オリジナルの中世ファンタジー小説
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ここは暁の東南国。
「おはようございます。女王陛下」
扉を開けると近衛兵副隊長が慇懃に朝の礼をした。
女王は王都サボウルツ、王城の寝室でお目覚めになり、数人の侍女に従われて、寝室に隣接している浴室にお入りになった。
副隊長は女性である。
女王陛下の寝室と浴室にはいかなる男性の入室も許可されていない。陛下の御親族であってもそれは同じである。
「おはよう」
四十代とは思えぬ若々しい肌を浴槽にゆっくりとお沈めになられながら、女王陛下はたっぷりと間を置いて挨拶を返した。
浴室は充分に広く、大理石の床は鏡のような純白さを湛え、天井は見上げた先に暗闇を窺わせるほど高かった。
副隊長は入浴中の陛下にもしものことがあってはと、決して警戒心を怠らない。
数人の侍女が御くつろぎになっている陛下のお側に配されている中、ただ一人、白い静謐なる浴室で、いつでも瞬時に抜刀出来る闘志を内に潜めていた。
「副隊長、そういえば、あなたは先日、中央皇国の魔術師さんたちが謁見に来たとき、いましたかしら?」
女王は侍女から受け取った石鹸を両の御手で弄びなられながら、傍らで屹立している女騎士に質問を投げ掛けられた。
「は!自分は確かに居合わせておりました」
まだ陽は昇りきってはいない。
陛下の朝はすこぶるお早い。
「そう…」
女王陛下のお目覚めは、太陽よりも早く東南国に新たな一日の始まりを告げる、と云われている。
「あの子たち、ちゃんと試練をパスできたかしら…」
近衛兵副隊長ははじめ、陛下のそのお言葉を一人ごちたのだと受け取ってしまった。「ねぇ、副隊長、 あの子たちは無事かしらね?」
その反復を聞いて「は!我が国の超人兵の試練の場として長年運営されておりまするかの洞窟、異国の学生風情に易々と攻略され得るものではありません。恐らくは今ごろ苦戦を強いられているかと」
「ふふふ。あなたは本当に生真面目なんだから」
陛下は半ば話を遮って仰られた。
「じゃぁ、いつもの言い方になるけど…。副隊長。もしあの子達が我々の国の魔術師さんだったとして、特別の教育と訓練を施したとして、それで…どう思うかしら?武人としての、あなたの率直な感想を聞きたいわ。みんな、無事でいられると思う?」
副隊長は改まった様子で「それでは、女王陛下。恐れ多くも近衛兵隊、副隊長の位を授からせていただいておりまする私めの、武人としての観点から意見をさせていただきますと…」
そして唾を飲み込んだ。
自分は、今は亡き前国王の時代から兵隊として王宮に長年仕えてきた騎士の家庭に生まれ、恋をするよりも早く真剣を握らされ、女としての人生ではなく、鍛錬に次ぐ鍛錬という血生臭いイバラ道を歩んできた。
近衛兵は陛下直属の護衛部隊。一般兵の中からも特に選ばれた者のみが配属させられる。
陛下が即位前のまだお若い頃に、女の近衛兵がいたら話し相手にもなるから、と欲されて、王宮兵団の少なくはない女性兵の中から自分が選ばれた。
統率力や指揮力には今一歩及ばないところがあったが、男の騎士にも負けない腕っ節が、兵士長殿に買われた。程なくして副隊長に任命されたが、陛下は私に話し相手としての期待も抱いておられる。陛下の御命をお守りすることが何よりもの使命であるし、最善を尽くし、いつでも陛下の為に、自らの生命を捧げる覚悟をしてはいるつもりだ。しかし、話し相手としての私はまだまだ力不足であるのだろう。陛下には御兄弟がおらず、歳の近い御親族もおられないので、気丈に振舞ってはいるが、幼少の頃はひどく孤独であったと私に仰られたことがある。王女であられた頃にはよくわがままを言ったり、こっそり城を抜け出したりしては、家臣らを困らせたとか。もちろん、陛下の外交能力が大臣達よりも遥かに有能でいらっしゃることは言うまでもない。各国の首脳が集まる国際会議で、お若いながらも目覚ましい発言と提唱を試み、それが受け入れられて国際平和の実現にご貢献なされている。陛下はこの国にとってだけではなく、この世界全体の人々にとって、必要不可欠な存在なのである。私などがおいそれと私情を交えた会話をしてはならない、尊きお方なのだ。そして、何よりもお美しい。私のような醜女は本来ならばお側にいるだけで、 陛下の美しさを損ねてしまう忌むべき存在。恐れ多い。まこと、恐れ多いのだ。
「魔術師というものと手合わせた経験が無いゆえ、これは非常に憶測の域を出ない曖昧模糊な返答になりますが、かの一団、それなりに腕の立つ者と思われました。何よりも、護衛を付けずに異生物めの徘徊する野山を越えて来たという事実には、ある一定の評価が可能です。私自身は超人で無い為、試練を受けたことは無いのですが、八人で協力し合い、洞窟内での苦難に立ち向かっていければ、命を落とすようなことはないと思われます。特に、代表者であると名乗ったあの娘には、この武人の目に…何か光るものが映りました」
「そう、そうなのよね」と女王陛下は湯舟から御手をお上げになり、また水面をぴしゃんと打った。
水の弾ける音が、広大な浴室に小気味良くこだました。
「あの子。私もよく覚えているわ。マナさんね。マナ・アンデン。不思議を感じちゃったわ。なんか、昔の私を見てるみたいだった」
陛下は遠い目を傾け、夢見の表情で言葉を紡ぎ、するとクスっとお笑いになった。
「あの子と話したら、なんか懐かしい気持ちになっちゃってね。まだ即位していなかった頃は、あんな風にやんちゃでね。無鉄砲なくせに自信家で、自分はなんでも出来るんだと思っていた。きっと、人生はなんでもうまくいくって。辛いことがあっても、自分はうまいこと乗り切っていける、根拠のない自信で…よく物事が見えなくなっていた。でも、それだけ純粋だった。悲しいことがあると、夜はずっと一人で泣いていた。恋をしても、うまくはいかなかったわ」
副隊長は黙って陛下のお言葉を聞いていた。
自分は戦いをするものとしてマナ・アンデンの素養を見抜いたが、陛下が言われているような人間的な部分までは分からなかった。
「でも、私も歳をとったわ。昔の自分はもうどこにもいない。今は国を、そしてこの大陸諸国を悪い方に向かっていかないよう、一生懸命がんばること。あの子の人生は私のものじゃない。憧れても、それは私の大人になれない幼稚さのわがままね。私はあの子に…」
そこに静かな水の音だけがあった。
やや、言葉を途切らせてから、陛下は続きを仰った。
「あの子たちに…マナさんたちに、無事に帰ってきて欲しいの。その気持ちはね、副隊長、もちろん、国を預かる者としての感情もあるわ。でもね、それ以上に…」
副隊長はしばしばの空白を、ただ、実直に待ち続けるのみであった。
「いけないいけない。私はあの子に自分を重ねすぎているわ。なんというか…とても、他人って気がしないのよ。何故でしょう…心配しても仕方ないのに。うん、きっとあの子は無事に帰ってくる。何も心配はないよね。あなたもそう言った。それを信じましょう。無事を祈りましょう」
「は!私も中央皇国の学生団が滞りなく試練を通過することを望んでいます」
「そうよね。いっしょに願いましょう」
女王はお顔を窓のほうに向けられた。
日出まではまだ幾らか時間がある。
あの洞窟。懐かしいわね。遠い遠い昔、あそこで起こったこと、誰にも言えない。今、私がかつてあそこを冒険したことがあるなんて告白したら、副隊長はどんな顔をするかしら。
「暗黒の地下道、最後にあそこで試練が実施されたのはいつ?」
「は!ここ最近は城下で超人に覚醒する者の数が若干減少の傾向にあり、一番新しいものですと三ヶ月以上前かと。その時は、受験者がSOSを発して中止となりました」
「そうだ。そういえばそんな話を兵士長から聞いたわね。洞窟内の異生物も凶暴化しているのかしら?」
「いえ!報告書によりますと、もともとその受験者は身体能力的に兵士には不適格とされていたものです。なんでも演芸の才に秀でていた優男だとか…」
「まあ、そうだったの…旅芸人…と仰ったかしら」
陛下は窓の方を向いたまま、お言葉を続ける。
「超人。超人兵。でも、そうした区別は本当に必要かしらね。確かに並の兵士と超人の兵士では能力に差があるのは確かだわ。でも、私や大臣達が兵の階級を超人か否かであることを判断基準にしていないことはあなたも知っているわよね?私達は兵に志願した者に、超人だからといって特に優遇措置は取っていません。超人であろうと無かろうと、あくまでその兵の活躍と実績、貢献で評価をしています。それは結局、一人の超人の力よりも、統率された何百人の兵団の力のほうが軍事力として勝っているからです。中央国が十年前の戦争で魔術師を派兵して失敗したことがその何よりもの根拠です。でもね、私は一国を預かる立場にある人間として、極めて不適切な発言かもしれないけど…そもそも私は軍備を増強することをあまり歓迎してはいません。今のこの世界に、軍隊を持つことに何の意味があるでしょう。今は、今この世界は、人間同士が国家を賭けて争い合うような時代ではないのです。私たちが戦わねばならぬのは異生物…」
饒舌さはそこで途絶えた。
陛下は我を忘れて長話をなさったことを副隊長に詫びた。そしてやにわに話題を変えなされた。
「そういえば、もうすぐ中央国との定例会談が近いですわね」
「は!十日後に控えております。今回は先方を我々の国にお招きします」
タイジとサキィの住んでる東南王国は、中央皇国と密に交渉を図るようにしてきた。
中央国はほぼ全域が山地であり、魔術や学問の研究に非常に先鋭的であったが、食料自給率の低さは否めず、貿易の面でも国土の豊かな東南国とは関係を保っていく必要があった。
「あの王子様、いつも思いつめたような表情してて、なんだか危なっかしいのよね。あの子、すぐに深刻になっちゃうでしょう。ちょっと被害妄想の気があるのかしらね。そりゃあ、あの王家にはいろいろなことがあったわ。血生臭い血族の争いも…」
「恐れながら、中央皇国は我が国を含め、五つもの国と国境を接しています。過敏になられるのも無理はないのではないかと」
「そうよね。あなたの言うとおりだわ、副隊長。私達の国とはわけが違いますもんね。大陸の真ん中にあって、常に他国との関係に神経を使っている。でも、もう少し穏やかな気持ちで国の情勢をご覧になっては、といつも言っているんですがね。なんだか自分の息子に言い聞かせるような気分なのよね」
女王陛下は浴槽から大儀そうに起き上がられた。
四十を越えて未だ衰えを知らない、熟れた女性の瑞々しい裸体が朝の厳粛な光の中で輝いていた。
「やだわ。今日はなんだか若い子の心配ばかりしちゃって。歳のせいよね」
「陛下…」
副隊長は陛下の、この世のものとは思えぬ清らかなお姿を眺めながら「私は陛下のように、ご立派でお美しい方が、いつまでも独り身でいらっしゃるのは、誠に勿体無きことだと思っています」
「そうはいうけどね」
陛下は浴槽から冷たい大理石の上に足をお出しになり「みんな私を傲慢な女王だと罵るでしょうけど、私はダメなのよ。結婚は…」
副隊長は吸い込まれるような陛下の瞳を覗きこんだ。
その奥にある乾いた悲しみを垣間見た気がした。
「恋はね、人生で一度きり。ほんと、ヒドイ女王だわ。今も、忘れられない人がいて、そしてその人を必死になって、今でも探し続けているの。こんな強情な女王じゃ、国の平和なんて守れないかもね」
副隊長は涙を流してその場に跪いた。
そして嗚咽を交えながら謝罪の言葉を述べた。
「陛下!申し訳ありませんでした。しかし、しかし自分は、後にも先にも陛下以上に素晴らしい全知全能の君主が現れるわけはないと確信しております!仮初にもそのようなことを仰らないで頂きたく思います。また、陛下のお心を傷つけてしまった自分を、どうかお叱り下さい!」
「これこれ、副隊長。朝からなんですか、みっともないですよ。さぁさ、長風呂もお仕舞い。朝の公務が始まりますよ」
そこにあったのは東南国に安泰と繁栄を約束させる、眩い女王の笑顔であった。
「副隊長、中央国との会談が済めば、今度はいよいよ世界サミットが控えています。なんとか、例の件の、概要をまとめておかなくてはなりません」
「は!我が兵団も全力で、調査と研究にあたっています」
「ねぇ…まったく、色んなことを言われて困っちゃうわ。西南幕府は刀を持つ者を皆等しく剣士と扱うなと強情だし、南方王国は旅芸人の奇術を是非見てくれという。かと思えば北はあやしい宝探しを生業とする尋宝師とやらのことを引き合いに出すし、中央国でさえ、件の魔術大学…あぁ、あの子たちは魔術アカデミーと呼んでいましたね。その魔術アカデミーで近々、既存の概念を覆すかもしれない発表があるかもだなんて…まったく、もう…。世界をまとめるのも一苦労よね」
麗しの女王陛下は豊かな表情で、侍女にお体を拭かせながら副隊長に愚痴をおこぼしになられた。その瞳には、この世界に生きるすべての人々の幸せの行方が移られていた。
「おはようございます。女王陛下」
扉を開けると近衛兵副隊長が慇懃に朝の礼をした。
女王は王都サボウルツ、王城の寝室でお目覚めになり、数人の侍女に従われて、寝室に隣接している浴室にお入りになった。
副隊長は女性である。
女王陛下の寝室と浴室にはいかなる男性の入室も許可されていない。陛下の御親族であってもそれは同じである。
「おはよう」
四十代とは思えぬ若々しい肌を浴槽にゆっくりとお沈めになられながら、女王陛下はたっぷりと間を置いて挨拶を返した。
浴室は充分に広く、大理石の床は鏡のような純白さを湛え、天井は見上げた先に暗闇を窺わせるほど高かった。
副隊長は入浴中の陛下にもしものことがあってはと、決して警戒心を怠らない。
数人の侍女が御くつろぎになっている陛下のお側に配されている中、ただ一人、白い静謐なる浴室で、いつでも瞬時に抜刀出来る闘志を内に潜めていた。
「副隊長、そういえば、あなたは先日、中央皇国の魔術師さんたちが謁見に来たとき、いましたかしら?」
女王は侍女から受け取った石鹸を両の御手で弄びなられながら、傍らで屹立している女騎士に質問を投げ掛けられた。
「は!自分は確かに居合わせておりました」
まだ陽は昇りきってはいない。
陛下の朝はすこぶるお早い。
「そう…」
女王陛下のお目覚めは、太陽よりも早く東南国に新たな一日の始まりを告げる、と云われている。
「あの子たち、ちゃんと試練をパスできたかしら…」
近衛兵副隊長ははじめ、陛下のそのお言葉を一人ごちたのだと受け取ってしまった。「ねぇ、副隊長、 あの子たちは無事かしらね?」
その反復を聞いて「は!我が国の超人兵の試練の場として長年運営されておりまするかの洞窟、異国の学生風情に易々と攻略され得るものではありません。恐らくは今ごろ苦戦を強いられているかと」
「ふふふ。あなたは本当に生真面目なんだから」
陛下は半ば話を遮って仰られた。
「じゃぁ、いつもの言い方になるけど…。副隊長。もしあの子達が我々の国の魔術師さんだったとして、特別の教育と訓練を施したとして、それで…どう思うかしら?武人としての、あなたの率直な感想を聞きたいわ。みんな、無事でいられると思う?」
副隊長は改まった様子で「それでは、女王陛下。恐れ多くも近衛兵隊、副隊長の位を授からせていただいておりまする私めの、武人としての観点から意見をさせていただきますと…」
そして唾を飲み込んだ。
自分は、今は亡き前国王の時代から兵隊として王宮に長年仕えてきた騎士の家庭に生まれ、恋をするよりも早く真剣を握らされ、女としての人生ではなく、鍛錬に次ぐ鍛錬という血生臭いイバラ道を歩んできた。
近衛兵は陛下直属の護衛部隊。一般兵の中からも特に選ばれた者のみが配属させられる。
陛下が即位前のまだお若い頃に、女の近衛兵がいたら話し相手にもなるから、と欲されて、王宮兵団の少なくはない女性兵の中から自分が選ばれた。
統率力や指揮力には今一歩及ばないところがあったが、男の騎士にも負けない腕っ節が、兵士長殿に買われた。程なくして副隊長に任命されたが、陛下は私に話し相手としての期待も抱いておられる。陛下の御命をお守りすることが何よりもの使命であるし、最善を尽くし、いつでも陛下の為に、自らの生命を捧げる覚悟をしてはいるつもりだ。しかし、話し相手としての私はまだまだ力不足であるのだろう。陛下には御兄弟がおらず、歳の近い御親族もおられないので、気丈に振舞ってはいるが、幼少の頃はひどく孤独であったと私に仰られたことがある。王女であられた頃にはよくわがままを言ったり、こっそり城を抜け出したりしては、家臣らを困らせたとか。もちろん、陛下の外交能力が大臣達よりも遥かに有能でいらっしゃることは言うまでもない。各国の首脳が集まる国際会議で、お若いながらも目覚ましい発言と提唱を試み、それが受け入れられて国際平和の実現にご貢献なされている。陛下はこの国にとってだけではなく、この世界全体の人々にとって、必要不可欠な存在なのである。私などがおいそれと私情を交えた会話をしてはならない、尊きお方なのだ。そして、何よりもお美しい。私のような醜女は本来ならばお側にいるだけで、 陛下の美しさを損ねてしまう忌むべき存在。恐れ多い。まこと、恐れ多いのだ。
「魔術師というものと手合わせた経験が無いゆえ、これは非常に憶測の域を出ない曖昧模糊な返答になりますが、かの一団、それなりに腕の立つ者と思われました。何よりも、護衛を付けずに異生物めの徘徊する野山を越えて来たという事実には、ある一定の評価が可能です。私自身は超人で無い為、試練を受けたことは無いのですが、八人で協力し合い、洞窟内での苦難に立ち向かっていければ、命を落とすようなことはないと思われます。特に、代表者であると名乗ったあの娘には、この武人の目に…何か光るものが映りました」
「そう、そうなのよね」と女王陛下は湯舟から御手をお上げになり、また水面をぴしゃんと打った。
水の弾ける音が、広大な浴室に小気味良くこだました。
「あの子。私もよく覚えているわ。マナさんね。マナ・アンデン。不思議を感じちゃったわ。なんか、昔の私を見てるみたいだった」
陛下は遠い目を傾け、夢見の表情で言葉を紡ぎ、するとクスっとお笑いになった。
「あの子と話したら、なんか懐かしい気持ちになっちゃってね。まだ即位していなかった頃は、あんな風にやんちゃでね。無鉄砲なくせに自信家で、自分はなんでも出来るんだと思っていた。きっと、人生はなんでもうまくいくって。辛いことがあっても、自分はうまいこと乗り切っていける、根拠のない自信で…よく物事が見えなくなっていた。でも、それだけ純粋だった。悲しいことがあると、夜はずっと一人で泣いていた。恋をしても、うまくはいかなかったわ」
副隊長は黙って陛下のお言葉を聞いていた。
自分は戦いをするものとしてマナ・アンデンの素養を見抜いたが、陛下が言われているような人間的な部分までは分からなかった。
「でも、私も歳をとったわ。昔の自分はもうどこにもいない。今は国を、そしてこの大陸諸国を悪い方に向かっていかないよう、一生懸命がんばること。あの子の人生は私のものじゃない。憧れても、それは私の大人になれない幼稚さのわがままね。私はあの子に…」
そこに静かな水の音だけがあった。
やや、言葉を途切らせてから、陛下は続きを仰った。
「あの子たちに…マナさんたちに、無事に帰ってきて欲しいの。その気持ちはね、副隊長、もちろん、国を預かる者としての感情もあるわ。でもね、それ以上に…」
副隊長はしばしばの空白を、ただ、実直に待ち続けるのみであった。
「いけないいけない。私はあの子に自分を重ねすぎているわ。なんというか…とても、他人って気がしないのよ。何故でしょう…心配しても仕方ないのに。うん、きっとあの子は無事に帰ってくる。何も心配はないよね。あなたもそう言った。それを信じましょう。無事を祈りましょう」
「は!私も中央皇国の学生団が滞りなく試練を通過することを望んでいます」
「そうよね。いっしょに願いましょう」
女王はお顔を窓のほうに向けられた。
日出まではまだ幾らか時間がある。
あの洞窟。懐かしいわね。遠い遠い昔、あそこで起こったこと、誰にも言えない。今、私がかつてあそこを冒険したことがあるなんて告白したら、副隊長はどんな顔をするかしら。
「暗黒の地下道、最後にあそこで試練が実施されたのはいつ?」
「は!ここ最近は城下で超人に覚醒する者の数が若干減少の傾向にあり、一番新しいものですと三ヶ月以上前かと。その時は、受験者がSOSを発して中止となりました」
「そうだ。そういえばそんな話を兵士長から聞いたわね。洞窟内の異生物も凶暴化しているのかしら?」
「いえ!報告書によりますと、もともとその受験者は身体能力的に兵士には不適格とされていたものです。なんでも演芸の才に秀でていた優男だとか…」
「まあ、そうだったの…旅芸人…と仰ったかしら」
陛下は窓の方を向いたまま、お言葉を続ける。
「超人。超人兵。でも、そうした区別は本当に必要かしらね。確かに並の兵士と超人の兵士では能力に差があるのは確かだわ。でも、私や大臣達が兵の階級を超人か否かであることを判断基準にしていないことはあなたも知っているわよね?私達は兵に志願した者に、超人だからといって特に優遇措置は取っていません。超人であろうと無かろうと、あくまでその兵の活躍と実績、貢献で評価をしています。それは結局、一人の超人の力よりも、統率された何百人の兵団の力のほうが軍事力として勝っているからです。中央国が十年前の戦争で魔術師を派兵して失敗したことがその何よりもの根拠です。でもね、私は一国を預かる立場にある人間として、極めて不適切な発言かもしれないけど…そもそも私は軍備を増強することをあまり歓迎してはいません。今のこの世界に、軍隊を持つことに何の意味があるでしょう。今は、今この世界は、人間同士が国家を賭けて争い合うような時代ではないのです。私たちが戦わねばならぬのは異生物…」
饒舌さはそこで途絶えた。
陛下は我を忘れて長話をなさったことを副隊長に詫びた。そしてやにわに話題を変えなされた。
「そういえば、もうすぐ中央国との定例会談が近いですわね」
「は!十日後に控えております。今回は先方を我々の国にお招きします」
タイジとサキィの住んでる東南王国は、中央皇国と密に交渉を図るようにしてきた。
中央国はほぼ全域が山地であり、魔術や学問の研究に非常に先鋭的であったが、食料自給率の低さは否めず、貿易の面でも国土の豊かな東南国とは関係を保っていく必要があった。
「あの王子様、いつも思いつめたような表情してて、なんだか危なっかしいのよね。あの子、すぐに深刻になっちゃうでしょう。ちょっと被害妄想の気があるのかしらね。そりゃあ、あの王家にはいろいろなことがあったわ。血生臭い血族の争いも…」
「恐れながら、中央皇国は我が国を含め、五つもの国と国境を接しています。過敏になられるのも無理はないのではないかと」
「そうよね。あなたの言うとおりだわ、副隊長。私達の国とはわけが違いますもんね。大陸の真ん中にあって、常に他国との関係に神経を使っている。でも、もう少し穏やかな気持ちで国の情勢をご覧になっては、といつも言っているんですがね。なんだか自分の息子に言い聞かせるような気分なのよね」
女王陛下は浴槽から大儀そうに起き上がられた。
四十を越えて未だ衰えを知らない、熟れた女性の瑞々しい裸体が朝の厳粛な光の中で輝いていた。
「やだわ。今日はなんだか若い子の心配ばかりしちゃって。歳のせいよね」
「陛下…」
副隊長は陛下の、この世のものとは思えぬ清らかなお姿を眺めながら「私は陛下のように、ご立派でお美しい方が、いつまでも独り身でいらっしゃるのは、誠に勿体無きことだと思っています」
「そうはいうけどね」
陛下は浴槽から冷たい大理石の上に足をお出しになり「みんな私を傲慢な女王だと罵るでしょうけど、私はダメなのよ。結婚は…」
副隊長は吸い込まれるような陛下の瞳を覗きこんだ。
その奥にある乾いた悲しみを垣間見た気がした。
「恋はね、人生で一度きり。ほんと、ヒドイ女王だわ。今も、忘れられない人がいて、そしてその人を必死になって、今でも探し続けているの。こんな強情な女王じゃ、国の平和なんて守れないかもね」
副隊長は涙を流してその場に跪いた。
そして嗚咽を交えながら謝罪の言葉を述べた。
「陛下!申し訳ありませんでした。しかし、しかし自分は、後にも先にも陛下以上に素晴らしい全知全能の君主が現れるわけはないと確信しております!仮初にもそのようなことを仰らないで頂きたく思います。また、陛下のお心を傷つけてしまった自分を、どうかお叱り下さい!」
「これこれ、副隊長。朝からなんですか、みっともないですよ。さぁさ、長風呂もお仕舞い。朝の公務が始まりますよ」
そこにあったのは東南国に安泰と繁栄を約束させる、眩い女王の笑顔であった。
「副隊長、中央国との会談が済めば、今度はいよいよ世界サミットが控えています。なんとか、例の件の、概要をまとめておかなくてはなりません」
「は!我が兵団も全力で、調査と研究にあたっています」
「ねぇ…まったく、色んなことを言われて困っちゃうわ。西南幕府は刀を持つ者を皆等しく剣士と扱うなと強情だし、南方王国は旅芸人の奇術を是非見てくれという。かと思えば北はあやしい宝探しを生業とする尋宝師とやらのことを引き合いに出すし、中央国でさえ、件の魔術大学…あぁ、あの子たちは魔術アカデミーと呼んでいましたね。その魔術アカデミーで近々、既存の概念を覆すかもしれない発表があるかもだなんて…まったく、もう…。世界をまとめるのも一苦労よね」
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