのは、恋人でなくても明らかであった。
卒業見込み生の選抜メンバー判定にも関わってくる大事な講義だというのに、マナは次第に上の空でいることが多く、ついには今まで誰にも譲らなかった魔術修得者第一号の座を受け渡してしまった。
「ハッハッハ、まさかマナよりも先にマスターできるなんて、夢にも思わなかったぞ」
マナの次に成績優秀なちょっと年増の男性生徒が得意げな笑い声を上げながら快活に自慢した。
「ふ、ふーん!ボクだって、いつも一番じゃ皆に悪いからって、譲ってあげただけなんだからね!ほ、本気を出せばそんな魔術、お手のもんさ」
と、言いつつもマナは近頃どうにも調子が出なかった。
ニビ教授が伝授する土の魔術、ブラウンシュー。
それは現存の他の魔術と大きく違う点があった。
マナ達が既に単位を取得している実戦用魔術はどれも、単純に標的にダメージを与えるものばかりであった。
ブラウンシューは威力こそ小さいが、その最大の特徴は相手を石に変えるという恐るべき力にあった。
よって、連日行われている特別訓練の中途で、見事岩石の幻影を発生させることに成功する者はいても、なかなか実験用の小動物の肉体を鉱物に変えるところまでは達せなかった。
「石のような、とても硬い精神が必要なんだ。何事にも動じない、そう、まるで打ち寄せる波を砕く海岸の岩のような」
正に海岸の岩のような精神を持った講師のニビはそう生徒達に手解きをしたが、山国の中央国にいる彼らが海を知っていたかどうかは疑わしい。
「おい、聞いたか?かっちゃんも成功したってよ!」
カマセイは休み時間に友人らと談笑していたマナのところにわざわざやって来て言った。
「えー!そ、そうなの…」
マナはクラスメイトにまたしても先を越されたことを知らされての、それなりのリアクションを取ってはみたが、その様子はどこかなおざりなものであった。
「なんだよ、あまり悔しくなさそうだな」
いつもなら躍起になってあくせくするマナが、妙に落ち着いている様を見て、さてはあの毎回教授の手伝いでやってくるイタルとかいうスカした男のせいだなと勘ぐったカマセイは「この分じゃ、皆に抜かれちまうだろうよ。天才マナの名もここまでって感じだな。ハハハハ」
「じゃあ、ヌケイゾさんだったら出来るっていうの?」
マナの友人の一人が立ったまま大きな声を出している彼に言った。
「俺?そりゃ…そうだ!俺だってもうほとんど出来るようになってるんだ。今度は確実にマナより先に覚えてやるぜ!」
「お、でたでた、いつものハッタリが…」
「マナちゃん、こんな人に抜かれちゃダメよ」
「ヌケイゾったらハッタリばっかりで、内容がいつも追いついてないんだから」
マナの女友達は彼女の現恋人であるカマセイのことを常より快く思ってはいないようだった。
「あん?俺はな、王の兄弟の血を引いてるんだ。つまり、俺こそ天才なんだよ!いいか!だったら宣言してやる。三人目にブラウンシューをモノにするのはこの俺だ!」
「ヌ…ケイゾ…」
カマセイはいまやいきり立って「俺こそ最強なんだ!キュウゾやアホのキクチョーなんかよりも先に、俺がブラウンシューを修得する!もちろん、マナ!お前よりも!だ」
マナの友人に馬鹿にされたことで自尊心を傷つけられたのか、それ以上に愛人が新参者の男に心を奪われていくことへの苛立ちが限界に達していたのか、所有欲と歪んだプライドの塊の如き醜き男は、お得意の無謀な宣言をしてカフェテリアを後にした。
「俺が!俺こそが!」見ていろ!今晩中に仕上げてやる!そして、最強の名が誰に相応しいか、皆に知らしめてやる!
翌日、カマセイ・ヌケイゾは石像となって、魔術大学の第二訓練場で発見された。
見つけたのはイタル助教授であり、彼は夜に何やら物音がするので、不審に思って訓練場に向ったところ、カマセイが使用時間を破ってブラウンシューの詠唱を行っており、イタルが注意をしようとした際に、魔術が暴発し、彼は自らの魔術で自分を石に変えてしまったのである。
そ の一部始終を垣間見たイタル卿はあまりの事態に動転して腰を抜かしてしまったが、すぐにニビ教授に報告。駆けつけたニビ・ハナカジマはなんとか策を練ろう としたが時既に遅し。カマセイ・ヌケイゾはまるで何年も昔からそのままの状態であったかのような頑丈な石の肉体に変わっており、触っても叩いてもピクリ とも動かない。
完全に石化状態にあった。
早急に魔術大学の教授たちによって対策会議が開かれたが、そもそも生物を石に変えるなどという奇術を会得していたのはニビ氏のみで、ましてやその解除法など誰も知る由がなく、魔術が駄目ならと薬学の限りを尽くし、各種の調合薬が岩石と変わったカマセイの体に試されたが、遂に石化した生徒を元に戻す手段は見つからなかった。
事の重大性に気付き、事態を重く見たニビ教授は大学側に一切の責任は自分にあるとして、ブラウンシューの使用と伝授、そして自分の地位を帳消しにすることを提案。学長との様々なやり取りを得て、最終的にニビ教授は魔術大学を去ることになった。
そして同時に、暴発によって使用者自らが石化してしまうという恐ろしい危険性があるとして、修得済みであろうと未修得状態であろうと、魔術大学は土の魔術ブラウンシューを金輪際一切タブーとした。
よって、魔術大学でブラウンシューを会得していたのはたった二名の生徒のみ。
その二人は後の卒業見込み生のメンバーであった。
「あいつが…使った。ブラウンシューを…詠唱…」
石化の魔術は使用を禁止された。
三人目の使い手が訓練中に石になってしまったために。
魔術を使用して、術者自身に被害があったことは今まで一度もなかった。
以来、今日までブラウンシューは使用凍結となっており、もう既に習得していた先の二人も、その危険性を考慮して大学側から詠唱の自粛を命じられた。ブラウンシューを生徒に伝授したニビ教授は責任を取るといって国家資格を放棄し、自ら罷免して田舎へと退き、今は隠遁生活を営んでいる。
その、禁断の石化呪文を、あいつが使いやがった!
まさか異生物で習得していたやつがいたなんて…いや、異生物が使用していたから人間が会得できたのだけど。
それにしても、こいつは、本当にタダモノじゃない。今までの雑魚とわけが違いすぎるよ!
「サキィ君!よけてぇ」
それは無理な注文だった。
自慢の下半身を石にされて身動きの取れなくなったサキィは、七つの融合の触手による猛攻を受けていた。幾つものムチで滅多打ちに、所謂フルボッコにされてしまっている。
足が、動かないのである!
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