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オリジナルの中世ファンタジー小説
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「よくぞ、戻られました」
三人の従者を後ろに従え、隠者めいた装いをした、まだ若いその少女は女王陛下の前に跪いていた。
マントのついた旅装を身にまとい、顔はフードに半ば隠れている。まるで、常に他者から求めを受ける自己の価値を貶めるかのように。もしくは、その価値を自ら高めて、それを与えまいと意地悪をするかのように。
だから玉座の間の、壁に立つまだ新任の兵の一人が、横に立つ同僚についつい小声で話しかけてしまったのも無理はない。
「なあ…あれが、噂の…」
「そうか、お前は見るのは初めてか」
それを遮るように陛下のお言葉。
「宮廷副楽長……あなたの顔を、見せていただけませんか?」女王陛下はやんわりとした口調で『お願い』をなされた。
そう!
宮廷副楽長と呼ばれた彼女は、主君の前にあっても、ぶしつけな覆面行為をやめようとはしなかったのだ。
それは、あまりに多くを持ちすぎる彼女の、高慢さや虚栄心、自己愛過多や反逆心などでは決してなく、あくまで『自由であること』という信念に基づいての無作法であった。
「な!女王様に対して、顔を隠したままだなんて」
「あのお方は有名人だ。おいそれとは素顔をさらせまい」
その有名人の後方、同じように跪いた三人に至っては、完全に全身をすっぽりと衣で覆い、肌のほんの極一部も外気には晒していない。
小人族の亜人とも想像されるほど、やや小柄な三名の完璧なる極秘性、匿名性は、そのまま一団の代表である彼女の威厳に依存していた。
しかし、彼女はマントのフードを降ろし、その頭部を王の間に居合わせた人々の眼に晒した。
「ちっ、こっからじゃ後ろしか見えない」
「そうだ……あれが 太陽の天女 と呼ばれている…」
「失礼しました」申し訳なさそうなニュアンスを少しも含まずに、彼女は告げた。
その声は、誰が耳にしても美しいと感じる部類。芯があり、聡明で、いかにも女性らしい澄んだ声色だった。
ところが、声に比すると彼女の顔には、そこまで特異な美は見受けられなかった。
均整の取れた、知的で美麗なラインの相貌。亜麻色の髪の毛は少し長めに、ふんわりと広がって、暁の海岸線のようなゆるやかなウェーヴを擁している。微細な金の入った純白の二つの瞳。
金細工のごとき整然性、清らかな雰囲気を保ちつつも、どこか気の遠くなってしまうような夢幻的なおぼろげさ。
しかし、絶世の美女というわけではない。
マナ・アンデンのような小悪魔的、あるいは動物的な愛らしさが含まれているわけでもない。
言葉をかえるなら、他を押しのけるような独特の美の頂点を築くではなく、あくまで平均的な造形の中で最高峰を狙うような、凡庸性の最上級とでもいうべきか。
それでも、わざわざ女王陛下が依頼をなされて拝顔したいと願われたその顔から放たれているのは、圧倒的な慈愛と安らぎのオーラであった。
「彼らは、中央国へと旅立っていきました。必要なことはすべて済ませ、私に出来ることも、これ以上はありません。今のところ…」淡々と報告を続ける「周知の通り、魔術大学の学生のうち、七人はこの国で命を落としました。その件で、近々隣国との関係が硬直化するかもしれません。でも、それは一時的なものに過ぎないでしょう。問題はあくまでかの国の中にあります。そして、それはいずれ明るみに出され、しかるべき後に滅ぼされます。真実は義と共にあります。外部である私たちに、どうこう出来ることではありません。もちろん、人の命が失われるのを救うことが出来なかったのは、私としても、とても心苦しいばかりです。きっとそれは陛下も同じ気持ちだと、思っています」この時ばかりは、女王のお顔に、暗い影の幾分かがさしたのを確認することが出来た「私はあくまで、私がしなければならないこと、最も大切な瞬間に居合わせ、そして手を貸すこと……それを果たして、今ここにいます。それ以下でもそれ以上でもありません。恐らくは、彼らにも気付かれてはいないでしょう」
「本当に、ご苦労様。あなたは立派な働きをなさったのだわ、宮廷副楽長」
また壁際の一角でヒソヒソ声で「副楽長?さっきから……あの少女が?」
「非常勤のさ。我らが王宮の宮廷楽長は一人しかいない。あの位は…」
「いえ、宮廷副楽長と私が呼ぶのは、私の子供っぽい我儘と押し付けでしかないのよね。それはわかっているのよ、コハク」
コハクと呼ばれた少女はおもむろに瞳を閉じて首を横にふり「いえ、女王様。私は自分が、芸事を生業とする職業のものであるということに、何より誇りを持っています。あくまで、私は一介の旅芸人でしかありません」
「その一介の旅芸人を留まらせる為に、私は位を与えてしまった…あなたに」
「光栄に思っています」
「いいえ、それは私の押し付けに他なりません。あなたにここにいてほしいがばっかりに…」
「私には今まで地位などありませんでしたから」
「だけど、あなたは行ってしまう。いつまでも、この王宮にいてはくれない」女王陛下は、目の前に跪いた人物が、遠くない未来、自分の元を離れていってしまうことを、とても寂しそうに想いながら、仰られた。
「己の芸を磨く為の、修行の旅に…」コハクはユーモアをこめて答える。
「あなたが望む暮らし、身分、財産、なんでも私は捧げるというのに…」およそ一介の市民が聞いたら、幸福感で急逝してしまいそうなお言葉を、女王陛下はそのお口元から発せられた。「そういうものに、あなたは興味はないのでしょう?どんなことをしても、あなたは私の元を…この国を去っていってしまう」
「この地で残っている、私のすべきことは、もう限られています。いずれ、この暁の国……いや、その名はまだここではありませんでしたね」
女王陛下はコハクの口から不意にこぼれ出た一語に、俄かに首をお傾げになり「その暁の国も、あなたがいなければ黄昏になってしまうわ」
黄昏はここではありません。それに、まだ夜明けにすらなっていない」不敵な少女は巧みに言葉を紡いだ「誰にも、私をとらえたままにしておくことはできません。また、時が前へ前へと進み続ける限り、離別は必ずやって来ます。でも、それは少しも悲しむべきことではありません。人が自由でいる為に、必要なことですから」
王宮の間に控えた女王陛下の家臣たちが、この一言を聞くと、誰しもその尊大な態度に唖然となった。なんと恐れ多いことを!女王陛下に向って!
一介の旅芸人が口にして良い領域を、はるかに超えていた。
だが、同時に、ここまで自分の言葉を真っ直ぐに発言できるコハクという少女の器の大きさに、自ずと畏敬の念を抱きもした。
人は誰しも、自分には到底出来ないことをさらりとやってしまう人間を目の当たりにして、尊敬と恐れを少なからず抱くものである。
「私はこれから、ある人物を探さなければなりません。その者を見つけ、しかるべき時刻、しかるべき座標、しかるべき場面へと向かいます」
「その捜索に、私の力は役に立たないのかしら?」一国の主がなんと勿体無いことを仰られるのだろう!
コハクは一礼をして、そろそろお暇を頂く素振りを見せた。
「王宮の調理場…料理長に会いに行きます。わずかでも手がかりをつかめるかもしれません。その後は…」コハクは立ち上がり、安らかで、どこか挑戦的かつ邪気のない、太陽のごとき澄み渡った顔を女王に向け「まるで大海原に落とした真珠の首飾りを探し出すようなものです」
立ち上がったコハクの手の中に、空になった小さな丸い小瓶が握られていたのを、後方から目をこらしていた新米兵士は確認していた。
それはタイジが水晶の光に触れた手で掬った薬品の、残された器であった。




東南国王宮での用をすべて済ましたコハクは、三人の背の低い従者と共に、城の裏門を出ようとしたところ、既に噂を聞きつけ集まっていたサボウルツ市民たちに取り囲まれた。
「コハクさま!」
「コハクさま!こちらをお向きになって」
「太陽の天女殿!どうか、わたくしの…」
晩夏にも関わらず、厚みのある法衣をまとった四人組は、馬にも乗らずにいたものだから、たちまち辺りを群集に囲まれてしまい、身動きが取れなくなった。
「これは女王陛下の、せめてものお仕置きでしょうか…」コハクはフードを再び外し、口辺に笑みを浮かべて小さな声で呟いた。後方の、小人の如き背丈の三人の隠者は何も答えない。まるでそのローブの中に、肉体などない、実体の無い存在であるかのように。
コハクは唇を緩やかな弓なりに微笑ませたまま、瞳を閉じておしとやかに歩を進めた。
「コハクさま!」
「宮廷副学長殿!」
「コハクさま!歌を聞かせてください!」
「太陽の天女さま!」
皆が自分を呼んでいる。自分の名を、自分の二つ名を呼んでいる。
しかし、コハクは答えない。
ただ、静謐なる微笑を浮かべたまま、無言のうちに「道を開けよ」と訴え、そして人々の群を離れようとする。そこに悪意はない。しかし、人々の願いは届かない。
「コハク様!ああ、コハク様!」遂に思い余った一人の女が、コハクの歩む道を塞ぐように躍り出た。「コハク様!この子に、私の娘に、祝福を与えてやってください!」
血走って息を切らせた母親は、まだ幼い娘を盾のように自分の前に突き出し、コハクの行く手を阻んでいる。
「お願いです!コハクさま!どうか、どうか、この子に!この子に祝福を下さりまし!どうか、ほんの一節で構いません!歌ってくださいまし!一生のお願いにございます!」
出過ぎた女の行いに、さすがに周囲の人々も眉をひそめた。あまりに不躾であろう!あんなにも小さな娘を突き出して、太陽の天女さまの施しを受けようとは。
一方、厚かましい母親に背中を押されて直立不動となっている小さな幼女は、眼を丸くして恐れおののいている。自分の身に、一体何が起こっているのか理解できていない様相。
「ぁ……ぁ」
太陽を直視したことがあるか?
あの天空に一つ輝く、この世で最も明るい存在を。
何秒間、あなたはそれを見つめていられる?目を背けずに、見開いて、太陽を!一体、どれだけ長い間、人は見つめ続けることが出来るだろう。
やがて網膜は容赦なく焼かれ、いずれその瞳は損壊し、しまいにはあらゆる光をすら見ることが出来なくなってしまう。
「ひ……」
両足で立って歩けるようになってから、さほどの年月も経過していないと思われる寄る辺ない幼女は、既に全身から汗をふきだし、逃れることの出来ない恐ろしさから、硬直した小さな体を細かく震えさせ、母親は何故こんな拷問のようなことを強いるのか、その悲痛な訴えすら出来ず、次第に加速していく動悸と遠のく意識、ただ一つだけの救いは、今自分の両目で見つめている人物に、決して殺気や威圧、須らく死の気配の皆無なこと、そこにあるのはあくまでも『光』であり、生命の不滅であり、極限状態に追い込まれながらも自分を辛うじて保っていられるのは、彼女から発している聖女の慈愛であった。
「……。」
宮廷副学長の名を女王陛下から頂いていた少女は、幼女の顔をほんの一瞬垣間見ると、黙って笑みを投げ掛け、そのすぐ脇を迅速に通り過ぎてしまった。
「コハク……さま…」母親は愕然となった。
誰にも彼女をとらえる事は出来ない。
人々が、彼女の稀少性に打ちのめされた瞬間であった。
群集はもはや彼女の足を止めようとする意欲を失い、ただ去っていく、自分たちには決して手の届かない存在を見守るしかなかった。
三人の小柄な隠者も、倣うように後に続いた。
「ぁ……あ!」
哀れ。
傲慢なる母親に無理矢理押し付けられた小さき娘は、コハクが自分の元を去ってから数秒後、直立不動のまま失禁をしてしまった。
黄色い尿が大地に染み渡っていく。
だが、母親も、周囲の大人たちの誰一人として、彼女の放尿を責めはしなかった。もはや、太陽の天女は物理的にも精神的にも、届かない位置に行ってしまっていた。
「予想通り、厨房での聞き込みは徒労に終わった」コハクは東南国王都サボウルツの郊外に立って、茫漠たる大草原を前に「後は一応、念のため、あそこにも足を運んでみるけど…気休めにもならないわね。今度の旅は、長くなりそうだわ」
完璧に全身を隠した三人の従者は依然、声を発しはしなかった。
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